ウィーンで研究留学!

以前はウィーンでの留学生活を綴っておりました。今後はクラッシック音楽を中心に細く長く続けていけたらと思っています。

オーストリア大使館でのイベント

2006年11月30日 07時26分35秒 | Weblog
なんだか疲れることばかり書いていると読者がいなくなってしまいそうなので気分を変えてたまには昔話を。

久しぶりにピアノを弾く気になってしばらく弾いて、思ったより弾けたのでいい気分でお風呂に浸かっていたら思い出したのですが、まだ学部学生だったこところにオーストリア大使館に行った事がありました。サークルの先輩が招待券を手に入れて、ただでクラシックが聴けるということで連れられて行ったのですが、なんというかオーストリアの宣伝イベントでのんびりした会でした。もちろんウィーンに住むことになるなんて思いもよらないことでしたが、ウィーンで長い間働いていた女性のトークが先ずあり、ウィーンの人がいかに働くことに熱心でないかという内容で、よく覚えている話は、電話受けの職員がフレックスだといって朝の3時から来て昼前には帰ってしまう。確かに仕事時間は十分だけど電話受けなんだからそれじゃ意味無いんですよね。という感じでした。他人事としか思っていませんでしたが、いま考えてみればさらに、その昼前以降を誰もフォローしないからいくら掛けても出ないようなことが良くあるんだなあと妙に納得してしまいます。日本人的にはサービス業の基本がなっていないのですがそんなことを言っても始まりません。

イベントの後半は生演奏。ウィーン音楽大学在学中の日本人女性のピアノで、曲は私の数少ないレパートリーの一つ、モーツァルトの幻想曲ニ短調が最初でした。なんだかテンポが安定しなくて、心もとない印象しか残っていないのですが、当時私はギレリスのやたらと重い録音を聴きまくっていたので、いま聴けば全然ちがうかもしれません。

最後に次のイベントの招待券を貰って、ああ、要するに毎回来ればずうっとただで、お金払ってくる人は居ないんだなあと思ったことを覚えています。

考えてみたら大使館なんてほかにはどこも行ったことは無いので、いまウィーンに住んでいると思うと単なる偶然ですが、不思議なめぐり合わせです。


この一緒にいった先輩は暇な当時ずいぶん一緒にいる時間が長かったですが、私が結婚してからすっかり忙しくなり、最近は音信不通です。どうされているのでしょう?もし読んでたら連絡ください。(さすがに有り得ないかなあ。)

「淫する」???

2006年11月24日 09時31分54秒 | 研究
私はそもそも国語力は相当低いし漢字はかなり弱いのですが、こればっかりは世代の違いとしか思えません。今日の題名、読めますか?

今日の柳田先生のブログの記事を見ていただければ分かりますが、柳田先生にとっては当然の言葉のようです。でも「そんなにいんしてはだめだよ。」なんていわれても「???」という表情を浮かべるしかありません。そんな言葉を使っているのを聞いた事がありません。「はまる」という言葉についての説明もやはり違和感があります。私にとっては柳田先生の言う「淫する」のニュアンスがぴったり「はまる」で表現されているように思われます。

そんな細かいことはどうでもいいのですが、思ったのはこんな細かいことが先生がわざわざブログの話題にされることほどのことだということです。思うに柳田先生は放任からはかなり遠い積極的な指導をされる先生だと思うのですが、そのときにそこまで細かく言葉を使い分けているのかと。科学者特有のこだわりともいえるのかもしれませんが。

しかし私が今いる環境では、誰にとっても母国語じゃない英語でコミュニケーションしており、だれもそんな細かいニュアンスを気にしていないように思います(まあ英語自体そういう言語なのかもしれないですが)。しかし研究の進行に関するディスカッションは十分にされていると思います(英語の出来ない日本人は置いておいて。。。)。もちろん個人主義で、個々人の細かいことまで介入しない文化だとも言えますが、でも一つの実験にはまり過ぎないように、というようなディスカッションは当然あります。

思えば日本に居たときはラボの細かい取り決めについて、ああだこうだ、ずいぶん時間をとられて議論したものです。今は立場が違うので比較はできないですが、やはりほぼ完全に単民族で形成されているラボの運営と言うのは多分かなり日本に特徴的な状況で、特有の難しさがあるのだなあと思います。私はそこら辺は大分学んで来たつもりですが、残念ながら?こっちでそれが生かされることはほとんどありません。

ウィーンの路面電車

2006年11月18日 20時27分03秒 | ウィーンの生活
楽しい路面電車!

ウィーンの古典的な交通手段といえばStrassenbahn、路面電車です。愛称なのか知らないのですがトラムとも呼ばれます。最近は地下鉄や普通のバスが加わって唯一ではないですが、未だに古典的な車両が走っていてとても風情があります。(写真はなぜか夜です)

最近良く乗るようになって気づいたのはトラムは乗っていて楽しい!特に一番後ろの一人の席は視界がパノラマで観光にもいい感じです。しかもトラムは乗車位置が高いので見渡しが効くのです。路面電車も新しいものがあって、これは床が低く大きな荷物の時は楽ですし、車内は歩きやすく機能的にはもちろん優れているのですが、見渡しは効きません。バスは構造上やっぱり視界はそんなに良くはありません。だから古いトラムは別格なのです。椅子は硬い木で小さめの造りなのですわり心地は良くありませんが、とても可愛い車内です。

これはトラムに限らないことですが、ウィーンでは乗り物はせかせかしていません。扉はボタンを押すと開くのですが、閉まってしまった後でももう一度押せば空くし、停留所が信号待ちのところであれば、信号を待っている間はいつでも空きます。急いで乗ろうとして走っていると中の人が開けてくれたりもします。こりゃ間に合わないだろ、と思いつつ信号待ちしているトラムめがけて走ると意外に間に合ってしまうことが良くあります。逆に一度閉まっただけで開かないときはショックで、何で?意地悪!と思ったのですが、実はそういう時はとても遅れてしまっている時です。たまには運転手さんも時間に追われているようです。そんなときはもう一度道を見渡してみてください。遅れてるときはほぼ間違いなく次がすぐ後ろに居ます。遅れるからお客さんが沢山待ってて乗り降りに時間が掛かりますます遅れるんですね。で、次はほとんどお客さんが乗らないからどんどん差が詰る。写真は満員のトラムににり遅れて、すぐ来た次のトラムに乗ったら貸切状態だったときのものです。。

路面電車やバスはルートが入り組んでいて分かりにくいですが、地図を見れば分かりやすく書いてありますし、うまく使えばとても便利です。QBBのチケットで地下鉄もバスも路面電車も共通に乗れます。観光の方も是非どんどん利用して楽しんでください!

圧倒的。。。

2006年11月16日 04時39分50秒 | 音楽(クラシック)
ふらふらしていたら硬いものが頭にぶち当たったような衝撃でした。

ベルリンフィル・ラトルのショスタコービッチ、予想をはるかに上回ってすごかった。特に前半の交響曲1番。彼らが発する音は常に音が深い、そう思わされました。1番は1番だけにもっと軽く演奏されるものだと思っていましたが、こんなに内容のある音楽だったとは知りませんでした。今日はあんまりいろいろ書かないことにします。

後半の15番はしっかりまじめに聴いたことが無かったのですが、かなり難しい曲です。いい演奏でしたが、この晩年の境地をラトルがものにしているか、これはまだ難しいのではないかと思いました。

とりあえずベルリンフィルをもっと聴きたくなりました。ベルリンはそんなに遠くないわけだから年に何度かフィルハーモニーホールに聴きに行くことを本気で考える気になりました。


ところで、やっぱりウィーンフィルのショスタコは駄目です。ゲルギエフに「モーツァルトのようにやっては駄目だ!」と言われていたそうですが、それがいいところも悪いところも表現しているように思います。少なくとも僕がショスタコに求めるものではないですね。でもまた今度ゲルギエフと4番をやるみたいです。

ベルリンフィル!

2006年11月15日 02時34分43秒 | 音楽(クラシック)
今日は初ベルリンフィル、初ラトル!

ベルリンフィルもウィーンフィルと同じくらいしょっちゅう日本に来ているのにどうしてベルリンフィルだけは行ってことが無かったのかと考えると答えは簡単。もちろんどちらもチケットは競争が激しくてとるのは大変だけど、ウィーンフィルは積年のCDの影響でどうしても聞いてみたい最高のオケ、ベルリンフィルはすごいんだろうけどカラヤン嫌いの私にとっては特別な思いは無かったんですね。
でも以前の記事に書いたこともあってどうしても聴いてみたかったのです。しかしチケットを取るのをうっかりしており、気づいたら2週間前。それでもオルガン脇の安い席は残っていました。公演は二日間あり、今日がショスタコービッチ、明日はドイツ・レクイエム。明日のほうは先に売り切れてしまい、私が取ったときには今日の公演だけ残っていたので自動的にショスタコになりましたが、考えてみたらウィーンフィルで沢山聴いて今一だったショスタコをベルリンフィルで聴けるんだからかえって良かった。

では、これから会場に向かいます!

はっきり意見を言うこと~一刀両断ではない!

2006年11月10日 07時17分21秒 | 雑記
書くねたが沢山ある割にはゆっくり書く時間が全く無いので今日はふと浮かんだことを書きます。

卒業を迎えた人に色紙を贈るのは日本でかなり良く根付いた習慣だと思うのですが、私は大学院時代のそれを見てとても意外に思いました。「何事とも一刀両断にする○○さんの振る舞いには・・・」、「○○さんの白黒をはっきりつけられるもに言いにはじめはびくびくしていましたが・・・」などのコメント。もちろん色紙ですから否定的な言葉ではないし、こういうことを書いてもらえること自体、後輩との関係が悪くないことだと自尊するのですが、しかし僕はそんなにきついことを言っているつもりは無いのになあと思ったものです。そしてつい最近、日本のラボに短期間戻り仕事をしたときにも「何でもはっきり言ってくれる○○先生がいなくなったから・・・」ということを言われました。

今更になってよく分かったことは、自分としては単に自分の意見をはっきり言っているだけで、自分が物事の白黒をつけているつもりは全く無いのですが、私は基本的に(たとえその場の流れに大きく反しようとも)自分の意見ははっきり言ってしまう性格なので、周りに他にはっきり意見を言う人が居ない状況ではたしかに私が一刀両断した結果になってしまっていたということです。こんなことはもちろんある程度分かっていたことですが、海外に来て、語学力の問題でなかなか自分の意見を言ずほとんど静観する状況になって初めて、日本での状況が客観的に分析できるようになったように思えます。

何が違うのか。誰もが自分の意見をどんどんいえる状況と、自分の立場を推し量りながらでないとものが言えない状況の違いです。日本ではたとえばデータが沢山あって自信満々な大学院生は誰に対しても積極的に意見を言えるけれども、仕事の進みが悪くて教授との関係が余り良くない助手は意見を言いにくいなんて状況はよくあることではないかと思います。こちらではどうやらそんなことは有り得ません。誰もが言いたいことを言うし、誰が言った意見でも尊重されます。また少々棘のあることを言ってもそれで悪く思われるようなことも、余り無いようです。

言いたいことは月並みなのですが、この違いは科学者としては重大で、そして多くの留学帰りの科学者が遭遇する問題に繋がるように思えます。私はある人に「ボスがカラスは白いと言えば自分もカラスは白いと言うんや!」といわれて何を言っているのかさっぱり分からなかったのですが(笑)、これは極端にしても、私の知る日本の状況は時に何が正しいのかがもっとも大事ではない場合があります。自分がこの世界でどうやって生きて行ったらいいのか、見失いそうになります。

話を始めに戻せば、私は小学校では自分の意見を先生が恐れるような状況で、中高では凡人でしたが何事も自分のやりたいようにやれる環境で育ち、大学院のラボでは(途中まででしたが)自信満々で言いたいことが言える状況でした。周りの人はもっと常識的で立場をわきまえて発言する人が多かったですから、色紙に書かれたような状況になったのでしょう。逆にそのあと壁にぶち当たりましたが、それを経て、今は全く違う環境に居ます。多分今のラボのメンバーは私は物凄く控えめだと(もしくは何を考えているのか分からない)と思っていると思うのですが、このままでは日本に帰って問題にぶつかる権利すらないような状況なので頑張らなきゃいけないですね。