ウィーンで研究留学!

以前はウィーンでの留学生活を綴っておりました。今後はクラッシック音楽を中心に細く長く続けていけたらと思っています。

科学者が国から出ることの意味

2010年02月05日 08時44分14秒 | 留学
柳田先生のブログに繰り返し書かれていることなのでたびたび考えることなのですが、先生から見た今の若者は圧倒的に地元から出たくなかったり、留学を考えない人が多いということです。

自分はおそらく「今の若者」に相当しないと思うのですが、なんとなくわかるようで、自分の出身ラボの後輩たちを見ているとどんどん海外に出ているので現実としてはなかなか認められないところもあります。私の場合は学部生のころからいずれ海外に出るつもりで、ヨーロッパでの生活に憧れていたので出たくて仕方がなかったのですが、いまヨーロッパで二つの国を経験して自分を見つめてみると海外に出ることのいいところはだいぶわかったと思うし限界もかなり見えてきます。

自分の発想として普通にみんなが考えているところとはちょっと違うところを行きたいと思っているところがあって、この「ちょっと」というのがあまりスケールが大きくないところですが、たとえば留学するんだったら大物のところにいって目立つ所に論文を書いてすぐ帰ってくるのではなくて、たとえ地味な仕事でもヨーロッパの科学の哲学を学びたいし、できることなら自分のラボを持ってみたいと思っていました。いまでもその思いは変わらないのですが、現実的に日本人が海外でラボを経営するのはなかなか大変だし、逆に日本のサイエンスのレベルは十分に高いわけで、海外の難しい社会システムのなかで、国民性の違ういろんな民族の人たちと働いて苦労するよりは、勝手知った日本のシステムの中で、なにより私生活に心配なく美味しい食生活を送れる日本で頑張ったほうがいいかもしれないとも思うようになりました。海外暮らしもおそらく10年前とは全然違って、日本と電話するのにお金もかからないし、食材もそれなりに手に入るし、休暇を日本で過ごすこともできるので生活は自分にとってはクリティカルな問題ではないのですが、研究の方は良くも悪くも全く違います。結局のところ自分の性格の問題で、やはり海外でやっていくにはそれなりの鈍感さが必要なところがあるように思います。外国人とやっていくのはうまくいけばとても楽しいし、仲良くなると言葉は違っても心は同じだと思えるような人間関係も築けるのですが、社会のシステムになじむのは言葉の問題もありなかなか大変です。オーストリアはドイツ語社会だし、保守的で怠惰なところが、居心地がいいところもあるのですが、やはり難しいものがあります。イギリスは英語なのでまだしもですが、逆に英語なので全部自分でやらなければいけないところがあり、オーストリアの方が実は楽だった(ドイツ語なのでできないから訳も分からずやってもらうがまま)ということがわかりました。イギリスの方は人種差別は圧倒的に少ないし、禁煙も進んでいるのでいいのですが、たとえばPIになったらどうかと思うとボスを見ていてあれだけの量の書類をこなすのは厳しいというか時間の無駄に思えてきます。とにかく何でもかんでも書類が必要になるのは想像を絶します。

話がだいぶそれてしまいましたが、自分の人生においては留学は当然するものであったので、国から出ないなんて考えもしなかったわけですが、客観的に見て研究者としてどうしても必要ということはないし、なかなか論文が出なかったりすると余計な手間をかけて海外に出るよりも日本で頑張ったほうが効率がいいかもしれません。語学だけの問題だったらなんとか機会を作って数カ月単位で海外にいければそれで十分なような気がします。それでもやはり若いうちに海外での研究生活を送ることに大きな意義を感じるのは、自分が科学はヨーロッパの文化だと思っているからなのかもしれません。ヨーロッパの研究社会もアメリカナイズされているのでだんだん時代遅れな主張かもしれないですが、やはりヨーロッパの科学者たちは確固たる哲学を持っていると思わせてくれます。私の意見では日本は根底ではアメリカよりもよっぽどヨーロッパに近いと思うのですが、言葉の壁が底をうち消してしまっているのでしょう。どうあっても日本の科学が国際社会で認められるには独り相撲ではなく欧米に評価されなくてはならないので、そのためには国レベルでも個人レベルでもいろんな形で海外に出ていかなければならないと思います。