非国民通信

ノーモア・コイズミ

自主性の理想と限界

2020-03-29 22:18:14 | 社会

 ここに来てコロナウィルスの感染拡大ペースが上がってしまっているところ、有名人の感染者も現れてきましたが、世間の受け止め方はどれほどのものでしょうか。巷では4月の学校再開に向けて動きつつあっただけに、ここからの爆発的な感染拡大を私は懸念していました。それを思えば今の時点で警戒気運が高まってくれた方が、結果的には良かったと思えないでもありません。

 ちなみに私の勤め先では在宅勤務や時差通勤の推奨を3月末までとしており、現時点では4月1日から従来通り一斉出社することになっています。同じような会社も多いのではないかと思われますが、月曜火曜で会社側が何をどう判断するか、ヒラの従業員としては、ただ待つことしかできません。あるいは――会社の判断に逆らって自分で判断するか、ですね。

 政府や自治体は繰り返し「自粛」を求めています。それが効くかどうかは人次第、我が社もテレワークを「原則」とするよう通達こそ出ていますが実施については各部署の判断に委ねられており、営業部門にもかかわらず出社人員を半分以下に抑えている部署もあれば、顧客対応のない部署なのに出社率100%を継続している皆勤賞サークルもあったりします。

 マネジメントは平社員の仕事になっている、そんな職場も多いのではないでしょうか。少なくとも私の所属部門では、マネジメントの役割を管理職に期待することを「他責」と呼び、最低の態度であると指導されています。業務のために何人程度を出社させる必要があるか、誰を在宅で勤務させ、誰を職場で待機させるか、リモートワークを実施する上ではこうした管理が求められますが――そのマネジメントが個々の平社員に任されているのがウチの会社です。

 会社の研修で毎回つるし上げを食らっている私としては、管理職が自身の責任で部下の出社と在宅勤務を決めていった方が良いように思うのですけれど、上長からの明確な指示はありません。ただ「自主的な判断」を期待されているだけです。「指示待ちではいけない」「自分から行動しろ」と決まり文句を言われるばかりで、具体的な業務命令は聞いた覚えがありません。

 首相や知事の発言も、会社におけるそれと似たようなものなのでしょう。「上」の人間が責任者として何かを命じる――そうした文化は日本にはないわけです。あくまで「下」の人間が自主的な判断で行動することを期待するのが日本社会なのだと言えます。非常事態が近づいていても、権力者の責任を持って強制力のある措置を執るより「自粛」という形で下々に期待するだけ、会社も政治も似たようなものです。

 経済対策として、政府は力強い対応を取ると安倍総理は主張しています。ただ、経済対策が問われるのは感染拡大が収束してからの話です。鬼が笑うようなことを語るよりも先に、感染拡大をいかに止めるかが喫緊です。後々の景気刺激策ではなく、休業補償とセットでの強制的な業務停止や移動制限の方が優先度は高くあるべきでしょう。しかるに自主性を重んじる我が国では、求められるのは「自粛」ばかりです。そうした中では自転車操業の興行団体がイベントを強行したり、頭の弱い人々が状況をわきまえずウィルスをまき散らしたりするのですね。

 重症者に絞って検査する現状の方針は、日本の医療水準からすれば「身の丈に合った」ものと言えます。ただ軽症者まで診る能力がない以上、「症状が軽くコロナウィルス感染との診断を受けていないだけの人」が町中に普通に存在していることを前提にした行動が求められます。軽症者が大人しく家で寝ていてくれれば万々歳ですが、もし満員電車で通勤を続けたとしたら?

 コロナウィルスもそうであるように、インフルエンザもまた100%の診断はできません。インフルエンザに感染していても、陽性反応を示さない人もいます。そして「(病院で診断を受けたけど)インフルじゃないから」と言い張って、会社でゲヘゲヘ言いながら皆勤を続ける人は、私の勤め先に限らず全国の職場にもいるのではないでしょうか? 検査で陽性反応が出なかったのは確かだとしても、では出勤が適切なのかどうか……

 陽性反応が出なかったからと言って、それを免罪符に満員電車に乗って通勤し、職場でゲヘゲヘやっている人は、当然ながら社会的なリスクです。こうした人を「強制的に自宅待機させる」ことができれば、同僚や同じ電車で通勤する人々の安全は守られます。しかし「上」の人が己の責任で強制的な措置を執ることを好まず、ただただ現場のヒラ社員に「自主的な行動を求める」だけであったなら、結果はどうなるでしょうか。

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