ウィーンで研究留学!

以前はウィーンでの留学生活を綴っておりました。今後はクラッシック音楽を中心に細く長く続けていけたらと思っています。

純粋な研究者から製薬企業の会社員へ

2019年08月20日 21時39分39秒 | 雑記
さらに三年が経ち、幸いなことに製薬会社のMedical Affairsの一員として、とても順調にキャリアを積ませていただいています。といってもバリバリに研究に打ち込んでいた大学の教員から、一企業人として働くのは劇的な変化がありました。我ながら適応能力は高いなあと思いつつ、やはり未だに一企業人になりきれていない葛藤もあり、自分がどういうところに収まるものなのか悩み続けています。というと、ちょっと違うかもしれません。企業経験が無いことで面接にすらなかなか辿り着かなかった当初は悩み様が無かった訳ですが、もはやメディカルとしての経験は十分になったからこそいま悩んでいるとも言えます。そこらへんはまだぼちぼち書いていきたいと思います。つまり、人生の半分くらいまで研究に没頭してきた私が、どうやって会社員としての歩み始め、キャリアを積んでこれたか、ということを今後の真面目なテーマとしてブログを再開するつもりです。といっても、昔の読者が残っているはずも無いですし、どんな読者を想定しているのかよくわかりませんが…
また、クラシック音楽は私の人生のより大事な位置を占めているのでその記事も書いていきます。というか、そちらの方が気楽に書けるので多くなるでしょう。また三日坊主になるかもしれませんが、気長に読んで頂ければと思います。

5年間が経ちました

2016年02月17日 18時19分10秒 | 雑記
前回、ブログを閉めると書いたのが地震の直前、5年間が経ちました。その間地震を含めて予想もつかないことが幾つも起こり、いま私はアカデミアを離れ、外資系製薬企業で働いています。

その間真面目にブログをチェックしていなかったせいで、恩師から折角ご連絡頂いていたのに気付かずに来てしまいました。メールをお送りしましたがアドレスはもう使われていないようです。

このブログにお送り頂いたメッセージは承認しないと公開されないようになっています。もしこの投稿にお気づきになられましたら是非ご連絡ください。お待ちしています。

そろそろ

2011年03月01日 03時06分37秒 | 雑記
予想していた通り日本に帰って来てからは、夕食時を除いて朝から夜中まで働く生活になりブログからはすっかり遠ざかってしまいました。留学中とは違って体力的にはハードですが、やはり日本人にとっては日本が一番生活しやすいというあたりまえのことを実感しています。

当初考えていたよりも遥かにたくさんの人達に読んでいただいたこのブログですが、やはり更新しなくては意味がないので、僕の留学生活が一応無事に終わったところでブログも閉じようと思います。また少し余裕が出来たら何処かで書くこともあるかもしれません。

今まで拙い文章におつきあいくださいましてありがとうございました。

ケンブリッジでも雪

2010年01月02日 21時53分25秒 | 雑記
ケンブリッジでは冬はそんなに寒くならず雪が降ることはあってもせいぜい二、三日、まず積もることはない・・・というのが聞いていた話でした。去年は何年振りかで積もって学校が休みになったりしたそうですが、今年も12月から降りました。学校はちょうど最後の日で、休みになったところもあったようです。クリスマス前の週は最高気温が零下のこともあったのでそうなるかと思っていたのですが、降った後もしっかり雪は一週間近く残りました。クリスマスイブの前日から急に暖かくなり、イブの日には無くなっていたのはご愛敬ですが。

オーストリアとは違い、冬タイヤの義務化どころか誰も冬タイヤを使わないような状況なので雪が積もった後はみんなものすごくゆっくりになり、ちょっと傾斜があるところでは立ち往生したり登れなくてあきらめてる車たいたり、ウィーンから来た私にとってはちょっと笑ってしまうような状況がたくさん見られました。もちろん私も冬タイヤではなかったんですが、幸いそれなりに雪の上でも働いてくれたし、一応雪上運転には慣れているので、滑ってるのにさらにアクセルを踏んだりはしません(笑)。みんなそろってゆっくりなのである意味平和で、多分、この状況で冬タイヤを履いても、より安全だとは思いますが、早くはならないでしょう。

それがクリスマス前の一週間だったのですが、いま、またかなり盛大に雪が降り始めました。なんというか結構大粒の雪です。気温もしっかり低いのでまた積もるかもしれません。細胞を飼っているのでラボには行かなければいけないのですが、うーん、早めに行った方がいいかもしれません。。。

今年を振り返って

2009年12月31日 23時44分34秒 | 雑記
すっかり余裕がなくなって今年は数えるほどしかまともな投稿ができなかったですが、今年は本当に思い悩んだ一年でした。表面的にはオーストリアからイギリスに引っ越ししたことだけでもそれなりに大変でしたが、それ以上に研究者として今後の人生について様々な可能性をを探ったことが自分の将来に大きな意味を持つことになるような気がします。どのような方向に進むことになったとしても。

予測しなかった厳しい事態に悩まされているときに、親身なご意見を下さった先生方・先輩方にはきれいごとでなく本当に感謝です。今まであまり周りに流されることなく自分の意思を強く持って人生を歩んできた自負がありますが、今年ほどいろんな人の言葉が身にしみたことはありませんでした。

日本時間の今年中に投稿するにはあと数分になってしまいました。遅々として投稿の増えないこのブログですが来年もどうぞよろしくお願いします。来年は仕事に少し余裕ができてもうちょっと頻繁に書けるようになるといいのですが。それでは皆様良い年をお迎えください。

運命の流れの行き着くところ

2009年05月10日 08時38分13秒 | 雑記
そもそも「運命」なんて言葉を使ってる時点でまともに頭が働いていないのですが、この記事を書いてから1年余りたってどうやらその行き着くところがはっきりしそうです。

このときに書いた「運命の流れが強すぎて」というのは要するにとんでもなく大変な状況に陥っている時の話で、そろそろ逆も有ってもいいんじゃないかと思い始めて書いていたような気がします。二十歳前くらいまでは自分はラッキーな人間だと信じて疑っていなかった私も厳しい現実にさらされて、すっかり悲観的な思考回路が身について、ちょっと良さそうなデータがでてもそう簡単には信じなくなっています。これは実験科学者としてはしかるべき姿だとは思うのですが、たまにはびっくりするようないいデータ、というか思い通りのいいデータがとれることがあってもいいんじゃないか、とは思います。でも振り返ってみてもあんまりそういう経験が有りません。というかいいデータになった頃には、そこに到達するまでに過程ですっかり疲れてしまってそんな感慨がないというところです。今かなり期待してやっているプロジェクトもそんな感じで、ずうっと半信半疑、でも当たりだったらすごいのでやってみていると言う状態が続いていて、本当はとっくに白黒付いていなくてはいけないのですが、なかなかそうも思ったようには行かないものです。

意を決して始めた遺伝子組み換えを駆使した材料の準備がやっとおわって(一度は終わったと思っていたのが勘違いで数ヶ月ロス)、先日ついにはじめのデータがとれたのですが、これがほとんど予想した通りのデータ。余りに都合が良すぎるので信じられない状態で、次の結果でconfirmされるかどうか、内心びくびくして実験しています。過去にこういう状況で裏切られたことが沢山あるのでそんな可能性ばかり考えているのですが、まあどう転ぶのか、人生たまにはいいことがあるかなあ、研究者やってるのも悪くないのかなあ、という問いに力強くYes!と言ってくれるといいのですが。こういうときこっちの人間はもっと強いんですよね。データが明らかに仮説を否定しているのになかなかそれを信じようとしないような人もいます(笑)。

運命の流れの中で

2008年02月23日 08時27分25秒 | 雑記
現在研究とは関係のないものに取り組んでおり、家ではそっちのほうになるべく集中しなければいけないのですっかりブログどころではなくなってしまいました。今日はちょっと特別な行事があってお酒も飲んでしまったので例外ということで久しぶりの更新です。

考えてみたらそろそろ人生半ばという年頃ですが、今までに何度か運命の流れがあまりに強すぎて自分ではどうにもならないと感じることがありました。それがポジティブな流れならばなんとも思わないのですが、どうして自分の身にこんなことが起きてしまうんだろうというようなことが重なるとそういう思いになります。そういうときはどこまで絶望したって運命の流れは変えようも無く、甘んじて受け入れて自分に出来る最善を尽くすしかありません。わかりやすく言いたいときは「悲劇のヒロイン(ヒーロー)になっても何も良いことは無い」という言い方を私はするのですが、そこで自分の運命を悲観して立ち止まっては人生は進まなくなってしまいます。どんなに自分の意思が押し曲げられても、人生は進まなくてはいけないと思います。私の場合しかし家族が居なかったらそれも難しかったでしょう。どんなに自分の運命に悲観しても守るべき家族がいれば弱音は吐いていられませんでした。

そんな状況から抜け出すのに後ろを振り返ってばかりいてはどうにもならないのですが、どうしてもこの時期自分がやっていたことはなにか足しになったのだろうかとか、計算してしまうとまあそんな楽しい結果は出てきません。それでもそういった経験から人生をプラスに向かわせなければいけないのでしょう。

何を書いているんだかわからなくなってきましたが、留学を果たすことができてそれだけで達成感がありましたが、傾きの角度がさらにプラスに転じている感触があります。10年くらい前の自分だと波に乗ったとおもって調子に乗って転覆しているところですが、今の自分の人生観で行けば、こういうときにいかに冷静に対処できるかが運命を分けるところのように思います。

常々、数日間のんびりと面白そうな論文を読んで将来の研究に思いを馳せるようなことがしたいなあと思っているのですが、なかなかそんなチャンスはめぐってきません。きっと私の性格の問題なんだとは思いますが。

はっきり意見を言うこと~一刀両断ではない!

2006年11月10日 07時17分21秒 | 雑記
書くねたが沢山ある割にはゆっくり書く時間が全く無いので今日はふと浮かんだことを書きます。

卒業を迎えた人に色紙を贈るのは日本でかなり良く根付いた習慣だと思うのですが、私は大学院時代のそれを見てとても意外に思いました。「何事とも一刀両断にする○○さんの振る舞いには・・・」、「○○さんの白黒をはっきりつけられるもに言いにはじめはびくびくしていましたが・・・」などのコメント。もちろん色紙ですから否定的な言葉ではないし、こういうことを書いてもらえること自体、後輩との関係が悪くないことだと自尊するのですが、しかし僕はそんなにきついことを言っているつもりは無いのになあと思ったものです。そしてつい最近、日本のラボに短期間戻り仕事をしたときにも「何でもはっきり言ってくれる○○先生がいなくなったから・・・」ということを言われました。

今更になってよく分かったことは、自分としては単に自分の意見をはっきり言っているだけで、自分が物事の白黒をつけているつもりは全く無いのですが、私は基本的に(たとえその場の流れに大きく反しようとも)自分の意見ははっきり言ってしまう性格なので、周りに他にはっきり意見を言う人が居ない状況ではたしかに私が一刀両断した結果になってしまっていたということです。こんなことはもちろんある程度分かっていたことですが、海外に来て、語学力の問題でなかなか自分の意見を言ずほとんど静観する状況になって初めて、日本での状況が客観的に分析できるようになったように思えます。

何が違うのか。誰もが自分の意見をどんどんいえる状況と、自分の立場を推し量りながらでないとものが言えない状況の違いです。日本ではたとえばデータが沢山あって自信満々な大学院生は誰に対しても積極的に意見を言えるけれども、仕事の進みが悪くて教授との関係が余り良くない助手は意見を言いにくいなんて状況はよくあることではないかと思います。こちらではどうやらそんなことは有り得ません。誰もが言いたいことを言うし、誰が言った意見でも尊重されます。また少々棘のあることを言ってもそれで悪く思われるようなことも、余り無いようです。

言いたいことは月並みなのですが、この違いは科学者としては重大で、そして多くの留学帰りの科学者が遭遇する問題に繋がるように思えます。私はある人に「ボスがカラスは白いと言えば自分もカラスは白いと言うんや!」といわれて何を言っているのかさっぱり分からなかったのですが(笑)、これは極端にしても、私の知る日本の状況は時に何が正しいのかがもっとも大事ではない場合があります。自分がこの世界でどうやって生きて行ったらいいのか、見失いそうになります。

話を始めに戻せば、私は小学校では自分の意見を先生が恐れるような状況で、中高では凡人でしたが何事も自分のやりたいようにやれる環境で育ち、大学院のラボでは(途中まででしたが)自信満々で言いたいことが言える状況でした。周りの人はもっと常識的で立場をわきまえて発言する人が多かったですから、色紙に書かれたような状況になったのでしょう。逆にそのあと壁にぶち当たりましたが、それを経て、今は全く違う環境に居ます。多分今のラボのメンバーは私は物凄く控えめだと(もしくは何を考えているのか分からない)と思っていると思うのですが、このままでは日本に帰って問題にぶつかる権利すらないような状況なので頑張らなきゃいけないですね。

世界で一番安全な街?

2006年09月12日 08時20分14秒 | 雑記
今日は9.11。

はずかしいことに今日の夕方に人に教えてもらうまで気付きませんでした。今までは実験のノートに日付を書き込んでいくときに、ああ、今日はあの人の誕生日、などと思うのですが、それが気づきにくくなったのです。しかし他愛ない話は明日にでも。

留学が常に頭にあった私は9,11以来、家族と共に行く街をどこにすべきか良く考えました。アメリカは他の理由もあるのですが、まず除外、同じ理由でロンドンも外れました。ヨーロッパの中ではイギリスは空気が日本に近いと思うので昔は有力な候補でしたが、アメリカに最も同調しているのでやはり外れました。そこからはこの基準ではそれほど絞りませんでしたが、結果的にウィーンは相当安全な選択肢だと思います。オーストリアは中立国です。先日ブッシュが来たときにはずいぶん警戒態勢がひかれ、滞在先のホテルの近くは大変だったそうですが、アメリカともそれほど親密ではないはずです。こっちの人に言わせればさらにOPECや国連の建物もあるので絶対に安全だそうです。確かに治安もとてもいいので東京よりも安心と思っているのですが、しかし我々が9.11で学んだことは、世界中で、いつ何が起きても不思議ではないと言うことだと思っています。どんな理由でウィーンがテロのターゲットになるか分かりません、世界中で絶対に安全なところなど存在しないのです。

会話のある結婚生活?

2006年09月11日 06時53分55秒 | 雑記
英会話サロンを営む異色の関西将棋棋士ナルゴン先生のブログはほとんど将棋の話しは無いので内容的には興味は無いはずなのだけど、毒舌の方向に共感が持ててついつい読んでしまいます。そんなに忙しいのが英会話サロンの仕事のためだとするとどうして将棋でもそれなりの成績を残せるのか不思議です。

ところで昨日の記事には何故結婚しないのか?と聞かれた話が出ているのですが。「理屈っぽい人間だから」と言う説明が分かるようで分からないのと、「理想は結婚して10年経ってもコンサートやディナーに行く関係でそうありたい」というくだりには大いに共感したのでこの記事を書きたくなりました。

そもそも私の場合、夫婦で会話をする時間がもてなくて困っているくらいで話すことなどいくらでもあります。それは関係もいいのだと思いますが、それ以前にお互いが人生のパートナーで、それぞれ独立した人生の目的を持ちつつも、常に助け合わないとやっていけないからです。私の考えでは単なる恋愛感情で結婚した場合は、時が過ぎれば当然それは色あせるもので会話も無くなるかもしれないですが、共に人生を協力して歩んでいればその中でお互いの魅力を再発見し、単なる恋愛感情のレベルとは違うレベルでかけがいのない存在になるのだと思います。

以下は人それぞれですが、私は自分についてきてくれて、毎日子供の世話をして食事を用意して待っていてくれるような奥さんがいるような状況は考えたくもありません。そもそも研究者という職業は留学してしまうととても不安定なので自分だけにすがられているような状況は荷が重過ぎます。パートナーが別の分野で(同じでもいいのですが)がんばっているのはとても楽しいことで、本気で協力することで私は二人分のアグレッシブな人生を楽しんでいます。しかしこれはリスクがとても高い人生なのは確かで、以前上司に、二人で理想を追いかけるのもいいが、いつかは自分の方を優先するような選択肢を選ばないと研究者として生きていけないと思う、というありがたいお言葉もいただきました。

結婚に求めるものは人それぞれ、そして結婚生活もそれぞれだと思います。会話がなくても毎日がなんとなく過ぎていくような結婚生活もある意味理想なのかもしれません。ただ、結婚に求めるものが夫婦の間で大きく食い違うと上手くいかないとは思いますが。ちなみにウィーンの人の結婚生活がどんななのか、私にはサンプルがほとんど無くまだ全然わかりません。もちろんウィーンの人なんて簡単にくくれるはずはないのですが、日本とはどう違うのか、それは多分かなり違うんでしょう。大体みんな結婚前から一緒に住んでるし、次のポストを探すときに一番重要なのはガールフレンドの意見だったりしますから、結婚というもの位置づけ自体日本とはかなり違います。