「EM菌」という微生物を川の水質浄化に用いる環境教育が、青森県内の学校に広がっている。普及団体は独自理論に基づく効果を主張するが、科学的には効果を疑問視する報告が多い。県は、効果を十分検証しないまま、学校に無償提供して利用を後押ししている。あいまいな効果を「事実」と教える教育に、批判の声も上がっている。
上でリンクを張った記事に関しては特に私が付け加えるべきことも無いですので、興味がありましたらリンク先から直接お読みいただければと思います。まぁ、何を今更の感もありますし相変わらず酷い記事も目立つのですが、それでも全国紙である朝日新聞(青森県内でのシェアはさておき)が、こうした露骨なエセ科学に対して重い腰を上げたのは、多少なりとも評価すべきなのかも知れません。なにしろ流行っているものには水を差さないのが大手メディアというもの、科学的な根拠がなくとも、それが「お客様」である読者に好評を以て迎えられるのであれば、放射線の脅威を煽り、その一方で「放射能に効く」みたいな類を伝聞の形で(=つまり自分に責任が及ばないような形で)世に広めようとするようなフシがありますから(特に朝日新聞出版の週刊誌は酷かったですね)。そんな中で、一記者が地方版に載せただけの記事とはいえ、多少なりとも「社会の木鐸」としての機能を果たそうとしていることは良い兆しと捉えたいです。
「汚染土東電に返す」 福島・二本松の男性 自宅庭から携え徒歩で東京へ(東京新聞)
東京電力福島第一原発の事故に抗議しようと、福島県二本松市のNPO職員関久雄さん(61)が、放射能に汚染された自宅庭の土をリュックサックに背負い、東京を目指して歩いている。東電と経済産業省の職員に手渡すつもりだ。「汚染された土を突き付け、事故の責任を明確に意識させたい」と訴えている。
「この中に含まれる放射性物質は私たちの物ではない。国と東電に返したい」
二日、宇都宮市入りした関さんは、ビニール袋に入った少量の土を手に険しい表情で語った。持ち歩いている放射線量測定器をかざすと、毎時〇・二七マイクロシーベルトを示した。
二十四時間身に付けているとすると、単純計算で、百五十五日間で一般の人の被ばく線量限度である年間一ミリシーベルトに達する計算だ。環境省と文部科学省によると、放射性物質を含んだ土の遺棄は放射性物質汚染対処特別措置法に触れる可能性があるが、携行を取り締まる法律はない。
(中略)
「原発いらない」「こどもを逃がせ」と手書きした段ボールを体にくくり付ける。それを見た通りがかりの車から、支援のクラクションが鳴る。時には、止まって「がんばってください」と言ってくれるドライバーも。出会った人たちに、福島の現状を話した。
(中略)
「土ぼこりを防ぐマスクを欠かせなくなったし、地面に座って休息することもあり得ない」と関さん。「子どもたちは外で遊ぶ機会が減り、体重が落ちている。そんな状況にあることを、汚染土を手にして痛感してほしい」と力を込めた。
一方で、相変わらず反科学一直線なのが東京新聞です。これに比べれば産経新聞の方が100倍は良識があると断言できます。そして早川由紀夫の擁護に努めるなどヘイトスピーチ容認の姿勢でも最先端に立つ東京新聞が、これまた珍妙なネタを恥ずかしげもなく掲載しているわけです。何でも「汚染土東電に返す」と息巻いているオッサンがいるとか。う~ん、安全性の確認が取れているわけでもないEM菌をばらまかれた川の水を青森県に送りつけるとかして対抗すればいいのでしょうか。あんなの、私たちの物ではありませんから。
ツッコミどころが多くて迷いますけれど、とりあえず持ち出された土からは毎時0.27マイクロシーベルトが計測されたそうです。なるべく線量が大きく出るものを選りすぐった結果がこれなら、まぁ汚染が少なくて良かった、不幸中の幸いであったと胸をなで下ろして良いように思いますが、不勉強な人にとっては違うのでしょうか。週刊ポストの計測ですけれど、花崗岩でできた国会議事堂の外壁に測定器をかざしたところ、毎時0.29マイクロシーベルトが計測されたそうです。とりあえず毎時0.27マイクロシーベルトで騒いでいる新聞社には国会に取材に行かない方がいいと忠告してあげましょう。それから、子供の国会議事堂見学を「被曝するから」という理由で中止しなければいけませんね。
東京新聞によると、「二十四時間身に付けているとすると、単純計算で、百五十五日間で一般の人の被ばく線量限度である年間一ミリシーベルト」だそうです。もちろん、原発事故後であれこの種の問題に少しでも関心がある人であれば、放射線量の「平時の」基準として「自然放射線量+年間1ミリシーベルト」以内に抑えることが求められているのはご存じかと思います。これを政府が放棄するようなら問題ですが、ともあれ無く被曝量が「年間1ミリシーベルト」を上回ったからといって何かが起こるというものではない、そんな「被曝線量限度」など存在しないことは今更言うまでもありません。何せ世界の平均被曝量は年間2.4ミリシーベルトです。年間1ミリシーベルトを限度と設定するなら、地球の大半は人の住めない死の世界になってしまいます。そんなことは当たり前のはずですけれど、あれだけ深刻な原発事故が起こってもなお全く勉強しようとしない人々がいて、そういう人が「単純計算で~被ばく線量限度」などと言い出すわけです。原発事故前ならともかく、原発事故以降にあってもなお自らの妄執にしがみつく、この不勉強ぶりは許されないでしょう。
取り上げられている自称NPOのオッサンも問題です。この人のいうことを真に受けて「福島ではマスクが欠かせない、地面に座って休息することもあり得ない」みたいな勘違いが広まるとあらば、それこそ風評被害の元、福島周辺域への偏見を駆り立て、差別を煽るものと言えます。その線量で休息ができないなら、温泉に入ってくつろぐことすら不可能になってしまうのですが、ともあれ原発事故の影響が実態とは大きくかけ離れた形に誇張して伝えられることで、福島(に限らず東北)の産品諸々を忌避しようとする動きにも繋がる、住民自身にも根拠のない不安を植え付けることに繋がるわけです。「こどもを逃がせ」云々と居丈高に主張しているようですけれど、こうした暴論に振り回されることもまた、紛れもない「被害」を生んでいるのではないでしょうか。「子どもたちは外で遊ぶ機会が減り、体重が落ちている」とのことですが、そういう状況に追いやったのは誰なのか、ありもしない健康被害を子供を持つ親に信じ込ませてきた輩に、子供をやせ衰えさせた責任がないとは言わせません。加害者は、非を認めて賠償に勤めている某企業の他にもいるのです。
脱原発を唱えるなら東京新聞のようにいつまで経っても何も学ばず誤った理解を広めようとするばかりの糞メディアとか、これまた自らの偏見を垂れ流すばかりで憎悪を掻き立てては不評被害を広めるような類の残念な人を、きっぱり批判すべきでしょう。身内のバカをほったらかしにしておけば、脱原発を説く人全体がバカだと思われますよ、と。しかるに、原発そのものには否定的でも科学的に正しくあろうとする人をこそ、御用学者だの原発推進勢力だの工作員だのと呼び、脱原発陣営から排除しようと努めてきたのだ昨今の反原発の潮流でもあります。世間的に「脱原発」陣営と認められるかどうかは、どうやら原発そのものではなく脱原発言論への態度によって分かれるようです。脱原発論の中で撒き散らされる諸々のデマや嘘を指摘すれば御用学者だの原発推進勢力だの工作員だのとレッテルを貼られるのですから。誠実であろうとすれば脱原発とは認められない、真偽は不問にして原発/放射線の「悪」と広めるのに協力しなければ脱原発論者とは認められないわけです。いま、脱原発論者として世間的に認知されているのは、良識ある人を排除した後の残存物なのでしょうね。
最後に、これまでも何度となく繰り返してきたことですが、誰かが負うべき責を抱えていたとしても、その人に対して何をしても許されることにはならないということを今一度強調しておきたいと思います。刑事事件の被告人でも、例えば光市母子殺害事件の被告人であっても、全ての人権を剥奪することが許されたわけではありません。犯罪者には何をしても許されると言い放ってはばからない人もいますけれど、問われる責は罪に応じたものであって、何か一つでも非があるからと何もかもを容認しなければならないことにはならないはずです。東京電力の場合も然りで、当然のように問われるべき責はありますけれど、だからといって東京電力に対してであれば何をしても許される、脱原発無罪ということにはなりませんし、そうなることを許してはならないでしょう。取り上げられたNPOのオッサンには光市母子殺害事件の弁護団に向けられた懲戒請求に嬉々として参加した連中と同じ心理を感じるのですけれど、自らの「正義」に酔いしれるより先にまず、自分こそが偏見を振りまき福島周辺地域に被害をもたらしているという、その責任を明確に意識すべきと言えます。
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/tohokujisin/archive/3funqa/list/CK2011111502000080.html
これは冷静な記事です。大手マスコミでは「右手のやっていることを左手が知らない」ことはよくあるそうなので、煽りたい部課と冷静な部課が同居しているということでしょうか?
自然放射線の分布マップと発癌の率がまったく相関がとれていない(年齢補正済み癌死率1位は青森県)ことがよくわかります。
世界的に見てもイタリアは日本の2~3倍の自然放射線がありますが、癌が多いという傾向はありません。世界の高自然放射線地域を見てもほとんど影響は見られません。ホルミシスも見られないようですけど。
さすがに年間200mSvにもなるラムサールなどは癌死が多く出るらしいですが、これは言ってみれば「100mSv以上は有意な差が見られる」という理論を裏付けているように思います。
年間1~2mSv程度の差をどうこういうことがいかに非科学的なことか、いい加減分かってほしいです。
それと環境省と文科省のコメントも、正確な質問をしたんですかね? この程度の「汚染」程度のものを「放射性物質を含んだ土」と認識していたのかどうか疑問です。
どうも私には誘導的な質問でコメントを取ろうとしたとしか思えないんですけど。
しかしこのNPO職員の行動は極めて奇妙な点があるのですよね。彼からすればその土は「放射能」に汚染された極めて危険なもののはずですが、それを袋に入れて自分のすぐそばに置き、なおかつわざわざ被曝する時間が長くなる方法で東京電力を目指してるのですよね。本当にそれが危険だと思ってる人がこのような行動を取るでしょうか。本気で危険度が高いと思ってるなら、仮に持ち歩くにしろより厳重に包み、被曝する時間を少なくするべく短時間で済む移動手段を取るはずです。しかも彼の言う目的は東京電力と経済産業省にそれを突きつけることにあるのですから、彼が言葉通りの目的を持って行動しているのならなおさら時間をかける必要性はないはずです。北九州市の瓦礫処理のときに小さい子どもを連れてきて盾にしていた輩がいましたが、これと同様に本当は大した危険がないと知っていながら政治的目的の達成のためにこうした手段を取ってるように見えます。もっとストレートに言ってしまうなら、道行く人に政治的なアピールをすることが本当の目的だから、わざわざ自分が主張する目的と矛盾する行動を平気で取れるのでしょうね。
【NPOについて】
http://www.furusatokaiki.net/local/1377/
【別の新聞記事】
http://web-kenpou.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-4dd3.html
(記事を書いた記者は現在福島支局員)
「エコってすばらしい(キリッ」は「お好きにどうぞ」としか言いようがないにしろ、
有難迷惑としか。
東京新聞でも中にはマトモな人もいるわけですね。決して教祖様の支配する閉ざされたカルト教団ではなく内部にも識者はいる、「その気」さえあれば放射線について学ぶこともできる環境にあるはずなのですが、そうであるにも関わらず一面には根拠に乏しい妄想だらけの記事を連発しているのですから、自ら望んで無知であり続けているとも言えます。その辺にこそ、ジャーナリズムとしての資質の欠如を感じるところです。
>毛さん
脱原発論者からあれこれ難癖を付けられているような人にも、その実は原発そのものに否定的な人は少なくないはずなんですよね。にも関わらず、反原発言論の中の誤りを指摘しただけ、放射線について分かっていることを説明しただけで脱原発論者から目の敵にされている人も少なくありません。そうした「脱原発」が行き着く先はロクなものではないと分かりそうなものですけれど、自らを省みることがない人は相変わらず他人を非難するばかりで自らを省みるつもりは皆無のようです。
>観潮楼さん
なんと言いますか、いかにもエセ科学系の「エコごっこ」の典型といった感じですね。それで得られるのは精神的な満足感だけ、むしろ昨今では子供を持つ親の不安を煽るばかりで、百害あって一利なしといった風情でしょうか。
岡山へ避難した小説家さんも東京より岡山の方が花崗岩の影響で放射線量が多いですから東京へ帰った方がいいです。
一部のアレな人たちの趣味の世界ならともかく、行政が採用する、税金を投じてまで広められるとあらば、それはまずいですよね。検証なく「公」がお墨付きを与えてしまっているわけですから。本来なら先に検証がなければならないはずなのですが、しかるに原発という「絶対悪」を前に、その反対側に置かれたものに対する検証の姿勢すらもが退けられてしまうとしたら、ますますもって危ういと感じるところです。
>nobuさん
そう言えばそうですよね。宮城や岩手のガレキなんかよりも放射線量が大きいはずのものを、首都圏に持ち込もうとしているのですから。ガレキが拡散云々というのなら、まずこれを止めさせなきゃいけません。
私からしますと自らの正義に酔いしれ叩きや晒しに走る人に対しては「そんなことして何になるのさ…」という気持ちが先立ちますが。
まぁ「正義」というのは、何らかの負い目があって反論あるいは反撃できない人や組織の、反対側に立つことを昨今では意味するのでしょうね。それはむしろ、いじめる側に近い振る舞いと言えます。
さて、昨日のデモに集まった人たち、正確に言うと「さようなら原発(今すぐに)」という人々の集まりかと思うのですが、そういった人たちにとっては「さようなら原発(電気の安定供給のめどが立ち次第)」とか「さようなら原発(時間をかけてゆっくりと)」というのはだめなのでしょうか。
あと、某有名ミュージシャン(その人の曲は個人的には好きなのですけど)の「たかが電気のためになぜ命を危険にさらさないといけないのか」発言(これもA新聞で読みました)には、「電気がないと命が危険になる人多いし…」と反発を覚えましたです。