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占いという もう一つの眼

おにぎり

2024年03月03日 | 日記・エッセイ・コラム

小学校のとき、教室の後ろには歴史年表が貼ってあった。その平安時代の中頃に「おにぎりの発明」と大きく書いてあり、不思議な気がした。大雑把な年表の中にわざわざ書き入れるほどのことなのだろうか。
ずっと不思議だったが、中学の古典で伊勢物語に「乾飯の上に涙落として、ほとびにけり」の一文があり、おにぎりが現れるまでの携帯食事情を知った。おにぎりが日本人の暮らしを大きく変えたであろう事が理解でき、確かに特筆すべき事件だとわかった。
同時に、おにぎりが出てくる物語は平安後期以後だとも知ることになった。

近年、日本人の食事情が変わり、米や日本酒の売り上げが激減している。一方ではおにぎりがブームで、外国でも日本酒に加え、おにぎりまでがブームなのだそうだ。おにぎりも様々なバリエエーションが生まれ、今や、スシのカリフォルニアロールなみに多彩化している。
しかし元々は、中に空気を入れるフンワリ型のコンビニおにぎりが牽引したものだった。その場でにぎるおにぎり専門店も、固くにぎらないことをウリにしている。
確かにそれはそれで、米のうま味を味わうことができ美味しいのだが、「おむすびころりん」のおむすびではない。

元来、おにぎりの目的は携帯食であり、崩れないことが身上だから、文字通り固めににぎる「お結び」だ。伝統的なお母さんのおにぎりは固いから、柔らかいコンビニおにぎりに慣れた子供は嫌がり、今や、柔らかいおにぎりが主流になった。
しかし、空腹の時、かじりついて食べる大きめの塩おにぎりの美味さを知らないとすれば可愛そうだ。
携帯食のおにぎりは冷えたままで食べる。機械成型のコンビニおにぎりは表面まで隙間を残し、中まで水分が飛ぶせいか、幾分パラパラ感があり、そこはかとなく味気ない。やはり電子レンジ時代の食べ物だろう。

これに比べ、塩で表面を固めたおにぎりにはパラパラ感がないから、かじりついた瞬間、口の中に米の味が広がる。ただし、これも程度問題で、表面の塩コーティングの中には米粒感が残っていなければならない。しっかり、ガッチリにぎれば良いというものではない。
アツアツのご飯を、なるべく手早に形を整えることで、熱くて握りきれないから、中はほどほどに米粒状になる。この力の落差を付けるためにも大きめの方が良いが、爆弾と称するボールおにぎりは大き過ぎて、具が無ければ米だけ食べることになる。
アツアツで食べられる文明環境ではフンワリおにぎりが美味しいが、サバイバル環境には堅塩お結びを持って行きたい。

おにぎりが美味しいのは「うるち米」だからで、世界の大半は「インディカ米」だから、栄養価は高いがフンワリもちもち食感がなく、うま味を噛みしめられない。
インディカ米をおにぎりにしても、コンビニおにぎりよりパラパラで、味気なく、かじり付いて涙が出ることはない。
日本のおにぎりで、うるち米の美味さがバレたら、世界の米事情が変わるかも知れない。魚を食べなくなった日本人を尻目に、爆食する中国のためサンマやマグロが食べられなくなったことを思えば、イヤな予感がするが、魚の養殖は難しいとしても、米はもともと栽培するものだから、トレンドが変わるだけで絶対量が無くなるわけではない。
心配しなければならないのは、温暖化による、日照りや、味の劣化だろう。


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