ウィーンで研究留学!

以前はウィーンでの留学生活を綴っておりました。今後はクラッシック音楽を中心に細く長く続けていけたらと思っています。

女性と男性の違いの話

2008年08月30日 05時19分45秒 | 将棋
職業柄こういったことはよく考えるのですが、偶然遭遇した質問サイトでびっくりなやり取りを発見しました。質問はいたってありがちで、女性は身体能力で男性に劣るし、歴史上の偉人も学者のトップも芸術のトップもほとんどが男なのはなぜか、女性は男性に劣っているのか?というものでした。これにいくつか答えがあって最新のものはどうやら同業者ではないかとおもわれるそれなりに納得のいく回答でしたが、それより下にあった「良回答」となっているものは唖然とするものでした。

「男性の脳は女の脳よりも一般的に約15%容積が大きい。
大脳新皮質の神経細胞は女で、平均190億個、男性で230億個あると算定されている」という事です。
つまり、身体面でも知能面でも女性が男より遥かに劣るのは、科学的に証明されている事なんですよね。
だから、現代でも男がトップに経ち、各部門で優秀な人材がほとんど男なのは、必然的な結果なのです。」

そしてそれに対する質問者は

「なるほど
脳の容積が15%も差があるんですかー
それなら、男女間との差が圧倒的なのも納得です
貴重な意見、ありがとうございます」

ということです。それで納得するな!と思ってしまいますが、なんとなく科学的な説明をする人の意見を容易に受け入れてしまうのは日本人の特質のような気がします。逆に科学的な言い回しで適当なことをいう人は僕は大嫌いなのですが、これなんか典型的で、脳の容積が15%大きいのがホントかどうかもよくわからないですが、まあそうだとしても、そこから知能面でも女性が男性よりも遥かに劣るなんていう結論は導き出されるものではなくて、脳が大きければ知能が高いなんていう論理はだれも証明していないはずです。実際頭の大きさって個人差がものすごくあると思うのですが、僕の知る限りで最も偉大な科学者はそんなに頭は大きくありません。まあこれははじめに書いた同業者と思われる人がさらりと否定してくれています。

ここでは話を知能に絞るとして、自分の今までの印象では普通に試験勉強などで評価される場合女性のほうがかなり優れているのではないかと感じています。ただし向き不向きはあるようです。たとえば物理とか生物とか理系科目にものすごくはまりこんでしまったりするのは男性の方が多いような感じがしますが、たとえば語学は女性のほうが圧倒的に強いように思われます。少なくとも男性のほうがすぐれているなんて考えを持つことはまったくできません。しかし単に男性と女性の違いというと先天的な違いを論じたいと思われますが、そうなるとたとえば大学生になるまでにも性別のちがいで環境的な影響を強く受けるわけですから自分の人生の今までの印象で論じることはできなくなってしまいます。たとえば一流大学に入ってくる女性は割合的には少ない分、より選択されて来ているわけですからそれと多数の男性を比べると女性のほうが優秀に思われるのは当然という論理も成立しうるでしょう。科学的には、基本的に男性化するために必要な因子がコードされているだけのY染色体一本と、とても大事な遺伝子がたくさん乗っているX染色体を一本もっている男性よりも、X染色体を二本もっている女性のほうが有利なんではないかと思いますが、まあ個々の細胞では片方は不活性化されているのでそう論理は簡単ではないですね。

本当は書きたかったのはそんなことではなくて、基本的に男性社会だった研究の世界で女性がどんどん活躍するようになって来ている過渡期的な状況でいままでいろんな状況を見てきたのですが、どうしても社会構造的に女性はdisadvantageがある分立ち振る舞い方も女性特有のものがあるということです。少なからず上にあがっていく女性は男性をうまく利用することを知っている面があります。それはある程度必要なことだとおもうのですが、時に昼間のドラマに出てくるような唖然とするほどわかりやすい手口で自分の思うどおりに物事を運ばせてしまう女性に遭遇することがあります。そこまであからさまでなくても女子学生に対してやたらと甘くなってしまう教員というのはいくらでもいるものでその陰で辛酸をなめさせられる男子学生という構図はありきたりでしょう。これはある世代に顕著な気がするのですが、とにかくこういう女性の扱い方というのは逆差別ともいえるもので、本当に能力があって同等に扱われて評価されたい女性にとっては迷惑な状況でもあるのです。ただ、うまくすれば上司をコントロール出来てしまうのだったらそうする女性は当然出てくるわけで、こういう状況というのはそう簡単には変わるものではないのかもしれません。私は小さい時からどういうわけか男女平等の考え方が植えつけられているので、逆に女性に冷淡と取られるような態度をとることもあります。能力があって堂々と男性と渡り合える女性は頼もしいですし、適当に男性を利用する事ばかり考えている女性は嫌いです。そして女性に利用されていることに気付かずに言いなりになってしまっている男性を見ていると情けなくなります。二十代前半の男性が好きな女の子に一生懸命になるのはまあ仕方がないですけどね。

遺伝子の切り貼り

2008年08月20日 06時04分31秒 | 研究
最近ついに遺伝子の切り貼りを始めました。といってももちろん初めてじゃなくて僕はこういう仕事は相当なエキスパートなはずなのですが、ウィーンに来て実は今まで一度もやっていませんでした。基本的な酵素の使い方のこつとか同僚に聞いている自分がおかしくなりますが、遺伝子の切り貼りにはまってしまう毎日が恐ろしいので避けてきたのです。

実験というのは難しいもので頑張れば実になるわけでは全然ありません。よくあるのは半年くらいいろいろ準備してやっとやりとげた実験が実は全くの見当違いでなにもやっていなかったのと同じ、というようなことです。こんなことは研究生活を続けていればだれでも遭遇することなのですが、僕が思うに遺伝子技術の発達でいろんな事が出来るようになってしまったおかげで、このリスクはかえって高くなっているのです。一番分かりやすいのがノックアウトマウスでこれはとにかく作るのに労力と時間がかかります。よく言われているのは作るのに二年、出来たマウスの解析に一年で上等、というようなことで、ようするにとってもうまくやっても3年もかかってしまうということです。もちろんうまくいけばノックアウトで得られる結果というのは文句のつけられない類のもので、素晴らしい仕事になりうるし、だからこそみんなやるのですが、実際には苦労してマウスを作ってみたものの何も起こらず全く論文にならない、というようなこともよくあるのです。ノックアウトマウスというのは、一つの説明の仕方としては遺伝子変異によって起こる病態のマウスモデルを作っているともいえるのですが、一つの遺伝子の変異で病気になってしまうというのはある意味その遺伝子が働いているシステムが危弱なわけで、体にとってもものすごく重要な機能については同じ機能を持つ遺伝子が複数存在して機能を補い合えるようになっているということが言えると思います。つまりものすごく重要な遺伝子の機能を知りたくてノックアウトマウスを作るのはとても理にかなっているようで、実はノックアウトマウスを作っても何も起こらない(何も病態のような形質を示さない)という結果もまた理にかなっているとも言えます。

ノックアウトマウス論が長くなってしまいました。最近はこれも会社に頼むと数百万で全部やってくれるのでこれの犠牲になる人もあまりいないかもしれません。まあ要するにものごく大変な仕掛けをいろんな技術を駆使して用意して面白い実験を組んだとしても、それがすごい成果につながるかどうかはやってみなければわからない。つまり準備期間が長いほどリスクが高いということになります。遺伝子の組み換えをバンバンやってものすごく頑張って、結局2年位やっていたことが何もならなかったというような経験から遺伝子の切り貼りはなるべくやらないで済ませたい、やるならどうしても必要な場合にしよう、と留学して仕事を始める時に考えたのです。遺伝子の切り貼りが怖いのは毎日これをやっているととても仕事をたくさんしている感じがして充実感があることで、それで満足してどんどん時間が過ぎて、結論として何も得られないまで自分の間違いに気付きにくいのです。ということでいまやっているのももちろんやってみないとどうなるかはわかりません。とにかくやると決めたのでできるだけファインに進めて早く結論に辿り着けるようにしたいものです。