ウィーンで研究留学!

以前はウィーンでの留学生活を綴っておりました。今後はクラッシック音楽を中心に細く長く続けていけたらと思っています。

日付、数字の流儀の違い

2006年09月12日 22時08分42秒 | 研究
こちらでは日付の書く順が逆です。私はPCのファイル名などにも日付をつけるたちで、たとえば今日の実験結果であれば「060912result」としていたのですが、こちらではまるで逆で今日の日付は「12.9.2006]となります。年号が入っていればまあ分かるのですが、たとえば試薬瓶に「5.7」と書いてあってもなんのことやら?7月5日に調製という意味にはなかなか取れず当初は戸惑いました。で、自分を慣らすためにも自分のノートにもこちらの流儀で日付を記入しています。2の下の部分は平らでなくてループしてますね。

ついでに数字に話を移すと、こっちの人々は字をあまり丁寧に書きませんが、数字は特に独特の癖があり、やはりはじめは戸惑いました。ブログでは表現しにくいですが、1は帽子をとても大きく書くのでほとんどAの横棒が無いようですし、4も一筆書きのように書くのでなんだかさっぱり分かりません。7にはDでよくやるように斜め線を引っ掛けます。(分かりにくくてすみません)それにより7と1の区別は確実に出来る要になります。

逆に日本人の書く数字は意外と分かりにくいようで、2とZの区別がつかないと相談されたことがありました。そういうわけで私は数字もこちらの書式で書くようにしていますが、日付の方は選択の余地は無いように思われます。年・月・日が一番理屈にあってると思うのですが、それをしていると絶対に分かってもらえないでしょう。アメリカは月・日・年で書くと思うのですが、これが一番私には受け入れがたいかも。いずれにしてもどうしてこんなにはっきりと違うのか、やっぱりなにか歴史的背景があるのでしょうか?

世界で一番安全な街?

2006年09月12日 08時20分14秒 | 雑記
今日は9.11。

はずかしいことに今日の夕方に人に教えてもらうまで気付きませんでした。今までは実験のノートに日付を書き込んでいくときに、ああ、今日はあの人の誕生日、などと思うのですが、それが気づきにくくなったのです。しかし他愛ない話は明日にでも。

留学が常に頭にあった私は9,11以来、家族と共に行く街をどこにすべきか良く考えました。アメリカは他の理由もあるのですが、まず除外、同じ理由でロンドンも外れました。ヨーロッパの中ではイギリスは空気が日本に近いと思うので昔は有力な候補でしたが、アメリカに最も同調しているのでやはり外れました。そこからはこの基準ではそれほど絞りませんでしたが、結果的にウィーンは相当安全な選択肢だと思います。オーストリアは中立国です。先日ブッシュが来たときにはずいぶん警戒態勢がひかれ、滞在先のホテルの近くは大変だったそうですが、アメリカともそれほど親密ではないはずです。こっちの人に言わせればさらにOPECや国連の建物もあるので絶対に安全だそうです。確かに治安もとてもいいので東京よりも安心と思っているのですが、しかし我々が9.11で学んだことは、世界中で、いつ何が起きても不思議ではないと言うことだと思っています。どんな理由でウィーンがテロのターゲットになるか分かりません、世界中で絶対に安全なところなど存在しないのです。

上下関係のある中でのディスカッション

2006年09月11日 07時29分19秒 | 研究
今は外国人ポスドクなのであまり意識しませんでしたが、以前は結構考えたことが話題になっている記事があり、これを読んで自分の中で結論が出た気がします。  「なぜ上司は解決策を出したがるのか?」です。

私は研究者ですが、同じような状況をどちらの立場でも沢山経験しています。私の過去の上司は100%解決策を出さなければいけないという姿勢でした。現実的なディスカッションでなかったとしてもです。そして私が大学院生を相手にディスカッションするときは、希に自分に自信がある場合には確かに解決策を出そうとします。実験科学ではそれが明確に正解だと示される場合があり、それは研究者としてはとても痛快なことです。

しかしその話題に自信を持てない場合もあります。不用意な案を出してしまえばその大学院生はそれに従って多大な労力の無駄を強いられてしまうかもしれません。私の場合まだ年齢がそんなに離れていないのでそもそもディスカッションは友達モードですが、こういう場合は完全に対等な立場で意見を出すようにしています。責任逃れとも取れるのですが、結局実験科学は上手くいっても失敗してもやった本人が一番責任をとるので本人が自主的にやらなければ意味がないと思えるからです。私にとっては、ディスカッションを通じて本人がいい解決策を見つけて、次の実験をうきうきしながらやってくれるようなときが最高です。つまり私の理想は変な言い方をすれば、上司としての解決策を出さなくて済むことですね。

多くの場合、私はそこまで自信が無いので後者の場合がほとんどですが、問題は大ボスが納得しないことで、もっとしっかり指導しろとお叱りを受けることもあります。難しいです。

そして今、留学してみるとこちらでは相手がたとえ歳の離れた超有名科学者であってもファーストネームで呼び合いますし、ディスカッションは基本的に対等です。論文をまだ一報も出していないような大学院生がとんでもなく生意気に意見を主張していたりします。ディスカッションは論理的でそもそも日本で言うような上下関係は存在しないように思えるので、今回の議論の対象にすらならないかもしれません。

会話のある結婚生活?

2006年09月11日 06時53分55秒 | 雑記
英会話サロンを営む異色の関西将棋棋士ナルゴン先生のブログはほとんど将棋の話しは無いので内容的には興味は無いはずなのだけど、毒舌の方向に共感が持ててついつい読んでしまいます。そんなに忙しいのが英会話サロンの仕事のためだとするとどうして将棋でもそれなりの成績を残せるのか不思議です。

ところで昨日の記事には何故結婚しないのか?と聞かれた話が出ているのですが。「理屈っぽい人間だから」と言う説明が分かるようで分からないのと、「理想は結婚して10年経ってもコンサートやディナーに行く関係でそうありたい」というくだりには大いに共感したのでこの記事を書きたくなりました。

そもそも私の場合、夫婦で会話をする時間がもてなくて困っているくらいで話すことなどいくらでもあります。それは関係もいいのだと思いますが、それ以前にお互いが人生のパートナーで、それぞれ独立した人生の目的を持ちつつも、常に助け合わないとやっていけないからです。私の考えでは単なる恋愛感情で結婚した場合は、時が過ぎれば当然それは色あせるもので会話も無くなるかもしれないですが、共に人生を協力して歩んでいればその中でお互いの魅力を再発見し、単なる恋愛感情のレベルとは違うレベルでかけがいのない存在になるのだと思います。

以下は人それぞれですが、私は自分についてきてくれて、毎日子供の世話をして食事を用意して待っていてくれるような奥さんがいるような状況は考えたくもありません。そもそも研究者という職業は留学してしまうととても不安定なので自分だけにすがられているような状況は荷が重過ぎます。パートナーが別の分野で(同じでもいいのですが)がんばっているのはとても楽しいことで、本気で協力することで私は二人分のアグレッシブな人生を楽しんでいます。しかしこれはリスクがとても高い人生なのは確かで、以前上司に、二人で理想を追いかけるのもいいが、いつかは自分の方を優先するような選択肢を選ばないと研究者として生きていけないと思う、というありがたいお言葉もいただきました。

結婚に求めるものは人それぞれ、そして結婚生活もそれぞれだと思います。会話がなくても毎日がなんとなく過ぎていくような結婚生活もある意味理想なのかもしれません。ただ、結婚に求めるものが夫婦の間で大きく食い違うと上手くいかないとは思いますが。ちなみにウィーンの人の結婚生活がどんななのか、私にはサンプルがほとんど無くまだ全然わかりません。もちろんウィーンの人なんて簡単にくくれるはずはないのですが、日本とはどう違うのか、それは多分かなり違うんでしょう。大体みんな結婚前から一緒に住んでるし、次のポストを探すときに一番重要なのはガールフレンドの意見だったりしますから、結婚というもの位置づけ自体日本とはかなり違います。

将棋の四段昇段と博士号取得

2006年09月10日 08時20分17秒 | 将棋
研究の世界では先ず博士号をとることがこの道でやっていく第一関門です。ひとによってはやすやすととるひともいますが、多くはプレッシャーと戦いながら死に物狂いで研究に打ち込むような時期を経験していると私は思っています(日本での話です)。何で急に博士号の話になるかというと将棋の四段昇段に相当するかなと。

瀬川さんのプロ編入試験でずいぶん報道されたのでかなり一般に知られるようになっているようですが、将棋のプロになるためには長い道のりを乗り越えなければなりません。奨励会という組織に入って、5・6級(アマチュアの4段に相当するらしいです)というところからスタートし、昇給・昇段を重ねて三段になった後、年に2サイクル行われる三段同士のリーグ戦で上位2位までが四段になれます。将棋は四段になって初めてプロで、規定の年齢までに上がれなければ奨励会を退会、つまり将棋の棋士になることを諦めなければなりません。三段リーグについては「将棋の子」(大崎善生著)という本を読んでからすっかり悲壮感漂うイメージを持ってしまっていますが、確かに将棋という特殊な狭い世界でプロとして歩むのですから厳しい壁を設定することは必要なことでしょう。

昨日がその三段リーグの最終日で、今期めでたく昇段する二人が決まったようです。二人とも渡辺明竜王の親しい友人だそうで、ブログでは素直に「最高の結果」という題で報告されています。最近名人戦問題などもあったので竜王のブログはどちらかというと将棋界をしょってたっている立場からのコメントが多かったのですが、このような非常に個人的な立場からの書き込みは意外でした。というのも三段リーグでは昇段者が必ずいる中で、年齢制限で退会していく人も当然いるからです。(「将棋の子」ではこちらがクローズアップされています。)しかし竜王のコメントはまさにこれがブログ!と思えて私は逆に好感をもちました。彼はブログに書く内容を相当に考えて選んでいるはずなので、いろんな選択肢があった中からこのような書き方になったんだと思うからです。明るい部分を見ていくことも大事です。

ところであまり話がかみ合わないですが、なぜ博士号の話を持ってきたかったかというとやはり博士号がとれなければ研究者として認められないわけで、基本的に年限もありますから強いプレッシャーを受けるのです。実験科学は結論に常に新しい部分を求められるわけで、上手くいくことが確実な実験などありません。上手くいっても結論は期待と逆になることはもちろんありますし、上手くいかなくて白黒の結論を出すことも出来ないこともあります。周りの見方次第ですが、同級生のほとんどが年限どおりで博士を取得していく中で自分だけ留年するのはやはり辛いことですし、博士課程の最終学年ともなればいい結果を持っていないとそれだけでラボのミーティングで叱責を受けたりすることもあります。また博士の審査も場合によってはあいまいで、たとえば企業への就職が決まっている場合、論文にならないようなデータしかもっていなくても博士がもらえてしまったりもします。状況を考えれば仕方のない部分もありますが、同じ博士なのだから同じ判断基準で評価すべきですし、努力をしているかしていないか、と言う問題ではなく、科学的に意味のある結果を出して論文が書けるかだけが大事だと思うのですが、現実はなかなかそう明快にはなりません。曖昧な判断基準のもとで不当なプレッシャーを受ければ人間の精神は多少なりともおかしくなるわけで、そのような状況でデータの捏造が行われたということもあったようです。

毎日がとんでもなくストレスフルであれば科学者としての判断基準がおかしくなり、データの読み方も考え方もおかしくなっても不思議ではありません。私が思うのは研究者は本来常に健全な精神状態でなければならないということです。頭がおかしくなりながらがむしゃらに実験をして出たデータを元にいい論文が書けたとしてもそれがその人の研究者としての資質を反映するかどうかはわかりません。以前の記事で日本人は、頑張る、努力することを美化する傾向が強いのではないかと書きましたが、科学の世界ではとても危険なことに思われます。少なくとも私の経験では、そういう状況に置かれたときの自分の実験計画はいいものであったためしがありません。

そう思って話を三段リーグに戻すと、追い込まれた状況で将棋を指さなければいけない、たとえばこれを勝てば四段になれる、と言うだけではなく、逆に負けたら退会がちらつくような状況で実力を発揮することが出来るのだろうか?と言うことです。少なくともプロになってからは、これに勝てばタイトル獲得、という一番はあってもこれに負けたら失業、というケースはほとんどないはずです。今回昇段した二人は年齢的にまだまだ余裕があったようなのですが、将棋だけに打ち込んで25歳にもなってからその道を閉ざされるようなシステムはあまりいいものとも思えません。比較するのはおかしいかもしれませんが、オランダの名門クラブチーム、アヤックスでは全寮制のジュニアチームのメンバーにサッカーだけでなく勉強も教えてくれるそうです。これを読んだ記事では、実際にプロになれるのは一部でそれ以外は他の職業につくことを考えれば当然のシステムだというユース担当者の説明がされていたのにとても感銘を受けました。そう考えると大学院生は博士を取れなくてもその経験を生かす道が十分にあります。将棋とは直接比較できないようです。

恐ろしい世界

2006年09月09日 04時59分29秒 | 研究
偏見を含んでいるかもしれない状況で公の目に触れるところにものを書くべきではないですが、今回の阪大での事件は一人の研究者として恐ろしいものを感じます。どういうわけかこの件に関しては実名が挙げられていませんが、報道されているretractionの日付を見ればこの論文にたどり着くのは容易です。昨年の阪大の捏造の事件で、取り下げられた論文でもウェブ上から消えることがないことは知っていました。無くなって欲しい立場からすれば取り下げたのにPubMed(世界中で使われている科学論文の検索サイト)で引っかかってくるのは辛いものがあると思われますが、当然消し去るべきではありません。

私はウェブでニュースや貴重なブログの書き込み を見る以外に情報を持っていないのですが、これだけの事実だけでも健全な常識では考えられない恐ろしいことが起きていることは誰でも感じるところです。しかし正義感に基づいて行動した者が自殺に追い込まれるとはどういう状況なのか、想像がつきません。正義に基づいている精神は邪悪なものには強いと思われるからです。逆に捏造が起きてしまう構造が簡単なものではないことを示していると考えるべきかもしれません。

このような事件は科学の世界に暗い影を落とします。すくなくとも研究者を夢見る中学生や高校生にとっては、科学の世界は純粋なようでそうでない、という現実を突きつけられることになるでしょう。

こちらではポスドクというのはそれほどしがらみの無い立場ですし、来たばかりで気楽なのは間違いないですがしかし、日本では若い研究者の立ち振る舞いが一筋縄ではいかない状況がとても多いように思われます。ボスと対等にディスカッションできないのはありふれた状況です。もちろんそうでない健全な環境も存在しますし、すべてが悪い方向にあるとも思わないのですが、何故このような状況が生じるのか、どうしたら科学の純粋な面を思い出せるのか、考えさせらせます。

イタリアン

2006年09月08日 06時02分07秒 | ウィーンの生活
こんな宣伝を見ると無性にピザが食べたくなりますが。。。

しかしミートソースピザが一位。グラタンピザが二位とは。これはやっぱりピザだけどジャパニーズフードとして上手く取り入れたんでしょうね。いまキャンペーン中だそうで、ウルトラマンが配達してくれるキャンペーンがあるそうです。ウルトラマンって最近復活してるんでしょうか?私は幼稚園の頃に狂っていたらしいですが。ガンダムの前ですね。ガンダムといい、ウルトラマンと言い、最近リバイバルブームなのでしょうか?まあガンダムは私の世代がターゲットのようですが。

それと会員になると55インチ大画面テレビの懸賞があるそうです。55インチっていったい??私は何事も生が最高だと思ってるのであんまり大きいテレビには興味がないんですが、でもすごいですね。

せっかくなのでウィーンとイタリアンということでちょっと書くと、イタリアンのお店はかなり沢山、そこら中にあります。で、まあおいしくないところもあるのですが、とてもおいしいところもあります。でもやっぱり海産物メニューが貧困なんですよね。肉系がメインです。そして私の一番お気に入りのお店は家のすぐ近くなのですが、食べて一時間後くらいに結構胃に来ます。ずっしりと。二回再現したのできっと次もそうなるでしょう。でも行くとやっぱり沢山食べてしまうんでしょうね。基本的に食いしん坊なので。前回は最後にコーヒーを飲まなかったのが敗因と思ってるのですが、飲まないほうがいいような気もするし、食後のコーヒーは胃にいいんでしょうか?どうなんでしょう?

これで出生率が回復する?

2006年09月08日 05時25分08秒 | 雑記
紀子様のご出産のニュースは一日本国民として素直に嬉しく思いましたが、これを機に出生率が回復傾向に転じることを期待するとか、幼児虐待が減るんじゃないかとかそんな記述をちらほら見かけて私としては呆れてしまいました。

確かに期待されることではありますが、根本的な問題を解決する努力をせずにそんな楽観的な期待だけするのは無責任としか思えません。何故子供を生まないのか、それは生んだ後が大変過ぎるからに違いありません。確かに子供を持つことへの漠然とした憧れとか、義務的な意識はだんだんに失われているかもしれません。そういう意味では一過的に好転する可能性はありますが、それは問題の根幹ではないでしょう。

日本では幼稚園は育児のサポートという意識は全くありませんし、保育園は働いているお母さんが対象で、しかも東京などでは物凄く条件が厳しく、立派に働いていても思うように預けることが出来ませんし、これから働こうというお母さんにはほとんどチャンスがありません。つまり子供を生むと言うことは仕事を諦める覚悟が必要と言うことです。医師や弁護士など特別な資格を持っていたりとても高い学歴があったりすればまた仕事を始めることが見込めますが、そういう場合を除けば世間は子持ちの母親には非常に厳しいのです。

話をウィーンに移すと状況は全く異なります。ウィーンでは特に保育園というものは存在せずKindergartenですが、多くは保育園機能も併せ持っており、朝の7時から夕方の5時まで預けることが出来ます。この時間帯はウィーンでは全く十分で、しかも探せば空きがある幼稚園を見つけることはそれほど難しいことではありません。もちろん多様な民族が入り込んでいる社会ですから子供にとっても向き不向きはあり、実際に子供が喜んで通う幼稚園を見つけるのには少し苦労が伴うかもしれませんが、預けたいのに預け先がない、と言う状況は聞いたことがありません。私はこの状況を知って、子育てするなら海外に出ると言う方法もあるなあと思ってしまいました。

話しがまとまらないうちに終わってしまいますが、元に戻ると日本では出生率の低下が大きな問題になっていながら、大胆な改革をしようという動きが全く見られない(ポーズは見せるときがありますが)のが私には理解できません。

Rover75!(ウィーンの車)

2006年09月07日 05時27分48秒 | ウィーンの生活
振り返ってみるとすっかりウィーンのことを良く知ってるかのように書いていますが、前の記事を読んでいただければ分かるとおり私はウィーンに来てからまだ5ヶ月です。しかし慣れると気づかなくなることもあると思いますし、今思うことを書いておくことも大事と思っています。科学者の特性としていいところだけでなく悪いところも指摘しないと気が清まないというところが発揮されればこのブログも存在価値があるかと思います。いいところばっかり書いても面白くないですから。

で、本題です。もともと私はヨーロッパの車が大好きです。別にお金は無いのですが、日本でも新車を買うことを考えれば、中古の輸入車を買うのは高いことはありません。ただし古い高級車は安いけれど修理は高いのでやや痛い目にあいましたが。。。

で、ウィーンに来てからも先ず道を歩いてしていることは車を眺めることです。毎日眺めているといい加減に停めてあるようで、場所は変っても同じ車が止まっていることにすぐに気づきます。こちらは路上が駐車場で、綺麗に縦列駐車しています。こんなすれすれにとめてみんな上手いんだなあと思っていると、Sクラスが隙間に入らなくて、こすってるのに強引に入れようとしているのを目撃したりします。でも基本的にはみんなとても上手いです。小刻みに前後しながら入れてしまいます。良く車雑誌の記事で、欧州とは違って、日本では道が狭いし駐車場も狭いので常に切替しが必要だが、欧州車はそうは出来ていないので気をつけなければいけない、と言うようなことを書いてありますが、あれは嘘です。よっぽどこちらのほうが切り返しは多いでしょう。少なくともウィーンでは。オートマが丈夫かどうかはしりませんが、こっちはオートマはほとんど見ません。今まで乗せてもらった知り合いの車もすべてマニュアルでした。

で、ウィーンで車を眺めて思ったことを挙げますと、
・マツダ車が多い!
かなり多いです。まあフォードの販売網で売られてるからでしょうけれど。ロードスターは良く見ますし、RX-8も結構見ます。それ以上に大衆車(名前忘れました)が多いです。タクシーもいます。
・やや古い車が多い!
これはある程度予想通りですが、80年代のベンツなどいくらでもいますし、BMだとE34(二つ前の5シリーズ)は物凄く多いです。ここら辺が目立つところで小型車は結構新しいのが多いですね。特にプジョーが目に付きます。旧型のヴィッツ(こちらではYaris)は時々見かけますが、こちらでもデザインのよさは感じられます。(というか最近のプジョーの路線は私には理解不能。自分が毎日乗る車があんな顔だったら気が狂いそう。306の後期型は大好きですが。)ミニは意外と少ないです。もちろんBMWのミニのことではありません。駐車スペースのないウィーンにはとてもいいと思うのですが、週末に出掛けるときには確かに辛いでしょうねえ。ミニは80キロ超えるともうかなりすごい状態ですから。
・Rover75が多い!!!
急にマイナーな話になりますが、私のとっては憧れの75(そのまま英語でセブンティファイブと読んでください)がかなり沢山いるのです。写真は携帯で夜間にとったので分かりづらいですが、美しいのです!この鷹揚とした佇まい!日本ではデビュー後すぐにRoverの売却騒動からRover Japanが消滅し消えてしました。4年くらいたって並行輸入から発展した会社がRover Nipponを設立して息を吹き返しているはずですが。

当初こっちで車を買うなら75!と心の中で決めておりましたが、せっかくこっちにいるのだからオープンかなとも思っています。75と小さなオープンの組み合わせが理想ですが、それにはもっといいポジションにあがらないと。。。

ウィーンのカフェ

2006年09月06日 05時22分26秒 | ウィーンの生活
昨日の続きで今日はカフェで行きます。

意外なのはどこでもおいしいというわけではないこと。当たりまえといえば当たり前ですが、たとえばブラームスがいつも通っていたことで有名なカフェ(すみません、名前覚えていません)のメランジュは味が薄くて、これってアメリカンにミルク入れてない?って感じです。多分ずうっと同じ味なんじゃないかと思ってしまいますが、現代的なエスプレッソマシーンなんて使ってる訳ないよ、というところでしょうか。それはそれで観光名所としてはいいのかもしれませんが、もう一度メランジェを飲もうとは思いません。私の経験では観光客の多い有名なところがおいしいとは限りません。

逆に研究所のカフェテリアはまあセルフサービスですが、十分おいしい。食後に飲んでしまうのでコーヒーを飲む量が減りません。

平日のカフェでは朝からみんなとてもくつろいでいます。昼時も同じです。この人たち働いてるんだろうか?と思ってしまうのですが、実際、失業手当や育児手当がとてもいいこの国では仕事をせずにぶらぶらしている若者が増えて問題になっていると聞いたことがあります。(ニュース、新聞など全く見ていないので真偽の程は保障できません。)それはともかく、いいなあと思ってしまうのはご老人方がよくカフェで一人でくつろいでいたり、数人で集まって盛り上がっていたりすることで、この国ではお年寄りがとても幸せそうに見えます。そして子供を見るとみんなニコニコして声を掛けてくれます。そう、ここは子供とお年寄りが幸せに過ごせるところだと日々思います。東京とは正反対ですね。たとえば子供をオペラに連れて行ったりすると(普通はほとんど小さい子供はいません)、東京だったらそれだけで周りから嫌な顔をされそうですが、そんなことはありえないですし、おとなしく見ていると休憩時間にはみんなに褒められたりします。

話が逸れてしまいました。私もたまにはカフェでぼおっといろいろ物思いにふけったりするとイマジネーションが沸いてくるのではないかと思うのですが、やっぱり時間があるとどんどん実験を入れてしまうのでそうはならないのが悲しいところです。私の場合はもっぱら長風呂がリラックスタイムですね。そういう意味では日本の温泉がちょっと恋しいです。