非国民通信

ノーモア・コイズミ

選挙に行かない、という選択

2012-12-31 22:56:30 | 政治・国際

小選挙区制おかしい! 若者がツイッターで呼びかけデモ(京都民報)

 「小選挙区制おかしいぞ!」――原発ゼロや消費税増税反対、TPP参加反対など、国民の民意を反映しない総選挙結果を受け、選挙制度に意義をとなえるデモが28日、京都市内で行われました。若者有志がツイッターやフェイスブックなどのソーシャルネットワークサービスを通じて呼びかけたもので、市民50人が集まりました。

 行進前の集会で立命館大学1回生の女子学生(18)が発言し、「16歳から婚姻を認められているのに、なぜ投票はできないのか。OECDのなかで18歳選挙権がないのは日本と韓国のみ。自分なりに政治を勉強したのに、応援もできないなんておかしい」とのべ、若者の呼びかけに応じて参加した立命館大学の南野泰義国際関係学部教授は、今回の総選挙では小選挙区制で約3700万票と全体の5割以上の死票が生まれたと指摘し、「自民党は有権者の2割の得票で8割の議席を得た。多様な民意をくみ取る制度にない」と批判しました。

 参加した男性(23)は、「まわりに『自民党がいい』という人がいないのに、あれだけの議席になっているのがおかしいと思っていた」と話していました。

 

 京都市内でデモが行われたと伝えられていますけれど、参加者は僅かに50人だとか。「50人しか集まらなかった」とは、むしろ「支持されていない」ことを示す証左であるように思えないでもありません。往々にして主催者発表は何倍にも水増しして参加人数を発表するものですが、そんな小細工ではどうしようもできないほど「人が集まらなかった」デモと言えます。敢えて50人という極小人数を包み隠さずに発表する辺り、その正直ぶりは賞賛されるべきなのでしょうか。どちらかと言えば「晒し者」的な格好になっているような気がしますけれど……

 ある参加者は18歳で選挙権がないことに異議を唱えているようです。まぁ、若い世代ほど右傾化も顕著で自民党支持が強いところもあるだけに、選挙権が18歳から始まっていれば自民党の圧勝ぶりに拍車がかかったであろうと推測されます。選挙権が20歳以上からであったおかげで、若者の投票率が低かったおかげで僅かながらもブレーキがかかったと考えられないでもありません。選挙権を18歳からにすべきか20歳のまま据え置くか、むしろ逆に30歳くらいに引き上げるべきか、考え方は人ぞれぞれですが、とりあえず今回の選挙が「18歳から」でなくて良かったなと私は思っています。

 一方で「参加した男性(23)」の発言はどうなのでしょう。これまた晒し者の印象が拭えません。今さら小選挙区制のカラクリに気づいたみたいな口ぶりもアレですが、この手のデモに参加する人の交友範囲に「自民党がいい」と明言する人がいないのは自然なことですし、私の周りにだって特にいませんけれど、では他の「○○党が良い」と言い切る人がどれだけいたのやら。自民党が良いという選択の結果ではなく、他の党があまりにも酷かったから自民党が残っただけ、むしろ対抗馬となるべき政党のダメさ加減に目を向けるべきなのではないでしょうかね。放射線の影響や電力需給の問題を歪曲する人が過去の歴史を歪曲する人よりマシってことはないですから。

 なお選挙直後にも書いたように、小選挙区のおかげで圧倒的勝利を収めた党より、比例に救われた党の方が小選挙区志向が強い、比例区削減に熱心だったりしたわけです。比例定数削減を掲げてきた党が敗れて、多少なりとも中選挙区制に未練を見せる党が勝った、小選挙区制に異議を唱える人々からすればこの政権交代はどう映るのでしょうか。私も小選挙区制には良い印象がありませんし、それだけに選挙制度の問題に関しては最低最悪の民主党が野に下って、率直に良かったと感じているところですけれど。

 なお立命館大の南野教授は「自民党は有権者の2割の得票で8割の議席を得た。多様な民意をくみ取る制度にない」と批判したそうです。まぁ、小選挙区とはそういう制度ですよね。勝者総取り、とにかく選挙区内で最多得票でありさえすれば議席が取れる、往々にして過半数未満の支持で当選できてしまう制度ですから。その点で小選挙区制度を「多様な民意をくみ取る制度にない」とするのは正しいと言えます。一方、「自民党は有権者の2割の得票で8割の議席を得た」云々はいかがでしょうか。

 自民党の得票数は小選挙区で2500万、比例で1600万程度、両者の算術平均を有権者数で割れば、おおよそ「2割の得票」と言えそうです。でもこの計算ですと「投票に行かなかった人」を勘定に入れていることになります。いかがですか? 「選挙に行かない」「投票しない」ことを一つの意思表示として尊重するのであれば、それもアリでしょう。しかし選挙前は専ら、投票することが義務であり、必ずそうしなければならないのだと言わんばかりの論調が主立っていたように記憶しています。投票「しない」という選択を認めないのであれば、自民党の得票率の分母に「選挙に行かなかった人」の意思を含めるべきではありませんよね。件の教授の場合は、どういう立場なのでしょう。「2割の得票」と言うからには「選挙に行かない」ことを投票することと同列の意思表示として認めなければならないはずです。

 

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