keigomi29氏「(三流の)ジャーナリストと、(普通の)科学者の考え方の違いを揶揄的にまとめてみる。」
【4】 (普通の)科学者は事実から論理を導き出す。 (三流の)ジャーナリストは論理にあう事実を見つけ出す。なければ創り出すこともある。
【8】 (普通の)科学者は見つからないものはないのかもしれないと考える。 (三流の)ジャーナリストは見つからないものは隠されていると考える。
「チェルノブイリ番組、NHKオンデマンドから削除」のデマ広がる(ニコニコニュース)
「チェルノブイリ原発事故についてのドキュメント番組が、NHKオンデマンドから削除された」――こんなデマがネットで広まっている。NHKは「もともとNHKオンデマンドに掲載していない番組。誰が言い始めたのだろうか……」と困惑している。
NHKオンデマンドから削除されたという誤解が広がっているのは、1996年にNHKがテレビ放送した「終わりなき人体汚染~チェルノブイリ事故から10年~」。チェルノブイリ原発事故から10年経った96年に、放射能の人体への影響をまとめたドキュメント番組だ。
NHK広報室は、「もともとオンデマンドで配信しておらず、掲載も削除もしていない。1996年と古い番組でもあり、今後配信予定もない。原発問題についてはETV特集などで報道している」と話している。
参考、「NHKオンデマンドでチェルノブイリ事故関連番組が削除された」情報拡散&認知的不協和解消発言と、実際の事実確認
まぁ、三流ジャーナリストが闊歩しやすい状況が続いているのでしょう。流行に乗じておけば、何でも許されがちですから。例えば公務員叩きであれば、データや比較対象の不適格さ、情報の確かさといったものは概ね不問に付されていたものですが、震災後はその対象が広がっているように思います。社会にとっての「共通の敵」として認識されている対象に対しては、虚偽に基づく非難でも許される――その対象として東京電力であったり原発であったりが組み込まれるようになったようで、今回は「チェルノブイリ原発事故についてのドキュメント番組が、NHKオンデマンドから削除された」という手間を広めようとした人が出てきたわけです。上で書かれているように、元よりNHKオンデマンドに掲載していない番組であって、完全に根も葉もない悪質なデマといえますが、こうした陰謀的なものを匂わせる言説が受け入れられやすい状況が作られているのでしょう。
別に現行の公務員制度に批判の余地がないとは言いませんが、そうは言っても横行する公務員叩きの大半はトンデモで、それを全面に掲げている人は基本的に信用しない方がいい、一定の批判的検証抜きに鵜呑みにすべきではないものとして扱ってきたわけです。そして今後は原発批判をしている人に対しても同様の警戒感を以て接した方が無難であるような気がしてきました。とにかく「敵」を叩くことに繋がればウソでもデマでも何でもあり、こういう状況に飲み込まれないことを心掛けるのが理性的な振る舞いではないでしょうかね。とかく流行りの説には、立ち止まって真偽を考えてみる必要があると思います。
真実と称して現実とは異なるものが出てきたり、部分的にしか見せないことで現実とは全く異なった印象を与えるような伝え方をされることも多いですからね。特に流行りの論調は受け取る側から検証されにくいので危険でもあります。
>チェルさん
デマを流した側が今さら修正を申し出たところで、デマが流れたことには変わりがありませんね。等の発信者側は逆ギレ的な反応を示してもいたわけで、まぁ流行に乗じて自分の世界観を押し売りしようとしている連中の質を知るには好例なんじゃないでしょうか。
理性的に見えたとしても感情から抜け出すことはできない。何か勘違いしているようだ。
なにより感情をあらわにすることは重要である。制度を変える力にもなりうると思うが。
しかし、変な全否定をしたり、すべて陰謀なんだというのでは、「すべて合理的」というのと変わらなくなってしまいます。
原発についても、強度偽装などの疑いは濃厚です。そういう意味で隠蔽はあったと思います。だからといって、批判する側がデマを流したりするのは許される、とは決していえません。
デマを流すことで誰が不利益を被るかといえば、立場の弱い人ということになりがちだとも思えます。
~などありはしない、そうやって何でも相対化して、色々と免罪してしまう人は多いですね。おとうさんが勝手に納得して自己完結している分には結構ですが、デマはデマでしかありません。
>ルーピーさん
とりわけ、自説を補強するために、あるいは自説に不利な事実を覆すために「陰謀」が持ち出されたときは要注意でしょうね。そしてデマが流されることで、それに振り回される人もいる、昨今では政治家も世論に媚びる傾向が顕著なだけに、デマが横行すればそれに沿って政治まで動きかねない、そこで少なからぬ犠牲も生まれるわけですから。