Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

春の息吹を注ぎ込む

2024-03-26 | 
ヴァ―クナーガラが終わった。その意味合いについては後記するとして、二夜目「エレクトラ」を前にして立ち寄る所もあるので、手短に忘記録としたい。

先ず準備のお勉強が充分ではなかったが、同プログラムのジルフェスタ―の「タンホイザー序曲」とNHKホールでの「ヴァルキューレ」一幕のヴィデオだけはざっと流しておいた。

前者は三拍子のシンコペーションとかそこの運び方をどうしてもこれまた日本公演も行ったミュンヘンでの「タンホイザー」制作を思い浮かべる。冒頭は聴き逃したがシマンスキー氏の解説は、それに対抗する官能の動機のその響きから死の直前までの改作との差を響として扱っていたが、それに関してはその節に全曲で調べた。今回の演奏に関しては強いて言えばその演奏が舞台上で為されるという事でのより明晰な響きということでしかないだろう。しかし全く準備を怠っていたような演奏だった。

しかし後半は、急遽最近は声変わりで男らしく本格的なヘルデンテノールへの道を歩んでいるクラウス・フローリアンフォークトの歌とミュンヘンデビューをティテュス・エンゲル指揮で成し遂げ今夏のバイロイトの話題をさらうであろうミクネヴィキュートの歌に楽団がどのように合わせるかが聴きものだった。

暮れの中継のジルフェスタ―コンツェルトと比較するとなによりもカウフマンからジークムントが変わって、より起伏に飛んだ歌がなされると同時に、その声量も圧倒的で前者と比較すると下から上までの充実した表現は日本公演のそれとは比較に為らず、更に声の明るさも失っていないので声もよく飛ぶ。

レクチャーでは、ジークリンデとジ―クムントの動機そして兄弟愛の動機がさっと紹介されたのだが、その絡みがお見事だった。なによりもフォークトが言葉を上手に綴るので共演者もそれにつられて、そしてお得意の高い音域で細かなヴィヴラートがしっとりと寄り添う。

ペトレンコ指揮でカムぺと亡くなったボートそしてオニールのペアーしか生では聴いていないのだが、今回は圧倒的な歌唱で、それにつける楽団もペトレンコのアゴーギクに動くようになった。その成果の多くはコンツェルトマイスターがダイシンからバルグレーに代わったことも大きいと思われるのだが、これで予想される2026年のザルツブルクでの復活祭は大成功したようなものである。

そして指揮のペトレンコこそが、ここにきて先頃の家庭交響曲での子供のいる生活そして夜の帳についてとても嬉しそうに語るのを観ていても、まさしくここの春を享受のその熱情を身体一杯にドラマティックに指揮をする姿に全てを表現している。

この銭の為る木と楽匠が語った一幕がこれ程に立派にそして感動的に演奏されたことは今まであまり何に違いない。歪と思われたこの公演が大きな意味を放つことになった。そしてSWRのスタッフが今晩から本格的にカメラを回す。幾らかでも復習の時間が取れるだろうか。



参照:
2024年復活祭開幕での会計 2024-03-25 | 文化一般
言葉通りの「お試し」 2024-01-01 | 音

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