実は草臥れ果てていた。
上棟式以来、出向先の知らない会社で、知らない仕事。
初日直前の昭和天皇の吐血や、豪雨による交通渋滞、音楽堂天辺からの雨漏り.....。ありとあらゆる不具合と事件が続いた。
音楽堂の建設と、5日間の音楽祭を、素人たちが開催したのだ。
出演者は一流。招待客は、吉田秀和、武満徹、谷川俊太郎、大岡信という対応を間違えたら、命を失いかねない重要人物。オーナー夫妻や関連会社の社長たちまで乗り込んできた。
イライラ除けの明治製菓・カルシウム飴「カルボーン」も使い果たした。
音楽祭の仕上げは「リヒテル演奏会」だった。
スヴャトスラフ・リヒテル。神様だそうです。(説明出来ないのでリンク参照願います)
ピアノ演奏の腕は世界一かもしれないが、我侭、変人で有名。
ドタキャンは平気。聴衆は諦めるのが常識だった。
関連会社の社員寮、実態はオーナーの占有施設に、ご一行様ご滞在。日に7時間以上は練習する。
音楽祭開催以来5日目で、ようやく混乱は収まってきて、クライマックスの夜を迎えたわけだ。
クラシック音楽なんて縁の無い、本社のお偉方は、満員の客席に補助椅子出して、もぐりこんでしまった。私も音楽に関心ありますよ、というオーナー対策である。
本社から応援に来た平社員たちは、休憩室代わりの地下ボイラー室に引き上げた。
ホワイエで森男は、とりあえずやる事が無い。
そこで、勝手知ったる屋根裏に忍びこんだ。
ぎょっ! 先客がいる。
先客は、唇に手を当て、「.........」。
舞台からの微かな光で見えた顔は、リヒテル専従のピアノの調律士だった。
彼はリヒテル専用のヤマハピアノに付き添って、日本中を随行していた。
並んで寝そべった。
下からは、所謂名演奏。.......?分からない。
とにかく、巨躯でガンガン鍵盤を叩き、力演だったのは間違いない。
リヒテルはヘンな場所で演奏するのが好きだった。
フランスでは、農家の壊れた納屋で演奏会を開き、感動した梟が歌を歌って、神様はご機嫌だったそうだ。
日本では、数年前に、グループ会社の必死のご接待が気に入り、お礼の演奏会をやってくれた。
場所は目白台の[蕉雨園」という旧田中光顕邸である。オーナーの私的迎賓館として借り上げていた。
リヒテルは、この本格的な日本建築を気に入り、会場に指定してきたのだ。
会社は、グランドピアノを搬入するのに、畳みを全部片付け、床板を補強し、また敷き直し、エライ大迷惑だったそうだ。
和室でピアノとは、呆れるね。
この音楽堂も、神様のために建てたようなもの。
リヒテルがオーナーに感謝する事で、オーナーに評価されることを狙っていたのは、後から分かったこと。
でも、くたくたの森男は、リヒテルの力演で助かった。
居眠りも出来ないほど、木造の音楽堂が鳴り響いていたのだ。
いくらなんでも、梟の声の代わりに、天井裏から鼾が聞こえたら、リヒテルは激怒したろう。
神様リヒテルを寝そべって鑑賞したのは、世界中で、多分二人だけ。
後日、この調律士はNHKの「プロジェクトX」に出演。彼はヤマハピアノが世界進出を果たすキーマンだったのだ。
音楽ホールのピアノは、普通スタインウェイだが、ヤマハの進出が著しい。
ダイアナ元皇太子妃の葬儀の時、ウェストミンスター寺院でエルトン・ジョンが弾いてたピアノはヤマハ。追悼歌は「candle in the wind」。日本語で「風前の灯火」。嘘です。
音楽祭に関わったお蔭で、演奏より楽器が気になるヘンな癖がついてしまった。
休憩。
吉田秀和先生は、音楽祭の豪華なパンフには、丁寧な文を書いて下さった。
ご招待したのも、先生を音楽祭と音楽堂の宣伝に使おうという下心があったから。
しかし、先生は音楽祭のことを、何も書かなかった。
きっと森男たちのドタバタ振りに呆れておられたんだろう。リヒテルだって、最終日の演奏をドタキャンして、陛下をすっぽかしたんだもんね。
ところが、7年後、オーナーが隠居せざるをえなくなった時、朝日の「音楽展望」で、この音楽堂と音楽祭を評価する一文を発表された。
吉田秀和先生の義理堅さに感動しました。
吉田先生ご夫妻は、森男のような切符切りにまでお声をかけて下さる優しい方々だった。
ドイツ生まれの奥様は日本人になりきっていた。
先年、奥様を亡くされて以来、先生は連載を休筆している。
ご高齢の先生を、陰ながら心配しています。
♪アンコール
明治製菓のカルボーンは、現在販売してません。
カルシウムだからイライラに効くというのは迷信で、効かないから売れず、
販売中止になったんだろう。