魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

おかしな

2016年12月28日 | 日記・エッセイ・コラム

今年、天皇の意思表明で、退位問題が騒がしくなった。公務ができなくなったら退位するとの考えは、いかにもシャーシの平成天皇らしい哲学だ。
安倍首相もシャーシだが、世界を俯瞰する外交と称して飛び回っている。自動車人間でのシャーシはとにかく、自分の身を活用することが存在理由と感じ、どこにでも人に会いに行こうとする。
だから、それができなくなったら意味がないと考え、退位が出てきたのだろう。
そこまでは、自分の信念において、非常に立派であるし、誰しも敬服しているだろう。
おかしなことは、それによって起こった反応だ。

退位の是非の議論が、ドッとわき起こったが、新憲法で象徴天皇になり、天皇自身も人間宣言をしたはずなのに、天皇の権能を前提に論議されている。皇位継承問題もそうだが、明治憲法を前提の、国を統治する万世一系の「皇尊(すめらみこと)」としての是非が論じられている。
日本人とは何か、日本人の心情とは何か、天皇とは何か・・・そういう基本的な問題が前面に出るのではなく、明治憲法の定義との比較論で議論され、あたかも、万世一系、男系の皇尊が絶対真理であるかのような前提で、仮の姿の新憲法を毀損しない小手先の方法について論じられている観がある。

こういう議論に発展すること自体、それがおかしな議論だと誰も気づかないこと自体、日本人が終戦直後に感じた自由を忘れてしまっている。日本の現在の空気が、かなり昭和初期の頃まで逆行している事を表しているのだと思う。
歴史の傍観者である唯の占い師としては、どうと言うこともないが、とにかく、時の現状を肌で感じる。

占い師としての興味は、むしろ、昭和と平成の関係で、今年、平成28年で終わってくれれば都合が良かったなと思うことだ。
元号年と九星との関係で、九星を知る方法として、年の数を一桁化すると、簡単に求められる。
12-(一桁)=九星(二桁になったらそれを一桁化)
例えば、昭和56年を、一桁にすれば、5+6=11→1+1=「2」
12-2=10→1+0=1 一白の年になる。

この昭和の計算が、たまたま平成にも当てはまる。もし、平成29年が新元号の元年となれば、全く同じ計算が使えることになる。昭和28年も、平成28年も同じ二黒だが、平成30年が元年になれば別計算だ。
次に都合の良い年は平成38年だから、そこまで続けば有り難い。
しかし、西暦で計算すれば話は簡単だ。11-(西暦÷9の余)=九星となる。
(西暦÷9の余の部分は、西暦各桁の総和の一桁化でも良い)

日本では元号を正式年表記にしているが、日本という国は何事も、何故わざわざ複雑にするのだろう。天皇も元号も文化として存在することと、国の機能として存在することは別問題の筈なのだが。
おかしなおかしな国の物語。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿