非国民通信

ノーモア・コイズミ

客から見れば不便だが

2007-05-22 23:05:26 | ニュース

銀行窓口は大行列 それでも行員はトランプ遊び(NBonline)

 正午に中国工商銀行の金台路支店に到着した李記者が整理番号札を取ったのは12時9分。その時点で79人ものお客が順番待ちとなっており、ロビーはお客で満杯の状態だった。案内デスクの周辺にも積立口座を開設しようというお客がたむろしていたが、案内係は席におらず、彼らはどうすればよいのか分からず困惑していた。

 李記者はロビーの東側にある取引先財務管理センターに行ったところ昼食を食べている行員がいたので、「すみません、積立金口座の開設はどうすればよいのでしょうか」と問い合わせたが、行員はこれを無視。そこで再度、大声で繰り返すと、行員は「食事しているのが見えないのか。案内デスクに行って聞け」と答える始末。そこで、案内デスクに戻ると、現れた1人の行員が口座開設申請用紙を数枚放り投げて、「先ずこの用紙に記入して、自分はまだ食事中だから」と言い残して立ち去った。

 李記者が口座開設申請用紙に記入を終えたのは12時47分であったが、李記者の前にはまだ50人近いお客が順番を待っていた。そこで、ロビーを改めて見渡すと、行員が業務を行っている窓口は1カ所しかなく、その行員の後ろに行員がもう1人いて、2人は休みなくくだらない世間話をしていた。

 宋文洲氏のコラムを覗けば読むに耐えない代物ばかりの日経記事ですが、この記事で取り上げられていた事例そのものは非常におもしろいですね。そうそう、これこそ社会主義というものです。

 色々と思惑もあるのでしょう、日本で社会主義、共産主義というとイメージされるのはスターリン時代になるわけですが、あの辺は外部の脅威を大義名分にした中央集権主義であって社会主義とはまるで別物、理念も実態も違います。そこで理念はさておき、社会主義国の実態はどうでしょうか。説明するのは簡単です。社会主義とはすなわち、国民全員が公務員になることです。

 まぁ私が大学でロシア文学を学び始めた頃にはとっくにソ連も崩壊していたわけで、文献や伝聞によって、あるいはその名残を見ることでしか知らないわけではあるのですが、そんな中でも旅行者からよく耳にするネタが「ロシア=(ソ連)は店員が怖かった」というもの。そりゃそうです。日本の店員と言えばサービス業、接客業ですが、ソ連の店員は公務員、お役人です。不親切で偉そうな振る舞いも当然なのです。

 ソ連にマクドナルドが出店したとき、その接客レベルの高さにロシア人が驚嘆したという話もあります。そりゃそうです、だってロシアの高給レストランだってホテルだって出迎えてくるのは誰もが公務員ですから、対応は当然お役所仕事、マクドナルドのように愛想を振りまいてくれることは期待できないのです。

 そう言えば2000年頃、あるロシアの文芸誌編集者が大学に集中講義に来たことがありました。半官半民のソ連時代の面影を覗く出版社だったようで、1日5コマの講義予定を「ロシア人はそんなに働くものではありません」と断言し、1時限目と5時限目をカット、講義は2~4時間目だけになりました。まぁ、公務員の働きなんてそんなもん・・・かな?

 「勤務時間中の飲酒を禁じる」法令がでたこともありました。まぁアメリカでは「患者を路上に捨てることを禁じる」法律があるくらいで世の中は広いのですが、要はわざわざ禁止する必要があることからもわかるように、勤務中に酒を飲む人もいたわけです。だって公務員ですから、犯罪でも犯さない限りクビにはなりませんし、民間企業ではないので営利の追求もないわけです。ノルマなんて言葉はソ連発祥らしいですが、ノルマがきつかったのは戦時中の話でソ連末期は緩いことこの上なかったようです。その厚遇ぶりは「有給休暇が年45日では足りないから72日に延長せよ」なんて要求を掲げたデモが起こるほどで、しかも僻地手当で有給休暇が2倍、翌年繰り越し可、なんてのもあったそうです。

 もっとも本来の社会主義とは発展した資本主義の後に来るもの、資本の蓄積があって初めて可能になるもので、それをロシアでやったらどうなるか、当然のように経済は低迷するわけです。国民全員が公務員で安定した雇用とゆとりある労働にもかかわらず、物不足で今ひとつ豊かさが実感できない、そんな社会を端的に語ったのがこちらのジョーク。

 失業者はいないが、誰も働かない。
 誰も働かないが、誰もが給料をもらう。
 誰もが給料をもらうが、何も買うものがない。

 そんなロシア・ソ連の台所を支えたのが家庭菜園の充実、なんとロシア国内におけるジャガイモの60%以上が家庭菜園で生産されていた時期があったのです。仕事が暇だから家庭菜園で芋を育てて暮らしの足しにする、フ~ム、のどかな生活です。ソ連が崩壊して資本主義経済が導入されてから、急速にソ連時代への評価が高まったのは決して過去を美化しているばかりではないのでしょう。政治的な自由も大切ですが、仕事に縛り付けられることで失う自由の方が大きいようではどうしようもないわけですから。

 それでまぁ、中国の場合です。中国を今さら社会主義と呼ぶには無理があるわけですが、今回の事例に私は社会主義の残り香を感じたわけです。絵に描いたようなお役所仕事っぷりに加えて、客ではなく労働者側の都合で時間が進んでいく、こんなところで客にはなりたくないものですが、こういう仕事だったら楽で良いな、仕事の負担を最小化して、自分の時間を大切にする生活が出来そうだな、そんな風にも感じます。

 泣く子も黙る社会主義の国では客が辛い思いをするわけですが、勤労賛美の国では労働者が辛い思いをします。ほんの僅かなメリットを客に与えるために、労働者がぼろぼろに搾り取られることも珍しくありません。規制緩和でほんの少しだけタクシーの料金は下がりましたが、タクシー運転手の労働環境がどれほど劣悪なものになったかは言うまでもありません。小売店の深夜営業なども―――まぁ、夜勤をやってみたりするとありがたかったりもするのですが―――働く側への負担増に比べると顧客への利便性は微々たるものではないでしょうか。

 末期ソ連のようなネタ社会になる必要はありませんが、もう少しバランスを取る―――客側、利用者側には少しの不便を受け容れてもらい、労働者側をもう少し楽にする発想も必要でしょう。誰だって客になることもあれば労働側に回ることもあるのですから、客の利便性ばかりを追求しても、それは差し引きでマイナスになることもあるわけです。

 今はエッセイストとして有名らしいですが、元々はロシア語通訳の偉い人である米原万里氏は、高級な銀細工の杯を収納した絶望的にぼろぼろの段ボール箱を見て「これこそ、まぎれもないソビエトだ!」と語ります。

 要するに爛熟した資本主義の生み出す消費文明に疲れはじめたわれわれにとって、その無愛想な箱は新鮮で快かった。何もかもが、「買って、買って」とわめき、ささやき、こびへつらい、まとわりつくのにうんざりしている目からすると、「買ってくれなくとも一向にかまわないわ」という感じの箱のたたずまいは、なんだかとても潔くて清々しかった。おのれに包まれるものが商品となることを拒むような、毅然とした迫力があった。(『ロシアは今日も荒れ模様』米原万里)

 

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