主婦が日常生活で体を動かす活動量は、事務職の会社員に比べて2割以上も多いことが、国立健康・栄養研究所と桜美林大学の調査で分かった。
日本体力医学会の学会誌に発表する。掃除や洗濯などで、こまめに体を動かしているためとみられ、育児をしている主婦はさらに活動量が増える。きょう13日は「母の日」。データからも「家事は重労働」が裏付けられた格好だ。
同研究所の田中茂穂室長らは、上下左右などの細かな動きから、活動強度や活動量を評価する活動量計をメーカーと共同開発。専業主婦20人(平均年齢37歳)、事務職の男女31人(同42歳)に1週間装着してもらい、平均的な活動量を測定した。
1日の平均歩数は、主婦が8424歩、事務職が8288歩でほぼ同じだったが、座って安静にしている時の活動強度を1とした場合、その3倍以上の強度の活動をしている時間が、歩行時を除くと主婦は59・5分。事務職の21・9分の3倍近かった。
また、安静時の2~3倍の活動をしている時間も、歩行時を除き主婦は243・4分で事務職より99・5分多かった。
イスに座った作業や会議の活動強度は安静時の1・1~1・8倍なのに対して、掃除機かけは3倍、皿洗い1・8倍、洗濯物干しは2・3倍。主婦は比較的強度の高い活動を長い時間行うため、体を動かす1日の活動量は基礎代謝の0・7日分に相当し、事務職の0・57日分より23%多かった。
昨今の脱原発/反原発論の中には本当に酷いものが目立つわけです。原発事故直後のパニック状態の中でならまだしも、1年以上を経た今となっては脱原発論のカルトぶりに眉を顰める人も増えてきたのではないでしょうか。事故前から「マトモに」脱原発の立場を取ってきた人にとって俄に湧いて出た反原発論がどう映っているのか興味深いところでもあります。脱原発無罪とばかりに全ては原発と電力会社が悪いのだと差別発言や脅迫まがいの言動を繰り返し、平然とエセ科学を持ち上げてみせる、そうした振る舞いは一時期の熱狂を呼びこそすれ、結局は良識ある人々を遠ざけるばかりのはずです。むしろ脱原発に理解を広めたいのであれば、反原発を大義名分としたヘイトスピーチを批判し、科学的根拠に基づいてものを言う、そうやって自浄能力を発揮しなければならなかったように思います。原発や電力会社を全否定してさえいれば同志だとばかりに無批判になってしまえば、それが言論界の暴徒と化してしまうのは必然ですから。
立場が同じでありさえすれば無批判になってしまうと、しばしば「自爆」を許すことになるような気がします。否定的に見る対象が同じであっても、その批判の仕方が無理に溢れたものであれば、それを批判する人の側の名誉をも傷つけることにもなるのではないでしょうか。例えば性表現規制への反対論で考えてみると、表現規制に反対する立場からは絶対に「止めてもらいたい」ことがあります。その一つが性犯罪「認知件数」の国際比較ですね。統計上、日本の「認知件数」は主立った国と比べて少ない、とりわけ性表現規制が厳しいとされる国に比べて圧倒的に少ないため、それを根拠に性表現規制はむしろ有害と説く人もいるわけです。だが、ちょっと待って欲しい。データが信用ならないとはいえイスラム教国は軒並み日本より性犯罪の「認知件数」が少ないではないかとか、元より性犯罪を「認知」する基準が国によって違うことを見落としているなどツッコミどころには事欠きません(参考、性表現規制を語る前段階として)。にも関わらず性犯罪「認知件数」の統計上の少なさを根拠に表現規制への反対論を唱えられてしまうと、むしろ反対論に「隙」を作ってしまうだけです。それどころか「性表現規制に反対している人」=「認知件数の意味が理解できない人」と思われかねません。
例によって前振りばかりが長くなりましたが、今回引用した「家事は重労働」はどうでしょう。母の日に合わせて掲載された記事であり、家事労働の負担への理解を求める意図があってのものと推測されますけれど、内容を見ると首を傾げたくなるものばかりです。詳細はさておきトータルで見ると「主婦は比較的強度の高い活動を長い時間行うため、体を動かす1日の活動量は基礎代謝の0・7日分に相当し、事務職の0・57日分より23%多かった」そうです。でもこれ、通勤時の負担は除外されているように見えます。VDT作業で目などを痛めることもないでしょう。ましてや体力的には最も楽な部類に入る事務職との比較です。体力的な負担が事務職の2割増しと聞いて、サラリーマンの皆さんはどう思いますか? 肉体労働の人は元より、小売りや飲食の立ち仕事、そうでなくとも靴を磨り減らして客先を行脚する営業職の人から見れば、事務職の2割増しで済むなら楽なものだと、そう感じる人が多いような気がしてなりません。
まぁ、主婦は主婦で色々と大変なこともあると思いますし、ましてやパートなりフルタイムなりで仕事をしつつ、帰宅してから家事が待っているともなれば負担は相応にあることでしょう。育児負担があまりにも母親の責任に帰せられすぎているきらいもあります。ただ、ここで紹介されたデータからでは、その大変さは率直に言って理解できません。体力面では事務職の2割増しでしかない、それに加えて客先や上司からのプレッシャーもなければ通勤地獄もないとあらば、むしろ楽に見えてしまうはずです。記事の意図とは裏腹に、家事労働の負担を軽く見せかけてしまう記事とすら言えるのではないでしょうか。これが「母の日」に発表された辺り、家事=母親の役割みたいな固定観念もあって、まぁ実際問題として家事は母親が一手に担うことが多いのが現実でもあるにせよ、色々と家事の担い手側から批判されるべき点が多い記事になっているように思われます。「母親の味方」のつもりで掲載された代物でも、結局は自爆にしかなっていませんから。どんなケースでも、味方を装ってボロを出すような人はいます。自分と同じ方向を向いていても、あまりにダメなことを言い出す人には批判的に見ることが必要なのではないでしょうかね。
「専業主婦20人と事務職の男女31人」にまずひっかかります。
標本数が少ないということもありますし、片や「専業主婦」で、なぜもう片方が「事務職の男女」なのでしょうか?
単に消費熱量を比較するとしても、同一の基準で比較するなら「専業主婦」と「事務職をしつつ自宅で家事もしている主婦」とで比較するべきでしょう。「事務職の男」まで含めると、「仕事の帰りにコンビニで夕食の弁当を買って、あとは寝るだけ」な人も含まれてしまうでしょうから。
性犯罪に関しては、規制の強い国は犯罪と認定される基準も低く、網にかかる人が増える、という面があると思います。
ただ日本での性犯罪は基準は上がってはいません(むしろセクハラ認定など基準は下がっています)。それなのに性犯罪は減っています。女性の泣き寝入りにしても、昔に比べ今のほうが多いとは考えにくいですので、安全になっていることは確実と思います。
比較可能な国内の時系列変化を出して反論するのならいいのですけどね。
中学生の自由研究ならまだしも、大学が予算を使ってやる調査がこれですからねぇ。昨今は学生ばかりが「勉強しない」云々と咎められることが目立ちますけれど、むしろ非難されるべきは……と思います。就業条件を揃えた上で家事をしている人と、家族に家事を任せっきりにしている人の違いを調べるとか、とにかく条件を揃えることが基本中の基本のはずですが、世間的にはあまり気にされていないのが何とも。