ウィーンで研究留学!

以前はウィーンでの留学生活を綴っておりました。今後はクラッシック音楽を中心に細く長く続けていけたらと思っています。

VISA更新への道5

2007年07月27日 05時54分28秒 | ウィーンの生活
ああ、このシリーズ5まで行くとは思いませんでした。このねたでは普通せいぜい2か3でしょう(苦笑)。

いよいよEinlardun(招待状)が届き、いざ受け取りへ!って意気込む必要なんか全然無いんですが、ちょっと不安材料があったのです。それは前の(すでに期限切れの)VISAのカードをプラハで財布と一緒に盗まれてしまって持っていなかったことでした。古いVISAは受け取りの時の必要項目に入っています。研究所の人事課の人に相談したところ、まあ大丈夫でしょう、たとえば国に帰ってもう更新しない人のVISAというのは公式には返還しないといけないことになってるけれどだれもそんなことしないし、彼らはそんなにそれにはこだわらないはず。ということを言われました。もちろん盗難の証明書はプラハの警察で発行してもらったものがあるのですが、それはチェコ語。英語の書類ですら正式には翻訳が必要とされるのだからチェコ語の書類を受け取ってもらえるのだろうかと思い心配になりました。まあ日本語よりは全然いいんでしょうけど。

そしていざ受け取りへGo! 今回はもう直接会計の窓口に行って書類を出してお金を払うとVISAがもらえるという簡単な流れです。が、やっぱり、「前のVISAはどこにあるの?」と聞かれてしまいました。もちろんドイツ語で。こういうことを説明するドイツ語能力は全く持ち合わせていないので英語で説明、分かってもらえたようで、じゃあ証明書はあるの?と聞かれたようでした。こっちが英語でしゃべっても必ずドイツ語で帰ってきます。恐る恐るチェコ語の証明書を見せると、じゃあこれのコピーをとってきて、といわれました。こっちでは何の書類にしても先ず原本は提出しません。常に写しなんですね。その代わり証明書というのは一度発行したら基本的にはそれきりで何度も作ってくれないそうです。ということで、無事にこれをコピーし提出してVISAを受け取ることが出来ました!

延々時間が掛かって受け取ったのは6月の末でしたが、VISAの期限は来年の5月1日になっていました。まあ前回もそうですが、待っていて遅れたのに、その分既に失ってる感じでとても損した気がしますね。でもそれだったら前のと同じ4月30日が期限になるはずではないかなと変なところに引っかかりながら、今回はスムーズにトラムで研究所に戻りました。

とにかく一件落着。時間は掛かりましたが、実害はほとんど無いので良しとしましょう。英語の博士の証明書も手に入ったし、これを使えば住民票の名前にもDr.を入れてもらうことが出来るはずです。こっちでは日本なんかよりもずっと博士は尊敬されるので、Drをつけておくに越したことはないのです。

プラハの地下鉄でスリに遭う

2007年07月21日 05時52分20秒 | ヨーロッパ旅行
タイトルだけでいいんじゃないかという感じですが、プラハの印象の続きになります。大分間が空きましたが。

プラハの街にも慣れ、地下鉄の駅もすっかり覚えて、プラハもなかなか住みやすそうじゃない、なんてのんきなことを考えていたわけですっかり警戒心がなくなっていたところで有名なプラハの地下鉄でスリに遭ってしまいました。

手口がまた典型的なチームプレーでした。海外ではこんなことに気をつけましょう!というようなビデオでみたそのままのような状況です。プラハの地下鉄はがらがらではないですが、ピークでもそんなに混むことは無いようです。ウィーンと同じような感じです。プラハ城に行くときに使う駅からホテル方面に帰ろうとして地下鉄を待っていました。ホームにはそんなに人はいなかったのでそんなに混まないはずでしたが、どういうわけか電車がやってきて扉が開いた時にはずいぶん人が一杯になってしまいました。私はなんの疑問も持たずにちょっと急いで車内に乗り込んだところ後ろから急に体当たりされ、車内に押し込まれました。えー!?という感じで混雑を避けようとおもって車内の奥に入って気づいたら財布が無いんです。その間抜かれた感触は全くなし。幸い同じポケットに入っていたパスポートはありました。そしてこちらが財布が無いことに気づいたら、扉周辺にいる移民系の若い男達があっちだ、あっちだという感じでホームの方をしきりに指差して誘導するんです。扉の左右ではわざわざ扉を押さえて開けたままにしていたようです。有り得ないと思うけどホームに落としたんだろうかとおもって電車を降りるとすぐに扉が閉まり、電車は走り去って行きました。もちろん財布がホームに落ちているはずはありません。

財布を取られたと青ざめる私を連れがおさめて、とにかく駅の人の所に行き、財布をとられたと言うと、Muzeumの警察に行けといって、それ以上何も聞いてくれません。Muzeumに行くには同じ電車にのって3駅行かなければいけません。そんな間にカードを使われてはたまりませんから、なんとか家族に連絡してクレジットカードや銀行のカードを止めてもらうように頼み、それからMuzeumに行きました。Muzeumには確かに駅に警察があって知っていたのですが、私が行ったときには巡回中なのか誰も居ません。結局観光案内などで聞いて一駅戻ったところにinternationalな警察があるからそこにいったらいいというアドバイスをもらい、向かいました。その警察はなんだか大通りからちょっと入った建物の小さい階段を登ったところにあり、こんなところに警察があるの?とやや恐る恐る入ると確かに警察でした。言ったときにはドイツ人の一行が居て、パスポートを盗まれたと言っていました。そこで忙しそうな警官をなんとか呼び止めて財布を盗まれたと告げると、じゃあそこで待っていてと言われます。この時点で時計を確認すると、財布を盗まれてから1時間以上経っていました。家族に電話で確認するとクレジットカードも銀行のカードもどうやら被害なく止めることが出来たようで一安心。待っている間に財布の中身のリストをしっかり作って確認したものの、いつまでたっても何も言ってきません。その間にやはりドイツ人の一行が2組来て、一つ目は地下鉄でバッグから携帯を盗まれたといって大騒ぎ、次のもうちょっと年の言った夫婦もやはり地下鉄ですられたと言っていました。こんなに短時間でよくもまあ次々とと思ってしまいますが、警官は毎回全く驚くことも無く対応し、一組目は携帯電話の被害は別の警察に行ってくれと言って追いやり、もう一組はずっと待たされていました。それでもしばらくまっても何も言ってこないので、「ノックをするな、開けるな」と書いてある扉を開けて聞こうとすると、中では警官がテレビを見て談笑していて、私を見ると慌てて翻訳家が来るから待っていろ、と言います。ほどなくして中年の感じのいいおばちゃんが現れ、綺麗な英語で状況をいろいろ聞いてくれました。スリの手口など知り尽くしているようで、物凄く手際よく必要事項を確認して、財布の中身も全部リストアップしました。ホテルのキーカードもあって、全然危険性を感じていなかったのですが、これは多分プラハのホテルの被害に繋がるからか急に対応が早くなり、例の警官がやってきてホテルの名前から検索してホテルに電話し、フロントにカードキーを使えなくするように、怪しい人が出入りしていないかしっかりチェックするようにと話をつけてくれました。このときは凄く頼りになる感じで、てきぱきやって、もう大丈夫だよ!とにっこりしていました。かれは英語をしゃべれるのですが、まあ細かいことになると厳しいのかもしれません。それが落ち着くと翻訳家のおばちゃんと別室に行き、15分くらいで盗難の証明書を出してくれました。ここでよく分かったのは彼らの大事な仕事はこの証明書を出すことで、別にスリの犯人を捕まえようとか、そんな気は全くないことでした。たとえば人相とか聞いてくれれば、しっかり見たのでそれなりに答えられると思うのですが、そんあことは一言も聞かれなかった訳です。

盗難にあったときはこういう風にするのかと妙に納得して、証明書をもらうと急におなかが空いて、近くのイタリアンレストランで食事をして帰りました。こういうときに連れがいると何とかなりますが、ひとりだと財布を取られたらどうしようも無いですよね。オーストリアの銀行に電話したときに、そっちで使うお金には困ってないですかと聞かれたのですが、どうやら緊急で送金してもらうようなシステムがあるようです。とりあえず必要ないと答えたので詳細は分かりませんが、たとえばオーストリアの銀行にちゃんと貯金があれば一部をプラハの提携銀行のようなところで受け取れるというような事を言っていました。

その後もプラハ観光は続いたのですが、常にポケットの財布に手を突っ込み絶対にとられないようにという感じで緊張し続けていたのですっかり疲れてしまいました。やっぱり海外は大変だ、ウィーンに帰ってもこんなに緊張していたら毎日疲れてすぐに帰りたくなっちゃうかなあなどと思っていたら、オーストリアに入るとやはり風景が変わりちょっと落ち着き、ウィーンの南駅に着いたときにはすっかり落ち着いて、やっぱりウィーンは全然違うなあとつくずく思ったのでした。

ブログに向かない性格?

2007年07月20日 06時05分50秒 | Weblog
ご無沙汰しております。
すっかり更新が滞ってしばらくたちますが、家で夜な夜なPCを使ってやる仕事があるせいで記事を書く方向に全く頭が働きませんでした。ちなみに全然怪しいものではないのですが、落ち着いたらそれについては必ず書きます。というかウィーンに留学することを語る上では始めにくる大事なことです。

たまたま友人からある研究者のブログのことを聞いて、サーチしたらすぐに見つかったのでしばらく眺めていたのですが、ああ、こういうスタンスだとどんどん書けるし読む人も面白いなあと思ったのでした。僕の場合、スタンスは余り変らないのですが、妙に生真面目な性格なので、それによるある意味自己満足の方向性があるんですね。たとえば行ったコンサートやオペラの記録は必ず書こうとか。あと、物事の順番もちゃんと書きたいとか。そのせいでかけないで滞っている話があったりして。

多分独身で留学していて家で一人の時間が沢山あったら、自己満足も満たされて、読んで面白い記事が沢山かけるんじゃないかと(ちょっと自信ありすぎですが)思うんですが、今の状況だと中途半端ですね。まあでも状況は変らないので今までどおりのペースで行きます。

とりあえず夏休みシーズンになって国立オペラも休みだし、コンサートも観光客向けばかりなのでそっちは貯まることは無いはずです。

少しは日記らしいことを書くと、ウィーンは今本当に毎日暑いです!しかも街が暑さに対応していないのでトラムとかバスとか地獄!なんだかみんなじっと座って耐えてるけど、かなり辛いです。日本はバスも電車も当然冷房が効いているけど、まあウィーンは本当はこんなに暑くなかったんだろうから仕方がないかあ。研究所はもちろんクーラーが効いていますが、日当たりのいいカフェテリアなどは時間帯によっては大分暑く、クーラーの能力が足りてない感じ。冷房が苦手で日本では夏はトレーナーを手放せない自分ですが、汗だくでは実験は出来ません。。。

ウィーン国立歌劇場の酷い「ローエングリン」

2007年07月05日 05時31分55秒 | 音楽(クラシック)
日本での私の数少ないオペラ体験のうちで2つもワーグナーである。これらはもはや10年以上前になってしまうが、その一つがベルリン・ドイツオペラの引越し公演だった。自称ワグネリアンの友人が他にトリスタンも見に行っていて演出が凄かったと興奮して語っていたから多分ワーグナーのシリーズだったのかもしれない。もう一つはマイスタージンガーだったかもしれない。ローエングリンは東京文化会館で演じられて、私は2階のサイドだったため舞台の奥が見えず、ローエングリンの登場の場面で見えないところで延々歌っているローエングリンが前に進んでくるのを待っていたのが辛かったのをおぼえている。このときはいわゆる古典的な演出で、エルザとローエングリンは白、フリードリッヒとオルトルートは黒という分かりやすい色分けだった。そして特に印象的だったのはオルトルートが素晴らしかったことで演じたのはジャニス・マルティン。彼女の名前はこのときあまりに素晴らしかったので覚えてしまい、なぜか忘れない。フリードリッヒが誰だったかは忘れてしまったが彼もとても迫力があった。一方エルザとローエングリンのほうはとても弱弱しく声量が無いので、舞台の内容とは相反して音楽的には悪役に圧倒されていた。こういうのはやはり総合的に好ましくなく、1月のドンジョバンニと同じで、主役が立たないと他がいかに良くても舞台としていいものにはならないと思う。しかし歌手というのはどうやら物凄くコンディションに左右されるので声楽陣をそろえるのはとても難しいのだろう。ザルツブルグ音楽祭の舞台は国立歌劇場とは違ってしっかり準備がされて質が高いと聞くので是非行って見たいのだが、どういうわけか上手く予定が合わず今年も無理そうである。来年こそは行きたいものだ。


LOHENGRIN

Dirigent: Stefan Soltesz
Heinrich der Vogler: Kwangchul Youn
Lohengrin: Ben Heppner
Elsa von Brabant: Ricarda Merbeth
Friedrich von Telramund: Peter Weber
Ortrud: Janina Baechle
Heerrufer: Boaz Daniel

さて今回の演奏は6月の下旬に観てきたもの。残念ながら私がウィーンで観た舞台ではワースト2であった。ワースト1は書く気が起こらず放置してしまっているが3月の椿姫。そのときと同じくたぶん指揮者が先ずダメだったのだと思う。有名な第一幕への前奏曲、もっとも高揚するところでシンバルが指揮者と全く関係ないタイミングでなったのは凄かった。要所ではみんな一生懸命弾いているもののとにかくこの前奏曲ははじめからアンサンブルがめちゃくちゃで先が思いやられるものだった。舞台が開いて歌手が歌い始めればオケも指揮者を無視できないのでそれなりにあわせた音楽になったが、この指揮者にはメリハリというものが全く感じられず、なんというか自動的にキューを出したりしている感じで、指揮者によって音楽が引っ張られるようなことが全く無い。そして圧巻は一幕の無伴奏のアリアで、主役級4人だけが歌うのだが何が起こっているのか?というくらい全くハーモニーになっておらず耳を疑うほどだった。声楽には音痴が一杯いるとは良く聞く事だが、さすがにこれは指揮者が修正しないとどうしようも無いだろう。それとも諦めた結果なのか。多分ディートリッヒが一番音程が怪しいのだが、声量はあるので他もおかしくなったに違いない。一幕がこれだけ粗雑だったので帰ってもいいくらいだがローエングリンは好きだし、2幕はオルトルートの見せ場もあるしと思い留まった。

2幕のオルトルートは熱演だったがなんというか魔女らしい怪しさが感じられなかった。ジャニス・マルティンと比較してしまうから厳しいのかもしれないが必死で余裕が無いオルトルートというのはちょっと違和感がある。フリードリッヒは音楽的にとても荒っぽく、演技も乱暴なばかりで繊細さが感じられなかった。人前では偉そうなくせにオルトルートには弱く、上手い具合に操られているという役柄を理解できていないのか、私の期待するものがおかしいのか。そしてローエングリンは私に言わせればキャストミスである。

主役級ではエルザはもっとも光っていたと思う。振る舞いも声も高貴さを持っており、やや精神的な異常さをかもし出す演技も十分なものだった。が、音楽的に十分迫力があったとは言えない。3幕のローエングリンとの二人の場面は演出も酷いがなにか迫真に迫るようなものが無く、またローエングリンもおやじでなにか鈍い感じなので悲劇的なものが盛り上がらない。

それから有名な婚礼の合唱は本当に酷かった。ここは幕が下がっていて、手前にエルザとローエングリンが居て、幕の向こうで合唱団が歌う。はじめは幕の向こうに小さなオケが居るようでそっちで伴奏しているのだがこれが伴奏と合唱が物凄くずれている。そしてオケピットからの伴奏が入るのだがこれがまた合わない。これが天下のウィーン国立歌劇場の姿なのか!と耳を疑ってしまう有様だった。幕を途中にたらす演出は言い訳になるはずがない。あまりに酷いのでよっぽど席を立とうと思った。

最後に演出は、まあ国立歌劇場のワーグナーの演出なんてこんなもんだと言う人もいるが、かなりいただけないものだった。そもそもローエングリンが人間臭い太った親父のような人なのがさまにならないが、彼も黒のスーツ、エルザも黒のスーツとくるととても神の力に守られたカップルという感じがしない。更に酷かったのは王様で、アジア人の彼には明らかに寸法が会わないスーツをかぶせられていて、普通に経つとすそからは指の先しか出ておらず滑稽そのものだった。どうして彼に合わせて仕立て直さないのかやる気を疑う。現代的な演出をそれだけで否定するつもりは無いが、こういう基本的なところをないがしろにしてはいけないだろう。

VISA更新への道4

2007年07月04日 04時40分13秒 | ウィーンの生活
このシリーズもう終わりにしたいんですけど、でも後は報告だけで済むはずです。ようやく、受け取りに来る日・時間指定で案内が来ました。

しっかし、博士の取得証明を申請したのが5月の末で6月の上旬にはそれが来て、それを送って大丈夫ですと電話でも確認してもらったのにどうしてそれから3週間も掛かるんだか。まあ日本人の場合VISA無しで6ヶ月大丈夫なので、一回出国してまた戻ったりしていれば不法滞在にはならないし、申請中ならVISAが切れて仕事をしていてもお咎めは無いようなので実害は無いですが。2週間経った所で遅いと思って研究所の事務の人に大丈夫かな?と聞きに言ったら、今ホリデーシーズンだからもうちょっと掛かるかもよ。問題なければもうちょっと待って、とあっさり言われました。そうそう、6月はいい時期なんでホリデーシーズンらしいですよ。ふう。ただ一つだけ懸案事項があるんですよね。でもそれはプラハの話をちゃんと完結していないのでまた書きます。


すっかり感覚が空いてしまい、遂に6月は更新無しになってしまいました。しかしいろいろオペラも行ってるし書くネタは山ほどあるんですが、仕事の方が急に忙しくなったり、他の理由で余裕が無かったり。まあ今後もこのペースで行きます。暇ができたら留学のことも沢山書きたいんですが、まあそのうちそういう時間も出来るでしょう。。。