日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

建築は誰のものか! ―中郵関連シンポジウムを通して―

2012-04-30 13:10:37 | 建築・風景

ソメイヨシノが新緑で溢れ八重も葉桜になったが、三春の滝桜が満開になったと報じられた大型連休初日の4月28日、芝浦工大建築学科の学生への特別講義としてDOCOMOMO Japanによる芝浦工大芝浦キャンパスの大教室で一般公開シンポジウムを行った。
テーマは「都市環境におけるモダニズム建築の保存・活用の意義」。サブタイトルが<東京・大阪中央郵便局再開発事業における文化財保護のあり方>である。

パネリストは内田祥哉(東京大学名誉教授・元建築学会長)、藤岡洋保(東京工業大学教授)、大阪から來京された長山雅一(流通科学大学名誉教授)、鈴木博之(東京大学名誉教授・青山学院大学教授)、それに郵政のOBでこの会場をセッティングし学内調整をした南一誠芝浦工業大学教授と兼松で、進行役は建築家篠田義男の各氏である。

大阪中郵は解体準備が始まり、一部外壁の躯体を残しレプリカで増設した背後に超高層化させた東京中郵の足場が外れて全容が現れたことを受けての開催企画を、南教授と相談しながら行った。

南教授の、国会で文化庁が重要文化財に値すると述べた大阪と東京の二つの中郵の現状に至る経緯の報告に続いて、この二つの建築の設計を行った吉田鉄郎の郵政の中での位置づけの問いに「神様のような存在だった」と述べた内田先生の言に、「建築家`の存在に誇りを持って未来を望むことができる」とまとめを行った中での僕の一言は実感である。
藤岡教授は東京中郵のこのあり方について、歴史を継承したとは言えないと明言し、まだ建っている大阪中郵に長山教授は、各氏の論考で力を得たと述べ、手詰まり感を持っていた「大阪中郵を守る会」でできることを再考すると述べた。
鈴木教授は丸の内の航空写真に解体された建築に×を書き込んだ映像を示し、首都東京の要のこの地域の様に慨嘆とも言える口調で疑念を呈し、会場からの溜息を引き出した。

僕のタイトルは「市民活動の意義―沖縄の三つの建築と『東京中央郵便局を重要文化財にする会』を通して―」である。
沖縄の三つの建築は「旧沖縄少年会館(久茂地公民館)」、「那覇市民会館」、それに修道院を併設した「聖クララ教会」だ。那覇市民会館と聖クララ教会はDOCOMOMOで選定している。
この三つの建築の状況はブログに書き連ねているので敢えて書かないが、沖縄と中郵を重ね合わせると見えてくることを伝えておきたい。

PP(パワーポイント)を使ったシンポでの発表の最後の一項はこうである。

『考えること』
課題→建築は誰のものか
○ 建築文化と政治家、行政そして市民
○ 公共建築の課題・誰のものか・市民のために
○ 市民とモダニズム建築<聖クララ教会の事例に学ぶ建築文化>
○ 老朽化というコトバ
○ ジャーナリスト、プレス関係者の認識
○ モダニズム建築のオーセンティシティ→改修のために
○ 建築家の課題・保存し使い続けるための創造力

シンポジウムでの会場とのやり取りで浮かんできたのは『市民』であった。
しかし僕は「まとめ」で安易に「市民」という言葉を使うことに疑念を呈した。いくつかの保存活動(運動にもなった)をやってきて、市民が見えないという実感があるからだ。むろん力を得たこともある。
特記したいのがA・レーモンドの設計による「東京女子大」のOGの活動と、シンポで取り上げた「聖クララ教会」の沖縄建築士会島尻支部の建築家たちのコンサート開催活動である。

課題→建築は誰のものか!と問うた時の回答は、公共建築であっても個人のものであってもまあ「市民」のものだ!ということになるのだろうが、「市民」と言ったときに考えざるを得ないのは「市民とは誰か」という命題である。更に、「市民のものだ」と言ったときに論議を重ねなくてはいけないのは、「市民のものだ」とは何かというもう一つの課題である。
今回のシンポではそこまで踏み込めなかったのは残念だったが、「まとめ」で会場に詰め掛けた大勢の学生に向かって述べたもう一言を記しておきたい。

「建築一つ一つに物語があり、その建築の存続問題によって浮かび上がる事象は,時代を映す鏡である。ことに次代を担う君たち若い世代に、今日取り交わした論考を改めて振り返って考えてほしい」。

シンポの最後に僕を引き継いでDOCOMOMOの幹事長を担うことになった渡邉研司東海大教授が、柔らかい口調でDOCOMOMOの活動を会場に投げかけて笑いを取り、よき後継者を得たとほっとした。

陽春、あっという間に欅の葉が茂り、薫風が頬をなでる。5月5日は立夏とのこと、時の巡りは早い。

<写真 足場の取れた高層化された東京中央郵便局旧庁舎と同じく全容が見えてきた東京駅。 2012年4月24日撮影>


豊穣な近藤富枝の「きもの名人」

2012-04-21 13:37:59 | 文化考

図書館の新刊本棚の近藤富枝さんの新作「きもの名人」(河出書房新社刊)に目が留まった。東女(とんじょ)のOGから`近藤さんが「きもの(着物)」の本をお書きになったんですって`とささやかれたのを思い出したのだ。

裏表紙に素敵なきものを着た近藤さんのにこやかな笑顔のある本を手に取り、目次をめくった。
きもの好きな娘と、それを面白がる妻君はともかく、きものを着たことがなくその由縁にも疎い僕だが、この本のタイトルにもなった「きもの名人」という項に竹久夢二や花柳章太郎、白洲正子それに面識の無くもない(あるとも言えないのだが)篠田桃紅の名を見つけて思わず借り出してしまった。
そして冒頭の「はじめに」でおもわずニヤリとしてしまう。要は「色っぽい」という語句である。こういう書き方をする。

「・・・色っぽいとは媚態のことで「九鬼周造の『いきの構造』、性交を示す「大岡信の『日本の色』・・・それで色っぽいという言葉を使うたびに少々後ろめたいのだが、きもの姿の美しさはこのコトバ以上のものが無いので困る」とあり「・・やっぱり色っぽいと言わないと胸がムシャクシャしてくる」とややぶっきらぼうに書き記すのは、日本橋袋物の娘だった近藤さんのチャキチャキ江戸っ子(?)側面が伺えてうれしくなる。

この一冊をパラパラと拾い読みするつもりだった僕は、初項「色に始まる」のひとつのエピソードに触れて、うまく読み取れないながらも全編を読みくだくことになるのだ。
こうである。

「店の御先に歌舞伎座、市村座、明治座などがあって毎月切符を番頭から買わされ、母はおしゃれをして出かけ、むろん私もついて行く。そして開演中であっても飽きるとロビーを出て、足袋はだしになって走り回った。・・ある日、歌舞伎座中幕の『和蘭阿舟』という狂言、お春が捕吏に惹かれて花道を行く幕切れの姿に母がうっとりしていると、突然笑い声が客席から起こり、観ると私が首をふりふりお春に後に続いて花道を行く、母は顔から火が出るようだったと回想するが、[私は記憶なし]」。
そのぶっきらぼうな一言におてんばな、どこかに茶目っ気のある90歳の近藤富枝さんのお元気な姿が浮かび上がる。このときのおてんば娘は、男衆に送られて席に戻ったというあとがきに、豊かなその時代が写し出されるのだ。

僕はこの一文を、無念にも無くなった東京女子大旧体育館2階の暖炉のある部屋で、体育館で行われた踊りの会「旧体で踊る、舞う、翔ける!」(2007年3月3日)の後の懇親会で、近藤さんを囲む大勢の東女のOG連と一緒にお聞きした、ユーモアにとんだお話をなさる近藤富枝さんの姿を思い起こしながら書いているのである。
近藤さんは、瀬戸内寂聴さんや永井路子さんたちと共に東女の星なのだ。

自然にかもし出される豊穣なお話は、出自も含めて日本の伝統文化を支えてきた近藤さんならでのものだったと、この本を読みながらその風貌を思い起こす。
「きもの名人」の項に登場する方々は、言うまでもなく和の文化の一翼を担ってきていて(多くの方を「いた」と過去形で書かなくてはいけないのは残念なのだが)、「きもの」を通して鮮やかにその人物像を描き出す。お元気な篠田桃紅さんは99歳になられた。

竹中工務店の季刊誌「アプローチ」に毎号一言をお書になっているが、その美意識にえもいわれぬ詩情を覚える。近藤さんはその篠田桃紅さんを、お召しになる着物を通して浮かび上がらせるが、それが日本文化論になっていることに驚くのだ。
僕の親しい建築家仲間の伯母になる篠田桃紅さんの写真を撮ったことがある。故林雅子さんの建築展の折ご主人林昌二さんに招かれて会場に行ったときに、カメラを抱えていた僕は、桃紅さんを囲んでいる建築家たちから記念写真を撮って!とせがまれたのだ。

姪になる同じ姓のその親しい建築家と会うたびに桃紅さんの話になり、会いたいでしょう!といわれて「うーん!」と口ごもり、この「きもの名人」を読んで、近藤富枝さん共々、お写真を撮らせてもらいたいという思いはあるものの、少々怖気づいているのである。

岩崎淑門下によるカロローザ定期演奏会 「G.ルクーの狂気と妖気」

2012-04-14 21:10:48 | 日々・音楽・BOOK

高橋和歌のヴァイオリン、寺本沙綾香の弾くピアノによるギョーム・ルクーの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタト長調」を聴き始めた。奇妙なことに次第にただならぬ気配に取り囲まれていくような感覚に囚われる。同じ主題が全楽章に奏される循環形式だからなのだろう。執拗に主題を繰り返し、のめるように弾く高橋の弓に狂気を覚えたのだ。

第一楽章は高橋の狂気を寺本が淡々としたタッチで支える。第二楽章になると、繊細ではあってもやさしさに満ちた寺本のピアノが支配する。ルクーの故郷であるワロン地方の素朴な民謡が主題を支えるが、さまよう高橋和歌のヴァイオリンとあわせて聴くと、寺本のピアノの音色があまりにも穏やかで明るく、だからこそ異様な妖気が漂ったのだ。そして狂気と妖気が混ざり合った圧倒的な演奏に、灘ならぬものに触れてしまったという余韻を残して最終楽章がおわる。

ルクーという作曲家の音楽を初めて聴き、この曲を選んで演奏した二人の音楽家の想いはなんだったのだろうと問いたくなった。

暴風雨に見舞われた4月3日の夜、傘をお猪口にしながらたどり着いた会場は、東京オペラシティリサイタルホール。ピアニスト岩崎淑さんに師事した音楽家たちが室内楽を演奏するカロローザの定期演奏会、今回で30年経ち、49回を向かえた音楽会の一齣である。

1870年に生まれたベルギーの作曲家ギョーム・ルクーは、著名なバイオリニスト・イザイの依頼によってこの曲を作曲し、初演の後一年に満たない1894年に24歳でこの世を去る。
ルクーはフランクに師事したというが、この19世紀末はスーラー、ピサロなどの新印象派からゴーギャン、ゴッホ、セザンヌなどの後期印象派へそしてアールヌーボーへと変遷していく時代、日本は明治時代の中期だった。ルクーがこの曲をつくってからちょうど120年になる。120年前の曲に僕の心が突き動かされている。
「音楽」。時を超えた不思議世界の出来事だった。


KATAGAMI Style 展  ・ `世界が恋した日本のデザイン`

2012-04-07 21:50:40 | 日々・音楽・BOOK

美術評論家Sさんからの急な電話に誘われて、三菱一号館で4月6日から開催されるKATAGAMI Style 展のプレス発表会に出向いた。KATAGAMIつまり「型紙」とは何ぞやという予備知識もイメージもないまま拝観したが、思いがけず、なんとも面白かった。

副題は「世界が恋した日本のデザイン」。
8月に巡回する三重県立美術館のチラシの副題のその副題は「もうひとつのジャポニスム」である。更に本展の案内チラシや丸の内アート・ジャーナルという情報パンフレットに記載された解説文の小見出しを見ると、この展覧会の概要が見えてくる。

「ジャポニスムと日本の染め`型紙`の素敵な関係」 「ブシュロン、ティファニー、ラリック・・型紙に魅了された芸術家たち」 「型紙から`KATAGAMI`へ 欧米にもたらされた新しい風」数百年続く日本の伝統の技、とあって 「19世紀の世界を魅了した型紙とは?」の欄には 《纏麻地源氏青海波模様素襖上下》 と題した19世紀(江戸時代)の国立能楽堂に収録されている装束の写真が掲載されている。

「生涯をかけて究める職人技」 「100年の時を超えた現代によみがえる`KATAGAMI`の美」の二項には、「最近の着物ブームで再び注目されている粋な文様にも、出会えるかもしれない、来館を誘い、19世紀末から100年余り経った現在、欧米では再び日本の伝統文様が注目されている」として現在を見据えているのだ。

世界中の伝統的な文様を復元して保存する、アーカイブスを有しているカーペットのメーカープリストン社からのメッセージが記載されている。
「型紙コレクションから生まれるモダンな美」というものだ。

建築家たちが目を剝くマッキントッシュの家具が展示され、ガレやドームのランプがあってそれがティファニーと関係があったり、見事なルネ・ラリックのチョーカーなどなどが、型紙というモチーフで捉えられていて好奇心が刺激される。
ちょっと驚いたのはミュッシャの《サラベルナール賛》というポスターだ。  
ミュッシャと型紙?とは?なのだが、この展覧会は「型紙」という視点で、19世紀後半の西欧と日本の江戸時代から明治の美術界を見直し、そして21世紀になった現在に型紙を通してそれを問うたキュレータの心意気を味わうものなのだ。

「もうひとつのジャポニスム」とは言い得て妙である。

拝観後Sさんと一号館の中庭に目をやり、カフェでケーキを突っつきコーヒーを飲みながらお互いのいい年になっても湧き上がる好奇心を称えながらの四方山話、風はあるが穏やかな日差しに満ちた開催前日5日の午後、こういうひと時のあることもまた楽しい。

<写真 許可を得て撮影>

春風を運ぶロマンスカーの朝

2012-04-01 21:04:31 | 添景・点々

友人の一言に促されてタイトルを変えた。
桜が開花したと思ったらあっという間に満開である。車窓から移り行く桜並木をボーっと観ていたら町田から乗った女の子が`失礼します`と頭を下げてそっと隣の席に腰を下ろした。ほんのりといい気持ちになってうつらうつらしていたら、すみませんとささやくような声、解けた僕のマフラーの端をお尻で押さえてしまったという。いや悪いのは僕ですからと詫びて「春休みなの?」ときいた。ええ!とためらいがちに口篭ったが、これから仕事なのですときっぱりと述べる。高校生のアルバイトではなくて社会人なのだ。
春風が運んできた朝の一齣である。<4月7日追記>


「桜が一輪咲いたよ」と団地の草取りから戻ってきた妻君がいう。
昨日は風が吹き、雨が降って冬に舞い戻ったような気がしたが、今朝は穏やかな晴天になり、いつもは目が覚めるとスイッチを入れる暖房を点けなかった。バルコニーに出るとひんやりとしたが、見下ろす桜の枝が蕾で靄っている。
お昼は軽めにと、太くてこしの強い徳島の半田手延べ`オカベの麺`を茹で(ゆで)味わったが、少し固かったかしらという妻君にこれでいいという。長い連れ合い、彼女は僕の好みをよく知っているのだ。
一緒に買い物に出かけた。空気が日差しで温まったのか穏やかな春の風だ。一輪の桜花が誇らしげに咲いている。4月の1日、海老名にも春がきたのだ。

本稿で小田急線ロマンスカー通勤を記したら、Iさんから苦笑している顔の浮かぶコメントを頂き思わずニヤリとした。
「ロマンスカーでは日本の小母さんパワーに参っておりました。午前便の湯本行きに乗りますと、グループの中高年の女性方一斉に食べ物を出して賑やかになります。僅かな時間でどうしてあのように食べるのか全く不思議です」というものだ。新宿に着くと成る程と納得するコメントだ。

春休みなのだ。
本厚木からの8時50分発のロマンスカーは通勤電車だが、つい数日前から同乗する小さな子ども連れの家族が多くなった。小さいお子様もお一人のお席が必要ですと車内放送があったりするが、小さな子ども二人を一席に座らせる家族がいる。でも車掌は(人に迷惑を掛けなければと)黙認、窓際の席を取った町田からの乗客がその窓際の席で二人掛けをして表を見て楽しんでいる子どもに、いいよ!そこにいてもと声を掛けたりしている。

野の花が咲き誇り、白梅が満開になった風景を見ている僕の後ろの席から、母親とこどものやり取りが聞こえてくる。ほら!お花よ、とかおうち(家)がいっぱいね、とか赤い屋根のお家とか、母親のコトバを回らない口で女の子が繰り返す。良いとこの親子と思われる口ぶり、降りるとき振り返ったらマスクをしたお母さんとその子、普通?の親子だった。

新宿のロマンスカープラットホームに到着。乗るロマンスカーを待つ徒党を組んだ小母さん連で一杯だ。これから箱根への観光、シートをぐるっとまわして向かい合い、食べ物を出してもぐもぐとやりながら、賑やかなおしゃべりが始まるのだろう。楽しそうだが雑駁、小母さんたちの笑声が聞こえてきて、もごもごと呟きしかめっ面をするIさんの顔がみえるようだ。

ホームは家族連れの子どもたちも一杯だ。僕の乗ってきたブルーのMSE(60000形)の先頭に集ってデジカメや、携帯電話を構えて記念写真を撮る。2012年春の朝、10時少し前の日本の一齣である。
それを面白がってブログに載せようと写真を撮る僕がいる。