日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

夏の日に:その一時に、沖縄と築地

2017-07-31 13:01:47 | 建築・風景

今日は7月の末、友引でもある。明日から八月、葉月と言うそうな!晴天、猛暑。新宿中央公園の蝉、ここを先途と・・・鳴き喚く・・・

先週末、建築雑誌に連載している「建築家模様」の原稿UP。先々週、長野に赴いて二人の建築家にヒヤリング、建てた建築に身を浸して建築家冥利に尽きる!との一言を内に秘めた。一人を起稿してしまうと肩の力が抜けてさて次を、と思いながらもふと沖縄のこの夏の様を聞きたくなって電話した。ところが目指した建築家根路銘安史、不在。扨ても(さても)と新しい建築構築にトライする若き(と言ってもそれなりの歳ではある)建築家の仕業にふと敬意を表したくなった。

この一文を書き込んでいるPCの左手につつましく立てかけてある白木のフレームの中のカレンダー。聖クララ教会でのコンサートの写真、プレゼントしてくれた盟友新川清則の顔をふと想い起し1月・2月の写真を見遣る。右端には彼が、なんと僕は左端で13人の友人たちと共に微笑んでいる。背の高い根路銘は右奥で・・・更に、3,4月のには聖クララで挨拶を述べている僕の笑顔が・・・この写真はどうもパッとしないが、我が妻君の一言、これがあんたよ!とさらりと躱(かわ)されたこを思い出した。

馬鹿を言っているうちに昼がくる。午後からある新聞の記者が来所、築地市場問題に関してのヒヤリングとのこと。それはさておき、妻君が持ってきた`海苔弁当`が今日の昼飯、この一文を取りまとめてから味わうことにした。税込398円也!

<写真:新宿中央公園から見やる都庁庁舎>

 

 

 

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機能主義を超えるもの`平良敬一建築論集`に目をむけて

2017-07-23 14:47:13 | 日々・音楽・BOOK

ふと思い立って新宿の本屋に立ち寄った。館内をブラ歩きをしていたら、懐かしい名前と顔写真が目に付いた。

『平良敬一』。`平良さん`とお呼びしていいのか、やはり平良`氏´と記すべきかと一瞬戸惑ったが 建築界での先達として親しみと敬意を込めて、さん`付けにさせていただく。と書くと平良さんがどこかで苦笑しているかもしれない、とも思う。「お前は誰だ!」と。 

僕のアルバムに貼ってある松本哲夫さん、松隈洋さんと一緒に平良さんが映っている僕の撮った写真には、2013年とメモ的に書き込まれているが、このアルバムの4枚ほどページをめくると、沖縄の(故)国場幸房さんが、日本の建築界に大きな刺激を与えてくれた師大高正さんが鉛筆で書き込んでくれた葉書をコピーして取り込んだたA4紙に、御自身の味わい深い鉛筆による一文・手紙が張り込まれて、つい瞑目したくなった。幸房さんがほぼ平良さんと同年輩だったことと思う。

<余話> 私事で平良さんには失礼になるが、沖縄が何故か常に頭にある我が身を想い起こしながら、沖縄生まれの平良さんと僕の様々な想いが重なり合うということで、お許し願いたい。 

それはともかくこの平良さんの建築論集「平良敬一建築論集 機能主義を超えるもの」(風土社刊)は、とどのつまり`建築家`として同時代を生き抜いてきた僕の建築家人生と重なり合っていて興味が尽きない。本来なら読破してからこのような一文を記すべきなのだが、まずは全貌をパラパラとめくり、最終稿の`あとがきに代えて`「戦後建築ジャーナリズムとともに歩む」を読み通して刺激を受け、此の端書のような一文を記して置きたくなった。 

<掲載する写真は、2013年5月のDOCOMOMO Japanの総会後の懇親会時の写真と共に、僕のアルバムに貼ってあるのでほぼ同時期、僕の記憶ではどこかの大学でのイベントでの一枚だと思う。ふと思う。機会があれば、平良さんにお会いして沖縄論議をしたいものだ>

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信州:松本と飯田詣で得たもの:70年前の光景と!

2017-07-17 16:24:33 | 建築・風景

先週の週日、長野県松本市にオフィスを持つ川上恵一さんと、飯田市に拠点を築いた松下重雄さんと言う地方都市に根を下ろして建築と取り組んでいる二人の建築家に、建てた建築を案内してもらって写真を撮り、ヒヤリングをしてきた。

その折の様相は、`建築ジャーナル誌(月刊)`に連載し5年目に入っている「建築家模様」に記載させて戴く。おそらく、自ずと`建築と風土`という命題を考察する事になり、僕自身の軌跡を振り返ることになるだろう。 

JIA(日本建築家協会)での長いお付き合いになった川上さんは丁度一回り若いものの同じ辰年、改めてそんなことを確認することにもなってお互い、ホーと溜息をついた。

初めてお会いする松下さんは少し若いがほぼ同年齢、現役バリバリで建築家としての実務に全うすると言うそのパワーと建築家としてのスタンスに、`そうか!`と思わず瞑目することになった。 

松本市は山地を周辺に望むとしても信州平野といってもいい平坦地、ところが飯田は天竜川沿いの町並みの背後には、山脈が迫る盆地、そしてその傾斜地に点在する家屋、ふと小学生時代に故あって過ごした、両側に山地を望むその真ん中に、下津深江川が流れている熊本県天草の下田村(当時)を想い起こすことになった。 

異なるのは、バラックだった我が家からの、目の前の天草灘の先に長崎の野母半島を見遣る光景、そして満天の星と天の川!当時は街頭もなかったので浮かび上がるその見事な光景が、七十数年前から僕の頭にこびりついている。

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町田がらくた骨董市で手に入れた宝物・エッチング

2017-07-09 20:17:12 | 愛しいもの

妻君と来宅した娘に案内されて、小田急線町田駅から歩いて10分ほどの、町田天満宮境内で行われる骨董市に出かけた。

7月に入った初日の1日(土)。天気がいまいちで降ったらどうなるかと気になったが、出展者はテントを設置していて平気の平左。でも幸い雨が逃げてくれた。

骨董市に行くよ!と言われてふと思い出したのは、嘗てやはり妻君と娘に誘われた大和市の街路での骨董市で手に入れた、奇態な神様像の姿だ。この神様は、家屋が搭状になっていて高さが18センチほどの4面の上部に、笑顔やしかめっ面、怒り顔など多彩な表情(と思っているのだが)の御顔が刻み込まれている。 底に張られたシールには、「2006年父の日」と共に「プレゼントしてくれた娘の名前」が僕の字で書かれている。そうか11年前の父の日の前後に一緒に行ったんだ、とグッとくるものがある。この彫刻は、大切な僕の宝物の一つだ。 

さてこの度の骨董市。僕が手に入れたのは、艶やかな色彩のガラスで作られたぐい飲みと、3点の「エッチング」である。 

この度の骨董市でのエッチングに思わず魅せられたのは、事務所のトイレに掛けている`ドンホセ`が左上にただ一人、カルメンと彼女を取り囲む大勢の男が右下に描かれているエッチング、そのドンホセの悲痛な顔が妙に気になっている作品の,右下に記されている作者のサインが同じだったからだ。この版画を嘗て手に入れたのはある画廊、なぜか作者不明だったが魅せられて手に入れたのだ。 

さて、版画の作者の名前をテントの主に聞くと、ちょっと困ったような顔をして実はわからないとのこと。あるとき顧客が3点のこの版画を持ってきて、置いていったのだという。 

僕にとっては思いがけない出会いでもあり、安価でいいとの店主、3点とも手に入れてしまった。

何はともあれこの味わい深い作品の作者を知りたい。

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大田昌秀元沖縄知事の訃報を聞いて・大田氏の一言

2017-07-05 13:43:01 | 沖縄考

 6月13日の朝、朝日新聞に記載された「大田昌秀元沖縄県知事」の訃報(12日午前11時50分に死去)」を目にし、NHKのTVでの報道に目を凝らした。そして沖縄の建築家`根路銘安史`さんに沖縄での様相を聞いたところ、「沖縄タイムス」と「琉球新報」の6月13日に旧暦(旧5月9日・大安)を付した朝刊を即送ってくれた。

 いずれも第一面一杯に、白抜きの大田知事の死去の文字と共に大きな顔写真、そして『社説』と共に、沖縄タイムスでは8面にわたって、琉球新報でも7面に渡って、大田氏の軌跡などを取り込みながら弔意を表明している。 そして我が家の新聞「朝日」の`天声人語`のような「大弦小弦」と「金口木舌」欄に、起稿した記者(新聞社)の大田氏への(大田氏の沖縄への)思いが込められていて、僕はこの二紙を僕の終生の宝物として保管していく。 

「大弦小弦」(沖縄タイムス)の中での大田さんの一言。基地の代理署名を拒否する大田さんに、閣僚からが来て翻意を促した。話を一通り聞くと穏やかな表情が一転 『沖縄は日本ですか』。目を見開いて反論した。

「金口木舌」(琉球新報)。生前最後の著書となった鉄血勤皇隊の記録集・・『私の生は、文字通りあえなく死去した多くの学友たちの血で以って購われたものに他ならない』。 

6月23日(土)。`沖縄慰霊の日`である。糸満市の平和記念公園での追悼式。埋葬された「平和の礎(いしじ)」に供え物をする遺族の姿」が伝えられた。 

時の経つのが早い。6月中にUPしようと思ったこの一文、7月になってしまった。時はすぐ過去になり、即座に新しい時が訪れる。この当たり前のことが妙に愛おしくなる。

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ところで、平和の礎を見遣る丘の上の平和祈念資料館は、僕の盟友・建築家`福村俊治の設計による。平和の礎も彼がかたちにした。

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舞い降りたさくらんぼ`佐藤錦`

2017-07-02 12:36:04 | 愛しいもの

6月の末に`さくらんぼ佐藤錦`が舞い込んだ。

今年もまた!と一言添えたくなるが、今年は送ってくれた盟友の心根がことさら嬉しい。何故だろうと自問自答する。高校時代に同級生だった彼は、東大を出て後に山形大学の名誉教授となった。僕は若き日、東大教授を担った彼の父に可愛がられ、取手の自宅の設計を担ったそのコンクリート打ち放しの家は僕の処女作。彼はいまその家に住んでいる。しばらく会っていないが、独特のイントネーションでしゃべる彼の声とその笑顔が蘇った。 

処で、昨日、そして今朝もまた、シリアでサリンが使われた、と報道された。こう言う側面のある世界に生きている事に、ふと眼をやることにもなる。

歳を取ると、歳なりに様々なことが起るが、佐藤錦を味わいながらもフッと、シリアでのこんなことを書き記したくなるのが`やばい!`と自認する。

 

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