日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

お知らせ

2018-02-19 21:50:45 | Weblog
最近迷惑コメントとトラックバックが送られることが多くなりましたので、当面確認の上公開させていただくようにします。どうかよろしくお願いいたします。
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白井晟一の雄勝町役場シンポの帰り・通り抜けた小野小町の郷で!

2016-08-28 12:28:59 | 建築・風景
撮った写真を検索していたら、単に露出不足だとも言い切れない気になる一枚が目に留まった。何処で撮ったのだろうと眼を凝らすと、微かに`道の駅おがち`という看板の文字が読み取れる。

データを検索すると6月12日の撮影。秋田県湯沢市で行われた「白井晟一」の設計した`旧雄勝町役場`を何とか保存したいというシンポジウムに、パネリストの一人として招聘されたその帰り道で立ち寄った秋田県最南端の`道の駅`だった。

シンポを聴講しもらい、車で送ってくれた仙台の建築家西村明男さんが、この地で採れる珍しい野菜を選んでお土産にとプレゼントしてくれたときの一枚。行き道は仙台の建築界の一翼を担う針生承一さんに、帰りは西村さんの車でという贅沢な旅、その道中、やり取りした建築談義は、僕が言うのも変だがこれもまた得も言われぬ面白さ、録音して於けばよかったと思ったことが心に留まっている。

更にこの「おがち」という街は、なにやら懐かしい平安時代の歌人「小野小町」の生誕地。パネル化された小町の案内板などに見入りながら、ホー!と溜息をつく旅になったものだ。
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竹とんぼと東葛高校同窓会

2016-08-21 12:22:59 | 小、中、高、大という時
母校、千葉県柏市に在る「県立東葛飾高校」は、2年前に`医歯薬コース`が設置され、今年度から2クラスの中学校を併設し、千葉県で二校目になるという`中高一環教育重点校`になった。 

58年前に卒業した僕達同級生は、卒業と同時に「葛の会」と称する組織をつくり、有志が集って読書会を行ったり、エッセイや近況報告を取りまとめながら、ガリ版刷りの会報を発行したりした。
そして、ある時(おそらく32年前)から5年毎に賑やかな同窓会を開催してきた。そしてこの6月、喜寿を迎えることに思いを寄せ、地元の柏や松戸、取手、野田近辺の同級生を中心としたメンバーから、柏から四十数年前に転居した神奈川県海老名市に居る僕にも相談があり、本来なら3年後に行う予定だった第7回の同窓会を開催する事になった。

葛の会は、その昔はともかく、柏市内の要所にビルを所有して柏市の様々な活動を担っている仲のいい小柳が、事務局長的な役割を果たしてくれている。
考えると不思議な感じがしないでもないが、この僕たちの`葛の会`には代表が居ない。同窓会をやる毎に誰かが言い出しっぺになってその同窓会の代表が決まる。さて!今回の`葛の会`僕は2度目の発起人(世話人)代表を担うことになった。そして会合の前に小柳を誘って母校を訪ね、教頭先生に母校の現状をお聞きした。

2年前に行った前回に続いて僕は、同窓生名簿の表紙のデザインをし、今回は代表として巻頭文を起稿した。その一部の抜書きを下記に転載する。

・・・『ところで母校のある柏のまちは、常磐線沿線の主要都市として変貌、とは言え遠くに住む私にとっては‘懐かしい故郷`とは到底言えないほど様代わりをしました。折りしも熊本で大震災が起って沢山の方々が亡くなられ、私事ですが小学生時代を過ごした熊本県の天草市下田(当時は天草郡下田村)の様相が気になって同級生に電話をして無事を確認、手術を繰り返している彼の体調を聞いたりしました。その下田は市になったものの過疎化が進んで同級生たちも離散し、母校も廃校になってしまったことをふと思い出しました。』・・・

実はこの日の前日、当日出席と回答していた取手駅の近くに住んでいた盟友が急逝した。
今回の代表として冒頭の挨拶をする僕は、彼の死去を伝えるかどうか心が定まらないまま壇上に上がり、しばらく瞑目して口から出た言葉は、盟友死去の報告だった。

<写真の`竹とんぼ`は同級生の小熊からのプレゼント。竹とんぼ名人の彼から何時ものようにホイと渡されたが、飛ばしてみると正しく名人、得も言われぬ見事な飛び方、今回は先端に赤印のあるのも一つ、左利き用の竹トンボだった>
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小田急沿線・ただ見て歩き! 民家 鶴川文化センター

2016-08-16 20:46:50 | 建築・風景
何時の頃からか、おそらく朝のみとは言え、ロマンスカー通勤をするようになった3年ほど前から気になっていた家屋がある。鶴川駅を通過するときに右手に垣間見える古ぼけた民家、大屋根と下見板張りの外壁とのバランスがとてもいいように見え、「建築家はこの家屋を超えることができるか!」とアジ的なタイトルが思い浮んだ。

しかも屋根が茅葺でも瓦でもないトタン(亜鉛引き鉄板)の様相。でも錆びだらけ。建てられたのはおそらく数十年前、この様相を見ると、このあたりは戦災を免れたのだろうとも思われるが、もしかしたらこの地の大地主の母屋だったのではないかと夢想する。

この夏、10日間ほど夏休みをとることにした。
そして予てから目論んでいた小田急沿線の、気になる幾つかの建築を見て歩こうと思い立った。そのスタートが鶴川のこの民家。

鶴川の駅を降りてのブラ歩き。歩き始めてオヤッ!と思ったのは、この道歩いたことがある、という既視感。そして現れた家屋、広い空地を前にして車が3台駐車しており、1階前面のかなりの改装がなされた様相を観、嘗て思い立って訪ねてみたものの、車窓から見るイメージとの落差があって、文章化できなかったのだと想い起こした。
一階の中央には出入り口があったと思われるが壁になっているし、その仕上げ材に違和感を覚える。とは言え もごもごと我一人つぶやく。この空地は嘗てはお屋敷の庭だったのだろう。そう思うと好奇心が湧いてきた。

道に面して妻入りの入り口がある。「鶴川文化センター」の大きな看板が掛けられている。職員に会えれば様相が解るのだろうが、この日は夏休みとかで入り口のガラスドアには鍵が掛かっている。
でもまあこうも思った。この地の田園風景の中に、或いは嘗て此処に在った集落の中に建っていた大きな庄屋、ふと僕はこの3月に訪れてヒヤリングした岡山の建築家大角雄三さんの田畑に囲まれた実家、改修した嘗ての大きな庄屋屋敷の姿を想い起こしていた。



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この夏日、オリンピックを観ながら、キャメロン展を想う

2016-08-07 16:32:44 | 文化考

光を受けた積乱雲の漂う夏日、アスリートと彼らを支える人達の、時折浮き浮きし、そして時折涙ぐみたくもなるリオでのオリンピックで戦う選手の様を味わいながら、2週間前に拝観したジュリア・マーガレット・キャメロンの、「視線」とサブタイトルをつけた写真展を想い起こしている。

久し振りに訪れた東京丸の内の三菱一号館美術館。
広くはない展示室を巡り歩くこの美術館は、作品群やその展示構成によって味わい方が異なるので是非交々。でもこの写真創世記の写真展構成とクラシカルな展示室の有様、更にこの時代の女性がトライした写真が醸し出す空気観が折り重なって、得も謂れぬ味わいを醸し出している。
こういう世界があるのだと、会場を改めて見渡しながら感じるものもある。

1815年(江戸時代)にインドで生まれたキャメロンは、英国の上層中流階級の社交界を楽しんでいたが、写真という記録媒体に惹かれ、独自の感性で写真技術にトライしながら上流階級の人々の撮影にトライする。

撮影の対象はキャメロンだからトライできた上流階級の人々であるとは言え、単なる記念写真ではなく作品である。大人と子供のやり取りが聴こえてくるような芝居のささやかな一齣を感じさせるような画面構成、遠くを見つめる女性のプロフィールにしても、その微細な女心の一齣を感じ取れる。
そして乾板作成という技術にトライしてプリントアウトした、ほぼ150年程前になるオリジナルプリントも展示されていている。久し振り写真とは何かということを考えさせられた。

<この写真展は9月19日まで開催されている>
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夏の日に 蝉の音を!

2016-08-04 14:18:25 | 沖縄考

蝉の音が喧(かまびす)しい。
新宿の西口を出て事務所に向かう朝の9時半頃、ヨドバシカメラや世界堂の脇道を抜けて京王プラザホテルの左手の欅並木の道をゆっくりと下っていくと、ここを先途と鳴き喚く蝉の音を、我が身に受ける。さらに西口公園の脇道に差し掛かるとそれはまあ騒音(!)の坩堝(るつぼ)。
時折、手が届く幹にへばりついて鳴いている姿を見てしばし立ち止まるが、その懸命な姿が微笑ましくなってしまい、まあ頑張れよとでも言いたくなる。その僕の足元には、寿命尽きて転がっている姿が目に入ることもある。踏まれるのは不憫だとも思い、拾い上げて木の根っこあたりにぽいと置く。

しかし、新宿の蝉の音はまだしも、この7月に訪れた沖縄、一泊した宮古島の「かたあきの里」の蝉の音は狂癲動地だった。
眼があいたら、まだうす暗いのに一瞬頭が(聴覚が)おかしく(異常に)なったのではないかと思うくらいのわうんわうんとの異常音、どうしたのかと思ったら蝉の音。こういうものかとは思ったものの、此の地が揺らいでいるような気もしてくる。そうだ!、夏だ!、とこの異郷の地が愛おしくもなった。

余話を。
一番座、二番座の背後にある三番座(奥の座・プライベート室)におかれたベッドで一泊。
ふと眼があき、帰宅したらしき若き男女の笑い声とやり取りが聞こえてきた。壁にかかっている時計を見たら午前2時。そうかここは、沖縄の民家の形態を取り込んだ10軒ほどの宿泊施設、僕の向かいには、夏休みの若き青年男女が宿泊しているのだろうと思ったものだが、すぐに僕は寝こんでしまった。

<写真、一泊した宮古島「かたあきの里」の家屋>
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友と 大嶺實清さんの´ぐい呑み´で味わう酒

2016-07-30 17:04:02 | 愛しいもの
僕の住む海老名でも、多分、事務所のある新宿でも梅雨が空けて晴天。沖縄の離島宮古島の女流建築家、その作品に心奪われ、ヒヤリングして書き綴った一稿と、委員の一人として8年間に渡って関わった四国の町役場(庁舎)保存・改修の経緯を、副町長に起稿していただいた原稿に添え書きをして、其れも昨日脱稿、いづれも建築ジャーナル誌に掲載する。ホッとしたこの土曜日、自宅で盛夏のひと時をのんびりと味わっている。
空調機にスイッチ入れ、そのささやかな冷風を扇風機を微かに回して調整、思い立ってスイッチを入れたオーディオからは、JAZZではなくて、アマリア・ロドリゲスの唄う「暗いはしけ」からスタートするファドが流れてくる。

淹れたマンデリンを味わいながら、この度の沖縄行きで手に入れることができて、親しい友人にプレゼントした大嶺實清さんの´ぐい呑み´のことを書き留めたくなった。掲載する写真は、おこぼれで戴いた小ぶりのぐい呑みと、愛用している實清さんの珈琲茶碗である。プレゼントしたのは奥から出して下さったこの手の少し大振りの逸品。手にとらせてもらったがそれはもう・・・

渋谷に友人が仕切って設計をし、コンペで獲って建てられたある企業の本社ビルの一階の、とてもいい感じの飲み屋で、箱から出して試し呑みをしてもらった。少し大振りだが大嶺實清さんの味わい深い`ぐい呑み`である。酒が旨い!

さて、アマリア・ロドリゲスからふと思い立って、ちょっと不思議な井上陽水の`ガイドのいない夜´。そしてやはりこれだ!ビル・エヴァンスのソロアルバム「alone」。夏の午後を味わう。
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沖縄の人々と共に

2016-07-24 13:28:29 | 建築・風景
22日の夜、何気なくTVのチャンネルを回していたら、沖縄の`やんばる`と言われる東村(ひがしそん)の山原の様相が映し出された。
山原(やんばる)は、山や自然の樹林などが残っていることを言うこの地の言葉である。
ヘリパットと呼称される(軍用の)ヘリコプター着陸帯の早朝からの移設工事の開始に際して、地元住民が中心となって車を並べて座り込み、其れを機動隊が500人を投入し、地元の警官が車を移動させ、住民を引っ張り出す様相が映し出された。またか!と`ことば`もでなかった。

僕が気になったのは、その後TVでも、僕の愛読紙「朝日新聞」でも、NHKをはじめとするTVでも、何の報道もなされないことだ。ふと、報道管制がなされたのか?と思ったものだ。

ところで僕の中に同時に浮かび上がったのは、辺野古の基地化に反発している翁長知事のコメントがないこと、その知事が、那覇市長の時、これからの沖縄を率いていく若き世代の、少年・少女のために建てた建築「沖縄少年会館」(設計宮里栄一)を取り壊して駐車場にし、早世したとは言え戦後の沖縄の建築界を率いてきた建築家金城俊光と金城信吉が沖縄の人々のためにと設計した「那覇市民会館」の解体を表明していることだ。二律背反である。

そして改めて思う。沖縄の建築は、沖縄の人のためだけに建てるのではない。日本の、世界の、人々の生きていくことに共感し、生きることを支えるために建てられたのだと敢えて書き記しておきたい。

<追記を!>
2009年に訪れたときに記載した「ヘリパット」のある東村のことを記載した僕のこのブログの一部を記載しておきたい。院生時代この東村に滞在して民俗学の視点から調査を行った渡邊欣雄博士の率いた母校明大の院生達と共に、数年間に渡った沖縄文化検索の旅に同行したときのものだ。
さて、ゴルファー宮里藍の里「東村」の現在の様相を見てみたくなった。

『東村では「気」の道を見、ハーリーの保管庫を見、門中墓と村共同体墓の格好の事例を見た。そしてここでも基地の影とも言っていい防衛施設庁助成による様々な施設、例えば護岸と道路の整備や博物館の設置、そして渡邊教授が愕然とした巨大な村役場の新設。僕が驚いたのは名護から更に奥に入るこの地域をやはり観光地として位置づけしようとしていることだった。役場にも小さな博物館にも観光案内のリーフレットやチラシが置いてある』

《追記》
やんばるのヘリパットの件ですが、Tosiさんからのコメントに在りますように、東京新聞に大きく、また沖縄の`琉球新報`などの地元紙にも詳細な状況報告がなされていました。その数日後朝日新聞では短い報告ですが、問題の視点を変えた政府のコメントなどがなされたことを追記しておきます。


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再録:トルコへの旅・垣間見たトルコの抱える問題(2007年)

2016-07-17 11:01:38 | 自然
一昨7月15日、イスタンブールのボスポラス大橋を封鎖していた反乱軍が鎮圧された、との報がテレビや新聞で伝えられた。
いまから9年前になる2007年、DOCOMOMOの世界大会が首都アンカラで開催され、次回の大会を日本に招聘したいと考えたDOCOMOMO Japanの主要メンバーと共に、当時幹事長を担っていた僕は、まずイスタンブールに向かってこの地を味わった後、アンカラに向かった。そのときのエピソードの一端を再録して皆様にお伝えしたい。
この時も、一時空港が閉鎖されるなど、不穏な空気が漂ったことが頭をよぎる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

トルコへ・・・

トルコへ行く直前、イスタンブールで爆破テロが起こった。一瞬出立をどうしたものかと戸惑った。そのほぼ一月前の8月27日にもイスタンブールと、エーゲ海に面した観光地マルマリスで計4件の爆発があり27人が負傷している。その翌日の28日トルコ南部のアンタルヤでも爆発が起こり、3名が死亡、数十人が負傷したという。アンタルヤは地中海に面したリゾート地で、観光客でにぎわう都市だ。

「クルディスタン開放のタカ」を名乗る組織がインターネット上で27日の事件について「トルコは安全な国ではない。観光客は来るべきではない」とする声明を出したと朝日新聞が伝えている。
観光はトルコのドル箱産業である。真偽は不明だが、反政府武装組織PKKがクルド人による独立を求めて武装闘争を続けており、トルコ軍が掃討作戦を行っているが、観光地の爆破は政府に打撃を与えるためだろうと報道された。

トルコは共和国建国以来80年以上にわたって国是としている政教分離の世俗主義と、国民の大半が信仰しているイスラム教との亀裂が起きている。EU(欧州連合)加盟を目指しているが政治の場でのイスラム化が難しい問題を引き起しているのだ。

EU加盟のもう一つの課題はキプロス問題だという。地中海にある島国キプロスは、ギリシャ系キプロス共和国と北キプロストルコ共和国に分裂して対立し、トルコは北キプロスを承認したが他国は拒否し、北キプロス共和国は2004年5月に単独でEUに加盟してしまった。それを受け入れたEUへの反発から過激な民族主義が台頭し始めている。
僕が国策だと感じたイスラムの都市風景にはこういう難しい問題が内在しているのだ。

イスタンブールにある日本領事館はテロを恐れて中心街から離れた高層ビルに移転した。
この領事館は大使館が首都アンカラに移った後もイスタンブールに残ってつかわれていた。オスマン朝末期の様式を伝える木造建築で文化財にも指定されている。
その建築が売りに出されたという。親日家として知られる研究者たちがその価値と保存を訴えるために、2006年末日本を訪れた。
「建築学的に重要なだけでなく、日本との友好、知的交流の証、それを売るなんて日本はそんなに貧しくなったの?」とは日本近代史の研究者ボアジチ大学のセルチュク・エセンベル教授の言葉だ。

こういうシビアな事態を垣間見た二つの事例を書いておきたい。
早朝に着いたイスタンブール、アタチュルク空港の出国の列がなかなか動かない。数人の検査官が現れ二人の男を連行した。「良くあるのよ・・偽のパスポートが露見して密入国者が捕まった」のだと、僕の後ろにいた日本人の団体客を案内しているガイドがいう。
僕は彼女のコトバを聞き、異国に来たことを実感し、さりげなくこのガイドが引き連れる観光客の後ろにくっついて薄暗く閑散としている両替所に向かった。

アンカラ空港で爆破があった。
イスタンブールの空港で篠田夫妻と待ち合わせ、アンカラで行われるDOCOMOMOの総会にむかう。そのアンカラ空港で篠田夫人がトイレに行った。なかなか戻らない。空港の出口が閉鎖された。篠田さんが心配して探し回ったがいない。十数人が取り残されたが突然出口の外で爆破音が起きた。

しばらくして正面のガラスの扉が開いた。篠田夫人が駆けてきた。ちょっと表を覗こうと思って裏口を出たら扉が開かなくなって戻れなくなり、離れて待機するように言われたという。不審物(もしかしたら不発弾)を爆破したようだ。
なぜか空港の係員も待機していた旅客も平然としている。

実はこうやって僕のイスタンブールとアンカラの旅が始まったのだ。

<<写真が鮮明でないことをお詫びします>


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沖縄(9)台風の余波の中で:宮古から本島へ

2016-07-09 23:24:47 | 自然

宮古と那覇で地の建築家に設計した建築を案内して戴き、軽く一杯やりながらヒヤリングをしてきた。
晴天続きだったこの7月、台風1号が、訪沖の前日3日午前9時頃にフィリピンに近いカロリン諸島に発生したとの報が入る。さてどうなるか!と思ったものの、宮古では降られず、ガジュマルやフクギの生い茂る山林の中に埋もれたウタキ(御獄)など案内してもらい、改めて琉球石灰岩の姿に心がざわついた。

嘗て、明大の文化人類学で一講座持っていた渡邊欣雄(現国学院大学)教授と、院生や学部生達数名でレンタカーを借り、その年の講義の終わった後、4年(4回)ほど本島を巡り歩いたが、その後一度だけ宮古を訪ね、本島との異なる歴史的文化を味わって好奇心が刺激されたことを想い起こしている。

それはさておき、宮古から本島に向かう飛行機の窓から見る、沈んでいく太陽が見え隠れしていく積乱雲の異様な姿に魅せられた。
台風は台湾の上空を通過して死者がでるなど大きな被害を与えることになるが、この積乱雲は、沖縄の人にとっては極く当たり前の光景のようで、やや興奮して魅せられたと述べても誰も反応してくれなかった。
まあ!飛行機の中からは見てないのだろうから仕方がないとは言え!
それにしても「凄い」。

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