元自民幹部「赤旗」に続々 首相批判、共産が追及に利用(産経新聞)
加藤紘一氏ら元自民党幹事長の共産党機関紙「しんぶん赤旗」への登場が相次いでいる。自民党とあらゆる面で正反対の「宿敵の土俵」のはずだが、いずれも安倍晋三首相への批判を展開。かつての政権・与党中枢の“反乱”は、共産党による「保守派でさえ反対することを推し進める首相」というイメージの拡散作戦に活用されている。
(中略)
ハト派と呼ばれた加藤氏らは現職当時から首相と政治理念などで対極にあり、平成24年の第2次安倍政権発足後に赤旗への登場が増えた。志位和夫委員長は15日の記者会見で、加藤、古賀、野中3氏の名を挙げ、行使容認について「保守政治を屋台骨で支えてきた人々がこぞって反対している」と強調。その上で「真面目な保守の方々と協力関係を強めたい」と、連携まで呼びかけた。
先日は安斎育郎氏を例に軽く言及したところですが、「保守」にせよ「反原発」にせよ、古株と現行の主流派との乖離が著しいなと思うわけです。上の引用では長年にわたって自民党における保守の「本流」として活躍してきた政治家の名が上がっていますけれど、昨今での扱いはどうでしょう。かつての天敵であったはずの共産党の機関誌から招かれる一方で、産経新聞に限らず「保守」を自称する層からは専ら敵視されることが多いようにも思います。この辺、原発の利用自体には否定的でも科学に背を向けない人は反原発の主流派から御用学者だの原発推進勢力だの工作員だのと罵倒されてきたのと同じようなもの、たぶん今時は歴史に背でも向けないと「保守」のお仲間とは認めてもらえないのでしょう。
福島には住めない発言、准教授「使わないで」 「美味しんぼ」編集部が拒否(朝日新聞)
週刊ビッグコミックスピリッツの人気漫画「美味しんぼ」(小学館)に登場する荒木田岳(たける)・福島大准教授が「除染しても福島には住めない」という自らの発言を作品で使わないよう求めたにもかかわらず、編集部が「作品は作者のもの」と応じずに発行したことがわかった。編集部が取材に事実関係を認めた。
荒木田氏は12日発売号に載った「美味しんぼ」に実名で登場。「福島はもう住めない、安全には暮らせない」「福島を広域に除染して人が住めるようにするなんて、できないと私は思います」などと述べた場面が描かれている。
編集部によると、荒木田氏は2年前に原作者の雁屋哲氏らと出会い、取材を受けるようになった。体験や持論を伝えるなかで、こうした発言もした。
だが、荒木田氏の関係者によると、昨年末に筋書きを知った荒木田氏は、福島全体が住めないと読者に受け取られるおそれから、「自分もここで暮らしており、使わないでほしい」と編集部側に要望。福島で暮らさざるを得ない県民感情に配慮した表現を求めた。
これに対し、編集部は「作品は作者のもので登場人物のものではない」と説明。荒木田氏は「作品の中身の是非まで言う立場にない」と最終的に伝えたという。
取材に対し、編集部は一連の事実関係を認め、「同じ土地に住んでいても個々人によって判断が異なり、それぞれが被曝(ひばく)について考えることがある。広く『福島』とする表現を作者が採用したことには意味があると考えた」としている。
荒木田氏は20日、こうした経緯には触れず、「美味しんぼをめぐる議論が世間の対立を激化させている現状に心を痛めている」とする見解を公表した。(本田雅和)
……で、こんな話もあるようです。荒木田岳と言ったら、それはもう完全に雁屋哲と同じ側の論者であって「美味しんぼ」に掲載された発言はいかにも荒木田氏らしいもの、氏の世界観をよく伝えるものです。あの漫画は福島の真実を伝えるものではありませんでしたが、この福島大准教授の真実はよく伝えていたと言えます。しかるに関係者――とりあえず本人ではないのでしょう――によると自らの発言を作品で使わないよう求めたとのこと、でも「前科」を鑑みればこの人が世間にあらぬ誤解を広めることに罪の意識を覚える類とは考えにくいです。
そもそも「美味しんぼ」に掲載しないで欲しいと「関係者」から伝えられたという発言を朝日新聞というスピリッツよりも遙かに発行部数の多いメディアが報道してしまっているわけですが、朝日新聞は荒木田氏の承諾の元で発言を掲載しているのでしょうか。本人の要請を振り切って「美味しんぼ」が荒木田発言を使ったことに朝日新聞が何らかの問題意識を持っているのなら、同様に本人の発言をより発行部数の多い媒体に載せた朝日新聞の思惑もまた、取材対象になっても良さそうなものです。よもや漫画雑誌に権利はないけれど、我が社には報道の自由があるとでも思っているわけではないでしょうね?
3月には安倍内閣が河野談話を撤回しようとしているという記事がアメリカの新聞に載って、後に日本政府からの抗議で撤回されるという一幕がありました。安倍晋三の本音はまったく隠れていなくとも、しかしアメリカに対する「建前」というものがある、仲間内では自身の世界観に酔いしれることができても、アメリカに向けては行儀良く振る舞わなければという意識もあったのでしょう。荒木田氏の態度もこれと同じようなもの、脱原発サークルのオトモダチの間では、あるいは中日新聞みたいなアレな媒体の中では偏見を広めるのに乗り気でも、今回のように「アウェー」の目線に触れる場所で自身の発言が晒されるという事態を前には態度を変えたくなるところもあったものと推測されます。
よく「オフレコの発言を記事にされた」と怒る偉い人がいるわけです。しかしまぁ、公に言えないようなことを仲間内で囁き合うというのもまたどうかと思わないでもありません。全くの私人ならプライバシーというものがあって、それは表現の自由だからと言って安易に侵されて良いものではないわけですが、反対に社会的な地位なり影響力なり権限なりの面で「上」にいる人は、その立場に応じて発言にも責任が求められるものではないでしょうか。大学の教授職というものも――放射線や被曝に関しては全くの素人でも――そんなに軽い地位ではありませんし、自らあれこれと(真偽はさておき)主体的に情報を発信している分野に関わる発言ならばなおさらのこと、「掲載しないで」では済まされないものもあるように思います。
ただ、既に明白になっていることに対して妄想で上塗りする、そうした反科学(脱原発)や歴史修正主義者ほど、自分たちは疑問を呈しているだけ、正当な権利だと言い繕う傾向があるような気がしますけれど。