日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

秋の一齣: 秋が来た

2018-09-15 18:15:20 | 愛しいもの

前稿(初秋の一齣;わが娘(こ)の書)をUPしたのは9月9日(日)、その一文とその前の稿の間に、下記`秋が来た′と題する一文をUPしようと起稿したのだが、何故か飛び越してその一文を掲載してしまった。それはともかく時が経つのが余りにも早い!。嘆いても仕方がないが、何はともあれ上記その稿をUPしてみます。

ところで、今朝(9月15日)のTVでは、エンゼルスの大谷が打席で構えているのに、放映が他の試合に切り替わってしまった。それはないだろう!と慨嘆するし、怒りを憶える。僕の住む海老名市の天気もすっきりしない。私事の`ぼやき`だが・・・・

さて、秋が来る:831日の稿に下記追記!

『夏の終わりに!秋が来る』と題した上記一文を記載してから9日を経た、今日は9月9日の土曜日。大リーグ、ロッキーズとドジャーズの一戦を、我が家でTVをちらほら見ていたら、ダルビッシュがノックアウトされ、アーアツ!と溜息がでた。しかも4回で5失点。何やってんだ!とつい愚痴たくもなりながらも、冷房が要らなくなり、窓を開けての秋の風を慈しむ』。そして、此の稿(下記)を追記する。

さて上記タイトル`秋が来た`、こんなことを書いた。『8月31日、今日は夏の終わりの日。新宿駅から事務所に向かう途中の中央公園沿いの欅並木。・・・今朝の並木道、小雨降る、それも小粒な・・・でも蝉の音(ね)が聴こえない。』そしてこう〆た。『・・・秋が来るのだ』。

 ところが9月に入った途端、新宿中央公園の蝉の音が復活。一週間たった昨9月8日(金)。心なしか力が籠もっていないものの、上記中央公園沿いの我が事務所への通い道、つい「ここを先途と蝉が鳴く」と言いたくもなった。海老名の我が家では、9月に入った途端蝉の音が聴こえなくなったが新宿の蝉は頑張っているのだ。・・・我が家では蝉の音は聴こえないが、厚木飛行場から此のあたりの空を引っ切り無しに迂回する軍用機の轟音が・・・どういうことだ!

 -写真- 秋の一齣・部屋から見る雲を受け止める大山連山

 

 

 


初秋の一齣:我が娘(こ)の書を見遣りながら

2018-09-09 20:42:09 | 愛しいもの

来宅した娘が`書`を揮毫する。ためらいなく三筆。観ていて溜息が出た。此の書を師匠に見て戴き、赤の入ったこの書を参照して更にトライ、相互に得心するまでその繰り返しをするという。わが娘とは言え、ものを`創る`という真髄にトライしているのだと感じるものがある。

此の娘(こ)は、書だけではなくて、書画にもトライしている。                           

たまに来た我が家でもためらいなく執筆に挑むその姿を見ていて、はるかに`俺を超えた‘と想わないでもないが、我が創造力(苦笑!)が蘇り、さてどうしたものか,とふと考える。そして俺には俺のものがある!写真だ、と言いたくもなるが、そのパワーが!と付したくもなる。どこからか`それじゃあ駄目ジャン!という声が聞こえてくるが、娘が出展している著名な展覧会場での書画展を見ると、この娘(こ)を指導される師匠に まずは敬意を表したくもなる。

そして我が身。小学生時代の先生、高校時代の教師の指導に得心、そして想うのは、その教師の`好奇心の賜物`だとも想う。中学生の頃、殴り書きをしたような僕のスケッチに、先生の好奇心が刺激されたのではないかと、ふと想ったりもするのは、その絵をクラスの代表としてセレクトして下さっての展示、そんなことだがあったが、さて現在(いま)の僕を視たら先生はどう想われるだろうか!でもその先生方は一昔前に亡くなられたが、時折りそんなことを想う日々を僕は過ごしている。

一言添えると、此の一文を仮に妻君が眼を通すと、その妻君のあきれた顔が浮んでくる!

<提示する書・上記我が娘の試作>