日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

野菜カレーの聖地・プレスカフェへ

2015-11-29 10:43:28 | 建築・風景
小樽のプレスカフェは、やはりプレスカフェだ。 ターマス(マスターを僕たちはこういう言い方をする)稲葉さんの何年たっても変わらない「ヤア!」という笑顔。1年振りなのに、来るたびに「俺は常連だ」 と言いたくなる。だからなんとか日程をやりくりしてでも訪ねる。 moroさんは何時ものようにインドネシアという。マンデリンだ。今年の僕はちょっと考えてモカにした。妻君が何時ものマンデリンと共にモカを買ってきたので、味比べをしてみようと思ったが、無論ターマスの容れるモカは一味も二味も違う。 こんなことを聴くことになった。店を開くときに、これは旨いというカレーを見つけ出し、レピシを見てその通りにつくったら絶品、これならプロとしてもいける!と思ったが、一度に大量につくったら味わいが変わり、これは駄目だと思った。そして自分の味を出すための試行錯誤を繰り返す。年に一度とは言え、かれこれ十年通って初めて聞いたプロの世界。 ところでメインディシュ。moroさんが野菜カレーというものだから、僕も!と頼んだ。プレスカフェの売り!だというが、moroさんは何時も特別メニューを頼んでくれるので味わうのは実は初めて!絶品。絶品というコトバは、こういうときに使うのだと思ったものだ。 <写真 右下ターマス 中央下moroさん>
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U.N.C.L.E`ナポレオン・ソロ`―LaLaport EBINA―御殿場プレミアムアウトレット

2015-11-23 16:36:43 | 日々・音楽・BOOK

J-WAVEの、映画007の特集を聴き流しながら、この3連休の私事を箇条書き的に書き留めて置くことにした。
今日は曇天、冷たくなった風に桜の木々から枯葉が舞い落ちている。棟と棟との間に掛け渡した電線に十数羽の雀が留まっていて、一羽が飛び立つと数羽が追いかけるように飛び立つ晩秋のひと時だ。

一昨21日(土)、妻君は都内から来る娘と海老名駅で1時に待ち合わせ、新しくできた「LaLaport EBINA」の見学、僕は診療所に立ち寄って薬をもらって合流することにした。
ところが予測していたとは言え待合室が立待ちの人で溢れんばかり、受付で診療代を払う人(患者)が立ち上がって空いた席にすばやく腰掛ける。年の功、許されるだろうと勝手に解釈して、持参した文庫本原の「さらば長き眠り」を読みふける。
そして2時間、十数年前に読んだはずのこの複雑なストーリーに好奇心が刺激され、探偵沢崎の理念!に共感しながら読み終わったところで名を呼ばれた。ドンぴしゃりだ。
何時もの血圧の薬のほかに、何をやってもなかなか痛みの引かない右脚のために、痛み止めの薬ロキソニンを頼み込んで拝受。携帯で妻君とやり取りしてLaLaportに向かった。

その夜は妻君、娘と共に映画、THE MAN FROM「U.N.C.L.E」` ナポレオン・ソロ`だ。
映画としても絶品!喝采を送りたい。

さて昨日。晴天。富士霊園に!お墓参り。
富士スピードウェイでレースが行われているようで、交差点には交通整理の警官が待機している。車の轟音とレースを誘導している男の声が微かに流れてくる。父と母の霊の眠るお墓に手を合わせる。紅葉を愛でて記念写真を撮り、「二の岡フーズ」へ立ち寄ってハムなどをゲットして「御殿場プレミアムアウトレット」へ。

帽子売り場の若者に声をかけられ、妻君と娘がいいんじゃない!というものだから一つをゲット。若きおっちゃんと「アンガト!」と笑顔を取り交わす。
妻君と娘の目的は「ADIDAS」である。
娘の選んだ色彩豊かな靴(奇態な色の組み合わせズック!)に驚嘆!わが娘を改めて面白い子だと思ったものだ。妻君もまた!同じ。足の具合がよくなくて革靴を履き難い僕の愛用のズックは「ニューバランス」だが、アディダスもいいよと言うものだから試し履きをし、とてもいいので一足ゲット。若き男性店員のにこやかで丁寧な振る舞いに流石!と思ったりもした。

昼食はごった返した大食堂でうどんを食べる。意外と旨い。こういうところへ来ると、人でごった返しているのも悪くないと思ったりもしたものだ。そしてやはり時折聴こえてくる中国語!新宿の僕のオフィスへ通う道が、1年前ほどにはコーリアンストリートといいたくなり、今ではチャイニーズストリートと密かに名付けたことを思い出した。
  
そしてこの日の晩酌は、北海道の女性建築研究者が送ってくれた「国稀」。開封して娘と乾杯!旨い。娘と酌み交わすお酒は倍旨いのである。

そしてつい先程、若き日の僕に建築の先輩として現場で指導をしてくれ、以来50数年に渡る長い年月を家族ともどもお付き合いをしてきた友人の訃報が子息からもたらされた。瞑目するのみである。

<写真 富士霊園に向かう道>
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山陰建築小紀行(4)菊竹清訓の島根県立美術館にて

2015-11-19 17:01:53 | 建築・風景

5年前になる2010年12月、故郷米子に戻った建築家来間直樹に招聘されて、米子公会堂(村野藤吾の設計)の保存のためのシンポジウムに参加した僕は、米子から出雲までの、菊竹や槇文彦の建築を来間に案内して貰った。ところがなぜか、来間は恩師菊竹清訓の島根県立美術館を素通りしてしまう。

彼はそれが気になっていたようで、珈琲でも飲んでいきましょうか!と何も言わせないまま駐車場に車を止める。
そして宍道湖に添って伸びやかな姿を見せる菊竹晩年の作品に誘い込む。写真で見知ってはいるがその伸びやかな空間とともに何よりも穏やかな宍道湖の姿に僕は身を浸した。出雲大社庁の舎や、松江の図書館などとは趣の異なるこの建築は、菊竹晩年の心境を表しているようでふと考え込む。

菊竹は仕事に関しては厳しい人だったと菊竹の所員から聞き及んでいるが、僕が出会ったときは、にこやかで穏やかな風貌、来間は、先生はひと(他人)には優しいのですよというが、そこには師を慕う彼の心情がにじみ出ていて心打たれる。
彼はこの美術館の建つ前に退所して山陰に戻ったが、もう少し居続けたらこの建築の担当をさせてもらったかもしれないと残念がった。

ところで、ロゴデザインと色彩計画は田中一光とのこと、JIAのイベントで田中一光氏の講演を聞いたときに、僕は「一光」というお名前は本名ですか?と馬鹿な質問をしたことを(どこかに記載した)思い出したりしたものだ。

さてこの美術館の閉館は、その日の日没時間の30分後、と伝えられているものの、この日の日没は17時29分、閉館は18時30分と掲示されていて、オヤ!違うじゃないかと思ったりもしたものだ。
秋が過ぎていくと落日が早くなるからだろう。
そして想う。
何時の日かここを再訪し、湖畔の先に沈む真っ赤な陽に向かって瞑目したい。<文中敬称略>
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山陰建築小紀行(3) 出雲大社庁の舎と学生の計画案:想いを込めて追記・結界

2015-11-13 17:18:17 | 建築・風景
建築家菊竹清則は、山陰にいくつもの建築を建てた。そのどれもがその時代を象徴、先き掛けした形態と構法で、現在でも僕たちを魅了し続け、建築とは或いは建築家とは何者か!と問いかけている。

その一つ「出雲大社庁の舎」は1963年(昭和38年)に、工場で作られたPC(precast concrete:プレキャスト・コンクリート)を主体として建てられ時代を揺り動かした建築である。
2003年、DOCOMOMO100選を選定したのを機に、テーマと登場者の異なる3件のシンポジウムを行った。その一つ菊竹清則、林昌二、槇文彦という建築界の大御所を招いて各々の建築題材とした建築談議を行った。菊竹は、「出雲大社庁の舎」を事例として取り上げ、いずれ木造として建て変えたいと述べ、一瞬会場が溜息ともいえる空気に揺らいだ。

3人のパネルストの方々が一通り講話をし、休憩した後のやり取りで、進行役を担った新建築社の編集長(当時)大森晃彦から会場に「質問のある方!」と問いかけたが誰も手を上げなかった。困惑した大森は最前列にいた僕を名指して質問をと言われ、休憩時間に楽屋で、槇が「菊竹さん、出雲の庁の舎を壊したら駄目ですよ!」と述べたことを伝えて改めてどうでしょうか!と問うた。

その様は何年を経ても忘れ難く、むしろ(いまでは)質問した僕自身への問い掛けのような気がしているが、その時の菊竹はじっと瞑目しながらなかなか口を開かず、会場がざわめき始めたころ、やおら出雲の草原と稲穂が風になびくさまを語り始めて大社庁の舎には触れなかった。
しかし12年を経た今では、その菊竹の出雲への想いが理解できるような気がする。
菊竹は、太古の出雲を心に秘めて、さりげなく僕たちに稲穂と大社庁の舎の姿・存在を伝えていたのではないだろうか。

出雲大社には僕には忘れえないもう一つのエピソードがある。
数日前、札幌の諸澤さんに案内していただいて紋別への行き帰りの車中で建築談義を取り交わした時の一言。彼が高専の教師をしていた時に、学生の設計課題講評に招かれた僕が、極めて印象深く心に留まっている一つ、出雲大社参道のど真ん中に構築された庁の舎の計画案である。
 参道の真ん中を掘り下げて上り下りの階段を設け、屋根を木造による巨大な切妻とするその空間は、菊竹の庁の舎と重なり合って出雲大社への想いが伝わってくる。教師だった諸澤さんにとっても、忘れ難い教え子の提案だったようだ。

僕は密かにその学生の計画案を思い起こしていた。大樹の連なる参道を歩きながら、建ててみたたいものだと思ったりもしていた。

―追記―(20151118) この計画案の課題は、各自が気になる日本のモダニズム建築を選びだし、現地を訪れることのないままにその建築の資料を収集してイメージを膨らませて構築させるものだった。この学生は菊竹建築を視野に入れながらも、なぜこのような提案をしたのだろうかと十数年を経た今気になってきた。若き彼は言葉ではうまく表現できなかったようだが、遥かなる出雲大社を思い起こしながら「結界」を構築しようとしたのではないだろうか。

改めて一言。山陰と北海道が僕の内で繋がる。不思議なものだ! <文中敬称略あり>

<写真 左手が庁の舎>
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秋日和の北海道へ

2015-11-05 22:10:51 | 建築・風景

時の経つのが余りにも早い。
書き始めたばかりの「山陰建築小紀行」記述をほんのちょっと中断して、明日から北海道へ!
明日の夜は札幌の建築家圓山彬雄、倉本龍彦、上遠野克各氏と軽く、いや、重く!一杯。TVでは大通り公園の雪囲いの作業が始まったと報道された。ちょっと寒そうだ。
土、日はmoroさんとオホーツクへ!いつものように建築紀行である。
その帰札8日の夜は、小樽のプレスカフェへ!1年ぶりの表敬訪問?いやなんとも味わい深いマンデリンを楽しむのだ。
そして9日、札幌市大の建築学科羽深久夫教授の院生に、建築ジャーナル誌に連載している「建築家模様」に登場していただいた北海道の建築家を題材にしての講義、いやこれからの建築界を担う若者との建築談話を楽しむことになる。
山陰建築紀行の余韻のあるままに!

<写真 札幌の上遠野邸:2008年10月26日撮影>
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山陰建築小紀行(2) 出雲大社へ

2015-11-01 14:30:10 | 建築・風景

出雲大社については、ささやかながら忘れ得ない思い出がある。
明治大学で学んだ学生時代、建築学科を創設し学科長を担った堀口捨巳教授が膨大な資料を抱えて登壇し、朴訥な福井なまりをちりばめながら淡々と講義をしてくださった出雲大社本殿論考である。
歴史の研究者の様々な姿の古代・創建時の出雲大社の姿を紹介し、その中でひときわ高い登壇のための壮大な階段の姿を訥々と述べるロマンに満ち満ちたその姿。そして時間が来ると、では!と余韻に浸って居る僕達を置き去りにしてさっといなくなった四十数年前にもなる一齣だ。

そしてふと想い起こしたのは、発掘調査をしたら、見事に太い柱群が発掘され、堀口フアンだった僕は、この社殿は堀口先生の論考が正解だったのではないかと想ったものだ!

その出雲大社の御祭神は「だいこくさま」と親しまれている大國主の尊。本殿の創設は1744年との事で271年前になる。
  
米子空港からバスで米子駅へ、駅のチケット売り場の担当者と出雲行きの相談をした。ヒヤリングする出雲の建築家亀谷清さんとの約束は夜の7時、たっぷりと時間があるがうまい時間にある特急に乗ることにした。指定席もあるが観光シーズンなのでどうだろうか?と相談すると、自由席で十分との事で乗ってみたら、2車両しかない自由席は一人の老人しかいなかった。我を思い、こりゃ老人車両かと苦笑する。

そんな思惑はなんのその、列車は猛烈なスピードで右手に中海を見、あの滑稽な安来節の安来か!と想うまもなく安来駅を通り抜けて松江を過ぎ、ちらりちらりと宍道湖を見て出雲へ。途中上り電車待機があって、山陰線・本線なのに単線か!と何がしかの感慨を覚える。
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