「日本人は大変な仕事しない」 吉祥寺メンチカツ社長の言い分(J-CASTニュース)
警視庁組織犯罪対策1課と武蔵野署は2007年7月25日までに、入管難民法(不法就労助長)違反などの疑いでサトウ食品社長佐藤健一容疑者(57)と息子で同社役員伸一容疑者(32)を逮捕した。調べによると、2人は共謀して05年11月頃から07年6月23日頃にかけて、不法滞在していた中国人4人を従業員として雇い入れ、東京・吉祥寺の「松坂牛専門店サトウ」や東京・赤羽の精肉工場で販売や精肉加工の業務に従事させていた疑い。
「(不法就労ということは)我々はわからなかった。捕まった人がオーバーステイだった」
「募集出したら、今日本人の子なんかで大変なこういう仕事は(しない)。電話かかってくるのはみんな、募集で来るのは中国の人なんですよ」
「彼ら(中国人)は働いているときは真面目なんですよ。日本人より何倍も真面目」
などと語っていた。弁解とも受け取れるが、一面この問題の本質ものぞかせている。
不法滞在していた外国人を雇用して、摘発されたというこの話、不法~というとその不法~によって不正に利益を得ているような印象を与えますが、この手の事件の場合、儲けているのは不法滞在の人ではなく不法滞在と知りながら雇用している側であるのがポイントでもあります。従業員云々と書いてはありますが、実際は時給1000円のアルバイトだったようで、要は重労働を薄給で請け負ってくれる人を求めた結果が今回の入管難民法違反なるものに繋がったのでしょう。
世界の中心で政策をさけぶ 外国人労働者
ただ、この会社が外国人研修生の受け入れを考えるようになったそもそものきっかけは、
日本人の若者が、就職してもすぐ辞めてしまってなかなか定着しない、また、
福利厚生や待遇のことばかり言う、といった問題に直面したことだったそうです。
日本人の労働者には仕事を任せられないから、外国人にお願いせざるをえない・・・。
信じたくはないのですが、これが現実なんだと思います。
教育やしつけといったことを再生しないと、日本で生まれて日本で生活しながら、日本で仕事にありつけない、そんな時代が来るのではないかと心配になりました。
こちらはこの前の衆議院選に出馬した某候補のブログからの引用ですが、外国人研修生を受け容れている企業の話で、これもまた上のメンチカツ屋さんの話と似たような構造があると思います。すなわち日本人と違って福利厚生や待遇のことを言わない、酷使されても辞めない、そういう人を追い求めて外国人を雇っているわけです。ただ一つ違っているのは、「研修生」という政府が用意した合法的な抜け穴を利用しているところだけですね。
外国人が「日本人と違って」福利厚生や待遇を問わない、酷使されても辞めない、大変な仕事でも真面目に取り組むとしたら、それは問わない、辞めない、ではなく、問えない、辞められない、なのではないでしょうか。公的な保護の対象から外され、外国に放り出された状態におかれている、弱い立場におかれているからこそ、待遇を問えない、大変な仕事でも必死になってやらざるを得ない、そこに雇用側がつけ込んでいるのが実情ではないでしょうか?
「(日本人の)教育やしつけといったことを再生しないと~」と、いかにも的外れなことを言う人もいるわけですが、日本人の教育や躾を「再生」してどうしようというのでしょうか? 福利厚生や待遇を口にせず、不当な労働を強いられても辞めない日本人を育てたいのでしょうか?
問題は、福利厚生や待遇を口にすることがマイナスに査定され、キツイ仕事も薄給で従事することが求められることにあるわけです。そして概ね、その要件を満たす、待遇を問わず、仕事を問わず働いてくれる人というのは、他に選択肢のない人です。ですから、雇用側にとってそんな都合のいい人を増やすためには、他に選択肢のない、行き場のない人を増やす必要がある。一連の若者叩きや外国人排斥は、そんな流れを下支えするものでもあります。
中国人なり研修生なりを雇用していた経営側は「日本人より何倍も真面目」と語りますが、決して彼らに敬意を持ってはいないと思うのです。本当に敬意があるなら、日本人よりも何倍も真面目な分だけ高い給与を払う形で報いるのが雇用関係というものでしょう? 「何倍も真面目」と言いつつ薄給で重労働を請け負う都合の良い存在として扱っている以上、結局は「黒人奴隷は白人よりもよく働く」と言っているようなものです。黒人奴隷を使ったのは黒人に対する差別心があったからで、その逆ではないのです。
「彼ら(中国人)は働いているときは真面目」という言葉に全ては集約されています。働いているとき「は」真面目、では働いていないときは違うと印象づけたいのでしょうか? 外国人排斥を訴える宗教的な右派と労働力として外国人を輸入しようとする経済右派、この両者は主張が異なるようでいて不可分でもあります。それは黒人奴隷を労働力として輸入してきた一方で、自分達の生活空間から排除しようとしたのと同じこと、「働いているときは真面目」、すなわち働く外国人は好都合な存在として、働いていないときは警戒の対象として、いずれも蔑視を背景にしつつ、依存としながらも排除しようとする、そんな思いが読み取れるのです。
いやはや、自分のためだけではなくほかの労働者のためにも、労働側は積極的に待遇改善を求めていかねばならないはずなのですが、どういうわけか待遇改善を求める動きが不当要求と同列に扱われがち、そんな社会でもあります。政治家や財界人といった「上」を変えることもさることながら、市民や労働者の側もまた変わらなければなりませんね・・・
まったくその通りだとおもいます。
ところで、私は以前「強者女性は、弱者男性を養うべきだ」と主張したところ、一部の方々から、執拗な攻撃にあったことがあります。
私の記憶が確かであれば、非国民通信さまも、攻撃側にいたと記憶しております。
しかし、今回のエントリーでは、「福利厚生や待遇を口にすることがマイナスに査定」されることはよくないと主張する。
私にはどうしても、「弱者男性が強者女性との結婚を望むことに対して「偉そうな口を利くな」と攻撃」をした人たちを肯定するあなたが、そのような主張をすることは、矛盾しているように感じるのでが、その辺はどうなのでしょうか?
う~ん、赤木さんの商業誌に掲載された御意見につきましてはボロクソに書いた記憶はありますが、「強者女性は、弱者男性を養うべきだ」という主張につきましては「攻撃」したという自覚はございません。
ただ赤木さんの仰る「強者女性」なるものが「強者」であるとはとても思えなかったこと、人並みの暮らしをしている人を「強者」と呼んで義務を課すがごとき主張に疑問を感じたことは覚えております。それはもちろん、奥谷禮子のような本物の強者に義務を果たせ、正当な取り分をよこせと主張するならば応援させていただきますが、赤木さんの標的はもっと弱い人に向かっているように思えたのですが、いかがでしょう? 喩えるならば、一日に2食しか与えられない奴隷が、一日に3食与えられている奴隷を恨むようなものではないかと。
いずれにせよ、「弱者男性が強者女性との結婚を望むことに対して「偉そうな口を利くな」と攻撃」した記事は見たことがございませんので、その点につきましては回答いたしかねます。
しかし、それだとやはりこのエントリーの論旨と矛盾するのですよ。
だって、じゃあ件の食品会社の社長は「本物の強者」なのでしょうか?
というか、「本物の強者」にしか、弱者保護の責任がないと考えるなら、件の社長自身は多分「本物の強者」ではないでしょう。
多分年収1千万を超える人間だって「自分は本物の強者ではない(もっと稼いでいる人間はいる!)」と考えるでしょうね。
だいたい、全ての雇用主が「本物の強者」なはずがありません。
「格差問題」というと、雇用側のイメージとして、経団連のような大企業社長の集まりが想起されがちですが、企業の大多数は中小企業であって、そのほとんどは大手企業のサラリーマンよりも貧しい生活を強いられているのです。
そのような状況で、雇用主だけに「労働者」という弱者保護の責任を求めるならば、当然それは不平等きわまりないものとなり、雇用主の反発も当然でしょう。
もし、私が雇用主の側に立つ人間ならば「雇用主が本物の強者とは思えない」という、あなたとまったく同じ理由立てで、「日本の若者は福利厚生や待遇のことばかり言う」から、「日本人を雇わず、中国人労働者を不正に雇用するのは正当だ!」と主張します。
結局のところ「本物の強者」という論理は、多くの強者を免責しているだけのものでしかないと、私は考えます。
そして、個人の強者をそうした論理で免責し続ける限り、法人の不当雇用を責め立てることなど、一切できないと考えています。
個人は弱者を保護しなくていいけど、法人は保護しなければならないというダブルスタンダードは通らないと考えます。
>個人は弱者を保護しなくていいけど、法人は保護しなければならないというダブルスタンダード
とりあえずこれがどうしてダブルスタンダードになるのかよく分かりません。ダブルスタンダードという言葉の意味をかなりねじ曲げているように見受けられます。少なくとも雇用側が労働者に対して責任を追うことと、同じく労働者間での責任は全く別のものであって分けて考えなければならないのが当然と考えますが。
指摘できるところはいくらでもございますが、それで赤木さんが御納得されることはないと思われますので、私からの返答はこれにて打ち切らせていただきます。これ以上に御意見がありましたら、赤木さんのブログでお願いいたします。
赤木の理屈に従うならば、“恵まれてない”赤木にも「下には下がいる」(この日本にもたくさんいるし、世界にはもっといる)わけで、赤木には彼らを助ける義務がある(ライターになる前の、今よりさらに“恵まれてない”赤木にも、当然その義務はあった)ということになりますが、赤木は何かしてる(してきた)んですかねえ?
それに赤木は、「雑誌の紙面」とか「PVの多いサイト」といった限られたパイを、彼ほどの発信力を持ちたくても持てない大量の一般人(“言論弱者”と呼んでいいでしょう)を差し置いて占有しているわけですが、そのパイを誰かに与える努力をしているのでしょうか?
結局赤木は、「ボクよりもわずかでも恵まれた部分がある(とボクが認定する)奴らは、ボクを助けろ! ただしボクは、ボクよりも恵まれてない奴らを助けなくていいけどな!」と、子供みたいな事を言ってるだけなんですよねー。
しかも、赤木がそれを言う対象は「赤木よりもやや恵まれた部分がわずかにある」ような人たちばかりで、「あらゆる部分で赤木よりも遥かに恵まれてる」人たちには、彼は何も言わない。まるで、『さえない中学生Aが、同じクラスの、Aよりちょっとだけさえてる(のではないかとAが恐れてる)中学生Bに、「いい気になるなよ」と絡む。しかし、クラスのリーダー格に対しては何も言わない』みたいな現象ですな(「いい気になるなよ」というのは、「ちょっと安定した収入があるからっていい気になるなよ、お前の収入は俺から搾取した不当な収入なのだからな」とか「ちょっと“可哀想な人”と世間から見なされてるからっていい気になるなよ、実は俺のほうがもっと可哀想なのだからな」というような赤木の態度をたとえています)。
被害者意識に酔いしれる人は多くて、まぁ赤木の場合は典型的と言いますか「自分が一番かわいそう」思考で自分とは立場の異なる弱者に対しては、むしろ企業(雇用)側の目線で切り捨てようとしているわけですよね。こういう弱者のためを装いつつ、その実は経済誌の受け売りをしているだけ、批判の矛先を立場の異なる弱者に向けて、結果的にではあれ意図的にではあれ強者を守ろうとしている、そういう論者も多いです。