非国民通信

ノーモア・コイズミ

「俗流」フェミニズムが嫌い

2009-07-23 23:06:11 | 編集雑記・小ネタ

 さて、今夜のダシは「フェミニズム」です。私はミソジニスト(女性蔑視の人々)からは「フェミニスト」と呼ばれることが多々あり、それを否定するつもりは全くないのですが、自称フェミニストの人から同志と呼ばれたことはありません。むしろ「自称」フェミニストからは怒りのコメントをもらった回数の方が多いと思います。一口に「フェミニズム」と言っても決して一枚岩ではなく諸々の「派」があるわけですが、その辺の絡みでしょうかね。一般にミソジニストのフェミニズムのイメージはひどく偏ったものですが、私をもフェミニストに含める辺り、実はフェミニストの多様性を認めているのかも知れません。逆に(あくまで一部の)自称フェミニストはフェミニズムの幅の広さを口にしつつ、その一方で私をフェミニズムの枠から外そうとする辺り、意外に「フェミニズムとはこういうもの」という凝り固まったイメージを持っているのかも知れません。

 たとえばフランスで「(イスラム教徒の女生徒が)スカーフを被る権利」が争われたことがあります。フランスの法律では「学校に宗教的なものを持ち込んではいけない」という理由で、スカーフの着用が禁止されている、しかしイスラムの風習に従って「スカーフを被りたい」人もいるわけです。そこでスカーフの禁止をイスラム文化に対する侵害と見なしてスカーフを被る権利を認めるべきとする意見もあるのですが、一方でスカーフをイスラム社会における女性抑圧の象徴と感じ、そのような因習から解放されることが重要、そう考える人もいます。両者共にムスリム女性のことを慮っている点では同じですが、導き出される結論は正反対です。スカーフ着用を認めるべき/スカーフなど捨ててしまえ、と。それはフェミニズムも同様、女性の人権や男女差別の問題を考えるにしても、結論が一致するとは限らないわけです。とりあえず私は、チャドルを脱がそうとするタイプですよ!

 そこで女性差別の度合い、平等さの度合いを測る尺度としてしばしば用いられるものの一つが、「社会」にどれだけ女性が進出しているか、たとえば女性管理職の数/割合だったりするわけです。男ばかりが出世していないか、ちゃんと女性も要職に登用されているかどうか、その辺が問われるもので、言うまでもなく日本では大きな男女格差が存在し、先進国では最低ランクだったりもします。これはこれで問題があるわけですが……

 ただ、女性の社会進出と言われた際の「社会」には、時に疑問を感じることがあります。その「社会」が「男性原理によって支配された社会」であったなら、「社会」への進出を男女が競い合うことは結果的に男性原理の強化に繋がるのではないでしょうか。とりわけ会社における役職/管理職の割合を尺度にするのは危険です。企業社会における成功の度合いをモノサシにしてしまって良いのかな、と。

 会社で出世した、会社で高い地位に就いている人間が偉い、逆に企業の末端で使い捨てにされているような人々(派遣社員、フリーター、寿退社が織込済の一般職等々)は卑しい、そうした考え方は勿論、唾棄されるべきものです。経済的に成功しようと失敗しようと、人間としての価値が否定されるようであってはならないはずですから。会社における地位で人が計られるべきではありません。

 それでも、会社における地位を尺度として使う人々もいるわけです。社会的な成功がモノサシにされてしまう、そのモノサシでは「女性の地位の低さ」が憂慮すべき問題として浮き彫りにされると同時に、「下」として扱われる人々をも生み出しているのではないでしょうか。そしてこのモノサシによって「下」と認定されるであろう人々が反フェミニズムの急先鋒と化しているような気がします。

 ミソジニストが抱くフェミニズム像は、少なからず「勝ち組女性」のイメージと被っています。「社会進出を果たした女性」=勝ち組として負け組(男女含む)を見下すイメージですね。期間工を指して「彼らに年間300万円以上も払っているトヨタは偉い」と言い放った池内ひろ美みたいのが典型でしょう。傲岸不遜にして唯我独尊、そのコラムで肯定的に紹介された人物は「マッチョ」としか呼びようのない遙洋子なんかもしっくり来そうです、後は上野千鶴子あたりですかね。多分にルサンチマン的なものがあるにせよ、「社会進出」に成功できなかった「負け組」からすれば、こうした「社会進出に成功した女/進出できなかった人を見下す女」というのはあらゆる点で不快な存在に映ることでしょう。この辺をフェミニズムに対する偏った/誤ったイメージと切り捨てることは簡単ですが、ときにフェミニズムとして想定されがちな「俗流フェミニズム」に対するフェミニズムからの批判も、もう少し増えて欲しい気がします。

 さて、自分の上を行かれるのが不愉快、そういう要因も勿論あるでしょう。ただそれだけではなく、会社での地位、既存の社会における立場をモノサシに使う、そのモノサシで測られる事への嫌悪感も少なからずあるのではないでしょうか。社会進出すべき? 働きたくないでござる! 今まで男性が担っていた部分を女性も担うようになる社会を目指すのか、そればっかりでもないでしょう。社会進出なんて苦行です。そんなものはワーカホリックの馬鹿に押しつけておけばよい、ぐらいのことを主張する人がいたって良いでしょう。むしろ従来の「社会進出」を「重荷を負わされている度合い」と見なしたいくらいなのですよね、私の場合は。「社会進出」を肯定的なものと見なすのではなく、「社会進出」を肯定的なものと見なす価値観を破壊する、男性ばかりが幅を利かせている領域のみを「社会」と見なす価値観を破壊する、そういう路線がもっと表に出ても良いのではないかと。こっちの方が既存の権力や価値観に対するカウンターアクションとしての色合いは濃くなると思います。まぁ、あくまで既存の体制の中での平等を目指す人もいるでしょうし、そっちの方が実現可能性の高い道ではあるのでしょうけれど。

 

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11 コメント

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背景にちらつく序列意識 (七詩)
2009-07-24 05:52:57
ああした女性の社会進出の議論でいつも不思議に思うことがあります。それは国の審議会委員の女性の割合にはじまって、裁判官ではどうか、医師ではどうか、企業の管理職ではどうか…という議論があり、こうした職業で女性の比率が高くなることが男女共同参画がすすんだということなのらしいのです。
変ですよね。なぜ看護婦や介護士でなくて医師なのか、なぜ廷吏ではなく裁判官なのか。なんかこうした議論の根底にそもそも職業による序列意識とかそうしたものがみえかくれしているように思えてなりません。
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Unknown (貝枝五郎)
2009-07-24 08:46:25
季刊誌『インパクション』(インパクト出版)でも「生殖と医療の迷宮」と題して代理母を容認すべきかいなかを論じていた様に記憶しています。
代理母が仲介業者のピンハネにあわないという前提でなら、ひとつの労働としてみとめた方が女性自身の経済支援にもなる様にもおもえますが、どうおもいますか?
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はじめまして (ツナミン)
2009-07-24 19:05:16
ときどき拝見しては、勉強させていただいていました。いつも大変参考になります。

フランスのスカーフ論争については、私も以前記事にしたことがあったので、トラックバックさせて頂きました。

従来の出世主義的価値観を破壊したいとのお気持ちには共感しますが、それと同時に「社会進出」という言葉の意味自体の多元化を図る戦略も必要かと思います。
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Unknown (非国民通信管理人)
2009-07-24 22:49:26
>七詩さん

 女性の比率が高い職業/分野に関してはモノサシから外されてしまう、モノサシとして採用されるのは「男の仕事」ばっかりという点は批判の余地がありますよね。収入/権力に結びつくものをモノサシとして選ぶという点では一定の合理性がありますが、それによってなおさら既存の男性原理を補強している、そういう女性が現時点で担っている分野を下に見る意識を高めている側面は無視できません。

>貝枝五郎さん

 代理母も選択肢の一つぐらいにはなるかも知れませんが、女性の地位向上に繋げるにはあまりにもニッチな選択肢でしょう。ま、拘る血統主義的な考え方が強い日本でこそ「DNAを残したい」とか真顔で言う馬鹿が絶えない、依頼者には事欠かないかも知れませんが。

>ツナミンさん

 そこで「社会進出」と言ったときの「社会」が「男性社会」を指しているのが現状なわけです。この現状を指摘、批判するだけでは足りませんかね?
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Unknown (ルザミof大阪)
2009-07-25 00:13:31
 そういえば、手塚治虫の「ジャングル大帝」では、人間だけでなく人間に飼い馴らされた動物も、敵として扱われていました。家畜は最早動物ではないのですね。それと同じく社会(あえて、男社会とは申しません)に従う人は、女性であれ男性であれ同じなのかな?と思います。そもそも、最近の男女共同参画なるものは歪なものを含んでいるように思えます。男の働き手が減ったから女も働け!これが本音でしょう。平等への道が開けたことは歓迎したいですが、考え方は学徒動員や皇民化政策と変わらないのじゃないでしょうか?
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Unknown (非国民通信管理人)
2009-07-25 17:04:54
>ルザミof大阪さん

 肯定的に評価できる部分もあれば、その中で「交代」している部分もあるんですよね。男女共同参画社会と、一見すると「平等」になるかのようなイメージですが、それは悪平等に近いものだったり。産業兵卒を徴募する対象を広げたい政財界の思惑と、一部のフェミニズムが肩を組んでいる部分もありますから。
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私は (凡人69号)
2009-07-26 14:51:19
残念ながらフェミニストではないですねぇ(苦笑)。かといって、ミソジニストでもないと自分では思っています。
私が想像する、「俗流フェミニスト」のイメージに一番近い有名人というと、やっぱり田嶋陽子センセイとか辻元清美ちゃんとかのヤワな男なら言い負かされそうなタイプでしょうか?(田嶋センセイは、厳密にはフェミニストとは違うかも知れません。)同時に、ミソジニストは小池百合子や奥谷禮子みたいな男社会を巧みに泳ぐようなタイプにも、ルサンチマンを抱いているのかも?その一方で、曽野綾子センセイや金美齢センセイなどは支持しそうです。(余談ですが、ミソジニストがフェミニストに対してルサンチマンをこじせ悪性化すると、別冊宝島の「まれに見るバカ女」みたいなネット酷使様のブログ級の奇書ができるわけですが。)
女性の社会進出のものさしとしとして、例えば女性議員の割合を増やすというのもありますが、ただ頭数を増えればそれでいいのか?きちんと仕事をする環境やそれを受け入れる意識がなければ、見掛け倒しになるでしょう。(議員に限らず、いろんな職種でも)
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度々失礼します (凡人69号)
2009-07-26 21:02:52
碧猫さんのブログを拝見したところ、「日本は男女平等が行き過ぎている!」というトンデモ論をぶち上げる、日本青年会議所という名のミソジニスト団体があります。
http://azuryblue.blog72.fc2.com/
http://www.onnamedia.com/kitahara/?itemid=108
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Unknown (非国民通信管理人)
2009-07-26 23:29:51
>凡人69号さん

 まぁ小池百合子や奥谷禮子だったら、ミソジニストならずとも嫌うべきところだと思いますね。ただ俗流フェミニズムの例として挙げた人に限らず、傲岸不遜な人間とは肩入れしている人から見れば頼もしく感じるものなのかもしれません。曽野綾子に金美齢、石原慎太郎や橋下徹がそうであるように。一方で議員の方ですが、山谷えり子みたいな父権主義は女性の社会進出を図る上でどっちに扱えばいいのでしょう?

 ちなみに日本青年会議所の主張は論外なのですが、碧猫さんにもちょっと頷けないところが多々あります。「論敵」との対立もあるのでしょうけれど、例のエロゲー問題ではむしろ碧猫さんの方が偏見を振り回していたり等々。この辺も「肩入れ」が過ぎているのかな、と。
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Unknown (GX)
2009-08-04 08:37:42
 確かに経済的な成功こそが立派とされる風潮は強いですよね。そんな中に女性(に限らずニートと呼ばれる人とかも)を放り込もうというわけですから、危険ですね。私が以前お話したドラマ(覚えてらっしゃるでしょうか。女性上司のお話の)で主人公が男性職員より早めに(と言っても定時に)帰らされるというような待遇に不満を漏らしていましたが、私からすれば、これなら「差別」でもいいかなとすら思ってしまいます。もちろん、働きたい女性を否定するつもりはありませんが…。

 あと、池内ひろ美女史といえば、そのトヨタの件で「職業差別だ!」と2chから非難され、ブログは炎上。講演会に火をつけると言って、中止させた人が逮捕されるという事態にまで発展していました。批判以降はさすがにやりすぎですが、私には疑問がありました。こういう場合、たいてい期間工の方が、「まじめに働く気があるのか。」と非難されるものだからです。(もちろん、認識的に間違っていますし、「やる気」が問われるがあるのかという疑問もありますが。)しかし、なぜ今回は期間工の肩を持ったのか…。2ch内でも評判の悪いトヨタ相手だったためでしょうか。あるいは非国民さんのおっしゃる「社会進出している女性」が気に入らないのかもしれません。せめて前者であって欲しいと思うところですが…。
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