「市の花のその名をとってさつき町」と記載されたポールが何時の頃からか建っている。
この`さつき町`には既に40数年住んでいることに気がつき、時折ホー!とため息が出たりする。
さつき町(団地)の高層棟(と言っても7階建て)の4階から毎朝EVで降りる。
右手に回るのは、時折妻君に`出してって`と言われてゴミや読み終えた新聞の束をぶら下げてゴミ置き場の金網引き戸を開けてぽい(いやよいしょ! )と置き、狭い小川の桜並木道をちょっぴり歩いて右折し、左手の高架小田急線沿いの道に出る。そして、右手の愛車の置いてある駐車場にちらりと目をやり、その先に現れる幼稚園を見ながら駅へ向かい、新宿へ・・・・
左手へ歩き始めると、まず、駐車場を通るか、中央広場的な広い通路を駅に向うことにするのかは、それもまたその日の気分。まっすぐ行けば左手に小さな公園と幼稚園、右手に所有者の異なる3階建ての共同住宅をちらほら見ながらということになる
なぜこんなことを意識するようになったかと申せば、駅までに出会う人たちが異なるからだ。
団地の中を通れば、清掃する小母さんたちや、おじさんと笑顔で挨拶を取り交わすし、幼稚園沿いに歩くと、これも何時の頃からか定かではないが、園児を運ぶマイクロバスを運転するおじちゃんと、笑顔で挨拶、運転台にまだ居る時は、窓を開けてくれて一言二言言葉を取り交わす。降りようとしている小っちゃな園児が、何事かと一斉に僕に目を向け、僕は何となく照れくさくなったりもする。
こんなことがちょっぴり気になるのは、熊本県天草の終戦直後の小学生時代過ごした下田村(現在は天草市下田町)の小学生の時の同級生が、過疎になり小学校が廃校になったので隣町へ子供たちを連れて行くバスの運転手をしたとのことだからだ(その彼も体調を崩していて天草を訪ねても会うこと叶わず・・・)。
さて、時折幼稚園に向う小さな子供二人を連れた若き父親とすれ違うこともある。何時の頃からか、お早うと挨拶を取り交わすことになった。
そして我が団地の入り口に立つ「市の花のその名をとってさつき町」と記載されたポールをちらりと見て、小田急線厚木駅に向かう。
この`さつき町`には既に40数年住んでいることに気がつき、時折ホー!とため息が出たりする。
さつき町(団地)の高層棟(と言っても7階建て)の4階から毎朝EVで降りる。
右手に回るのは、時折妻君に`出してって`と言われてゴミや読み終えた新聞の束をぶら下げてゴミ置き場の金網引き戸を開けてぽい(いやよいしょ! )と置き、狭い小川の桜並木道をちょっぴり歩いて右折し、左手の高架小田急線沿いの道に出る。そして、右手の愛車の置いてある駐車場にちらりと目をやり、その先に現れる幼稚園を見ながら駅へ向かい、新宿へ・・・・
左手へ歩き始めると、まず、駐車場を通るか、中央広場的な広い通路を駅に向うことにするのかは、それもまたその日の気分。まっすぐ行けば左手に小さな公園と幼稚園、右手に所有者の異なる3階建ての共同住宅をちらほら見ながらということになる
なぜこんなことを意識するようになったかと申せば、駅までに出会う人たちが異なるからだ。
団地の中を通れば、清掃する小母さんたちや、おじさんと笑顔で挨拶を取り交わすし、幼稚園沿いに歩くと、これも何時の頃からか定かではないが、園児を運ぶマイクロバスを運転するおじちゃんと、笑顔で挨拶、運転台にまだ居る時は、窓を開けてくれて一言二言言葉を取り交わす。降りようとしている小っちゃな園児が、何事かと一斉に僕に目を向け、僕は何となく照れくさくなったりもする。
こんなことがちょっぴり気になるのは、熊本県天草の終戦直後の小学生時代過ごした下田村(現在は天草市下田町)の小学生の時の同級生が、過疎になり小学校が廃校になったので隣町へ子供たちを連れて行くバスの運転手をしたとのことだからだ(その彼も体調を崩していて天草を訪ねても会うこと叶わず・・・)。
さて、時折幼稚園に向う小さな子供二人を連れた若き父親とすれ違うこともある。何時の頃からか、お早うと挨拶を取り交わすことになった。
そして我が団地の入り口に立つ「市の花のその名をとってさつき町」と記載されたポールをちらりと見て、小田急線厚木駅に向かう。