非国民通信

ノーモア・コイズミ

こんな人でも政治家になれる辺りが、特にダメなんだと思うな

2011-03-03 22:46:36 | ニュース

“自虐”日本に驚く世界のエリートたち
――日本人の自国批判で傷つく人も(DIAMOND online)

 母校エール大学でのシニアフェローとしての任期を終え、先週からハーバード大学に移籍した。ここボストンでも、ありがたいことに刺激的な毎日である。エールでもハーバードでも、世界中から集まっている知識人と交流していると、一つだけ共通する反応がある。それは、「日本人ほど日本に厳しくて自虐的な人たちはいない」と皆がいうことだ。「自国に対して過剰なほどに自虐的な日本人」に世界の知識層たちは驚いているのだ。

 田村耕太郎という、自民党から民主党に鞍替えしたことで話題を掠った元議員がいます。自民党から民主党に乗り換えて、今度の選挙では河村や橋下の類と連携するような動きを見せたら、ある意味で日本の政治家としてはパーフェクトな経歴に思えないでもありませんが、その田村氏が果てしなく頭の悪い記事を書いています。まぁ掲載誌が掲載誌だけに生半可な頭の悪さでは驚くに値しないのですけれど、こういう子どもの作文レベルの代物が大手を振って罷り通る辺り、一面では日本の現状を象徴しているのかも知れません。 

 さて、さりげない学歴自慢で箔を付けることから「作文」は始まります。それによると「自国に対して過剰なほどに自虐的な日本人」に世界の知識層たちは驚いているそうです。いきなり「世界の知識層」と大風呂敷を広げる辺りに胡散臭さが爆発していますが、この辺は良しとしましょう。例えばまぁ、産経新聞の「溶けゆく日本人」みたいに著しく自虐的な言論が歓迎されているところもあるわけです。別に日本人の規範意識は低下していない、性道徳が乱れたりもしていない、「ゆとり世代」は先行世代より馬鹿なワケじゃない、にも関わらず自国民のモラルの低下を嘆いて止まない日本人は自虐的に振る舞っていると言えないこともないでしょう。ただ、それは厳密に言えば「自分」に厳しいのではなく「隣人」に厳しいのであって、自虐というよりは嗜虐に近いところもあります。この辺もまた大いに問題視される余地がありますが、しかるに田村耕太郎の挙げた例はというと――

 

日本人「日本政治は世界一ダメだ。総理がコロコロ変わって、だらしない」

中国人「投票できるだけましでしょう。われわれは政治家もトップも選べない。指導者層の批判なんて絶対できない」

アメリカ人「われわれは選べるけど、間違ったリーダーを選んだら4年間替えられない。この激動の時代にだよ」

韓国人「4年か。うちは5年間替えられないんだ。つい最近そのためにひどいことになった」

シンガポール人「うちはリークワンユーが建国以来31年間もやってたよ。結果はよかったけど、絶対批判できない」

アメリカ人「エジプトはムバラクが30年。いいリーダーが見つかるまでダメなリーダーを替え続けられるのは、“激動の時代”に悪くないんじゃないの?」

 まず最初に挙げられたのが政治です。日本は総理がコロコロ変わるからダメだという「日本人」に対して「世界の知識層」は「(自分の国は)リーダーを変えられない」と反論しているようです。確かにリーダーを「変えられない」ことのデメリットも存在しますが、では日本はリーダーを「変えられる」のでしょうか? 昨今では選挙を経ないリーダーの交代が相次いでいるのは日本在住者であれば当然ご理解されていると思います。日本はリーダーが「変わる」けれど、それは別に国民の意思で「変える」ことができることを意味してはいないはずです。どうにも田村耕太郎は「変わる」と「変える」の区別が付いていない、自動詞と他動詞の区別すら付けられないように見えますが、ともあれ政治家を(少なくともアメリカや韓国と同様に一定期間は)「変えられない」という点では日本も負けてはいません。その上で日本は総理がコロコロと変わるわけです。

 

日本人「日本では格差が開く一方だ」

インド人・ブラジル人・中国人・アメリカ人「はあ?スラム街ってあるの?親が子供の臓器を売ったり売春強制したりしてる?本当の貧困を見に来る?」

 次に貧困問題が挙げられています。この項目は異様に短いですが、にも関わらずツッコミどころは盛りだくさんです。まず、この作文全体に言えることですが比較対象国が限定されすぎています。田村耕太郎は「世界の知識人」と紹介していますが、そこにヨーロッパの知性は登場しません。日本を擁護する上で都合がよい(と、田村耕太郎が思い込んでいる)国しか出てこないわけです。そこで日本よりも格差が大きそうな国として上記4カ国が選りすぐられたわけですが、実態はどうでしょうか? 確かに日本よりも貧困問題が深刻な国は存在しますが、既に日本の格差はOECD諸国の平均を上回って久しいですし、その拡大も急速に進んでいます。仮に日本の「今」がインドやブラジルよりもマシであったとしても、それは「格差が開く一方」であることの反駁にはなっていません。

 そもそも日本だって売春矯正くらいはありますし、「スラム街」と呼ばれる地域が存在しないのは、単に「汚物を消毒」する手が早かっただけではないでしょうか。例えばホームレスを日の当たらないところに追いやって貧困問題を「なかったこと」にしているのもまた日本の一面です。ましてや欧米の定義ではホームレスに相当する住居を持たないネットカフェ難民なども急増中、餓死者だって今や珍しいものでは無くなりつつあります。こうした「本当の貧困」が日本に存在しないかのごとく語れるのは、その話者が自国の貧困問題から目を背けてきたという事実を証明するだけのことです。

 

日本人「新卒の内定率もとうとう7割を切ったよ」

韓国人「えっ?まだ6割以上が卒業してすぐ就職できるの?韓国は4割台だと思う。TOEIC900点でも就職できない」

中国「それ恵まれすぎだよ。中国は経済が高成長しているけど新しい大学がどんどんできて競争はますます激しい。学生は専攻も語学もすごい勉強しているけどすぐ就職できるのは3割くらいだ。だから皆世界中どこへでも出かけて行って就職を探す」

ブラジル・インド「新卒内定率って何?そんな統計できるの?若年失業率なら3割から4割の間かな?」

アメリカ「まだ7割近くがそんなことしてるの?インターンもさせずに雇うの?学生もインターンせずに会社に入るっていうのは、同棲もせずに結婚するのと同じか?」

 で、この辺も本当にどうしようもありません。この場合の「新卒の内定率」とは大卒者の場合を指しているのでしょうか(日本では大卒者の就職難ばかりが報じられ、多数派である非大卒者の就職事情は語られないものですから。ちなみに学校基本調査によると、2010年3月卒業者の就職率は60.8%と、「7割を切った」というより「6割を切りそう」と語った方が適切に思われます)。そうであるなら大学進学率が9割近い韓国と、5割程度しか大学に進学する人がいない日本との事情の違いは考慮すべきですね。大学生が多くて就職難の韓国と、大学生が少ないのに就職難の日本、同じ就職難でも評価は当然ながら変わってきます。

 そもそも新卒限定で内定率を問う意味がある国と、そうでない国があるはずです。しばしば新卒一括採用は日本の特異な採用慣行として語られるものですが、他の国はどうなのでしょうか。基本的に日本では新卒者と「社会人」経験者が競合することはありません。学校を出たばかりのヒヨッコと「社会人」経験者が同じ土俵で競い合わなければならないとしたら、それは当然のことながら「新卒の就職は厳しい」ことになりますが、日本ではまず第一に新卒者専用の採用枠を設け、新卒者だけに雇用機会を与えているわけです。しかもその新卒専用の雇用枠は中途採用の枠よりも遙かに大きい、加えて昨今では中途採用を減らして新卒採用にシフトする企業が相次いでいます。このような異常な新卒優遇の採用が行われているにも関わらず「新卒でさえ」就職難の日本と、新卒者を特別扱いすることなく他の経験者と競い合わせる国がゆえに「新卒だから」就職難の国とでは、これまた当然ながら評価は異なってしかるべきでしょう。

 ついでに言えば、新卒で就職できなかった際のリスクが日本と新卒一括採用「ではない」国とでは根本的に異なります。新卒で就職するとは限らない、別に新卒でなくても不利にはならない社会であれば、それこそ「新卒内定率って何?」ということになるのかも知れませんが、しかるに新卒を絶対的に優遇している反動として、新卒でなくなった場合の就業機会が致命的に制限される日本では、新卒で就職できるかどうかは極めて深刻な問題です。この採用慣行の違いを無視して、他の国も新卒の就職は難しいのだと言い放ったところで何の意味もありません。

 

日本人「やっぱり時代の寵児はシンガポールだね!直近も15%成長なんてすごいね。日本からも資産家が移住している」

シンガポール人「逆だろ。日本人になりたいシンガポール人の方が多いよ。日本は固有の文化があるし、四季もある。シンガポールは狭いし、常夏だし、表現の自由もないし。世界中で“明るい北朝鮮”って揶揄されていること知っているよ。規制もいっぱいで堅苦しい。リークワンユーがいなくなったらどうなるかわからない。英語の公用語化はよかった。これで世界へ脱出できる!」

 ……で、これが最後です。日本人曰く「やっぱり時代の寵児はシンガポールだね!」だそうです。今時シンガポールを時代の寵児と絶賛する日本人なんて絶滅危惧種に近い気がします。まぁ、仮に「日本人」がシンガポールの経済成長を羨んでいるとして、それに対する「シンガポール人」の反応はどうでしょう。「日本は固有の文化があるし、四季もある」とか、なにやら日本のネット愛国者みたいな台詞を語らせていますけれど、シンガポールにだって固有の文化はありますし(どこの国にだってあるものです、日本だけが特別に持っているものではありません!)、そもそも四季の有無は優劣の問題ではない、別に常夏のシンガポールに比べて四季のある日本が上位に位置するとかいった類ではないはずです。何より「日本人」はシンガポールの経済を賞賛しているのに、「シンガポール人」は経済成長については一切を無視しており、話は全くかみ合っていません。

 

 どうにも田村耕太郎が壁に向かってつぶやいた妄想にしか見えない「世界の知識層」の反応を引用してきましたが、どれ一つとして日本の現状を擁護できるものになっていないことは、ある意味で興味深いと言えます。勿論どこの国にも相応の問題はある、何一つとして問題を抱えていない理想郷は存在しませんけれど、だからといって「他の国もダメだから」と日本のダメさ加減を相殺することはできないわけです。本当に「自国に対して過剰なほどに自虐的」なのか、それとも本当に反省すべき点があるのか――その辺は上記に挙げたような無理な擁護しかできない、いかに話を作ったところで問題からは逃れられていないところから推して知るべしです。

  

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Unknown (ルーピー)
2011-03-03 23:19:08
さらに、「失業率だってダントツの低さじゃん。5%なんて、素晴らしい」なんていうのもありそうです。
 その5%に入るのが、どんな狭き門なのかを田村某は知っているのでしょうか。それとも、あえて知らないふりをして書くのか。
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-03-03 23:54:10
>ルーピーさん

 日本の失業率は、完全にガラパゴス基準での算定ですからね。「働く意欲」をハローワークに認定されないと失業率計算の分母にはなりませんし、実質的に失業していても日雇いのバイトでもすれば失業者の枠からは外されたりしますし。

 そうでなくとも社会保障の不備から「(低賃金労働でも)働かざるを得ない」人が多いわけで(例えばシングルマザーの就業率は日本がずば抜けて高い等々)、「失業手当が充実しているから、じっくり仕事を探せる」社会と、日本のような社会とでは失業率の意味も全く違ってきますしね。
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Unknown ()
2011-03-04 00:36:04
この田村耕太郎の文章を読んだときに真っ先に感じたことなのですが、日本人の発言に対する外国人の反論もまた「ウチの国のほうがダメだよ」という「自国批判(+外国である日本賛美)」になってますよね。

であるにもかかわらず、この会話の結論がどうして日本人だけが「自国に対して過剰なほどに自虐的」となるのか意味不明です。ここに登場して自国批判をする外国人は「自国に対して過剰なほどに自虐的」ではないのでしょうかね。

要するにこの文章は「外国人の自国評価と日本に対する評価は客観的で適切なものである一方、日本人の自国評価と外国に対する評価は過剰に自虐である」という前提を最初から置いたうえで書いたものと言えるでしょう。結局のところ、ただの程度の低い循環論法でしかないですよね。論理的思考というものがここには全くなく、数学の証明で仮にこんな論理展開をしたら間違いなく0点でしょう。はっきり言って、内容以前にダメダメな文章です。
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Unknown (ピンク映画好き)
2011-03-04 06:20:40
完全なつくり話なんでしょうね、田村さん。
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Unknown (頭痛の種)
2011-03-04 11:28:12
ダメなのはこういう、ダメな部分を良しとして、良い部分をダメとする輩がいる点でしょうね。

世界のどこにいても有害ですから、外国に追い出すのもなんですし。

高学歴でアホというのは、それこそ溶けゆく日本人でしょう。
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自虐的・・・ (Johann Gottlieb)
2011-03-04 15:45:04
いつも楽しく読ませていただいてます。(大昔に一度書き込ませていただいたことがあるのですが。)


引用では、他の国の人の知識人の方々、自分の国にはしっかり自虐的に聞こえません?
日本だけじゃないじゃん、って感じです。

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直視してないのは (Barguest)
2011-03-04 20:05:18
 自虐だなんだと言う前に現実にある問題を直視しなければ考えて状況が良くするなんてことはできないと思うのですが、田村耕太郎という人物は状況を良くしようとは考えていないとしか言いようが有りません。

 人権を取り巻く状況や生活保護の補足率の問題など公権力の都合でなかったことにされている問題も有るのに、実態も調べないこの手の言説に何の価値があるのでしょうか。

 問題のない国はないのかもしれませんが、問題を解決することすら放棄するようではそんな国は尊びようがありません。この人物には、自虐とか言う前にまず現実を受け止めろといいたいですね。
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下を向いて歩こう (紅葉修)
2011-03-04 20:50:51
つまるところ
「上見て暮らすな下見て暮らせ」
と仰りたいわけですね。

この人が一番自虐的であることは笑いどころでありますが、国政に携わる政治家であることは悲惨なくらい笑えない状況です。
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やれやれ・・・ (凡人69号)
2011-03-05 00:03:29
こんなレベルの人間が、アメリカで名門といわれるエールやハーバードといった大学で、「知識人でございます」という振る舞いをしているのは、ある意味日本の恥でしょう。

>自民党から民主党に乗り換えて、今度の選挙では河村や橋下の類と連携するような動き

田村という人は、今度はみんなの党と河村・橋下などを天秤にかけていそうですね(苦笑)。
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Unknown (yazakikumi)
2011-03-05 06:46:17
うさぎとかめの話のように、自分より下の国を見て安堵している間に、そうした国々に政治も経済も追い抜かれてしまうんですね。で、その後は「ソマリアやジンバブエ出身の知識人は日本の自虐に驚いている」とでも言うんでしょうね。
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