今回は留学生活のきわめて日常的な面について。
世界中からいろんな人種が集まってくる研究所にあって、特に日本人は来た時は英語が全然だめ、というのは既に認識されているのは先人のお陰なのですが、それにしても私が感心するのは皆がまったく嫌な顔をせずに会話をしてくれて、親切に対応してくれると言うことです。同じラボの人たちはとにかく我慢強く聞いてくれるし、説明してくれます。私はいまだにYesとNoの使い方を誤ることがあって、それで誤解を与えると面倒なことになるのですが、それでもコミュニケーションを避けられるようなことはまったく感じたことがありません。
私は特に4年間日本の地方大学の医学部にいましたのでそれとのギャップがとても大きいのですがそれは比べるのが間違ってるのかもしれません。日本ではみな当然日本語は完全に話せるわけで、コミュニケーションがとれるのは当たり前、そうすると逆に言葉の細かい言葉の使い方に気を配らなければいけないし、逆にそんなことで人間関係が崩れたりもします。年齢の上下関係も常に考えなければならず、年齢とポジションが逆の関係の場合はとても大変です。逆にそこら辺の配慮の仕方が分かってくると人間関係は少なくとも表面上はとてもスムーズに行えます。4年というのはとても長くて、2年くらいですっかりなじんで、あとの2年はそれにどっぷり浸かって過ごしてしまいましたから、今の状況とのギャップはより大きくなってしまったようです。特にすれ違ったときに余り視線を合わせずに(ちょっとだけ会わせて)会釈をするのがとても板についてしまっていて、そこから脱出するのに大分苦労してしまいました。それをやってしまうとかえって悪い印象を与えるので、視線をそらすことなくにっこりしてHiかHelloか言うのがこちらのやり方のようです。だんだん認識されるようになってきてにっこりしてもらえるようになると妙に嬉しかったりします。
そこで感じるのは、やはり日本人はずうっと単民族の世界で生きてきますが、逆にこちらでは他民族が当たり前で、それが前提となったコミュニケーションの仕方になっているということです。日本では知らない人でも大学内にそんな変な人がいるとは思わないですが、こちらでは海外からひょこっとポスドクとしてやってくるわけですからどういう人か分かりません。だから廊下ですれ違っただけでも、そこでなにか好意を持っている(敵意を示すのではなく)ことを示す必要があるということなのだと思います。まあこんなことはいろんな人が語っていることだと思いますが、肌で感じた印象です。
ここまでだとどこへ留学してもあまり変らないかもしれません。私はもうちょっと若い修士の学生のときにカナダで一ヶ月ラボ生活を送る機会を与えてもらったことがあります。考えてみるとそのときとは大分印象が違うんですね。しかしそれに着いては長くなったのでまた今度。
世界中からいろんな人種が集まってくる研究所にあって、特に日本人は来た時は英語が全然だめ、というのは既に認識されているのは先人のお陰なのですが、それにしても私が感心するのは皆がまったく嫌な顔をせずに会話をしてくれて、親切に対応してくれると言うことです。同じラボの人たちはとにかく我慢強く聞いてくれるし、説明してくれます。私はいまだにYesとNoの使い方を誤ることがあって、それで誤解を与えると面倒なことになるのですが、それでもコミュニケーションを避けられるようなことはまったく感じたことがありません。
私は特に4年間日本の地方大学の医学部にいましたのでそれとのギャップがとても大きいのですがそれは比べるのが間違ってるのかもしれません。日本ではみな当然日本語は完全に話せるわけで、コミュニケーションがとれるのは当たり前、そうすると逆に言葉の細かい言葉の使い方に気を配らなければいけないし、逆にそんなことで人間関係が崩れたりもします。年齢の上下関係も常に考えなければならず、年齢とポジションが逆の関係の場合はとても大変です。逆にそこら辺の配慮の仕方が分かってくると人間関係は少なくとも表面上はとてもスムーズに行えます。4年というのはとても長くて、2年くらいですっかりなじんで、あとの2年はそれにどっぷり浸かって過ごしてしまいましたから、今の状況とのギャップはより大きくなってしまったようです。特にすれ違ったときに余り視線を合わせずに(ちょっとだけ会わせて)会釈をするのがとても板についてしまっていて、そこから脱出するのに大分苦労してしまいました。それをやってしまうとかえって悪い印象を与えるので、視線をそらすことなくにっこりしてHiかHelloか言うのがこちらのやり方のようです。だんだん認識されるようになってきてにっこりしてもらえるようになると妙に嬉しかったりします。
そこで感じるのは、やはり日本人はずうっと単民族の世界で生きてきますが、逆にこちらでは他民族が当たり前で、それが前提となったコミュニケーションの仕方になっているということです。日本では知らない人でも大学内にそんな変な人がいるとは思わないですが、こちらでは海外からひょこっとポスドクとしてやってくるわけですからどういう人か分かりません。だから廊下ですれ違っただけでも、そこでなにか好意を持っている(敵意を示すのではなく)ことを示す必要があるということなのだと思います。まあこんなことはいろんな人が語っていることだと思いますが、肌で感じた印象です。
ここまでだとどこへ留学してもあまり変らないかもしれません。私はもうちょっと若い修士の学生のときにカナダで一ヶ月ラボ生活を送る機会を与えてもらったことがあります。考えてみるとそのときとは大分印象が違うんですね。しかしそれに着いては長くなったのでまた今度。