団塊公務員の退職金は借金頼み 44道府県4200億円(朝日新聞)
団塊の世代が定年退職期を迎え、退職金を支払いきれなくなった自治体が借金に頼り始めている。今年度は都道府県のうち44道府県が借金を計画しており、総額は4200億円を超えることが朝日新聞の集計でわかった。借金が事実上解禁された2年前と比べて2.5倍という急増ぶりだ。退職金減額など身を削る動きは鈍く、安易に将来へツケを回す自治体の対応に批判も出ている。
退職金のための借金は「退職手当債」。自治体が発行する地方債の一種で、もともとは定年前の早期退職を勧奨した公務員への退職金支払いに限って認められてきた。職員の大量退職時代を迎えたため、総務省は地方財政法を改正し、06年度から定年退職者への支払いにも解禁した。
同じ役所でも、運営のしっかりしているところは計画的に職員を早期退職させることで一斉退職のリスクを分散、緩和させているものですが(とはいえ、これを禁じようとするのが世の趨勢でもあります)、それができていない自治体も多いようです。人数の多い団塊世代が同時に退職期を迎えたことで支払いが滞りかねない、払うべきものを払うためには借金が必要になる自治体が目立つとか。まぁサブプライムローンで巨額の損失を計上し世界経済に混乱をもたらしたメリルリンチやシティ銀行も、経営破綻の危機に瀕する中で退任する会長に2億ドルを超える退職金を支給するなど、どんなに赤字でも退職金は奮発するのが弱肉強食の競争社会です。アメリカ型の新自由主義経済を追いかけ公務員にも競争原理をと唱えてきた日本ですから、ここでその流れに逆行するわけにはいきませんね!
土居丈朗・慶応大准教授(財政学)の話 将来の世代は退職した公務員からは何の恩恵も受けないのに、税負担を迫られる。退職手当債は問題の多い借金だ。団塊世代の大量退職は以前から予測できたのに、備えてこなかった自治体や総務省の責任は大きい。民間企業のように、退職金の財源を毎年積み立てていく制度を早急に作る必要がある。
この人がどこの御用学者かは知りませんが、恐ろしい話です。とりあえず小さい方から先に指摘しておきますと「民間企業のように~」という言い方には問題があります。こう断言されてしまうと、あたかも民間企業であれば退職金の備えが万全であるかのような印象を与えるわけですが、ハローワークに行けば一目瞭然、備え以前に退職金制度すらない企業ばっかりです。カップ麺を1個400円と思いこむぐらいの無知を披露しています。一口に民間企業といっても、ちゃんと備えが出来ているのは一部の優良企業だけ、大方の企業はお役所以下、「払うつもりなどない」民間企業に比べれば「払う用意が不十分」くらいは可愛い方です。
公務員と民間企業の給与を比較する場合(人事院勧告の元になるデータは稀少な例外ですが)、基本的に「ホワイトカラーの正規職員の平均」と「職種不問&パート・派遣社員を含む平均」が用いられます。公務員叩きがいかに知的誠実さを欠くかの典型でもありますが、とにかく公務員の給与は高いと強弁したい人は手段を選びません。要は(想定上の)公務員よりも待遇の悪いところを比較対象に持ってくるわけで、公務員の給与は中小企業の給与と比較すべきだと説く人もいます。条件の異なるものを比較することに意味はありませんが、この手の主張にも少なからぬ支持はありますね。しかし、ここで公務員の比較対象として推奨されている中小企業が、大量退職に難なく応じられる万全の退職金財源を備えているとは到底考えられないわけです。給与所得は中小企業の水準でと言い張る一方で、退職金の積み立ては一部上場企業の水準を要求されているとするのなら、何とも支離滅裂な話です。
それよりも深刻なのは「退職した公務員からは何の恩恵も受けないのに」云々という行です。「狡兎死して走狗烹らる」ではありませんが、用が済んだら報いる必要はないと断言しているかのようです。使い道がある間は給与を支払ってもいいが、役に立たなくなったものに支払うべきではないとの発想が根底にあります。ある意味では石原慎太郎の「ババア」発言に近いノリです。「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄」と語るセンスと「労働者としての価値を失った人に金銭を支払うのは無駄」と断ずるセンスは同一のものです。卵を産まなくなった鶏に餌をやるのは無駄かも知れませんが、これは人間の話なのですから。
「何の恩恵も受けない」という理由で、その人を支える必要がなくなる、その人を切り捨てることが推奨されるとしたらどうなるのでしょうか? 例えば老齢や重度の障害で働けない人=その社会のマジョリティに経済的な利益をもたらさない人、こういう人々を税金で支えることは「何の恩恵も受けないのに、税負担を迫られる。問題の多い借金だ!」と、同じロジックを適用すれば、そう主張することが出来ます。今はまぁ、標的にされているのは公務員だけかも知れませんが、矛先がユダヤ人以外に向けられたときにどうなるのか、それを考えると実に恐ろしい発言が、問題発言としてではなく有識者の見解として全国に発信されているわけです。こんな暴論が世に受け容れられているようでは、いよいよもって危機と言わざるを得ません。
まあこういう馬鹿が大学で講義しているということ自体は、特に珍しいことではないでしょう。「朝日新聞」が談話を堂々と載せている(当然、朝日も同じことを考えているのでしょう)のは、大いに問題だと思います。
とりあえずこの人の名前は片隅に覚えておきます。そのうち公務員や福祉叩きの新書出すかもしれないので。
長文失礼しました。
敢えて中身を明示せず、漠然と「恩恵」とだけ語ることで、「何となく無用なもの」というイメージを作り出したいのではないかという気がします。経済面では右寄り、新自由主義色が強い朝日新聞ですが、今回のように「不要になった人間は切り捨てる」考え方を堂々とプッシュする辺り、どうしようもないなぁ…と。
>いるか缶さん
一般向けの著作は多くないようで、この人のことはノーマークだったのですが、考え方としては非常に危ういものを持っているようですね。「恩恵」をもたらさないものは切り捨ての対象、しかもその「恩恵」なり「価値」なりが、極めて恣意的に判断されているところになおさら危険なものを感じます。
私が住んでいる所もそうですが、単刀直入に言うと自治体レベルで労苦をしたどころで、潤いある財政状況には成りえない状況です。
とりわけここ数年の経済的な構造改革やら行財政改革とやらで、地方にはまるで金が集まらない状況に陥っています。自治体の手足となる地方公務員がどうこう出来るレベルに無いのは間違いありません、そうした状況を考慮しないで「恩恵」だの「価値」だの批判された日には「やってらんね~よ」となる事請け合いでしょう。
地方では特にそうですが、安定した収入と理想的な勤務状況である公務員は、繁華街や商店街にとっては貴重な恩恵をもたらす存在です。、地方の疲弊による弊害で、その循環さえ苦しくなってるのに、仲違いよろしくお互いを罵り合う事になったら、共同体としての地方は終わってしまいます。
支離滅裂な意見になりましたが、もうこの手の学者の意見にはうんざりです。ハイ。
まだまだ、能力や成果という名で美化される肩書きの過大評価主義や新自由主義という名の基本的に「原始資本主義」である「思想」にしがみつく連中が復権を目論んでいるようです。
また、権利の否定に走る人は「自分と同じ位置にいる人が多いこと」で安心感を得ようとするのと同時に、この「恩恵を与えない者は不要」という考え方を持っているから「社会に助けてもらうような連中は生きる価値などない」と、このような行動を起こすのではないかとにらんでいます。
お金の使い方が事細かに制限されているのに、いざ財源が必要となると「自治体で何とかしろ」では無理な話ですよね。それでも公務員を叩いておけば点数になるとばかりの論調ばかりで、対策も何もあったものではありません。
>とっぺんぱらりさん
公務員に矛先を向けることで、政財界への非難を逸らす意味合いはありそうですね。麻生首相の贅沢ぶりやモノの価格を知らないことをメディアが指摘すれば、マスコミを批判対象へとすり替えることで麻生を逃したように、何か庇いたいものがあるのでしょう。
>GXさん
そうした意味では今回の御用学者のコメントは、時流に乗った意見でもありますね。役に立たない人間を支援するなと、そんな論調に乗っかっただけの安易な意見です。卵を産まなくなった鶏を処分するのとは訳が違うのですが、他人を切り捨てるための論拠を欲しがっている人には格好の題材なのかも知れません。
こちらの公務員叩きなんですけど、職務上の「権限を持つ」公務員と職務上の「権限を殆ど持たない」(主に地方)公務員とが一緒くたに叩かれるんですよね。
で、二言目には「民間では云々」とか比較されるんですよね。(それも待遇の良くない民間をわざわざ選んだ上で・・・。)
公務員の職務というものがおよそ「環境作り」(←つまりインフラ)にあるという前提をすっ飛ばして恩恵を云々するなど「ためにする議論」以外の何物でも無いと思うんですけどね。
そう、私がどう足掻いても会社の経営を動かすことが出来ないように、下っ端公務員が個人的にどうこうしたところで、自治体の財政状況を変えることはできないわけですが、しかるに非難は公務員全体に向けられますね。まぁ、ためにする議論、初めに公務員叩きありきですから。