非国民通信

ノーモア・コイズミ

そしてインテリは嫌い

2009-11-25 22:58:44 | ニュース

「科学技術の基盤崩壊」=予算削減に反対声明-9大学トップ(時事通信)

 科学技術予算の大幅削減を求めた政府の行政刷新会議の事業仕分けを受け、9大学の学長らが24日、東京都内で記者会見を開いた。この場で、学術・科技予算縮小に反対する共同声明を発表。「日本の大学への公的投資は経済協力開発機構(OECD)諸国中で最低水準だ。さらに削減されれば、科学技術立国の基盤の崩壊に至る」と強い危機感を訴えた。

 出席したのは東京、京都大など旧7帝大の学長と早稲田大総長、慶応大塾長の9人。国私立の有名校トップがそろって会見するのは異例だ。

 東大の浜田純一学長は「わたしたちはこれまで世界と激しく競争し、成果を還元するよう全力で努力してきた」と強調。予算削減の動きを「見過ごすことはできない」と批判した。

 慶大の清家篤塾長は「気候変動、少子化などで人類社会の持続可能性に赤信号がともる中、日本の発展だけでなく、世界に貢献しないといけない。長期的な基礎研究は非常に重要だ」と力説した。 

 何が来ようが問答無用で切り捨てるとばかりの勢いで事業仕分けが進められ、結構な喝采を浴びているとのことですが、とりわけ割を食いやすそうな業界からは当然の反論も出てきたようです。言うまでもなく大学でやっているような研究なんて、直接の経済的利益に結びつくようなものは少数派ですから、現行の仕分け基準では分が悪い、必殺仕分け人のご機嫌を取れるような回答など出せるはずもないだけに正念場です。元より日本の場合、教育と経済的な成功との関連性が薄い、下手に大学院など進学しようものなら就業機会が激減してしまうなんて事情もあるくらいですし。

 大学に限らず日本の教育予算の少なさはつとに有名ですが、教育はムダだという考え方も強いのかも知れません。学歴や学校歴はそれなりに重視されますけれど、何を学んだかまでは問われない、むしろ「学校で学んだことなど役に立たない」という感覚こそ日本の企業社会において定説化しているのではないでしょうか。「社会人」に「なる」に当たって「いつまでも学生気分ではダメだ」と良く言われるものですが、それだけアカデミックな領域は軽んじられているということです。

 個人にとって教育を受けることが経済的な成功を約束しないのはまだしも(そればっかりが目的ではないですから)、社会にとってその構成員に教育を受けさせることが経済的な成功を約束しないと考えられているとしたらどうでしょうか? つまり、国民に高度な教育を受けさせることは「国」「社会」にとってプラスになると考えられているのではなく、教育などムダだと考えられているとしたら?

 往々にして国家主義者ほど教育を軽視する傾向にあります。貧乏人は公立へ行け、中卒で働け、みたいな主張が幅を利かせ、国民の教育水準を引き上げることには全く興味がないようです。国の教育水準は彼らにとって誇らしいものではないのでしょう。国民の教育水準が上がれば、彼らの愛する日本にとってもプラスになる、そうは考えられていないわけですから(高付加価値産業向けの高等教育を受けた人材よりも単純労働向けの低賃金労働者を欲しがる辺り、カイカク論者、御用エコノミストも似たような傾向にありますし、政権交代後は民主党支持層にも似たような考えが広まりつつあります)。

 今現在、削減の危機にさらされているのは教育よりも研究色の強い部分ですけれど、根底にあるものは変わりません。「知」そのものへの尊重の欠如であり、極めて短期的な視点での「有用性」によって物事を「仕分け」仕様とする態度は、いずれ専門研究だけではなく高等教育へ、そして基礎教育へと及ばないとは限らないはずです。そうでなくとも最先端たる研究部門なくして、何のための高等教育、そして基礎教育でしょうか。高等教育の目的が単に「大卒の肩書きで就職活動するため」で終わってしまい、その先の研究者が育っていかないようであれば、まぁ日本の「知」は先細りするほかありません。

国立大運営費に厳しい指摘 事業仕分け(朝日新聞)

 来年度予算要求の無駄を洗い出す行政刷新会議の「事業仕分け」は25日、東京・市谷の国立印刷局市ケ谷センターで、後半戦2日目の作業に入った。文部科学省が所管する国立大学の運営費交付金(概算要求額1兆1707億円)については、「大学の経営改善の余地は大きい」として、「予算のあり方の見直し」を求めた。環境省が所管する地球温暖化対策の関連事業は、「廃止」の判断が相次いだ。

 国立大学の運営費交付金は文科省が増額を求めているが、仕分け人は各大学に多数の文科省OBが「天下り」していることを問題視。「経営努力が足りない」「削減努力の余地は十分ある」などと指摘した。

 どうやら「天下り」という「瑕疵」を足がかりにして削減に踏み切る構えのようです。1兆円を超える予算規模において「天下り」のために費やされるマイナス分など誤差のレベルであって大した問題とは思えないのですが、どうなんでしょうね、「天下り根絶」という錦の御旗もしくは葵の印籠があれば、何でも押し通せるですから。私に言わせれば、ちょっと虫が食ったくらいで樹木を丸ごと捨て去るような行為こそ愚の骨頂なんですけれど。

 

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7 コメント

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Unknown (ATM)
2009-11-26 13:40:41
> 国家主義者ほど教育を軽視する傾向にあります。貧乏人は公立へ行け、中卒で働け、みたいな主張が幅を利かせ、国民の教育水準を引き上げることには全く興味がないようです。

ここはちょっと違うんじゃないかと。むしろ、国家主義者とは逆になればなるほど、その傾向が強いように思います。

というか、現在、実際に科学関連予算を削りに削って諸外国から嘲笑されているのは、自民より国家主義傾向の薄い民主党ですし。
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Unknown (非国民通信管理人)
2009-11-26 22:53:16
>ATMさん

 だから「政権交代後は民主党支持層にも似たような考えが広まりつつあります」と書いてあるじゃありませんか。従来は自民党が担ってきた削減路線、教育軽視を今度は民主党が担うようになって、従来の支持層が逆転しつつあるわけですが、つい半年前までの出来事をなかったことにはしないでくださいな。
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馬鹿私立出身の自分としては・・・。 (やす)
2009-11-26 23:58:33
私立の助成金は、減らすどころか、むしろ倍以上に増やしてほしいです。
貧困な家庭では、豊かな感性も育ちません。
それなりに余裕(まさしく権利!)があって、初めて「いろいろな事ができる」んですから。(勉強も、でしょうね
従って社会人になった時に、困らないで済むんですから。
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Unknown (非国民通信管理人)
2009-11-27 00:02:53
>やすさん

 日本の学費は高いですからね。何かと精神論が幅を利かせる昨今ですが、経済的な面でこその「ゆとり」を作らなきゃ行けないはずです。
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Unknown (やす)
2009-11-27 00:19:30
>「ゆとり」
必ずしも勉強のためだけに使わせる必要もないと思うんですよね・・・。
どれだけ生活の密度を上げられるかとか、お金をどう使うか(やっぱり豊かさ?)とかそういう遊びを通じた学びとしても、いいんじゃないかと思ったりするんですけど。
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つい‥ (介護員)
2009-11-27 03:22:02
最近まで‥30年前まで‥
本を読むと‥女性が‥
腰がおもたくなる(親に)‥等と言われた女性が生きていた国ですから
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歪み (ヒイロ)
2009-11-27 21:46:56
科学技術関連予算で、天下りが絡むことがあっても、予算を削減していい理由としては弱いこと思えます。
科学技術関連予算は据え置くにしても(増額は当然ありです)、天下りを止めてその分を人やハードに投入するなら意義は感じますが、その気は相変わらずなしと受け取ります。

「2番目でないとダメなのか」と仕分け人が発言したことについては、「国が順位を持ち出してどうのこうの言うな」と感じました。研究は順位とか成果よりも仮説と検証を積み重ねることに意義があると思います。その点で違和感を覚えました。

教育に関しては、管理人様が指摘されていることを公然と言い放つ人間もいるわけで、余計に腹が立ちます。
子を持つ親はもっとそういう連中に嫌悪感持つことと、子供の人間性を肯定することを望みたいです。
結婚をしていない人間が言えた義理ではありませんが、親になったら石にかじりついてでも成し遂げたいことの一つなので書くことにしました。









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