非国民通信

ノーモア・コイズミ

プラヴダ主義経済学

2011-01-20 23:31:04 | 非国民通信社社説

 モスクワの政治集会、党宣伝員がソヴェト連邦の首都における輝かしい成果を語る。
「ゴーリキー通りには10ブロックの住宅を建設し、レーニン通りでは13ブロックも建設された。ソーコリニキ区ではなんと6つの工場が建設されたのだ!」
「宣伝員同志」と一人の労働者、「あたしはゴーリキー通りに住んでおりまして、レーニン通りを通って、毎日ソーコリニキ区へ働きに行くんですがね、新住宅も工場も見たことがない。」
 宣伝員は答えて曰く「通りをぶらぶらする暇があったら、もっとよく新聞を読みたまえ!」

 ……ってのは新聞に書かれた大本営発表やスローガンがゴリ押しされるソヴェト体制下のジョークですが、21世紀の日本だって似たようなものではないかという気がします。とりわけ経済や雇用分野では八代尚宏とか城繁幸に代表されるトンデモ系の言説が幅を利かせているところもありますが、その特徴はと言えば目の前にある現実よりも経済誌の「お約束」的なものを前提として結論が下されているところにあるわけです。経済誌における「日本の問題」とされるものへの対策を提唱する一方で、目の前で実際に起こっていることへの対策とはなり得ていない――それが日本における雇用並びに経済政策であると言えます。そこで現実を訴えようものなら、権威筋から「もっと新聞(経済誌)を読みたまえ」的に一蹴される、日本における主流はもはや新自由主義ですらないのでしょう。現実よりもプロパガンダが優先される、言うなればプラヴダ(ソ連共産党の機関誌)主義経済学、略して「プラ経」とでも呼ぶべきものが、日本の経済言論を支配しています。

 例えばホラ、一般的に「日本的雇用」として名指されているものは、限られた時代の限られた会社における男性正社員のみに見られた例外的な状態であって、決して現代の日本において一般的な雇用形態(長年働いても給料が上がらない、簡単に解雇される、残業代が支払われない等々)を指す意味では使われていないわけです。現代の日本において一般的なものではなく、あくまで例外でしかない雇用形態を指して「日本的○○」などと呼ぶとしたら、それこそ典型的なプラヴダ経済学と言えますね。目の前で実際に起こっていることではなく、経済誌上の「設定」に基づいて話を進めたがる、これでは正しい処方箋を書くことができるはずがない、日本の凋落が止まらないのも当然でしょう。

 「限られた時代の限られた会社における男性正社員」みたいな例外的存在ではなく、もっと一般的な、この社会を構成する多数派である人々に目を向ける必要があります。例えば大学生の就職難は連日のように新聞紙上を賑わしますが、その一方で大卒「未満」の就職難についてはあまり積極的に報道されていないようです。しかるに日本の大学進学率はようやく5割を超えたレベルでしかありません。これはOECD諸国では中位に属する数値でしかないですし、少子化で教育リソースが集中投下されていることを鑑みれば、日本は大学生が少ないと言えます。しかも大学に進学したからといって誰もが無事に卒業できるわけではありません。2007年の段階で大学卒業者は38.8%(OECD諸国でデータがある24国中の12位)です。4割にも満たない大卒者ではなく、6割以上を占める大卒未満の「多数派」にこそ、もっと注目すべきであるように思われます。

 それでも敢えて大学卒業者という少数派の就職難にばかり目を向け、多数派の置かれた状況から目を背けているのは、やはり「限られた時代の限られた会社における男性正社員」という例外をモデルとして語りたがるプラヴダ経済学の流儀でしょうか。まぁ、あたかも大学新卒者だけが就職難であるかのごとく扱うことで、「大学生の就職難は大学生が増えすぎたからだ」みたいな妄論を正当化しているところもあるのかも知れません。実際のところ高卒では就職できないからこそ大学に行く人も多いのですが(現に雇用情勢の悪化と反比例するかのごとく大学進学率は上昇してきた、バブル崩壊後の長期不況に入ってから日本の大学進学率は上昇に転じたわけです)、その辺の現実よりも経済誌上の定義の方が何かと幅を利かせてしまう、これが日本という国なのでしょう。

 「大学生の就職難は、大学生が中小企業に目を向けないからだ」みたいな、これまた目眩のしてくるような妄論が喧しいわけです。でも本当に中小企業に目を向けていないのは、いったいどういった人たちなのでしょうか。本当に中小企業に目を向けたことがある人であれば、年功序列型賃金体系なんて昔から例外に過ぎなかった、終身雇用もまた一時的な例外に過ぎず、今となっては解雇規制など実質的に存在しない、日本は解雇自由の国であることがわかるはずです。それが理解できず、未だに年功序列や終身雇用批判、解雇規制緩和論を唱えている人こそ、中小企業に一度たりとも目を向けたことがない人と言われるべきです。

 大卒者よりも大卒未満の人の方が多いように、大企業で働く人よりも中小企業で働く人の方が多いわけです。一部大企業において一時的に見られた例外的な雇用慣行ではなく、より一般的な多数派の就業環境にこそ目を向けなければなりません。そりゃ中小企業といってもピンキリです(大企業もピンキリですが、有名企業の内実は事前に調べられる分だけマシです)。「中小にも優良企業はある」というのは間違っていないのかも知れません。そして「中小企業は採用に積極的」というのも、統計の数値上は正しいのかも知れません。しかし、「中小で優良」な企業が「採用に積極的」かどうかは全く別の問題です。

 確かに採用に積極的な中小企業は珍しくないのでしょうし、私自身そういう企業で正社員として働いていたこともあります。では何故、採用に積極的だったのでしょうか。それは往々にして、「社員が次々と辞めていくから定期的に新人を補充しないと会社に人がいなくなってしまう」からだったりします。当たり前のことですが、社員の定着率が低い企業は採用に積極的にならざるを得ません。一方で社員の定着率が高い、安心して年金受給年齢まで働けるような会社であったなら、そうそう社員を補充する必要などないわけです。では採用に積極的な前者と、そうなる必然性のない後者、中小でも優良と呼べるのはどちらでしょうか?

 ホワイトカラーの派遣社員の場合、派遣社員と派遣会社の取り分は7:3が一般的です。そして派遣社員本人の取り分は概ね、その会社の新入社員と同じくらいになります。例えば新人の給与が21万程度の会社であったら、派遣社員の給与も21万、派遣会社の取り分は9万ぐらいです。派遣先企業が派遣社員を雇うのには、だいたいそれぐらいのコストが掛かるわけですね。そこで派遣会社のマージンが高いことを理由に、「派遣は安上がりではない、派遣に置き換えるのはコストカットのためではない」と強弁する、ちょっと頭の足りない人もいます。

 派遣が高く付くか安く付くかは会社次第なのです。額面給与は正社員と派遣社員で同じであったとしても、直接雇用であれば各種社会保険料を折半する義務がありますし、社員の通勤交通費ぐらいは会社負担が常識的です。それに加えて従業員寮や扶養手当など福利厚生の類、賞与や退職金の積み立てといった、法的に義務づけられてはいないコストも優良企業であるほど投じられているわけです。ついでに言えば、派遣社員には残業代を払っているけれど(派遣社員への不払いは取引先である派遣会社に対する不払いともなりますから)、直接雇用の社員にはサービス残業という会社も多いはずです。社員にも残業代を払い、福利厚生を充実させ、賞与と退職金を真面目に積み立てている会社にとっては、派遣会社に支払う3割のマージンなど安いものでしょう。一方、残業代は出さない、福利厚生の類はない、退職金などない、そういった会社からすれば派遣会社にマージンを支払わねばならない派遣社員は高く付くことになります。ある会社にとって派遣社員は安上がりで、別の会社にとっては高く付いたりするものなのです。そこで前者は派遣社員への置き換えに積極的であり、逆に後者は直接雇用中心だったりします。たしかに「(正社員)採用に積極的」な企業もあるわけですが、なぜ正社員採用に積極的なのか、その理由は気にかけるべきでしょう。

 他には一年中求人広告を出しているけれども採用実績のないカラ求人も、ハローワークに行けばたくさん見つかりますね。数値上の「中小企業の求人件数」を引き上げこそすれ、就職難にあえぐ学生の助けにはならない会社も無尽蔵にあるものです。あるいは、社員の「若さ」を前面に押し出している会社も往々にして採用に積極的だったりしますが、社員が若手ばかりというのは要するに「若い間しか働けない」会社ということでもあります。それでは派遣と大差ありません。たぶん「プラ経」の論者からすれば、中高年をどしどし追い出して若者に雇用機会を提供しているブラック企業こそ理想を体現する存在なのでしょうけれど、実際に働く側からすれば、いつクビにされるかわからない職場などアテにはできないわけです。不足しているのは派遣やブラック企業のように「若い間なら働ける」仕事ではなく、中年以降になっても安心して働き続けられる仕事なのですから。

 「中小にも優良企業はある」というのも「中小企業は採用に積極的」というのも、それ単独では誤っていないのかも知れません。ただし中小の優良企業が採用に積極的かと言えば、まったくそんなことはないはずです。採用に積極的なのは、採用されたとしても本人にとって決してプラスにはならないような、そんな会社であることが多いですから。統計上の就職難さえ解決できればいい、数値上の就職実績さえ積み増せればいい、就職する人自身の希望や幸せなど知ったことか、我慢しろ、わがままを許すな――そう言ってブラック企業へ人材を供給することに熱心な人が我が国の経済言論では主流派を占めているわけですけれど、その結果が失われた十数年であり、深刻化するばかりの社会的貧困であり、日本の経済的凋落だと言うことは自覚すべきだと思います。

 

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5 コメント

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ご無沙汰しています (Bill McCreary)
2011-01-21 04:21:44
いやあ、ほんとおっしゃるとおりで、いまの日本は上のスターリン・ジョークを笑えるんかい、っていうとことですね。八城とか城とかいう連中のほざいていることは、まあジョークみたいなものです。

ところで中国のGDPが日本をぬいたとかいうことですが(時間の問題でしたが)、聞くところによると、これからは日本人も海外に出稼ぎに行くことになりそうだとか何とか。昔の私は、そんなことを聞いてもあんまり現実味を持ちませんでしたが、昨今の情勢を考えると、そんな日も近いのかなという気もします。

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ご無沙汰しています (不肖の弟子)
2011-01-21 21:22:38
なかなか、投稿するに値することが思い浮かびませんでしたが、拝読は欠かさないように努めてきました。

仕事のやり方を聞いても教えてもらえず、かといって他人の真似をしたり自分で調べて取り組んだら「知ったかぶりで仕事をするな」と言う会社に勤めざるを得ないなら人生を棒に振りかねない。
だから入社しては辞めての繰り返しにならないように会社選びは慎重になるべきですが、この辺りが欠落したままの主張をする人が多いです。
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Unknown (ルーピー)
2011-01-21 21:55:08
 http://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20110121-00000114-jij-soci&s=points&o=desc
 本文とは無関係かもしれませんが。一貫性があればいいとは限りませんね。
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Unknown (ルーピー)
2011-01-21 22:01:57
こちらは本文の感想です。中小に目を向けていないどころか、自分が批判していたものの恩恵を一番受けている人たちですね。実例をいってしまいますが、JALの元社員で他人には「自己責任」を強調している人がいます。それでいて、公的資金投入大賛成でした。「年金がもらえないじゃないか」ということです。
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-01-22 21:50:47
>Bill McCrearyさん

 いったいどこの国の話をしているのかと突っ込みたくなるようなトンデモが、とりわけ経済系には多いように思うんですよね。そして世界の潮流に反して日本だけが経済的凋落を続ける中、日本企業は国内の採用抑制に励む一方で外国人採用が流行りともなっています。日本企業をリストラされた人が中韓など新興国企業に登用されるケースもあるそうですし、日本が出稼ぎ国家と化する可能性は、もはや非現実的なものではないのかも知れません。

>不肖の弟子さん

 変な会社に入って早期に退職した経歴が付くと、それだけでその後の就職に大きなハンデとなるのが現状ですからね。他人を就職「させる」立場の人間にとってはどうでも良いことなのでしょうけれど、自ら就職「する」人にとっては人生を左右させる一大事なのですから、いやはや変なことを吹き込まないでいただきたいところです。
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