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占いという もう一つの眼

本来の姿 1

2024年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム

夫婦別姓を否定する自民党には、自分自身は使い分けている女性議員がいる。
これを指摘すれば、何とでも言い訳するのだろうが、笑えるほど「いやらしい」。
近頃、スカート内を盗撮する警官が頻繁に検挙されるが、聖人君子の立場で働く警官は、どうしても本音が溜まってしまう。昔から、わいせつを取り締まる人には、陳腐なわいせつ基準があって、美術館の裸体画に布を掛けて隠した話は有名だが、今でも似たような話は少なくない。
また、元泥棒の防犯アドバイザーには危険箇所がすぐ分かる。それは加害者の目で見るからだ。つまり、「わいせつ」を言い立てる人には、劣情で見るからそう見える。まっすぐなものが曲がって見える心根を「いやらしい」という。

「美しい日本文化」を守る為に、性教育を否定し、夫婦別姓を否定する人は、同姓でなければ別れてしまうのだろうか。性教育などしなくても、コウノトリが性病を防いでくれるのだろうか。
では一体、その「美しい日本文化」は何時から始まったのだろう。明治以前には名字帯刀を許された人口は10%も無く、夫婦同姓は明治に全国民が姓を持ってからの話しだ。
明治からわずか150年、縄文からの日本1万6千年が1年なら、12月28日からの数日が日本文化の全てだというのだ。たとえ卑弥呼まで遡っても11月末からだ。

明治の戸籍制度を日本古来の文化だと強弁する、聖人君子の国会議員殿は、結局、自分自身が別姓で仕事せざるを得ない。
明治生まれの靖国神社を戦死者を祭る唯一の場と信じ、夫婦同姓が日本文化だと信じる人たちの正体は、明治憲法のゾンビ、亡霊だ。別にゾンビが悪いわけではない。「いやらしい」のは、自分が外来ゾンビであることに気づいていないことだ。
憲法改正は良いが、一度、失敗したはずの明治憲法を復活させることを改「正」と信じるゾンビに、日本が占領されていることは、底知れず恐ろしい。

本来の日本文化
縄文&弥生の日本文化の在来種が絶滅しかかっている中での憲法論議は、在来種と外来種=明治ゾンビの戦いだ。日本文化は外来文化を常に上手に織り込んできた。明治ゾンビのように、失敗した外来文化に再び染め直すことは「日本古来の伝統」ではない。
明治まで、日本の人口は4000万を超えたことがなかったが、明治ゾンビはその3倍の人口の減少を心配している。
外来ゾンビには理解できないだろうが、本当に人口増加を望むなら、夫婦同姓や男系のこだわりを捨てて、あるがまま、生まれるがままを受け入れる、日本古来の柔軟なルールに帰るのが一番だ。

今、実際にできることは、手足を縛ったままの、結婚奨励や保育所の増設ではない。シングルマザーの保護と優遇のための、国立の「駆け込み寺と赤ちゃんポスト」。さらに、子供の保護を目的とする「子供の国」の設置だ。
保育園、幼稚園、学童保育、できれば老人センターとも一体化させて、親がどういう状態であろうと、ワンストップで子供を守る、子供養育施設だ。

子供を預けるのではなく、親が預かる逆転の発想だ。もちろん、全て自ら育てたい人はそうすれば良いが、様々な理由でそのゆとりのない人も安心して子供を産める環境を整える。これにより、親の負担がなくなり、児童虐待などのリスクも減る。施設制度そのものによる虐待の可能性もあるので、老人と同居あるいは交流する老保一体で、元気な者が互いに面倒を見あう場は、昔の大家族、もっと遡れば縄文集落を社会制度化し、全世代が関わり合う場をつくる。

莫大な費用に見えるが、参加者の相互協力を前提とすれば、個々に預けたり迎えに行ったりするより、社会支出は減るだろう。試算してみて欲しいものだ。
高校無償化が騒がしいが、これも外来種脳だ。ウソにウソを重ねるように、制度に制度を重ねても、政治資金問題同様、「賽の河原」の石積みで切りがない。今こそ、本来の日本に立ち返り、日本人の人間力を再生する好機だろう。

→「本来の姿2


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