日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

札幌へ・・雪景色だろうか!

2016-10-28 22:35:16 | 建築・風景
明日の早朝、小田急線の始発に乗って一駅、海老名駅へ、そしてリムジンバスに乗って羽田へ。ANAで
千歳空港に向かう。
札幌は雪模様とのこと、富士山の冠雪が例年より2週間ほど遅かったと報道されたが、札幌の雪は少し早いとのことだ。
夜中に降ったので凍ってしまってなかなか溶けないとは、毎年表敬訪問をする上遠野建築事務所の橋村君の一言。秋を通り越しての冬景色を味わうことになるのかしらん!いやそれほどのことでもないだろう、と勝手な我が独り言。ところで例年の見事な紅葉は?

土、日と札幌近郊の建築をMOROさんの案内で観て歩き、31日、札幌市大の羽深教授の院生に講義、「20世紀の文化遺産を訪ねて」と題し、(故)鈴木博之教授と対談をしたDVDを見てもらっったあと、「北海道のモダニズム建築・上遠野徹から圓山彬雄そして克へ」と題して構成したppを見てもらう。その後建築論を語り合おうという魂胆。その準備が整って取り急ぎこの一文を・・・・

ところで、俳人金子兜太の著書、副題に`96歳、戦争体験者からの警鐘`とある「あの夏、兵士だった私」(清流出版)を一気に読破した。僕は朝日新聞の「朝日俳壇」を愛読してスクラップしている。
この俳壇の選者は長谷川櫂、大串章、稲畑汀子そして97歳になった金子兜太である。
その金子兜太のこの著作のプロロークのタイトルは`とても、きな臭い世の中になってきた`:若者を二度と戦場に送るな!である。

以下後日。寝ないと明日、もたないので悪しからず! <文中敬称略>

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秋の日々に札幌へ

2016-10-23 12:38:44 | 日々・音楽・BOOK
陽が短くなり、風も冷たくなり秋が来たのだと想う。
とは言え「秋の雲」、うろこ雲がすっきりと味わえるようになったとは言えず、清冽な秋空を望めない日々が続く。やっと木々が色づいて来た気配、例年の秋、そうだったかとついつい首をかしげる。

ボブディランが、うんともすんとも言わないと伝えられているが、僕は`MILES DAVISのカインド・オブ・ブルー`を聴きながらこの一文を起稿する。秋の朝のJAZZ、という感じが漂ってくる。ことにフラメンコ・スケッチのビル・エバンスのソロの一部に`天`を見るのだ。
とは言え深夜に聴くと、深い闇のこの世に瞑目するということにもなるのだけど・・・

この月末、29日の土曜日の早朝から札幌を訪れて3泊、天気予報によるとこの北の国、寒そうだ。

今年は遠出をせずに、札幌と郊外の建築を建築家(でもあり教師でもある)MOROさんと共に観て歩いた後、札幌市大で羽深教授の院生への講義。ちょっとした思惑があって、嘗て故鈴木博之教授と鎌倉の近美で、東京を中心としたモダンムーブネントに即する建築を語り合ったDVDを見てもらった後、僕の撮った北海道の建築の姿を放映し、建築とはなんぞや!という命題を語り合おうという魂胆である。

ところでMOROさん, 小樽の「プレス・カフェ」へはいつ行くのかな!ターマス、元気かな?

さてマイルスが終わり、悩ましき女人、ジャニス・ジョプリンのライブに切り替える。
大友博氏の書いた解説書の冒頭に、思わずドキリとした。
「生前のジャニス・ジョプリンを知る人は・・・」とスタートするのだ。そしてこう続く。・・・余りにも破滅的な性格や生活に比較して彼女のステージがどれほど素晴らしいものであったか、ステージ上の彼女がどれほど輝いた存在であったかを・・・」。・・・最後までドラックやアルコールと縁を切ることが出来ず・・・

<写真:小樽のプレス・カフェ・・2014年撮影>
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ボブ・ディランのノーベル賞

2016-10-16 20:36:32 | 日々・音楽・BOOK

ボブ・ディラン30周年記念コンサートのライブ、2枚組のCDを音を小さくして味わいながら、松山英樹が見事に優勝したゴルフ`日本オープン`をTVで観て、スクラップした朝日新聞の記事に眼を向けてこの一文を起稿している。我、三役同時。これではそのどれもに集中できないが、日曜日の僕にはよくあること、表を見遣ると夕陽に染まり始めた秋雲の色が味わい深い。

「ノーベル文学賞」をとったボブ・ディラン。14日の新聞では3面に渡って写真入の様々なタイトル。
「風に吹かれて」「時代は変わる」「偉大な詩人」。
「風に吹かれて快挙」「すさまじい詞」「未踏の領域」「意外な視点」。
そして「吟遊詩人ディランおめでとう」。
世界各国の文学者から異論・賛否があるとも記載されているが、ボブ・ディランは僕とは同世代、時代を共有しているとの実感が僕のどこかに内在していることに思い至った。

紹介文には、ロック、フォーク界のカリスマ的存在とも記されているが、僕は一回り年上のピート・シーガーにも惹かれていて、アルバム`Where have All the Flowsrs Gone`を繰り返し、繰り返し愛聴している。唄い方もテーマも違うがどこかに同じく反骨の心根が感じ取れて、僕の生き方の指針にもなっているような気がする。

<表記のボブ・ディランの写真 playlist:the very best of series より>

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北の郷 岩手県盛岡、雫石を訪れて!

2016-10-11 10:59:56 | 自然
林の中に、切妻屋根の真っ黒な平屋の山荘が建っている。
そのシンプルな姿が、木々としっくりと馴染んでいてホッ!とし、得心した。設計者は大澤秀雄、僕より一回り若い建築家、そしてこの建築の建築主でもある。
この秋、専務執行役員を担ってきた三菱地所設計を退職し、岩手県盛岡市からの田沢湖線、広大な農場のある小岩井の一つ先、雫石にこの山荘を建てる。

「雫」。したたり落ちる水滴。ふと、石の上に`雫(しずく)が!`などと語呂合わせをすると、大澤の持つロマンとこの地の風土との対話が聞こえてくる。
リスが時折顔を出す。とのことだが、写真を撮るために庭草を掻き分けてしまったので、現れてくれなかった。残念至極! <文中敬称略>
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秋が来る!明日から盛岡へ

2016-10-06 15:32:37 | 日々・音楽・BOOK

`烏、カーと鳴いて夜が明ける`…
これは講談家が場面転換でよく使う常套句だが、昨今僕は、実体感をもって感じ取っている。早朝、ふと尿意を覚えて目が覚めると、`カー`に呼応するように`グーグル・グーグル(呼応する文字・文言が出てこない)という鳩の、どこからか聞こえてくる「朝が来た!」だ。
仲間への挨拶(さてどうなのかナ?)、或いは己の(俺は長だ!と威張って)居場所を伝えているのだろうか?或いは仲間へ場所の告知?

こんなこともあった。
寝ていたら窓の外の格子状の手摺りに留まっているらしい鳩の声。あまりにも身近なので、ブラインドの横桟をそっと指で開いてみたら、鳩の目と一瞬の睨めっこ!困惑した鳩はパッと飛び去った。

ところでつい数日前の朝、小田急線の見えるバルコニーから、鳩の大きな鳴き声、そっとカーテンの隙間から覗くと、物干し竿に大きな鳩がとまっている。気配を感じて鳩が振り向き、一瞬目があい、首を傾げ(と思った)、さっと飛び去った。語り合いたかったのに!なんてふと思ったものの・・・やっぱり!

さてそのバルコニー、夏の終わり日に蝉が!身近に聞こえる大きな蝉の声、どこに居るのかとバルコニーを見まわしたが見つからず、やれやれと思ってトイレと洗面所に。そして朝食後事務所に出かける前にふとバルコニーを見やると、蝉がバルコニーの床に!動かない。
息絶えているようだった。可愛そうだと手に取って、駅に向かう通路脇の樹の根元にそっと置いてやる。

我が家は4階。鳩や蝉が、飛び交いやすくて留まりやすい高さのなのかも!
そんな思いを留めながらも秋が来た。桜の木々の葉っぱがほんの少し色好きはじめ、新宿中央公園の欅の樹々もちょっぴり色付きの気配。でもなぜか昨今、新宿でも僕の住む海老名でも烏の鳴き声が聞こえずその姿も見えない。どうしたのかと気になりながらも、秋が来るのだ!

処で明日の早朝から友人の車に便乗して2泊での盛岡行き、建築家にヒヤリング。国体があってホテルも新幹線もとれなくて友人の山荘に!被災地を気にしながら台風が去った秋の装いを味わえるだろうか!
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沖縄と日本・ウルトラマンと沖縄

2016-10-02 20:57:04 | 建築・風景

昨10月1日(土)の、朝日新聞夕刊のトップ記事は、`ウルトラマンと沖縄の苦悩´と題した異色のメッセージだった。
記事の冒頭にTV放映開始(データ検索すると1966年)から50年経ったとあるので、僕は20代の半ば、我が家にTVがあったかどうかも定かではなく、この時のウルトラマンや続編の存在は知ってはいたものの、観たことはない。
それはともかく、この記事では、ウルトラマンの原案者は沖縄の出身で早世されたが、共に脚本を手掛けた原案者の盟友が、『沖縄は本当に日本なのか』と問いかけている。

関連してこの一連の記事の中に、福岡高裁那覇支部が、米軍普天間飛行場移設を強行する国の主張を追認したとの一文を記す。そしてニュースを見たある脚本家が「知事が国に訴えられる。そんな県が他にあるだろうか」と述べたことを、言外に慨嘆を込めて書き記す。
そして、そうだ!と思いながらも、僕もまたどうしても一言追記しておきたくなることがある。

現知事は那覇市長の時、初代知事が全国行脚をして寄付を募って沖縄の未来を担う少年たちのために建て、後に那覇市が引き受けた「沖縄少年会館」を残してほしいと願って座り込んだ市民を、市の職員によって引きずり出させ、有刺鉄線を張って近寄れないようにし、後日この建築を解体させて駐車場にした。
僕はたまたまその現場を観ていて、更にTV放映のされる様子を夕刻盟友と一杯やりながら観て、子供もいるだろうその職員の家族が、近隣の人たちにどう思われるのかと気になった。
沖縄の友に何故こんなことをやったのだろうかと聞くと、建築存続の大切なことへの認識がないのだろうという一言、上意下達という文言が思い浮かぶ。従わないと飛ばされる!

更に現在気になっているのは、耐震診断を含めて現地調査がなされていた那覇市内与儀に建つ「那覇市民会館」の存続問題である。
今年の2月、7月と2回訪沖したおり、現地で検索をしている担当者と出会い、状況確認をした僕は、つい先日、僕の事務所に取材に来てくれた那覇のジャーナリストに気になって現状を聞いてみた。耐震診断も含めて情報公開がなされていないが、その経緯を含めて資料収集をして記録して置きたいとのことだった。
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