Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

シビウから、帰還。

2016-06-17 | Weblog
というわけで、今は日本にいる。

帰国前夜に、シビウ演劇祭で『野鴨中毒』千秋楽を終えた。慌ただしい日々である。
シビウ演劇祭に限らず、同じ国際演劇祭に2年連続で出るというのは、なかなか珍しいことだろう。と、思いはしたが、もともと日本ではあんまり話さないのにシビウでは昨年もいろいろ喋った安田雅弘氏は、今年もワークショップなどのためにこちらに来ていて、公演を持ってきたのは全部の年ではないにしても、八年連続でシビウに来ているという。彼の「山の手事情社」が今年にシビウ演劇祭に参加できなかったのは、日本の助成金を得られなったからだと聞いたが、安田氏たちのような、これだけ実績があって、海外から期待されている団体を行かせないなんて、その助成金の対象を決める審査をしている方々には、もう一つ踏み込んで、現実をちゃんと見ていただければと思う。
夜中の零時を過ぎてシビウに到着したが、トランジットのミュンヘンでの航空会社のトラブルで、一部の荷物、しかも主に人形が、本隊と一緒には届かないという事態になったことが露見。あれこれ対応しているうちにどんどん時間は過ぎる。8時間後には、久々に合流したベトナム俳優陣と共に、会場の都合でやや狭くしたセットを想定した稽古をしなければならない。私はその稽古を人形無しで、つまり「air」で人形遣いの皆さんにやっていただくと決断して、とにかくみんな早く寝よう、ということになる。現地制作を担当された志賀さん、昨年もお世話になったボランティアグルーブのボス谷口さんも、奔走してくださる。
夜が明けて稽古、人形を持たない人形使いたちの演技を見て、さまざまな示唆を得る。この世に無駄な出来事など、何もない。
ようやく人形も届き、夕方から仕込み。予想外のことはいろいろ起きる。森下舞監の采配でなんとか深夜零時半には退出。私はその後に1本、インタビューを受ける。
翌朝8時から作業続行、速いテンポで場当たり、その場の空気を読むのと自分なりの判断と計算で、可能な限り早めに終わらせて、各自準備の時間を増やすことにした。
上演については、超満員の観客が、冒頭の人形たちの「葬列」を、言語を超えて圧倒的な太田恵資ヴァイオリンが生で奏でられる中、とてもいい集中力で、息をのんで見守っていることがきちんと伝わってくる。後はお客さんの受容の力に委ねるのみ。舞台上の低い位置にある人形たちが見えづらいことが難点ではあったし、次の演目に移るために途中で退席する一部の無神経な観客もいたものの、とにかく最後は、気持ちよい拍手をいただけた。Wコール。私も舞台に上がって挨拶したが、これは本当に久しぶりのことである。
終演後にロビーでいろいろな人に話しかけられる。普通のお客さんからも、駆け寄っての祝福あり。昨年『屋根裏』を観て今年も楽しみに待ってくれていたという母娘、今年も喜んでくれて嬉しい。そういえば昨年シビウの前にオデオン座で上演したブカレスト界隈で昨年の『屋根裏』は話題になっていて、影響を受けたらしい現地作品も出てきていると聞いた。他に、学生さんらの質問を受け、取材等も。
写真は、ゴングシアターの前にて、終演後一時間余り過ぎての、搬出も終えた後。ふだんから演目は人形劇の多い劇場だが、なかなか大きな構えである(写真撮影・山田真実)。昨年の『屋根裏』はここの三階の劇場で上演。今年やったグランドフロアと、どちらがメインシアターかということではない。劇場の種類が違うのである。
退出後、ツアー全体の打ち上げ。楽しいが、一時間あまりで引き揚げさせてもらう。夜十時から開演の、関係者に薦められた『バニラ・スカイプ』を観に行く。郊外なのでタクシーでを飛ばすが、10レイ=およそ三百円で着く。昨年ロシアの演目を観た劇場というかロフトだった。英語のイヤホンガイドがついたが、どこまで理解できただろうか。五百人は入る空間。とにかく自分がさっきまでやっていた上演に比べて、あまりにも「薄い」ことに茫然とする。それが狙いなのだろうし、ナチュラルなモノローグの劇だからとも言えるが。
『野鴨中毒』は、濃厚だ。劇中の闇の深さとそこに渦巻く呼吸は、確実に他とひと味もふた味も違う空間を創出しているはずだ。
江戸糸あやつり人形結城座×ベトナム青年劇場 日越国際協働制作。原本はイプセン。それをヨーロッパでツアーしたわけだ。ややこしや、である。だが、一目でも観た者は忘れないだけの提示ができたとは思う。
夜は豪雨、無料バスでフェスティバル事務所に戻り、野外のフェスティバル・クラブのテントで水滴を避けながらビールを一杯だけ飲む。あれこれ話しかけられるが、みんな意外と日本のことはよく知っている。
帰路はへろへろのずぶ濡れである。

翌日午前、昨年に続いて、『屋根裏』で私をシビウに招いた張本人である演劇祭のサブ・ディレクターのオクタビアン・サイウと、記者会見。この記者会見は普通にみんなやっているのだと思っていたが、昨年『屋根裏』のようにフェスティバル側が力を入れているものを事前にか、今年のように上演が好評だったものについて翌日にか、十日で四百以上あるフェスのプログラムの中で、いちにち二、三団体だけが選ばれていたのだという。
会見後の質問が、これまた濃厚だった。ドイツで『だるまさんがころんだ』を出版してくれているトリアー大学の関係者も来てくれた。
会見を観たRoxana von Krausというボストン在住・ルーマニア出身の女性作家が、熱心に語りかけてきた。彼女は、息子さんがイラクへ出征した人で、後遺症に苦しんでいる。「(アメリカは)私たち近年の移民やその子孫は兵士になる義務があると考えられてしまう国なのです」という。彼女は、AGAPE(Agapeveterans@gmail.com 917-804-4696)というベテラン向けのライティング(物書き)ワークショップをやっている。話をしているうちに彼女の感情が溢れてきた。主に、私の口から出た「マリン(海兵隊)」「沖縄」というキーワードからだ。シビウで、沖縄と繋がるとは。しかもジャングル戦闘演習基地、つまり高江も含むやんばるのことを理解している人と出会うとは。「息子が兵士でも、いえ、だからこそ私は戦争に反対する。ええ、本当は息子もそう思っているの」。
午後、フェスティバル・ディレクターのキリアックさんの事務所に呼ばれる。今回は同行の結城座さんを立てて私はあえてあまり話さなかったが、キリアックさんの雰囲気は非常によく伝わってきた。以心伝心。結城座の伝統劇上演を薦める。「キリアックとの面談は二分区切りの交代でしかできない」などと聞いたことがあったが、日時や相手次第ということなのだろうか。
そんなわけで、お土産を買う暇もなかった(空港で少しは買ったが)。帰りの飛行機は、機内で映画を観るわけでもなく、ただひたすらパソコンを開いて仕事した。私の日本の次作品も、尻に火がついているのだ。

レ・カインさんは「国民女優」と呼ばれる以上の、本人のパーソナリティを発揮してくれた。ビンちゃんも、いい役者だ。ベトナム・日本のスタッフチームの親密さは尋常ではなく、羽田に着いてからも皆でベトナムメンバーの蒲田での「爆買い」につきあったり、翌日のベトナムチーム帰国便出発前も、ほぼスタッフ全員が「お見送り」に馳せ参じたようだ。
才気溢れる通訳のクエンさんとも一年半の間にずいぶん打ち解けた。
長い間つきあってきたベトナム青年劇場の皆さんとも、お別れ。寂しい。でもきっと、次がある。
私も「人形」のことが、最初から比べると、わかってきた部分がある。特に5月のハノイ以降、海外に来てから、人形の摂理への理解というか、人形遣いの方の意識のあり方というか、ようやく独自の仮説が立てられるようになった。それをちゃんと生かす機会が訪れるかどうかは、まだわからないが。

帰国後、日米通算で言えばピート・ローズの記録を破ったイチローのインタビューに、ツボに入ってしまう部分あり。
「いやそれ、18の時に42までプレーしてることを想像してるやつは誰もいないと思いますけどね」
それを言うなよイチロー。
「だからちょっと狂気に満ちたところがないと、そういうことができない世界だと思うので、そんな人格者であったらできないっていうことも言えると思うんですよね。その中でも特別な人たちはいるので、だから是非そういう人たちに、そういう種類の人たちにこの記録を抜いていって欲しいと思いますよね」
こんなことを言う裏にはいろんな思いがあるのだろう。
おめでとう。ありがとう。あなたが記録を気にしているような器でないことはよくわかっている。
で、安倍総理が祝福してきても、ちゃんと皮肉で返すよう、よろしく。
コメント
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