日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

室生犀星の金沢 +建築家内藤廣とNコレクションをみる(Ⅱ)

2009-05-20 10:28:10 | 日々・音楽・BOOK

僕が犀星に読みふけったのはいつの頃だったのだろうか。
「幼年時代」や「性に目覚める頃」には微かな記憶があるが、犀星が東京に出た青年時代を描いた「ある少女の死まで」を読んだ記憶が無い。
「幼年時代」を読み出して感銘を受けたのは、その時代の、金沢の武士だった子の多感さだけでなく、その言葉使いや生活規律の確かさだ。この規律が日本文化を支えてきたのだと思う。それはまた70歳も間近になった僕の感じる日本文化の源流なのだ。

崔川やその畔(ほとり)の草むらに生きる虫や庭を愛して、そしてつくった自宅の庭を歩く着物姿の犀星の写真を見て、僕が中学生の頃、阿佐ヶ谷(東京杉並区)に住んでいた僕の伯父を思い出した。
荏原製作所を出て水処理の会社を興した伯父は、経営者というより俳句を詠む明治生まれの文人だった。そして後年、堀の内に建てた自宅の庭を庭師を入れてつくった。風貌もよく似ている。
二代目になったその息子僕の従兄弟は、オヤジは仕事なんてできなかった、俺がこの会社を築いたんだと笑う。

僕は室生犀星を読み返してみたくなった。24日の夜、東茶屋での懇親会でお酌をしてくれた可愛い娘を思い描きながら!

嵐の中、往くところがなくて飛び込んだ記念館。受付のおばちゃんの話だと、この記念館だけを見たくて沖縄や九州から来る人も沢山いるのだという。だがその日、風雨のせいなのか僕のいた2時間には誰も来なかった。お蔭様でのんびりとおばちゃんと話しこめた。犀星の書物では得られない側面が見えてきた。

木造だった実家を建て替えた記念館は、まあなんというか新しい手法の鉄筋コンクリート造だった。<写真 その室生犀星記念館2階>


―『追 記』―
ふと気がついた。「ふるさとは遠きにありておもふもの・・」が犀星の抒情詩だということに。

ふるさとは遠きにありておもふもの
そして悲しくうたふもの
よしやうらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
・・・・・・・

叙情小曲集に収録されたこの詩は、抒情詩として若き日の僕の心をうったが、読み返してみるとつらい詩(うた)だ。でも犀星には「ふるさと」があった。室生犀星記念館も建った。だけど僕の生まれた杉並・馬橋の長屋は空襲で焼けた。
時々思いを凝らす。僕の`ふるさと`はどこにあるのかと。




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