日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

友と 大嶺實清さんの´ぐい呑み´で味わう酒

2016-07-30 17:04:02 | 愛しいもの
僕の住む海老名でも、多分、事務所のある新宿でも梅雨が空けて晴天。沖縄の離島宮古島の女流建築家、その作品に心奪われ、ヒヤリングして書き綴った一稿と、委員の一人として8年間に渡って関わった四国の町役場(庁舎)保存・改修の経緯を、副町長に起稿していただいた原稿に添え書きをして、其れも昨日脱稿、いづれも建築ジャーナル誌に掲載する。ホッとしたこの土曜日、自宅で盛夏のひと時をのんびりと味わっている。
空調機にスイッチ入れ、そのささやかな冷風を扇風機を微かに回して調整、思い立ってスイッチを入れたオーディオからは、JAZZではなくて、アマリア・ロドリゲスの唄う「暗いはしけ」からスタートするファドが流れてくる。

淹れたマンデリンを味わいながら、この度の沖縄行きで手に入れることができて、親しい友人にプレゼントした大嶺實清さんの´ぐい呑み´のことを書き留めたくなった。掲載する写真は、おこぼれで戴いた小ぶりのぐい呑みと、愛用している實清さんの珈琲茶碗である。プレゼントしたのは奥から出して下さったこの手の少し大振りの逸品。手にとらせてもらったがそれはもう・・・

渋谷に友人が仕切って設計をし、コンペで獲って建てられたある企業の本社ビルの一階の、とてもいい感じの飲み屋で、箱から出して試し呑みをしてもらった。少し大振りだが大嶺實清さんの味わい深い`ぐい呑み`である。酒が旨い!

さて、アマリア・ロドリゲスからふと思い立って、ちょっと不思議な井上陽水の`ガイドのいない夜´。そしてやはりこれだ!ビル・エヴァンスのソロアルバム「alone」。夏の午後を味わう。
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沖縄の人々と共に

2016-07-24 13:28:29 | 建築・風景
22日の夜、何気なくTVのチャンネルを回していたら、沖縄の`やんばる`と言われる東村(ひがしそん)の山原の様相が映し出された。
山原(やんばる)は、山や自然の樹林などが残っていることを言うこの地の言葉である。
ヘリパットと呼称される(軍用の)ヘリコプター着陸帯の早朝からの移設工事の開始に際して、地元住民が中心となって車を並べて座り込み、其れを機動隊が500人を投入し、地元の警官が車を移動させ、住民を引っ張り出す様相が映し出された。またか!と`ことば`もでなかった。

僕が気になったのは、その後TVでも、僕の愛読紙「朝日新聞」でも、NHKをはじめとするTVでも、何の報道もなされないことだ。ふと、報道管制がなされたのか?と思ったものだ。

ところで僕の中に同時に浮かび上がったのは、辺野古の基地化に反発している翁長知事のコメントがないこと、その知事が、那覇市長の時、これからの沖縄を率いていく若き世代の、少年・少女のために建てた建築「沖縄少年会館」(設計宮里栄一)を取り壊して駐車場にし、早世したとは言え戦後の沖縄の建築界を率いてきた建築家金城俊光と金城信吉が沖縄の人々のためにと設計した「那覇市民会館」の解体を表明していることだ。二律背反である。

そして改めて思う。沖縄の建築は、沖縄の人のためだけに建てるのではない。日本の、世界の、人々の生きていくことに共感し、生きることを支えるために建てられたのだと敢えて書き記しておきたい。

<追記を!>
2009年に訪れたときに記載した「ヘリパット」のある東村のことを記載した僕のこのブログの一部を記載しておきたい。院生時代この東村に滞在して民俗学の視点から調査を行った渡邊欣雄博士の率いた母校明大の院生達と共に、数年間に渡った沖縄文化検索の旅に同行したときのものだ。
さて、ゴルファー宮里藍の里「東村」の現在の様相を見てみたくなった。

『東村では「気」の道を見、ハーリーの保管庫を見、門中墓と村共同体墓の格好の事例を見た。そしてここでも基地の影とも言っていい防衛施設庁助成による様々な施設、例えば護岸と道路の整備や博物館の設置、そして渡邊教授が愕然とした巨大な村役場の新設。僕が驚いたのは名護から更に奥に入るこの地域をやはり観光地として位置づけしようとしていることだった。役場にも小さな博物館にも観光案内のリーフレットやチラシが置いてある』

《追記》
やんばるのヘリパットの件ですが、Tosiさんからのコメントに在りますように、東京新聞に大きく、また沖縄の`琉球新報`などの地元紙にも詳細な状況報告がなされていました。その数日後朝日新聞では短い報告ですが、問題の視点を変えた政府のコメントなどがなされたことを追記しておきます。


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再録:トルコへの旅・垣間見たトルコの抱える問題(2007年)

2016-07-17 11:01:38 | 自然
一昨年7月15日、イスタンブールのボスポラス大橋を封鎖していた反乱軍が鎮圧された、との報がテレビや新聞で伝えられた。
いまから9年前になる2007年、DOCOMOMOの世界大会が首都アンカラで開催され、次回の大会を日本に招聘したいと考えたDOCOMOMO Japanの主要メンバーと共に、当時幹事長を担っていた僕は、まずイスタンブールに向かってこの地を味わった後、アンカラに向かった。そのときのエピソードの一端を再録して皆様にお伝えしたい。
この時も、一時空港が閉鎖されるなど、不穏な空気が漂ったことが頭をよぎる。
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トルコへ・・・

トルコへ行く直前、イスタンブールで爆破テロが起こった。一瞬出立をどうしたものかと戸惑った。そのほぼ一月前の8月27日にもイスタンブールと、エーゲ海に面した観光地マルマリスで計4件の爆発があり27人が負傷している。その翌日の28日トルコ南部のアンタルヤでも爆発が起こり、3名が死亡、数十人が負傷したという。アンタルヤは地中海に面したリゾート地で、観光客でにぎわう都市だ。

「クルディスタン開放のタカ」を名乗る組織がインターネット上で27日の事件について「トルコは安全な国ではない。観光客は来るべきではない」とする声明を出したと朝日新聞が伝えている。
観光はトルコのドル箱産業である。真偽は不明だが、反政府武装組織PKKがクルド人による独立を求めて武装闘争を続けており、トルコ軍が掃討作戦を行っているが、観光地の爆破は政府に打撃を与えるためだろうと報道された。

トルコは共和国建国以来80年以上にわたって国是としている政教分離の世俗主義と、国民の大半が信仰しているイスラム教との亀裂が起きている。EU(欧州連合)加盟を目指しているが政治の場でのイスラム化が難しい問題を引き起しているのだ。

EU加盟のもう一つの課題はキプロス問題だという。地中海にある島国キプロスは、ギリシャ系キプロス共和国と北キプロストルコ共和国に分裂して対立し、トルコは北キプロスを承認したが他国は拒否し、北キプロス共和国は2004年5月に単独でEUに加盟してしまった。それを受け入れたEUへの反発から過激な民族主義が台頭し始めている。
僕が国策だと感じたイスラムの都市風景にはこういう難しい問題が内在しているのだ。

イスタンブールにある日本領事館はテロを恐れて中心街から離れた高層ビルに移転した。
この領事館は大使館が首都アンカラに移った後もイスタンブールに残ってつかわれていた。オスマン朝末期の様式を伝える木造建築で文化財にも指定されている。
その建築が売りに出されたという。親日家として知られる研究者たちがその価値と保存を訴えるために、2006年末日本を訪れた。
「建築学的に重要なだけでなく、日本との友好、知的交流の証、それを売るなんて日本はそんなに貧しくなったの?」とは日本近代史の研究者ボアジチ大学のセルチュク・エセンベル教授の言葉だ。

こういうシビアな事態を垣間見た二つの事例を書いておきたい。
早朝に着いたイスタンブール、アタチュルク空港の出国の列がなかなか動かない。数人の検査官が現れ二人の男を連行した。「良くあるのよ・・偽のパスポートが露見して密入国者が捕まった」のだと、僕の後ろにいた日本人の団体客を案内しているガイドがいう。
僕は彼女のコトバを聞き、異国に来たことを実感し、さりげなくこのガイドが引き連れる観光客の後ろにくっついて薄暗く閑散としている両替所に向かった。

アンカラ空港で爆破があった。
イスタンブールの空港で篠田夫妻と待ち合わせ、アンカラで行われるDOCOMOMOの総会にむかう。そのアンカラ空港で篠田夫人がトイレに行った。なかなか戻らない。空港の出口が閉鎖された。篠田さんが心配して探し回ったがいない。十数人が取り残されたが突然出口の外で爆破音が起きた。

しばらくして正面のガラスの扉が開いた。篠田夫人が駆けてきた。ちょっと表を覗こうと思って裏口を出たら扉が開かなくなって戻れなくなり、離れて待機するように言われたという。不審物(もしかしたら不発弾)を爆破したようだ。
なぜか空港の係員も待機していた旅客も平然としている。

実はこうやって僕のイスタンブールとアンカラの旅が始まったのだ。

<<写真が鮮明でないことをお詫びします>


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沖縄(9)台風の余波の中で:宮古から本島へ

2016-07-09 23:24:47 | 自然

宮古と那覇で地の建築家に設計した建築を案内して戴き、軽く一杯やりながらヒヤリングをしてきた。
晴天続きだったこの7月、台風1号が、訪沖の前日3日午前9時頃にフィリピンに近いカロリン諸島に発生したとの報が入る。さてどうなるか!と思ったものの、宮古では降られず、ガジュマルやフクギの生い茂る山林の中に埋もれたウタキ(御獄)など案内してもらい、改めて琉球石灰岩の姿に心がざわついた。

嘗て、明大の文化人類学で一講座持っていた渡邊欣雄(現国学院大学)教授と、院生や学部生達数名でレンタカーを借り、その年の講義の終わった後、4年(4回)ほど本島を巡り歩いたが、その後一度だけ宮古を訪ね、本島との異なる歴史的文化を味わって好奇心が刺激されたことを想い起こしている。

それはさておき、宮古から本島に向かう飛行機の窓から見る、沈んでいく太陽が見え隠れしていく積乱雲の異様な姿に魅せられた。
台風は台湾の上空を通過して死者がでるなど大きな被害を与えることになるが、この積乱雲は、沖縄の人にとっては極く当たり前の光景のようで、やや興奮して魅せられたと述べても誰も反応してくれなかった。
まあ!飛行機の中からは見てないのだろうから仕方がないとは言え!
それにしても「凄い」。

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沖縄へ(8) 宮古から沖縄本島・今帰仁・米軍キャンプ旧海軍病院へ

2016-07-03 20:55:20 | 沖縄考

明日の早朝から、4泊5日で宮古・沖縄本島に行くことになった。
宮古で一泊し、女性の建築家に設計した建築を案内して戴いてヒヤリング、そして軽く!一杯やる。呑めるんでしょ!と念を押された。この時期どのホテル(安価な)も満室(さて高級ホテルだったらどうなのだろう!)。ふと思い立って宿屋でも好い?と問われ、願ってもないと、返事、ご自身が改修設計したという宿屋を紹介してくれた。なんとも楽しみである。
ところで、那覇でもよく泊まるホテルは全て満室、沖縄の季節になったのだ。

この度の訪沖では、DOCOMOMO Japanで選定した「今帰仁公民館」、キャンプ・レスターの中に建っている「旧海軍病院」の選定書と選定プレートを、今帰仁村の村長と、基地の司令官に差し上げる。根路銘さんと打ち合わせをしながらDOCOMOMOの幹事連の了解を得て、訪沖することになった。

DOCOMOMOで選定した沖縄の建築は、修道院を併設した「聖クララ教会」と、「那覇市民会館」の2軒だったが、昨年度の選定建築として二つの建築を新たに選定、2月の訪沖時にキャンプ内の海軍病院を内部も含めて見学させてもらっているのでその様相はよくわかっている。

米軍はキャンプ・フォスターに新しい病院を建て、選定した建築は空き家となっている。
いずれキャンプの返還がなされた後、この病院を沖縄の歴史の一齣として残しておきたいというのが選定した名目である。そして選定した建築を伝えるために記者会見を行う。
午後からは、JIA(日本建築家協会)沖縄の支部長を担った建築家に建てた建築を拝見してヒヤリング、その夜は「寓話」でJAZZだ。盟友ドラマーの津嘉山さんが登場する

さて、今朝、今年の台風第一号が発生したとの報が伝えられた。
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