「小さな政府」か「大きな政府」かという論議があります。圧倒的に人気があるように見えるのは前者の方で、有力政党は軒並み「小さな政府」志向です。幸か不幸か今の段階では「お互い小さな政府を目指すもの同士、協力していきましょう」とはならず、「自分の党こそが本当の小さな政府の担い手、○○党の掲げているのは紛い物の小さな政府」みたいな状況ですが、次の選挙後がどうなるかはわかりません。
ところが、大きな政府は嫌われる、小さな政府が要望されているように見えて、その小さな政府とは相容れないはずの論調もまた盛んで、福祉目的と称した消費税増税とか特定産業への公的支援みたいなものは本来なら大きな政府論の一部であるはずが、どういうわけか好意的に受け止められているフシもあります(消費税増税は法人税減税とセットですから一概には言えませんが)。矛盾だらけの小さな政府論だ、という指摘もあって、まぁ特にお金の流れに関わる分野では矛盾だらけの主張が罷り通るのが常態化しているわけですが、ともあれ総じて小さな政府が肯定され大きな政府が否定される一方で、それに反する部分もまた少なくないように見受けられます。
では少し視点を変えてみましょう。「大きな政府」か「小さな政府」かではなく、「強い政府」か「弱い政府」かという区分で考えてみたらどうでしょうか。ともすると「小さな政府」と組になりそうなのは「弱い政府」に見えます。では日本では「小さい政府」と同時に「弱い政府」を求める気運が盛んかと言えば、全くそんなことはないはずです。むしろ「小さな政府」と同時に、「強い政府」を期待してはいないでしょうか。たとえば大阪の事例を考えてください。そこで支持されているのは「小さな政府」と「大きな政府」のどちらなのか、「弱い政府」と「強い政府」のどちらなのか?
「小さいけれど強い」というのが、ある意味で日本人の理想なのかも知れません。漫画やアニメの主人公も大体そんなものですが、政府に対しても似たような価値観を発揮しているようです。「政府の機能は国防と外交だけで十分」「国家の根幹は安全保障」みたいな声もあるわけですけれど、それは単に小さな政府を目指しているだけではなく、限られたリソースを「強い政府(強い国家)」作りのために集中させたいという思惑もあるように見えます。小さな政府への歩みとして公務員削減が続けられ、その流れが民主党政権に変わって一層エスカレートしつつありますが、どういう分野で人員削減が強行され、どういう分野では維持もしくは増員が行われているかを考えれば、理想としている国家像は想像が付きそうなものです。
あと「小さいけど強い」というフレーズで思い出したのが「小さな巨人」という言葉です。日本人が好きそうだなと思いますが、ある第二次世界大戦時の雑学を扱った本(アメリカ人著)の中で、戦前の日本のことをこう表現していました。その後を考えるとイヤな気分になりますが・・・。
「小さな巨人」というのもどこかコンプレックスを感じさせる表現だと思うんですよね。自分は小さいけれど強いんだ、「量」では負けても「質」では勝っているんだみたいな、どこか歪んだ劣等感と虚勢がない交ぜになっているような気もしますので。