調査捕鯨に中止命令=「科学研究」逸脱―日本が敗訴・国際司法裁(時事通信)
【ハーグ時事】南極海での日本の調査捕鯨は国際法違反だとして、オーストラリアが即時中止を求めて起こした訴訟の判決が31日、オランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)であった。ペテル・トムカ裁判所長は、日本の調査捕鯨は「国際捕鯨取締条約」が例外的に認める「科学的研究のための捕鯨」の範囲を逸脱していると述べ、豪州の主張を支持。合法的活動だとの日本の訴えを退け、日本に現在の形での調査捕鯨の中止を言い渡した。1987年から南極海で調査捕鯨を実施してきた日本は、捕鯨政策の大転換を迫られることになった。
裁判は一審制で、上訴はできない。判決後、日本訴訟団を率いた鶴岡公二政府代表は「判決に従う」とのコメントを発表した。日本がICJの裁判で当事国になったのは初めて。
……とまぁ、至極マトモな判決が下されたわけです。それはもう日本の行為を科学的研究だと思う人なんて、よほど頭がアレな人以外にはいないでしょう。科学的な調査ではない――と国際的に認められたからには、今後は調査捕鯨という体を表わさない呼び方も改めた方が良いように思います。もちろん税金漬けの赤字垂れ流し事業であって商行為としても成り立っていない以上は商業捕鯨と呼ぶのも似つかわしくないですし、ここは一つ「遠征捕鯨」とか「威力偵察捕鯨」とか、そういう呼称に改めれば日本人の間にも理解が浸透するのではないでしょうか。
捕鯨を日本の伝統あるいは文化だなどと主張している人が日本国内にいて、どうしてそこまで自国である日本のことに無知でいられるのか首を傾げるところです。戦後の一時期に限定的に見られた代替的な食材が「伝統」と呼ばれるのなら、脱脂粉乳だって日本の伝統になってしまいます。鯨食はせいぜいが一部地域の珍しい文化であって全国に広まったのは日本の歴史において一瞬に等しい間でしかない、もとより南極海くんだりまで遠征するのが伝統なんて言い出された日には、それこそ臍が茶を沸かす話と言うしかありません。
せめて地域の風習として細々とやっている分には伝統との言い訳も立ちそうですが、例えば2002年のIWC(国際捕鯨委員会)年次総会において日本代表団はアラスカのイヌイットに認められていた鯨の捕獲枠に断固として反対し、一時はイヌイットによる伝統的な生存捕鯨の存続が危ぶまれる事態にまで持ち込みました。言い分としては「日本に認められないものがイヌイットに認められるなど許せん」ということらしいのですけれど、こういうレベルの捕鯨にまで反対するのは日本の他にはシーシェパードくらいしか思いつきません。ともあれ日本が拘っているのはあくまで「遠征」捕鯨であって伝統的な漁民による細々とした捕鯨には、むしろ理解がないようです。
あるいは2008年のIWC中間会合でも、日本の沿岸での捕鯨を認める代わりに(自称)調査捕鯨を止めるようオランダとアルゼンチンから提案されるなんてことがありました。もちろん日本は提案を一蹴し、あくまで「遠征ありき」の立場を鮮明にしてきたわけです。ついでに同会合ではオーストラリアから「非致死的な」鯨の調査に協力する旨の申し出もあったそうですが、言うまでもなく日本は拒否しました。どうしても遙か彼方の海の果てまで遠征して鯨を殺してこなければ、日本の気は済まないと言うことのようです。こんなの、ヨソの国から理解が得られるはずもないでしょう。
民主党政権は官僚への憎悪を煽り続けてきましたが、典型的な天下り組織であるはずの鯨研に矛先が向けられることはありませんでした。どうにも日本国内ではイデオロギーありきの盲目的な捕鯨支持が目立つところですけれど、もうちょっと合理的な判断はできないものかと思いますね。税金の使い道は、ちゃんと考えられなければならないはずです。「世界から理解されない日本」と被害妄想に酔いしれるよりも、意味のある金の使い道かどうか自省する方が先でしょう。遠く離れた遙かな海で鯨(ついでにシーシェパード)と闘うロマンを追い求めるよりも、他にやるべきことはあります。
一応は「調査」と称しているからにはせめて表明だけでも「科学的」または鯨や生態系に配慮したものにすべきだと思いますがそれすらも怠ってきたのですから他の捕鯨国でも全く擁護する気にはならなかったでしょう
そもそもがイヌイットの「伝統」捕鯨にさえ断固反対したり、南極海にまで軍艦さながらの船で「調査」捕鯨を行いに行く時点で日本の言うところの捕鯨が「伝統的」でないうえにただの手前勝手なワガママに過ぎないと言うことは明らかです
昔から日本は世界のあらゆる生物を乱獲しては文字通り世界中から猛批判されていましたけれど最近もただ批判を恐れて表立った悪事をしなくなったのみでバレない様にやるようになった分よりたちが悪く思われます
どうして悪知恵ではなく相手を上手く説得するかということや生態系にダメージを与えずに持続可能な捕鯨を行うかということに知恵を回さないのでしょうか?この事は他の生物とりわけ鮪や鰻にも当てはまります
その一方で外国特に中国の乱獲や環境破壊に対する痛烈な攻撃にしろ先ほどのイヌイットの件にしろダブルスタンダードさは相変わらずの有様ですからね
そして会話を始めたとしても「外国に日本の伝統や文化が理解できるわけない」
「日本の伝統文化を“敵対勢力”から守れ」
「日本人は欧米とは違い鯨の墓まで建てたりヒゲの一本まで利用したり云々」
「捕鯨は寧ろ生態系保全に一役かっている」
「鯨を採るななんて偽善だ。そんな事言う奴は牛も豚も鶏も魚も食べるなよ」
残念ながらこの程度の言説が大半ですしね
歴史認識にしてもそうですがどうも捕鯨というものに対して日本は、あいつらにだけは負けを認めたくないと言いますか、最初から自分達に非があるにも関わらず被害者としての意識しかないものですからそのことがより問題の解決を難しくしてしまっているのではないでしょうか?
また捕鯨に異を唱える人々に対し攻撃を加える人は殆どの場合日頃は日本の伝統や食糧事情(食料自給率の低さなど)に関しては興味関心を払っていないので皮肉なものです
概ね近海で細々とやる分には諸外国の理解もありそうなものですが、どうにも被害者意識に浸りたい人々はシーシェパードなど極端な人々の活動を大きく扱いたがるようで、まぁ私がイデオロギーありきと思うのはそんなところからです。もはや目的は鯨を食べることよりも、我儘を押し通すことの方に見えてくるくらいですし。