ウィーンで研究留学!

以前はウィーンでの留学生活を綴っておりました。今後はクラッシック音楽を中心に細く長く続けていけたらと思っています。

研究所の協力体制

2006年05月14日 17時46分38秒 | 研究
今回は留学生活のきわめて日常的な面について。

世界中からいろんな人種が集まってくる研究所にあって、特に日本人は来た時は英語が全然だめ、というのは既に認識されているのは先人のお陰なのですが、それにしても私が感心するのは皆がまったく嫌な顔をせずに会話をしてくれて、親切に対応してくれると言うことです。同じラボの人たちはとにかく我慢強く聞いてくれるし、説明してくれます。私はいまだにYesとNoの使い方を誤ることがあって、それで誤解を与えると面倒なことになるのですが、それでもコミュニケーションを避けられるようなことはまったく感じたことがありません。

私は特に4年間日本の地方大学の医学部にいましたのでそれとのギャップがとても大きいのですがそれは比べるのが間違ってるのかもしれません。日本ではみな当然日本語は完全に話せるわけで、コミュニケーションがとれるのは当たり前、そうすると逆に言葉の細かい言葉の使い方に気を配らなければいけないし、逆にそんなことで人間関係が崩れたりもします。年齢の上下関係も常に考えなければならず、年齢とポジションが逆の関係の場合はとても大変です。逆にそこら辺の配慮の仕方が分かってくると人間関係は少なくとも表面上はとてもスムーズに行えます。4年というのはとても長くて、2年くらいですっかりなじんで、あとの2年はそれにどっぷり浸かって過ごしてしまいましたから、今の状況とのギャップはより大きくなってしまったようです。特にすれ違ったときに余り視線を合わせずに(ちょっとだけ会わせて)会釈をするのがとても板についてしまっていて、そこから脱出するのに大分苦労してしまいました。それをやってしまうとかえって悪い印象を与えるので、視線をそらすことなくにっこりしてHiかHelloか言うのがこちらのやり方のようです。だんだん認識されるようになってきてにっこりしてもらえるようになると妙に嬉しかったりします。

そこで感じるのは、やはり日本人はずうっと単民族の世界で生きてきますが、逆にこちらでは他民族が当たり前で、それが前提となったコミュニケーションの仕方になっているということです。日本では知らない人でも大学内にそんな変な人がいるとは思わないですが、こちらでは海外からひょこっとポスドクとしてやってくるわけですからどういう人か分かりません。だから廊下ですれ違っただけでも、そこでなにか好意を持っている(敵意を示すのではなく)ことを示す必要があるということなのだと思います。まあこんなことはいろんな人が語っていることだと思いますが、肌で感じた印象です。

ここまでだとどこへ留学してもあまり変らないかもしれません。私はもうちょっと若い修士の学生のときにカナダで一ヶ月ラボ生活を送る機会を与えてもらったことがあります。考えてみるとそのときとは大分印象が違うんですね。しかしそれに着いては長くなったのでまた今度。

研究留学のためのフェローシップ

2006年05月09日 22時53分07秒 | 留学
今日は頭が働きません。午前中で燃え尽きてしまいました。
ということで一応久々に留学関係の話です。

4月からやっとこちらのラボで働き始めたものの、結局日本での仕事のフィギュア作り、論文書きに追われほとんど実験をすることが出来ませんでした。唯一長期的なマウスの実験だけは仕掛けました。これはボスとプロジェクトの話をしていてこれだけは時間が掛かるから早めに仕掛けたいと言ったらあっという間にマウスを用意してくれて数日のうちに出来てしまいました。このお陰で二日に一度はマウスを見に行く習慣がついていい感じです。

日本にいたときにはマウスのケージ交換・その他ケアで週に一度4時間くらいマウス室にいることがあったのでまったく正確な比較ではありませんが、こちらではマウスアレルギーのようなものは微塵も感じたことがありません。換気設備がしっかりしていたり、ケージはすべてフィルターが掛かっていたり、自分ではケージ交換しなくていい等、いい条件は沢山あるのですが、一番大きいのは睡眠時間な気もします。やはり健康な体があってこその研究でありたいものです。

そしてタイトルですが、何が燃え尽きてしまったと言うと、今日が日本からのもっとも重要なフェローシップのdeadlineだったのです。と言ってもFedexで送っているのですからもっと早くやればいいのですが、どうしようもないことに論文にかまけていてすっかり忘れていたのです。週末から今日の朝に掛けてなんとか頑張って、かなりの寝不足ですが、一応一通りちゃんとしたものが出来上がりました。一年前も同じものを出したのですが、このときは留学先が決まったばかりで、というか、申請のためには受け入れを承諾してもらう必要があるので、申請に間に合うようにやり取りをしていたのですが、とにかく勉強が足らず、いいproposalが出来ませんでした。今回はさすがにそれと比べれば段違いで、充実した内容になりました。悔しいのは日本での仕事が論文になっていればかなり高い確率で通りそうなところです。しかも私は年齢制限で、今年が最後のチャンスです。

ここ一年くらいでやっと分かったのですが、日本からのものはともかく、海外のフェローシップは特に、博士を取ってからの年限を指定しているものが多くあります。ヒューマンサイエンスフロンティアは日本人にとっても有力なフェローシップですが、これは一番厳しくて博士をとって3年以内です。私は優に過ぎていました。まあ、年限の設定もないのもありますから全然だめではないのですが、応募しようと思って応募資格を隅々まで読むと結局だめ、ということが続くとちょっとめげます。自分の場合は状況が許さなかったので後悔は無いのですが、やっぱり博士をとって1,2年以内に留学するのが一番いいように思われます。私の場合はその分日本での経験があるわけですからそれを生かしていい仕事をしなければなりません。

ウィーン交響楽団 x ブロムシュテット

2006年05月07日 16時58分42秒 | 音楽(クラシック)
今回はSymphonikerの方です。
大好きなブロムシュテットがブルックナー7番ということで
とても楽しみにしていました。

Wiener Symphoniker
Herbert Blomstedt, Dirigent
Leonidas Kavakos, Violine

Wolfgang Amadeus Mozart:
Violinkonzert G-Dur, KV 216
Anton Bruckner:
Symphonie Nr. 7 E-Dur

金曜日に行ったのですが、立見エリアに入ってびっくり、15分前なのに一列しか人がいません。ということで悠々と良く見れる二列目に並んで見ることが出来ました。さすがゴールデンウィークということで、日本人の観光客らしきかたがたが沢山いました。しかし曲を知らずに来たのか、ブルックナーでは座り込んでたり、辛そうにしていたり、やや気の毒でした。

先ずモーツァルトです。
ソリストは知らない人だったのですが、私にとってはとても好ましいモーツァルトでした。モーツァルトの楽しみ方をよく知っている演奏と言う感じです。日本で常々不思議に思っていたことは、どうして日本のオケで聴くとモーツァルトがこうもつまらなく聞こえるんだろうということでした。なにか違うのか私には分からないのですが、心躍らないモーツァルトなのです。私の経験上の唯一の例外はネヴィル・マリナー卿が都響を振っていたコンサートで、このときは、あれ?というくらい躍動感のある気持ちのいい音楽が流れていました。あの時彼がどんな練習をしたのか知りたいものです。まあやっぱり10年以上前の話ですが。で、今回の演奏はひねくれた表現ですが、そんな日本のオケには無いものがすべて詰ったモーツァルトでした。ただしそれは技術的に上手いと言うことではなくて、奏法も含めて音楽の捉え方なのでしょう。弦のボーイングとか、素人の私が見ていてもウィーン風です。2楽章あたりではソリストとオケの音程が明らかに合っていないところがあって、やっぱりウィーンのオケは音程が高くてソロと会わないのだろうか?と思いましたが、このソリストは結構人気な様で、かなり拍手を受けていました。立見席も広範になったら更にすいてしまったので、前半のモーツァルトだけを目当てに来ていた人も多かったようです(というか、ブルックナーは立ち見には辛いと言う面もあるとは思いますが)。

後半になって舞台を見てみるとオケがぎっしり!古典配置でチェロが左奥側に位置するのですが、スペース的に辛いのか一列目の一人はやや指揮者に背を向けるような配置になってしまっていたのが気になりました。そして右壇上にはホルン4人の奥にワーグナーホルン4人!この曲は何度も生で聴いたことがあるはずなのですが、今回初めてワーグナーホルンが表に出てくる箇所を認識しました。ブロムシュテットが大げさに右を向いて指揮するからなのですが。それから木管の音は交響楽団もウィーンの音ですね。(当たり前なのかもしれないですが。)オーボエはやっぱり安心感を覚えます。ホルンもやっぱりウィーンのホルンなのでしょうか?私の視力では良く確認できないし、耳でも分かりません。ただしワーグナーホルンとの調和はとても綺麗に聞こえました。
さて演奏は、私は冒頭の低弦の旋律から震えが来ていたくらいで曲も大好きですしすばらしかったのですが、テンポが遅めで先を急ぐことの無い演奏だったので、演奏時間も長く、好みが分かれたかもしれません。はじめに思ったのはこの学友協会大ホールはブルックナーが物凄く合っていると言うことで、普段やや残響が多すぎると思われる音響がこの曲にはぴったりでした。オケもとてもやる気でした。ブルックナーは長くて大変だと思うのですが、オケが乗り易いんでしょうか?

私は学生のときに朝比奈さんが東京で振るたびに仲間と聴きに行っていました。いつもクールに演奏するオケもどうしてか朝比奈さんの指揮だと終楽章にもなると身を乗り出して物凄く熱く演奏されるのを、いつも感極まって聴きました。どのコンサートでも、オケが帰った後も拍手が鳴り止まず、朝比奈さんが舞台に出てこられたのを思い出します。後で本で読んだところでは、演奏後、舞台から出たり入ったりされるのは体力的にかなり限界のところでされていたそうです。客席に対してはそんな印象はまったく見せませんでした。そして朝比奈さんのファンは若い人がとても多く、私達は終焉後は舞台裏に回ってハイヤーで帰られる朝比奈さんを拍手でお見送りしていました。

話がそれまくってしまいました。今回のオケの熱さは朝比奈さんの魔法が掛かったようなコンサートとはまた全然違うのですが、この交響楽団からはいつもウィーンフィルからは感じないものが沢山発せられていました。前に黒田恭一氏がNHKの番組でウィーンフィルの影に隠れていつも二番手扱いですが、ウィーン交響楽団はすばらしく能力のあるオーケストラです、といったことを仰っていましたが、私の今回の印象では、よりウィーン的な香りがするのはこちらの交響楽団のほうではないかと思います。ウィーンフィルはやはり余りに注目されるのでドメスティックな性質を失う傾向にあるのではないでしょうか?またそれとは別にオケの根本的な性質の違いも相当ありそうです。まず交響楽団は相当に重いオケに見えました。重いというのはレスポンスですが、指揮者が棒を振り下ろしてからこんなに音がならないの?というくらいです。ヨーロッパのオケは日本の感覚からするととても思いのですが、交響楽団はその中でも間違いなくかなり重いほうです。そして弦の音はより重厚です。ウィーンフィルのような圧倒的な一体感は無いですが、今回の演奏では低弦の力強さはとても逞しく感じられました。
 ということで私はウィーンフィルとも違う魅力をシンフォニカーに見出して、重厚なブルックナーを満喫致しました。確かに立ち見には辛い曲でしたが、いい演奏だったら苦になりません。いつもの演奏会ではもう引退してるんじゃないかという老夫婦が楽しそうに立ち見したりしていますから、辛いとか言ってる場合じゃありません。ただし、慣れないと座って聴くのと精神状態が違うせいで味わえない部分があるのではないかとというのが不安で(実際あると思うのですが)、まあもっと鍛えなければいけません。立ち見の最大の魅力は安いのももちろんなんですが、気安さです。いけるか分からないようなコンサートでもとりあえずチケットを買っておいて、時間がとれたら行くということが出来ますから。

今回は一気に書けなくて内容が一貫していないかもしれません。
そろそろコンサートラッシュも落ち着くのでまじめな話も書こうと思います。

ウィーンフィル x エッシェンバッハ

2006年05月01日 06時06分12秒 | 音楽(クラシック)
いつまでたっても音楽ネタから抜け出せません。
書くことはいくらでもあるんですが。。


Wiener Philharmoniker
Singverein der Gesellschaft der Musikfreunde in Wien
Christoph Eschenbach, Dirigent
Ildikó Raimondi, Sopran
Tamás Varga, Violoncello

Wolfgang Amadeus Mozart: Regina coeli C-Dur, KV 108
Robert Schumann: Cellokonzert a-Moll, op. 129
Robert Schumann: Symphonie Nr. 2 C-Dur, op. 61

ということで土曜日に立ち見で行ってまいりました。
今週末は月曜が休みなので3連休。
かなり観光客が多い感じでした。

既に常連の顔がだいたい分かってきたような感じですが、今回はちょっと異変がありました。
私は早くに行ったことは無いですが、立ち見は1時間くらい前からならんでいいポジションを争っています。ということで、前半にとっていた場所は休憩後に見事に再現されます。一列目は柵にハンカチを結んだりして印をつけてますが、2列目以降は特に何もありません。でもみんなとてもマナーがよくて同じように並ぶんですね。それが今回は、なんとなくずうずうしく休憩の間に前のほうにたたずんでいた人がそのまま並んでしまうような感じでした。観光客が半分以上を占めているような感じだったので、みんな我慢したのでしょうか?それとも前半で帰ってしまったのか?

エッシャンバッハはピアニストとしてもディースカウの伴奏とモーツァルトのソナタをちょっと聴いたことがあるくらいで、指揮者としてはまったく初めてでした。パリでメジャーなオケの音楽監督になっていたと思うので、かなりの地位を確立していると思うのですが、果たして。

モーツァルトはさすがモーツァルトイヤーという感じでマイナー曲でした。綺麗なだし、何曲目かはすごい転調があったような感じで面白い曲でしたが、そもそも宗教音楽は弱いので。。。

お目当てのシューマンのチェロ協奏曲。そもそもシューマンはなんというかあまりシンフォニックな作曲家ではないと思うのですが、エッシェンバッハは内声部にはあまり興味が無いようで、輪を掛けて旋律ばっかりというか。テンポは小気味良く流れて悪くないのですが。その印象は交響曲でさらに顕著でした。協奏曲のほうはソリストは結構フレーズを歌いたいのに指揮が行ってしまうようなところが1楽章はとても多く、3楽章になると指揮にあわせたんだか、早すぎたようで、細かいフレーズでチェロが全然鳴ってくれず、惜しい演奏でした。交響曲の方も、ウィーンフィルは気持ちよさそうに弾いてるしアンサンブルも揃ってるのですが、なんとも薄く聞こえてしまいました。そんな中でもやはりオーボエ、クラリネットの音色を聞いているとこれだよなあ、としみじみしてしまいましたが。
私などははじめに聴いたCDがことごとくウィーンフィルだったので、特にオーボエの音色は他のオケだとどうしてもなじめません。ベルリンフィルのシェレンベルガーとか大好きなんですけど、やっぱり普通のオーボエなんですよね。(ちなみにパユは大嫌いです。上手ければ言いと言うものではない。なぜ彼がベルリンフィルの主席なのかまったく理解できません。)

ということで、話しが逸れましたが、オケは良く鳴ってるし、客観的にはそんなに悪くないんだけど、全然感性が反応してくれないようなコンサートでした。こんなことはそんなに多くないのですが、ウィーンフィルで二度です。一回目は10年以上昔、小澤征爾とウィーンフィルが日本に来たとき。