非国民通信

ノーモア・コイズミ

やっぱり、未来なんてあるわけがない

2007-02-20 23:13:06 | ニュース

入所者を金具や布でベッドに拘束 千葉・浦安の介護施設(朝日新聞)

 千葉県浦安市の介護施設「ぶるーくろす癒海館(ゆかいかん)」で、入所者をさくに入れたり、金具をつかってベッドに拘束したりしていたことが、わかった。同施設は、有料老人ホームとしての届け出を県に行っていなかった。千葉県と浦安市は、虐待防止や発見者の通報義務などを定めた高齢者虐待防止法に基づいて施設を調査している。今後、虐待の有無について調べる。これに対し同施設は「やむをえず行ったが、虐待ではない」と話している。

 よくある介護施設での虐待、いや、介護施設でなくても珍しいことではないのでしょう。介護する側のおかれた過酷な状況を考えれば手間のかかる相手は拘束でもしないと処理が間に合わない、そんな現状を何とかしない限り、施設側ばかりを咎めたところで問題は解決されないままです。

介護放棄:寝たきりの夫死亡…遺棄致死罪で起訴 広島(毎日新聞)

 寝たきりの松田洋一さん(当時60歳)が介護を放棄されて死亡した事件で、広島地検は20日、「確定的な殺意までは認められない」として、殺人容疑で逮捕された妻由美子(63)、長男博之(37)両容疑者=ともに広島市安芸区中野3=を保護責任者遺棄致死罪で広島地裁に起訴した。次男(31)については、由美子被告らに介護を任せており関与が低いとして、起訴猶予処分とした。

 こちらは、家族が介護の負担に音を上げてしまった事例、そりゃもちろん介護を放棄した側も悪いのですが、その介護がどれほど彼らにとって大きな負担であるかを考えて欲しいわけでもあります。起訴された奥さんだって高齢で自分のことだけでも大変でしょうし、長男だって仕事があり自分の生活がある中で親の面倒を見る、片手間で済むようなことならまだしも、あいにく介護の負担とはそんな生やさしいものではないのがほとんど、私の身内にも介護の負担から過労で倒れてしまった人もいますし、正直、自分も今の仕事に加えて親の介護をしなければならなくなったとしたら、それを両立できる自信はありませんね。

 ちなみにこの記事で奇妙に感じられるのが、介護を任せており関与が低いと起訴猶予処分になった次男の扱いです。介護したけれど挫折して放棄した人は起訴され、最初から他人任せにした人は起訴猶予、別に次男が悪いことをしたとは思いませんが、起訴された奥さんと長男がなおさら不憫に見えてきます。

 そもそも冒頭で問題になった施設「ぶるーくろす癒海館」は無届けの施設、本来なら儲かるはずのない介護の仕事を公的な支援もなしにやっている施設であるわけで、26人の入所者をわずか4人で担当しているとか、これでは手が足りるはずもなく、従業員も過酷な状況におかれた挙げ句の措置として柵の中に閉じこめたり拘束したりを選択したのも当然の帰結と推測されます。そして入所者を拘束した施設従業員が介護を放棄した奥さんと長男の立場であるならば、この施設に介護を委ねてしまった入所者の身内は起訴猶予されている次男の立場でしょうか。

 介護を他人任せにする人もいれば、介護に音を上げる人もいるわけですが、たとえ確固たる意思を持ってそれを引き受けたとしても、その介護を担う側への負担はあまりにも重く、それに押しつぶされたとしても責めるのは無慈悲ですし、その過大な負担を追わせた側の責任だって問われねばなりません。とはいえ介護を他人に任せる側にしたところで一概には責められません。自分で介護に当たることだってできるのかもしれませんが、困ったことに介護だけしていれば済むものではなく、自分の生活のためにも働かなければいけない、仮に労働と介護が両立できたとしても、そのために自分のために使えるはずだった時間や労働の報酬を介護のために捧げなければいけない、身内の面倒を見るのは尊いことかもしれませんが、そのために支払わねばならない対価はあまりにも重いのではないでしょうか。

埼玉の2歳児焼死 スノボの母書類送検(産経新聞)

 埼玉県和光市のアパートで昨年12月、母親がスノーボードに出掛けた留守中に2歳の長男が焼死した火災で、朝霞署は19日、保護責任者遺棄の疑いで無職の母親(24)=同県川越市=を書類送検した。

 調べに対し、母親は「子供ができてから世話にかかりきりで、1日くらい大丈夫だろうという安易さがあった。子供に申し訳ないことをした」と反省しているという。

 このニュース、ブログ検索でおおざっぱに目を通した限りでは、母親に同情的な意見はさっぱり見当たりませんでした。たった2歳の子どもを放置して遊びほうけているなんてけしからん! なんてひどい親だ! と。だけど母親だって人間です、母親は子どもの面倒を見る機械ではありません。そりゃ子どもの世話にもやりがいはあるのでしょうけれど、それさえやっていれば幸せか、それだけで満足すべきなのか、母親だって時には子どもから解放されて自由な時間を持ちたい、そう思ったところでそれは責められるべきことではないはずです。

 どの新聞を見ても、この母親のことを無職と書いているのですが、朝日新聞によると「平日は東京都内の居酒屋で働いていたため、午後10時ごろから翌朝まで家を空けていた」そうで、フリーターと書いてやっても良さそうなものです。ともあれ、この母親はまだ24歳、自由な身であれば会社に入ってホワイトカラーとして働くこともできそうですが、この人には子どもがいるわけで、そうそう家を空けるわけにはいかない事情がある、だからこそ子どもの寝静まった夜間に居酒屋で働いていたわけです。このあたりから察する限りでは、子どものために自分の望む生き方を犠牲にして必死に生きてきた母親のように見えるのですが・・・

 「子供ができてから世話にかかりきりで、1日くらい大丈夫だろうという安易さがあった。子供に申し訳ないことをした」そう、母子家庭で子どもの世話をしつつ、自分たちの生活のためにも働かねばならない、子どもが大きくなれば少しは楽になるかもしれませんが、それはいったいいつのこと? 2年間ずっと、子どもの世話にかかりきり、1日くらい抜け出したくなるのは当たり前のこと、私にはこの母親よりも、365日24時間にわたって母親を子どもに縛り付けようとしている世間の目の方がよほど残酷に見えます。

 

 ←何か感じていただけましたら是非


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