日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

紋別の流氷と、流氷砕氷船ガリンコ号

2016-01-31 00:00:40 | 自然
流氷の町「紋別」のオホーツク海沿岸に、流氷が訪れたとのTV報道がなされた。映像を見ると正しく流氷群。1月28日が今年の流氷初日、隣町にある網走地方気象台によると平年より7日遅く、昨年より16日も遅いとのことだ。
温暖化の煽りだろう。それでもギシギシと氷がきしめき合う音が聞こえてくるようだ。

昨年の11月に紋別を訪ねた折、moroさんが会合に出席している間に、海中に建立された氷海展望塔オホーツクタワー(小規模の水族館ともいえないこともないが、海中の様子を観察できる)を見にいった。
屋根がありガラスで囲われた、トロッコを数台連結したような電気バスに乗って突堤を渡ったが、その運転手と仲良くなって、写真を撮って上げましょうかと問われ、流氷砕氷船ガリンコ号の前に立った。その運転手は、流氷が少なくなってねえ!と慨嘆していたことを、懐かしく思い浮かべている。
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冬日の一日、猛雪に

2016-01-24 23:25:50 | 添景・点々
本棚から取り出して事務所に行く小田急電車の中で読み始めたら、面白くてたまらなくなったのは、角川文庫、開高健の「白いページ 1」と題したエッセイである。その、最後のページに、読み取りにくい、のたっくった鉛筆書きによるメモがある。奥付を見るに、おそらく35年ほど前になる昭和54年(1979年) 頃の僕の走り書きだろう。

「…と書いてくると、それがどうしたのといわれ そうかと まあそうだなと納得するが それがどうしたといい返したくなる…」
と書き写してみたが、…がないものだから、何を書いて何を言いたかったのか、つまりなんのことやらさっぱりわからない。
おそらく小田急線の電車に乗って開高のこのエッセイを読んでいて、何かを思いついて、多分当時書いていた文章(エッセイ)に後で付け加えようと思ってメモ書きしたのだろう。
その開高は1930年の生まれで10歳年上だったが、なんと58歳の若さで亡くなった。

懐かしき深田祐介氏(一昨年の7月84歳で死去)の書いた絶妙な解説(あとがき)に、雑誌「潮」に昭和46年1月号より47年10月号まで連載された、とあるので僕の36,7歳のときの作品。この歳になって再読(再々読!)すると、一見諧謔に満ちたといいたくなるものの、その懐の深い人の生きることへの好奇心に満ち、慈しむように述べていくその心根は、深田氏が述べる「裸の知覚と豊饒な表現力が結びついた詩人としての資質の顕現」という一文にすべてが捉えられているような気がしてきた。とは言え、それから数十年経た僕が未だに心打たれるのは何故だろうとふと考え込む。

ところで昨夜、上記のことなどちらりと話題にし、雨の予報が外れた小田急線3駅先の伊勢原駅の近く、`竹中`と言う酒場で、久し振りにmさんと旨い料理に舌鼓を打ちながら、一杯やった。
四方山話に花が咲き、ふと気になっていた二人の盟友札幌のmoroさんに電話をした。この雪国の男は雪を苦にせず、元気溌剌の様にホッとする。

それにしても九州、山陰地方の猛雪、どうしたことか!

<写真 晴天になった今日の海老名市厚木駅・・僕の住んでいるまち>
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石井頼子著「言霊の人 棟方志功」を!

2016-01-17 16:59:26 | 日々・音楽・BOOK
沢山の人に読んでもらいたい本がある。
昨年の末、12月1日に里文出版から発刊された棟方志功の長女けやうを母にもつ、石井頼子の著作「言霊の人 棟方志功」である。
表紙には志功自作の歌 `あおもりは かなしかりけり かけそくも 沼田を渡る 沢潟(おもだか)の風` を添えた自画像が掲載されていて、志功の声が聞こえてくるようだ。

俳句誌「知音」に2008年(平成20年)から3年に渡って連載した文章に加筆修正をしたものと、本文に入る前にささやかに記されているが、無論只の修正ではない。本書発行年月2015年12月1日までのほぼ5年間の検証を組み込み、ところどころの文末に、用紙には小文字でその成果が列記されているのを読み込むと、この論考はただものではないと、思わず瞑目してしまう。
石井頼子がいなかったら、志功が忘れられることはありないとしても、稀代な天才の本質が捉えられないまま、どこかに埋没してしまうのではないかとも言いたくなる。

志功自身のことを、その一と終章その三十七に取り上げ、その他の三十五編に、人生の一部を共有した保田與重郎、川上澄生、曾津八一、河井寛次郎、大原総一郎、谷崎潤一郎、柳宗悦などなどとの出会い、やり取り、エピソードを間断なく頼子の視点から書き連ねる。

連載中の「知音」を2冊ほど頂いたことがあるが、37編340ページにもなる分厚いこの著作を何度も前後を確認しながら読み進めていくと、志功や、ことにチヤ夫人の声が、今そこから聞こえてくるのだ。僕もそれなりに身近にいたことがあるのに、しかもお仲人までやっていただいたのにと、じっとしていられなくなる。
そして幾つかのエピソードが頭をよぎる。
インド行き。

志功、晩年に近い1972年、チヤ夫人に費用は出してあげるから一緒に行かないか、とお誘いを受けたのに思い切れなかった若き日の僕。伯父の会社の社員だとはいえ、一サラリーマン、独身時代、15日間、もし仮に全てを投げ打ってでもと踏ん切って同行させていただいたら、僕の人生はどうなっていただろうかと、この年になってしみじみと思い至る。もしかしたら仕方がないね!と苦笑しながらも許可してくれたかもしれないなどとも…しかもこの旅は、草野新平との旅だったと石井頼子は記している。

こんなことも思っている。この著作には、チヤ夫人にほんの少しだけ触れているが、志功とチヤ夫人を支えた頼子の母親や、志功後夫妻の子息たちなど身内については全く触れていない。もしかしたら若き日の僕も身内扱いだったのかもしれないと、改めて(密かに)感じ取っている。

<文中敬称略:「言霊の人 棟方志功」(里文出版)の定価2,300円+税>
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ヴォーリズの設計した北見市の「ピアソン記念館」を訪ねて

2016-01-10 20:45:42 | 建築・風景
昨年の11月、moroさんの車で紋別を訪ねた折、興味深い建築を幾つか案内してもらった。渡辺豊和の「湧別町ふるさと館」については昨年の12月に記載したが、北見市のウイリアム・メリル・ヴォーリズ(ここではボーリズと表記されている)の設計による「ピアソン記念館」もその一つ。1914年(大正3年)ヴォーリズが若き34歳の時に建てた木造の建築で、現在は北見市最古の洋館として、北見市の指定文化財、北海道遺産に指定されている。

この建築は、大正から昭和にかけてのこの地の宣教活動に腐心したアメリカのジョージ・メルク・ピアソン夫妻の住宅として建てられたが、現在は夫妻の活動なども紹介する資料館として公開されている。窓や出入り口の意匠など大正時代の雰囲気に満ちていて魅惑的だが、天井も低く、各部屋もこじんまりしていて当時の布教者のつつましい生活が偲ばれる。
ところでヴォーリズの設計したことが判明したのは1995年(20年前になる平成7年)とのことで、修復をして記念館として公開されたのは2004年(平成12年)になったとのことだ。

小高い丘に上に建つ瀟洒な建築だ!と言いたくなったがさて?とも考える。ポストモダン或いはモダニズム建築にぞっこんのmoroさんが何故ここへ僕を案内してくれたのかと! 好奇心が沸いてきたが、言ってみれば彼が建築大好き人間だから!だろう。

大学の後輩に一粒社ヴォーリズ事務所(現在の呼称)の所長を担っていた建築家がいる。
5月の後半に、建築学科の同窓の会(現役の学生も含めて)を駿河台校舎で行うことになっていて計画のやり取りをしているが、その後輩に一言でも話しをしてもらおうか、とも取りざたされているが、さて彼は、この北見市にあるこの建築の存在を知っているだろうか?いや言うまでもないだろう。相談を受けて師を偲んで綿密な検索をしたに違いない。
何はともあれ「見てきたよ!」と伝えると喜んでくれるだろう。とは言え、この手の洋館に疎い僕だし、こじんまりとした住宅だとは言え、洋館のある種の典型なのだと言ってみたくなっている。

ところで余談だが、この同窓会のイベントで僕は、学生時代の恩師堀口捨巳先生について語ることになっている。

<写真 ピアソン記念館 2015年11月7日撮影>
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賀状に想う 穏やかで温かい新春の中で!

2016-01-05 22:16:51 | 文化考
2016年、新春を迎えあっという間に5日を経た。ことさら、時の経つのが早くなったとの感慨を覚える。今年の6月には、高校の同学年の喜寿の会をやるのだという。早生まれの僕は、まだ1年以上もあるのにと、どこかに釈然としない想いが湧いてくるが如何ともし難し!

昨年末(と言っておきたくなった…)沢山の賀状を書き、新年を迎え、沢山の賀状を戴いた。
こんなのもあって心が痛む。小学生の時の同級生、親友から。「10月末検査入院、12月に腹部大道脈手術のために入院、そしてステント手術、正月は自宅で迎えられそう、あっという間の1年でした」。電話をしたら元気な声、だが明後日同級生の運転によってその結果確認のために病院へ…

ホッとし、嬉しい賀状も!
早々にお年賀状ありがとうございました。私も幸い元気に新年を迎えました。
高齢になられた日大建築学科の名誉教授から戴いた。

「演芸」から「園芸」に移りました。そしてなんと「サイクリングに狂っています」
僕路より御高齢の演芸・講談の著名研究者評論家から。

若き女性の東大院生から
昨年、美術史から文化資源学へ移りました。(文化資源学とはさて!)
建築に触れる機会も増え、授業ではカマキンが大きな話題になっていろいろと考えさせられました。

著名、大学の教授から
次男が囲碁のプロ,NHKの囲碁番組に登場するとあり、長男も今年無事博士終了の様子。子育ても一段落です。
DOCOMOMO Japan の展覧会、ポスター作成に尽力して下さったことを、つい先日だったように思い起こした。

共感する強烈な一枚。
2015年は日本の未来にとって最悪の年でした。国民の目、耳をふさぐ特別秘密保護法に始まり平気で嘘をつき、極端な米国隷属、憲法違反の安保法制,法治国家から独裁国家へ・・・今年からこそ…日本の未来を取り戻す決意を新たに、2016年を!


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