日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

翼の王国/ANAで北海道へ

2014-10-31 12:59:10 | 日々・音楽・BOOK

10月31日。秋の真っ盛りの様な、冬の始まりの様な奇態な天気。雨が降ってきたと思ったら陽がさす。今日はハロウィンである。

ANAの今月の機内オーディオ番組、パーソナリティ:ローレンス・タンターのJAZZ。イヤホーンから流れてくるSOOTHING JAZZ FROM CONCORD MUSIC GROUPを、羽田と新千歳空港への行も帰りも楽しんだ。
SOOTHING、正しく心地よく、うとうとしながら繰り返し繰り返し聴きこむ。でもこの放送も今日で終わりだ。

演奏し、唄っているのは誰だろうと機内誌を覗き込む。クリフォード・ブラウン、ジョージ・ベンソン、コールマン・ホーキンス、それにダイアン・リーブスなど、なんとも懐かしいJAZZメンの名が連なっている。
10月25日(土)の行き便はギュウ詰・満席、B777-200の405席。いろいろと在って到着が30分遅れた。28日の帰りの便はB777-300の514席、ガラガラでのんびりと!

帰京便、定刻5分前に機体が動き出した。おやっ!と思ったがそのまますうっと浮かび上がる。

これから高度を落としますとのアナウンスで、眼下の暗闇の中にまたたく街の灯を覗き込んでいたら、木更津から連なる街灯の端に海蛍が間近に見えてきた。其のままスウーッと羽田空港に着陸。定刻より10分以上早い。
機長からのアナウンス。「数ある航空会社から、ANAをお選び頂きありがとうございます。皆様のご協力によりまして定刻より早く到着しました」。心持頭を下げながらマイクに向かう機長のにこやかな顔が浮かんできた。

バッグを取ろうと思ったが手が届かない。通路に並んでいる乗客がそっと降ろしてくれて間を空けてくれる。
なんだか日本も捨てたもんでもないと思いながら、可愛い客室乗務員に、沢山乗ってきたけど定刻より早く着いたのは初めてだよ!と声を掛けたら満面の笑みで、皆様のおかげです。

さて!疲れも吹っ飛んだ!と思ったもののそうはいかず、蓄積疲労で我が歳を考えることにもなった。

<行きの便 満席の機内>
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「赤レンガの東京駅を愛する市民の会25年」記念誌の発行

2014-10-19 22:16:31 | 東京中央郵便局など(保存)

辰野金吾の設計によって1914年(大正3年)に建てられた「東京駅」は、今年で100年を迎えた。1945年(昭和20年)、戦災によって3階部分が焼失したが、ただちに修復され駅舎として使い続けられてきた。しかし戦後32年を経た1977年に、東京都美濃部知事と国鉄総裁によって東京駅、丸の内周辺の再開発委員会が設置されることがあって、建築学会からは、保存要望所が提出されたりした。

その後国鉄が分割民営化され、東京駅周辺地区再開発連絡会議が設置されるなど、建て替え高層化計画が再度浮上されたこともあって、作家三浦朱門氏、女優高峰三枝子氏を筆頭代表とした「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」(略称東京駅の会)が設立された。
東京駅の前で署名を求める活動からスタートし、東京駅を残したいと言う全国からの10万人を超える署名が寄せられる。この市民の会は活動の中心となった主要メンバーは、その請願書を赤いバラの花束を添えて駅長に提出、以後バレンタインデイにはチョコレートをプレゼントするなど、女性ならではの活動を続け、信頼関係が築かれていく。

そして一昨年(2012年)の10月、このために日本設計からJR東日本設計に移籍した田原幸夫さんが設計の主導をし、免震構法を採用するなどして当初の姿に復原された。

復原されて「東京駅の会」を閉じるに際し、記念誌を発行する事になった。
編集委員は前野まさる東京藝大名誉教授、女優村松英子さん、事務局を担った多児貞子さん、活動に途中から活動に関わった僕、そして編集をかってでてくれたこの「東京駅の会」の事務局長を務めた故川添智則東海大学教授の次女川添尚子さんが記念誌の編集委員として、デザイン・印刷などを担当してくれた。
僕は「僕の東京駅」と題する一文と数編のコラムを寄稿し写真を撮った。
発行日は(2014年)この会が発足した10月13日である。
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ニコンD610を購入

2014-10-12 13:32:17 | 写真

何処に行くときもカメラを放さないというスタンスは、数十年変わらない。
フイルム時代はカメラにこだわってライカのM6を2台手に入れた。黒の方とフィルム・コダックTRI-X400をバックやリュックサックに詰めて持ち歩いた。仕事関連で飲み屋やクラブに出かけたりしたときには、女将や席に着いた女の子を臆面も無く撮ったりした。その時代の1眼レフは、ニコンのF3とF4だった。

しかし時代には逆らえず、僕もデジタル化。M6の一台を手放し、今持ち歩くのはコンパクトなマイクロフォーサーズ、LUMIX-GF1。レンズは写真家飯田鉄さんに勧められた20ミリF1,7。その一本だけ。ゆるぎない描写力。流石だ。レンズもそうだがプロの眼力に脱帽している!
APSの20ミリは35ミリカメラの40ミリに該当し、広角レンズとしては物足りなく、プロフィールを撮るにはワイド過ぎる。しかし数年使い込んでいくとその角度の微妙な面白さに馴染み、時折どうしようかとは思うもの交換レンズは持っていない。

ところで建築を撮る僕のカメラはD700である。一度も故障したことが無く、描写力も流石で何の不満もない。しかし突然もう一台1眼レフを持つべきではないかと思った。

昨年の1月号から「建築家模様」と題したシリーズを建築ジャーナル誌に連載を始め、正しく北は北海道から南は沖縄に出歩いて地域を率いる建築家に会って、建てた建築を案内してもらう。建築を撮るのは主として24ミリのシフトレンズ。プロフィールは85ミリ。そしてもう一本持ち歩くのは35ミリF2である。僕は基本的にはオートフォーカスとズームレンズを使わない。でもこの一文を書こうと思って調べたら、数は少ないが何故か数本あるのだ。

もう一台。もしカメラに不測の事態が起きたら撮り直しに出かけなくてはいけない、しかしそれはほとんど不可能。その建築家に会ってその時のその天候の中でのやり取り、一期一会だからだ。
同時にふと思ったのは、カメラの故障は無かったが、充電をうっかりして、電池がなくなってどうしようもなくなったり、撮りまくってメモリーの容量が不足して撮った写真を削除してみたりしたことがあった。沖縄でのことだ。またフィルム時代はフイルムが残り少なくなって往生したことが頭を掠めた。

旅先で撮るカメラは軽いほうがいい。フルサイズ一眼レフではないが、フジのX-T1とも考えた。だが、やはり何本も持っているレンズを使いたい。飯田鉄さんに相談したらDfはどうかとのこと。触手が動くがあのマニアック的な作動だと、多分切れ目無く、歩きながらでも撮ることになるこのシリーズでは、700の作動との違和感が無いほうがいいと判断した。
値段のこともあってD610はどうだろうかと打診、とてもいい、業界人からいろいろと言われた600でもいいと思うよ!とも言ってくれた。ということもあって現役のD610を購入した。

ところがその数日後、ほぼ同じランクのD750の登場が報じられた。後日「アサヒカメラ」誌でも紹介されたその表紙のタイトルは、真打登場D750である。そして例の如くかつて610を絶賛したカメラ評論家は、610への不服を述べる。新しく開発されたものがいいのは当たり前なので、まあそういうものだとも思うが、チェ!と舌打ちしたくなった。

さてそのD610、青森、盛岡、仙台と撮り歩いてきて戸惑ったのは、正しくいまどきのデジタルカメラ、うっかりするととんでもないことになって困ったりした。僕はやはりアナログ人間であることを自覚。なんとも!と思いながらも、そういう自分を慈しみたくもなった。

さて、東北ではD700にはシフトレンズをつけっ放しぱなしにして使いこなし、建築家のプロフィール撮影に610でトライした。
それにしても、シンプルなLUMIX-GF1とD700はとても使いやすい。
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腹心の友 花子とアンとジーター

2014-10-04 16:30:46 | 日々・音楽・BOOK

時の流れは速く、このようなことを書くのは、既に過去を振り返るような感じがしてきた。でも書いておきたい・
秋日和となった9月26日土曜日、「ジーター」コールの起った対戦相手レッドソックスの本拠地ボストン市にある フェンウェイ・パークでの、レッドソックス対ヤンキース戦である。テレビを見ながら「腹心の友」と言う一言を思い浮かべていた。NHKの朝ドラ「花子とアン」の最終回で、吉高由里子が扮する村岡花子が蓮子と亜矢子に対して送った言葉だ。
その前日、本拠地NY・ヤンキースタジアムで行う最後プレイで、対戦相手からも大きな拍手を受けて引退するジーター。野球だけが我が人生だと笑顔で述べるその姿を見ていると、野球を愛する人全てが、「我が腹心の友」だとジーターが言っているような感じがしてきたのだ。野球をやることが!とわが人生を振り返りながら特段の感慨を覚える。

<画面 本文と特段の関係はありません>
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