社会保険庁は16日、企業が従業員の給料から厚生年金の保険料を天引きしたのに着服や手続きミスなどで国に納付しなかったケースが07年6月-08年9月で約3500件判明したと発表した。計約3億円に上る。被害者を救済する厚生年金特例法の実施状況を同日、国会に報告した。311件、2190万円だった08年7月の公表に続き2回目。総務省の第三者委員会の認定作業が進めば、さらに増えそうだ。
給与から天引きされたのに納付されなかった厚生年金保険料、すなわち会社の懐に入ってしまったお金の話です。前回調査で2190万円だったものが、半年後の調査ではなんと3億を上回るまでに至りました。今の時点では大きい金額ではありませんが、これから調査が進むにつれ激増していくことが予測されます。
まぁ着服を含め、未納、滞納は多々あります。この滞納の主体が国民の場合ですと、つまり給食費や国民健康保険料などの滞納の場合ですと、大抵は道徳的な問題に還元されてきました。モラルの低さゆえに滞納が多いのだと、そう強弁するのが一般的な論調です。「生活苦から支払い能力に欠ける人もいるが」と、わざとらしく言い訳した上で、「未納者の中には、高級車に乗っている人も~」と繋げるのが定番ですね。
かつて団塊世代が若者だった頃は、色々なものを切り詰めて、無理をしてでも車を買うのがステータスだったそうですが、時代は変わったようです。貧乏人が生活を切り詰めて、一点豪華主義で車にだけはお金をかける、昔の若者には珍しくない生活スタイルですが、今の社会でこれをやったら道徳的に断罪されるばかりです。そりゃ、車が売れなくなるわけだわ……って、違うかな?
それはさておき、「高級車に乗っている人も~」という非難は定番中の定番です。貧乏人のクセして車なんて乗ってるんじゃねぇよ、車に使う金があるなら請求されたものを払えと、そんなノリなんでしょうか。よく飽きもせず、と思います。しかるにこの決まり文句、会社経営者には使われないみたいですね。給与から天引きした保険料を納付しなかったというこのニュースは他紙でも報じられていますが、かかる不心得な未納者を指して「保険料を納付しない一方、高級車に乗っている人も~」と語る新聞社は一つもありませんでした。扱いの違いはどこから出てくるのでしょうか?
血の通った人間に対してはモラルが低下していると決めつける一方で、法制度上の人格=企業に対しては、そのモラルに期待するのが日本式なのかも知れません。日本の社会保障制度にしたってそうです。中福祉中負担なんて大嘘、極めて貧弱な社会保障しかないところを、終身雇用型の日本企業が社員とその家族を丸抱えすることで補ってきたわけです。「会社が社員を守る」「会社が頑張ってくれること」に期待するのが日本式でした(そんな時代にもあぶれた人は少なくなかったのですが、それが可視化されることはなく……)。
しかるに企業とはあくまで利潤を追求するもの、社員を家族ぐるみで抱え込むことが会社の利益にも適っていた頃ならいざ知らず、社員を使い捨てにした方が儲かるようになると、その企業が担っていた社会保障上の役割も当然のように放棄されます。それが今ですね。ところが政府与党はというと、「企業の社会的責任」などと言い出して、会社が労働者を切り捨てないことに「期待をかける」訳です。モラル溢れる日本企業なら、社会的責任を果たしてくれる、雇用を守ってくれるものと、そう考えているかのようです。
そりゃ、道義心溢れる企業なら雇用を守ろうと頑張るかも知れませんが、企業はあくまで利潤を追求するものと考えておいた方がいいのではないでしょうか。日本の企業は溶けゆく日本人とは違ってモラルに溢れているから、「社会的責任」に訴えれば雇用を守るべく努力してくれるはず、なんて考えは完全な誤りです。個人のモラルを否定してルールで縛り上げようとする一方で、法人に対してはルールを緩めるばかりで、そのモラルを信じようとするとする、やり方が逆なのです。
派遣村批判からどうも気になって色々なサイトを見聞きすると、どうも上記で書いた階級社会的な発想とアメリカに見られる個人主義が悪い意味でリミックスさせ、個人が負うべきでない責任すら負わせ負おうとする思想に毒されてるなと痛感します。これが国相手だと巷で言うところのプロ奴隷根性の正にソレなんですが。
とどのつまり、この悪循環から逃れる唯一かつ明快な手段は出来ない事は潔く認める事だと考えます。社会全体が負うべきリスクと個人が負うべきリスクの判断すら出来ないというのは、国民が主権者たる民主主義国家としてかなり拙いと言わざるを得ないでしょう。
というか、これは究極のネオリベですね。もう企業の自由意志に任せた!企業は自らを律して社会的責任を果たした!感動した!という話なんですから。そんなことが可能かどうかみんなまじめに考えようよ・・・という声もむなしい今日この頃。
>「保険料を納付しない一方、高級車に乗っている人も~」と語る新聞社は一つもありませんでした。
実際にそのような記事を書いた後で、対象の企業から広告引き上げとかの「報復」を喰らうのが怖いのかもしれませんね。
過去には、某企業の「偽装請負」を書いた某新聞社が長いこと広告引き上げを喰らってましたし・・・。
強きを助けて弱きを挫く、といった所でしょうか。
>厚生年金の保険料を天引きしたのに着服や手続きミスなどで国に納付しなかったケースが
こりゃひどい。遠い将来の自分が安定した生活を送れるようにするために我慢して払った金をぞんざいに扱うとは。
ところで企業が納付しなかったこの保険料、やっぱり内部留保に行くんでしょうか?(笑)
そうそう、内部留保を吐き出すべきだと言う管理人さんのご意見ですが、「くろねこの散歩道」というブログの以下の記事では否定的な見解のようです。
>「大企業=悪」ではなく、「労働者保護」が必要なのだが・・・
http://blog.goo.ne.jp/kuroneko0158/e/16ee9a9dd8472886e645cef007f1055d
派遣村への偽善者・サヨクの自己満足呼ばわりする姿勢から、どういうレベルの物の考え方をする人なのかは想像はつきますが。
それと、wikipediaに
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%83%A8%E7%95%99%E4%BF%9D
>また、内部留保を賃金に回すべきとの意見もあるが[2]、企業は上記のように内部留保をすでに投資活動へ活用しているため、無理に労働者や投資家へ還元しようとすれば、資金繰りに行き詰ったり、大企業などの場合は、立場の弱い中小企業に対して貸し剥がし(中小企業に対する債権の強制回収)や、デフレの深刻化といった事態を招き、かえって失業者が増える恐れがあるとする意見も一方にはある[要出典]。
などと言う記述がありましたが、この意見についてはどう思われるでしょうか。
色々なところから悪いところばっかり学んだのが日本式になりつつありますね。相手を非難するために好都合なものを寄せ集めた結果でもあるでしょうか。これが独裁者の強制ならいざ知らず、派遣村叩きに躍起になっているのは普通の国民だったり。いただけませんね。
>usopamchiさん
会社のモラルに期待できるはずがない、そもそも営利企業にモラルを求めるのが間違っているわけですが、そこを無視して企業の社会的責任云々に訴えかけるのが日本の政治ですから。ある意味、最先端ですよね。
>flagburnerさん
ならばもういっそのこと、「保険料を納付しない一方、ブルジョワ新聞に広告を載せている企業も~」とか書いてやったら面白そうですね。どうせ広告を引き上げられるなら、思い切ってガツンと!
>特命希望さん
労働者を搾取する大企業(中小企業も含まれるはずですが)への批判と労働者保護は密接に関係するわけなのですが、あたかもそれが無関係であるかのように語っている人がいるようですね。雇用主との関係を除外して、どうやって雇用の問題を解決するつもりなのか、ただ雇用主である企業を免責したいだけなのでは、と。
ちなみに内部留保ですが、人材だって投資なんですよね。本当は。そもそも「無理に労働者や投資家へ還元しようとすれば」とも書いてありますが、労働者には還元しない一方で投資家には還元しているのが実状のはずですし。可能性に過ぎないリスクを脅しに使って経営サイドを正当化しようとするのも、先日の朝日新聞の論法と同じですね。まぁwikipediaらしいとも言えますが。
それも「本当に偉い人が別の本当に偉い人を身内意識でかばっている」というのならまあ理解はできるわけですが「自称普通の人が本当に偉い人にやけに甘い」というケースも多いわけです。レベルが近い相手には嫉妬する元気があっても差がありすぎる相手にはもはや嫉妬する元気すらない、ということでしょうか。
偉い人同士でかばい合っているだけではなく、「庶民」が「偉い人」を庇おうとすらするんですよね。水戸黄門的世界観なのか、中間層は悪だがトップは自分達の味方と、そう勘違いしているのかも知れません。
一方、それを取り上げていたmixiニュースに「タクシー利用云々」という視点でコメントしたりイチャモン付けたりする「善良なる道徳家たち」の姿が散見されたことには「やっぱり日本はモラル天国だわ」と、何とも言えない気分になったものです。
素人の自己診断に頼る危うさに比べれば、「空振り」を気にしないことの方が遥かに良さそうなのですが、道徳家にしてみれば他人を抑えつける方が優先みたいですね。しかしまぁ、医者の言葉よりも道徳家の言葉の方が幅を利かすとは……
生活保護の話もそうですけど、「本当に困っている人云々」と真面目くさって話してはいますけど本当は他者に圧迫を加えるのが好きなだけなんでないの?他人が困っていることを認めたがらないだけ(つまり「自分が一番かわいそう」という思考の罠にはまっている反映)なんでないの?と考えさえしてしまいます。