林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

青豆とうふ・ありがとうのあとがき

2014-11-02 | 拍手

新潮文庫「青豆とうふ」は和田誠と安西水丸の尻取り共著だから、まえがきを和田誠っさんが書けば、当然あとがきは安西水丸さんです。
今日の記事でも、じじぃはごちゃごちゃ書かず、水丸さんの真直ぐなあとがきを忠実に転記します。
二人の随筆をまさか丸写しするわけにはゆかないので、ご自分が買って、読んで下さいね。

  あとがき・安西水丸

  和田誠さんはぼくにとって憧れの人でした。
  過去形で書いていますが、それは和田さんが照れるといけないとおもったからであって、憧れの人であることは今も変わりません。

  大学生の時、和田さんの絵をはじめて目にし、日本にこんな恰好いいイラストレーションを描く人がいるのかと、むしろ落胆に似た感動を覚え
  たことを思い出します。

  落胆と書いたのは、こんな凄い人がいたら、もうぼくなど一生イラストレーターとして出る幕がないのではないかとおもったからです。

  時々、イラストレーター志望の若者たちに、どのようなイラストレーションをいいと考えているかと質問されることがあります。
  「ぼくは和田さんのイラストレーションが好きです。絵は少しも奇をてらっておらず、都会的な線と研ぎすまされた色彩は的確に目的をとらえて
  おり、誰からも愛され、しかも古くならず、常に第一線で仕事をしている」

  これがぼくの答です。

  2001年の10月、和田さんと「NO IDEA」というテーマで二人展を行いました。
  その打ち合わせの時、和田さんがこんなことを口にしたのです。
  「水丸君と、もう一つやりたいことがあるんだけど.........」
  つまりこれが「青豆とうふ」の口火だったのです。

  第一回はぼくが文を書き、和田さんがイラストレーションを描きました。
  今回は和田さん、どんなことを書かれるのか、今回はぼくの文にどんな絵を描いてくれるのか、毎月それは楽しみでした。
  同時にとてもいい勉強でした。

  和田さんのまえがきにもあるとおり「青豆とうふ」のタイトルは村上春樹さんが付けてくれました。
  重複しますが、その時のことを書きます。

  ぼくは渋谷の小料理屋で春樹さんと食事をしました。
  「あのさ、和田誠さんと連載を始めるんだけど、村上さんに何かいいタイトルを」
  ぼくも春樹さんもビールを飲んでいました。
  「そんな、大それたことを」
  春樹さんは即座に言いました。無理強いはいけない。その後、酒も進みました。
  「あのさ、さっきのタイトルのことだけど........」
  春樹さんは豆腐に箸を延ばしたところでした。豆腐は青豆でできていました。
  「それじゃ、青豆とうふ」春樹さんは例の照れくさそうな顔をして言ったのでした。タイトルが決まったわけです。
  村上さんありがとうございます。

  いずれにせよ憧れの和田誠さんとの共著です。喜びは言葉になりません。
  最後になりましたがこの出版にあたり・・・(以下3行割愛)・・・厚くお礼申し上げます。

  今日、青山の街で初蝉の声を聞きました。夏がやってきました。

ね、和田誠さんがまえがきで書いたとおりの安西水丸さんでしょ?
絵と同様にふんわりと、あるいはじわっと、人の心に入ってくる。憧れの和田さんの絵の特徴を上手くとらえている。

で、今日の記事はこれで終わりですが、この本はこれで終わりかと言うとそうではありません。
最後に、「青豆とうふ」と名付けた村上春樹氏の「文庫版のおまけ」があります。
これがまた、ほのぼのとしたいい文章です。
明日は、おまけ、です。

一番上の挿絵は安西水丸さんによる寺山修司と、後ろ姿は少年時代の和田誠さん。
下は和田誠さんによる「理科教室の人体模型」。手前が安西水丸さんで後ろが村上春樹さん。

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