九州電力が経済産業省に提出した玄海原発をめぐる「やらせメール」問題の最終報告書について、枝野幸男経済産業相は14日、同社が検証を委託した第三者委員会報告書の「つまみ食い」であり、「理解不能だ」と厳しく批判した。当地で記者団に語った。
九電はこの日、引責辞任の意向を表明していた真部利応社長の留任を正式決定したが、社長の進退も含め対応の見直しを迫られる可能性がある。
九電、「やらせ」報告書再提出検討 経産相の批判受け(朝日新聞)
九州電力は14日、経済産業省に提出した「やらせメール」問題の最終報告書を、月内にも再提出する検討に入った。佐賀県の関わりを認めない内容について、枝野幸男経産相が強く批判したためだ。県の関わりを一転して認めるかどうかが焦点となる。
枝野氏は同日、訪問先の中国で記者団に対し、報告書について「世間に対して出すということについて何を考えているのか」と述べ、再提出を求める考えを示唆した。また、九電の第三者委員会が県の関与を指摘したのに、報告書に盛り込んでいないことを「つまみ食い」「公益企業のガバナンス(統治)としてあり得るのか。大変深刻な問題」などと批判した。
九州電力の提出した報告書に枝野が「理解不能」などと言い出したことが伝えられているわけです。事業仕分けの時からそうでしたが、枝野がグダグダ言い出す度に「じゃぁ、どうしたらいいんだよ」と思います。相手の出方に関わらず、元から枝野は憤慨してみせるつもりで待ち構えていたのではないでしょうか。今回の九電報告書の場合ですが、第三者委員会の指摘内容と異なる部分があることと、佐賀県の関与を盛り込んでいないことが批判されているようです。ならば、第三者委員会の私的をそのまま引き写し、県が暗に指示してきたから「やらせ」に踏み切りましたと、そう報告すれば良かったのでしょうか。間違いなく、そのように報告していたとしても枝野は大仰に憤って見せたはずです。
どちらかと言えば第三者委員会は九州電力と関係が深いですし、それが県の関与を指摘したときには、むしろ責任の転嫁先を用意したように思えて「ちょっと(電力会社に)甘いかな」とも感じたものです。九州電力に対しても「自分の判断でやりました」と報告するより「佐賀県に指示されたのでやりました」と言い訳した方が自社の立場は守りやすいわけで、報告書の内容がそうであったならば「九州電力は県のせいにして言い逃れしようとしている!」などと大いに責められたであろうことは想像に難くありません。どうなんでしょうね、ことによると九州電力側も枝野のダメ出しは織り込み済みで、再提出分の方が本命だったりして……
九州電力の社長だけではなく菅の場合もそうでしたが、少なくとも個人的には全てを投げ出して辞任してしまった方が楽な状況にある(あった)はずです。だからといって続投させておけば事態が好転するかというと微妙なところですが、辞めた方が楽であろう状況に敢えて止まり続ける判断は、ちょっとは評価されても良さそうなものです。枝野は九州電力の社長留任に対して露骨に嫌な顔を見せているわけですけれど、菅に対して野党筋が「早く辞めろ」と迫っていたとき、枝野は何を思っていたのでしょうか。ここぞとばかりに電力会社を批判してみせれば国民のウケは悪くないのかも知れません。ただ、それが事態収束の役に立つのかどうかは首を傾げるところです。政治の役割は、有権者のご機嫌を取ることではないのですから。
日本政府の求めで除染の進め方について助言するため来日中の国際原子力機関(IAEA、本部ウィーン)の調査団が14日、除染で過剰な対応を避けるよう求める報告書をまとめた。そのうえで森林や線量の低い場所での全面的な除染は時間や費用の面で効率が低いとした。
環境省の基本方針案は、事故による放射性物質の飛散で追加される被曝(ひばく)線量が年1ミリシーベルト以上の地域を国の責任で除染するとしている。しかし、1ミリシーベルト以上とすると対象は広範囲にわたるため、他の除染作業への人繰りに支障が生じたり、除去土壌がさらに多くなったりすると指摘する関係者もいるほか、兆円単位の費用も課題となっている。
さて、IAEAが至極当たり前のことを語っています。5ミリシーベルト以上ではなく1ミリシーベルト以上の地域まで除染するなどというのが我が国の方針ですが、これは効率が低いと。長期的な目標として「自然放射線量+1ミリシーベルト」を考えるのはともかくとしても、いきなり1ミリシーベルト以下に踏み込むのは時期尚早というものなのでしょう。人的資源や費用など、振り向けられるリソースにも限りがある中で1ミリシーベルト以上の地域を除染対象に含めてしまうと、色々と無理が出てくる、除染そのものの進捗にすら悪影響が出てくると考えるのは至って当然のことです。ましてや放射線だけが唯一にして絶対のリスクであるならいざ知らず、他に対処すべき物事はいくらでもあるのですから。
それでも我が国の政府が「1ミリシーベルト以上」を掲げたのは、結局のところ「有権者のご機嫌を取ること」と優先した結果ではないでしょうか。「1ミリシーベルト」と言わないとグダグダと煩い人も多い、そういう人の批判をかわすべく「1ミリシーベルト」という基準値が設けられてしまったように思います。こういう形で世論に媚びるからこそ近年の政治は上手く機能しないのではないかという気がしないでもありません。過剰な基準が設けられることで住民の生活が制限されることにはならないか、基準値を超えたら即危険という錯覚を生み、住民に無用の不安を植え付けることにはなるまいかとの危惧もありますし、IAEAが説くように非効率でもあります。日本政府には方針を決定する権限がありますけれど、外部の有識者の助言は重く受け止めて欲しいところです。
どんな犠牲を出してもその中身は問わず、やり遂げることを礼賛するような印象を受けましたが。
これも今の無茶を称賛する雰囲気を読んだ結果なのでしょうか。
類似番組の方は見ていないのですが、プロジェクトXは大嫌いな番組でした。ああいう、何でも美談にして誤魔化してしまうやり方が受け入れられる辺り、世相を反映しているとは言えますが……
下司の勘ぐりですが、枝野が直接佐賀県知事を叩けば地方自治への介入だと言って批判される恐れがある。しかし、所管の企業からの報告書に乗っかる形であれば大手を振って踏み込める。だから、監督官庁の権限で九電を強姦して書かせよう。そう考えたのであれば、いかにも枝野らしいやり口です。
それにしても、九電の第三者委員会、と言うより郷原の動き、には腑に落ちないものがあります。九電の企業調査よりも佐賀県知事を叩くためのネタを集めるのに熱心でしたから。また、郷原は九電で佐賀県知事の指示とされるメモが発見された際、知事に電話したとのこと(自分で言ってるから間違いないでしょう)。しかし、郷原がメモを入手したのは九電の第三者委員会という立場の筈で、そういう経緯で入手した情報を利用して個人的に政治的な働き掛けを行うことはアンフェアではないでしょうか(確かに、いかにも検察臭い手口ではありますが)。
こんなことをぼんやりと考えていたら、郷原が大阪府知事立候補か?というニュース、後ろ盾は民主党だそうですね。まるで戦国時代の論功行賞です。筑前の乱における働きにより河内守を遣わす、と。
枝野にしても「自主的にやれ」みたいなことを九電に行ってきたわけで、なおさらのこと、じゃぁ第三者委員会の言うがままに「佐賀県知事の働きかけのせいです」なんて報告したらおかしいですよね。仰るように、佐賀県知事を叩くために九電を使う、みたいな思惑があったとしても不思議ではなさそうです。