職務経歴書の書き方で、通り一遍のアドバイスの一つとして「キャリアを通じて自分がどんなことを学んできたか~」「キャリアの中で自分がどのように会社に貢献したか~」みたいなことを書くべしというものがあります。私がキャリアを通じて学んだことといえば「社会人の常識とは、会社の数だけある」くらいですかね。ある会社で「社会人の常識」として擦り込まれることが別の会社では叱責の対象となるなんてのは、それこそ当たり前のことですから。とはいえ、この辺は採用側からすれば減点要因なのかも知れません。どの会社でも、自分のところの社内ルールこそ「社会人の常識」に沿ったものだと信じて疑わないものです。絶対に正しいと信じている、そして正しいものとして社員に教え込んでいる「社会人の常識」を、相対化して眺めるような振る舞いはある種の冒涜のようなものにもなるのでしょう。
職務経歴について、具体的なエピソードを交えて書けと言われます。サンプルを見ると、「どんな風に会社に貢献したか~」みたいな空々しい話が連ねられているわけです。自分が主導して業務改善を成し遂げた、自分の活躍で会社の業績拡大に繋がった等々、どうした華々しいエピソードが、職務経歴書のサンプルの中には事欠きません。しかし私には思われるのですが、「本当に」そんな華々しい活躍をした人は、果たしてどれだけいるのでしょうか。職務経歴書のサンプルに書かれるような「特別な」活躍をした人なんて、それこそ例外中の例外であって、「平凡な」人は「平凡な」仕事しかしていないはずです。「特に大きな問題もなく、与えられた仕事をこなしました」ぐらいの人が圧倒的多数であって、職務経歴書のサンプルのようなエピソードを持つ人など、そう滅多にいるはずがありません。実際、周りを見渡しても、そんな「特別な」活躍をした人など滅多にお目にかかれないわけで。
そういえば新卒予定の求職者の場合ですと、だいたい半分くらいの人はサークルの副部長でバイトリーダーであるなんて話も聞きます。もちろん、本当にサークルの副部長やバイトリーダーとして活躍してきた人などごく少数でしょう。ですが、その辺は採用する側が確かめようのない、簡単に自称できる世界です。自称しやすい「会社へのアピールポイント」として「サークルの副部長」と「バイトリーダー」が定番化しているのでしょう。でも自称副部長も自称バイトリーダーも、本当のところは特にアピールすることもない「平凡な」人ですよね?
就業環境は厳しくなるばかり、昨今の新入社員ともなると、それこそ数十人、下手をすれば数百人の中から選び抜かれた、正真正銘の「特別な」人であるケースも多いはずです。何十倍もの競争率がある中をくぐり抜けたからには、「平凡な」人とは違う、「特別な」逸材に違いありません。しかし、特別な逸材であるはずの新入社員への世評を見ると、どうも芳しからぬところがあります。そりゃ先行世代が後から来る世代を叩くのは人類誕生以来おそらく一度として絶えることのなかった慣習ではあるでしょう。「今時の若い者は~」「ゆとり世代は~」みたいな論調は、どれだけ時代が進んでも永遠に続いてゆくものです。しかし、今時の新入社員は数十倍の競争率の中から選び抜かれた「特別な」存在のはず、同世代の「平凡な」人とは違って先行世代のお気に召す逸材でなければおかしいはずです。それなのに世評は相変わらずのままであり、世代一般への批判が選び抜かれた存在であるはずの新入社員全般にも当てはまるとしたら、たぶん何十人、何百人の応募者の中から「特別な」一人を選んだつもりでも、実際は「平凡な」人しか選べていないと言うことなのだと思います。
採用が絞られている時期に正社員として新たに入ってくる人を見ると、よくもまぁ狭き門をくぐり抜けてきたものだと感心しないでもないのですが、しかし何十倍もの競争率を勝ち抜いてきた人であるにもかかわらず、意外に「平凡な」人だったりするわけです。採用側は「特別な」人を欲しがり、「特別な」人を選んだつもりでいるかも知れませんが、実際に集まっているのは「平凡な」人である、強いて言えば就職活動として自分をアピールする能力が「特別」であったぐらいの人しか集められていないのではないでしょうか。
実際のところは「平凡な」人で十分であるはずです。全員が「特別な」才能の持ち主であることを必要とするのは、よほど「特別な」会社だけです。たとえば社員の世代構成がピラミッド型になっているのなら、そして将来的にもピラミッド型の世代構成が続くのであれば、新人社員=後の幹部社員(もしくは役員)ということになりますから、新人社員に「特別な」存在であることを求めたくもなるでしょう。しかし、社会全体がピラミッド型の世代構成ではなくなって久しい以上、ピラミッド型の世代構成を将来的にも維持できる会社というのは例外になる、安定した会社であるほど、社員の世代構成はフラットなものになるわけです。そしてフラットな世代構成である以上、同じ世代の中でも会社の幹部となるのは一握りにしかならなくなります。幹部になるのが一握りで、他の人は「平凡な」仕事を続けるとしたら――初めから「平凡な」人を集めても良さそうなものです。求職者に誇大広告を競わせるようなやり方はエスカレートするばかりですけれど、それは完全に時代錯誤と言えます。
出してもいいと思わせる人材になれ」というのがあります。
新入社員からみても、狭き門をくぐり抜けた自分は特別な
人材であるという意識があるはずです。
しかし、その「特別な人材」であるはずの新入社員が、
内定・新卒切りされるというのは内定がもらえない人よりも
ショックが大きい気がします。
数十人の中から選ばれた「特別な一人」のはずが、その後の扱いとなると寒々しいものですよね。内定切りされずとも、実際に入社してみれば任されるのは「平凡な」仕事ですし。採用時のあの厳選ぶりは何だったのかと、そう問いたくなるような状況ばかりが待っているでしょうから。
何も変わらない。
20年前は、企業側が応募者にぺこぺこ頭を下げていたと言われる時代ですけれどね。ちょっと学歴があればホイホイ採用していた、その時代の感覚が変わっていないようであれば、今の惨状はなかったのにと思うのですが。
後で誇張がばれてもたいした問題にはならない(みんなやってるから)一方で、誇張しなければ周りより見劣りして就職できないかもしれない。
その上来年もう一度というわけにはいかないとなれば誇張せざるを得ない。
本当に疲れましたよ。
それどころか実際は「言われた仕事はキチンとこなす」ができるならかなり優秀な方だと思うんですけどね。
嘘や誇張するのも社会に出てから必要な能力だ!なんて言う人もいますけど、長ければ30年以上勤めることになるのに正直に言えないってどうなの?と疑問に思っています。
いかに上手く自分を誇張、演出できるかのコンテストみたいになりつつありますからね。求職者側に自らを飾り立てることを要求してしまっては、選考する側だって本当は困るはずではないかと思うのですが……
>HANAKOさん
そうですね、ここまで選り好みする、「特別な人」しか取らないつもりでいるのなら、特別ではない「平凡な人」の生かし方も考えなければならないはずですが――誰もが特別な人になることを求めるばかりなんですよね。
「私が習得した常識こそ世間の常識であり社会の常識である」と思って他人(特に他業種の人)に驕慢な態度を取ってしまうのは特にありふれた業種に就いている人が陥りやすいと思うのですが決してそうではないと私などは思うわけです。
えてして職場で「常識」として扱われていることも、別の会社からすればとんでもない非常識だったりするものだと思うんですよね。角界では常識として気にもされていないようなことが、明るみに出るや世間から囂々たる非難を浴びたりしますけれど、他の業種、ありふれた世界でも似たような勘違いは多々あるのでしょうね。