日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

お知らせ

2018-02-19 21:50:45 | Weblog
最近迷惑コメントとトラックバックが送られることが多くなりましたので、当面確認の上公開させていただくようにします。どうかよろしくお願いいたします。
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沖縄へ(7) 白亜の緑ヶ丘公園前トイレ

2016-05-21 18:49:51 | 沖縄考
国際通りからふいと車が横道に入った。
左手に緑に満ちたこんもりと盛り上がった公園前の道路に沿って、白い彫刻とも建築ともいえない建造物が建っている。この通りはニューパラダイス通り、ロマンに満ちたネーミングだ。

ベンチを組み込んだ休憩スペースとトイレとのコラボ。日本トイレ協会の主催による昨2015年11月に開かれたトイレシンポジウムで紹介され、「那覇市緑ヶ丘公園エントランススペース意匠選定設計競技で」選ばれて構築されたとのことだ。

設計者は、国建に所属する若手建築家の二人、案内してくれた根路銘さんも若い建築家が育つことに笑みを浮かべる。
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星薬科大学でのDOCOMOMO Japanの総会

2016-05-15 23:20:28 | 建築・風景
昨5月14日(土)、星薬科大学のディスカションルームで開催された、今年度のDOCOMOMO Japanの総会に参加した。数年前に幹事長役を渡邉研司東海大学教授に引き受けてもらい、DOCOMOMO Japan創設や発展に寄与して抱いた阪田誠造氏、亡くなられた林昌二氏などに続いて、その折名誉会員に推挙されたが久し振りに会う若きメンバーがそれなりの役割を担っていることにホッとしたり、心強く思ったりもしたものだ。

この校舎は、1924年(大正10年)若き日のアントニン・レーモンドの設計によって建てられた。
レーモンドを伴なって帝国ホテルの設計のために来日したF・Lライトやキュビズムの影響が見てとれ、日本の建築の軌跡・変遷を考える上でも貴重な建築であるとして、昨年、DOCOMOMO Japanの選定建築として選定された。数年ぶりに訪れて改めて感じたことは、レーモンドにこの建築の設計をさせたこの学校の創設者星一(ほしはじめ)の存在を抜きにしては、この建築を語ることはできないと言うことだった。

中原街道からの、見事な銀杏並木を通り抜けると、訪れた僕たちや学生達を迎えてくれる本館の前に設置されているこの学校の創設者`星一(はじめ)の銅像の、右手の遥かな先を、微かに微笑んで見遣るその姿に、その想いが込められているのだと感じ散れた。

一昔前になるが、レーモンド事務所のOBから声がかかり、2度ほどこの建築を見学させて戴き、写真を撮らせてもらったことがある。久し振りに訪れたが、時代に即してエレベーターが設置されたものの、階段のないこの建築のスロープを含めて、この本館のすべてが見事に手入れされていて、建てられてから92年を経たとは思えない。

要は外観を半円球とした鉄骨造による大講堂。植栽を取り込んだステンドグラスからの採光が味わい深いが、当初のものではなくて、薬草をモチーフにして後年取り付けたとの事で、さもありなんとも思ったものだ。

久し振りに臨んだ総会で報告されたDOCOMOMO Japanの活動報告を聞き、参加したメンバーを見て世代が変わっていくことを実感したが、台湾やマカオのDOCOMOMOへの加盟に尽力をするなど、本部からの要請があって各国のモダニズム建築20選の選定を日本からもと要請されて組織化し、ブラジリアの大会でアジアでは初の加盟をした国際組織の中で、僕たちのJapanが、益々様々な役割を果たしてるようで、心強い。
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2015年アカデミー作品賞・脚本賞「スポットライト」を観て!

2016-05-08 20:55:00 | 文化考

この連休の初めに、来宅した娘と共に、`世紀のスクープ`と副題のある映画「スポットライト」を観て衝撃を受けた。

カタログにはこうある。「The true story behind the scandal・・・」。ボストン グローブ紙の記者たちが、巨大権力の"大罪・スキャンダル"を暴いた衝撃の実話!と副題的に記載されている。
巨大権力とはローマ教皇が束ね統治する聖域バチカンとリンクしている神父連のことで、ボストンのカトリック教会での幼児虐待を捉えた実話に基づいているとある。
一週間を経てこの映画を想い起こしながら一言だけでも書いておこうと思った。

ボストンの、妻帯しない男の(性の)世界、つまりこの映画で捉えられた人の日常生活に深く根付いている宗教の秘めたる世界の一側面、とも言い難いのは、このカタログには《スポットライト》報道後調査した、この神父達による児童への性的虐待が判明した全米の都市や、各国とその地域名のリスト207箇所名が記載されていることだ。
その数には溜息が出るが、同時にJapanの名がないのにホッとした。

ところでこの映画の画面を思い起こしながら頷いたのは、15年前になる2001年9月11日に勃発した同時多発テロ「9.11」、ニュヨークのWTCビルの倒壊の映像が一瞬とは言え映し出されたことだ。そしてこの時代の出来事なのだと得心する。
更に終演後に映し出されるキャスト共に、この映画の舞台となった教会の司教が、バチカンに招聘されたとの一言が映し出されることに、ある意味やるせない映画の製作者の心根が感じ取れた。

このカタログには、この映画放映後のエピソードも紹介されていて、様々なことを考えさせられた。
例えば、全米各地で教会が賠償金で破綻」「ついにローマ教皇が辞任」などの小見出しのある報告文と、「タブーに切り込む記者たちの背中を押すもの」と題した一文などに、映画に捕らえられた関係者とその世界、その後の宗教界の様相もうかがえて、思わず考え込んでしまった。

更に想い起こされるのは、俳優連の演じる記者連、志は強くても、同僚の考えをしっかりと受け止めるそのスタンスやその振る舞いにも心打たれた。
俳優の余りにもと言いたくなる記者の日常を演じるその演技が旨いからなのだろうか!

<カタログの表紙を表示したいと思ったが、掲載禁止との記載があるので断念、文章だけとする>
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沖縄へ(6) 和やかな日差しの中の奥竹島のハーリー

2016-05-07 14:36:37 | 沖縄考
小学生時代を過ごした熊本県天草郡下田村北(現・天草市下田)の天草灘に注がれる下津深江川の河口で、かつて毎年行われていた、部落対抗戦で沸き立つ「ぺーロン」の様子が、蘇ってきた。
南城市の海沿いを走ると現れる奥竹島。150メートルほどの短い橋を渡ると、簡単な屋根をかけた船置き場が現れ、そこに「ハーリー」が置かれていたからだ。

下田でも、長崎でも「ぺーロン」と呼称されているが、此処沖縄では「ハーリー」である。
此処でのハーリーは、例年旧暦の5月4日に行われるとのことだが、今年は6月4日(水)、豊魚や航海の無事を祈願する海神祭として根付いていて、海人(うみんちゅ)の島の伝統に思いを馳せた。

ところでこの島の名物は「てんぷら」である。てんぷら店が軒を並べ、大樹の木陰では、家族連れの人たちが、旨そうにウースターソースをかけた`てんぷら`を頬張っている。衣が厚くてもちもち、がイメージコトバ。`おやつ`なのだそうだ。
春の日の中の「ハナリ奥竹」離れ島奥竹の一齣だった。
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夢を育む`ISLAY STORM`

2016-05-04 20:49:50 | 愛しいもの

この休日、スコットランド・マイラ島のシングルモルト・スコッチ ウイスキイ「アイラ島の嵐:」を愛飲している。 一頃、`ラフロイグ`や`ボウモア`にぞっこんになっていて、味わいの違うこの二つのボトルを欠かしたことはなかったが、何せ今の僕には少々高価になってちょっとつらくなっていた。
そこで探し出したのが`アイラ島の嵐`「ISLAY STORM」(40%VoL)である。

嵐の荒海を波を蹴立てて乗り切るヨットのイラストに惹かれたということでも在ったが、そのイメージが膨らんできて、それだけでも遥かなるアイレイ、マイラ島への想いが膨らんでくる。
スコットランド、イングランド、ウエールズ、アイルランドの様々な課題に満ちたこの連合王国の様に好奇心が刺激されるが、とは言え、その様相について一概には述べにくいし、ここでは敢えて述べることでもないだろう。

口に合う、味わい深く、ロマンに満ちて!とだけこのISLAYを、ボソボソと述べておく。ウイィ!
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沖縄へ(5) 大城按司の ボウントウ御墓

2016-04-30 14:03:07 | 沖縄考
2年前になる2014年の5月に訪れた「大城按司(うふぐすくあんじ)」の御墓(うはか)をこの機会に記載しておくことにした。

前記の玉城城址と同じく南城市に位置し、案内板によると、14世紀中期から末期と言われる大城按司「真武」は島添大里按司(大里城主)との戦いい敗れて稲福村で自害し、当初は小石を丸く積み上げて塚にしたと伝えられているとある。
その後いくたびか改築されて1892年(明治25年)にこの地に移築されたとのことだ。上部がドーム状の石積みとなっていて、その形からボントウ御墓とも呼ばれているとも記載されている。

確かに沖縄文化の一端を寿ぐと考えて、数多くの沖縄の墓を訪ねてきたが、この形状の墓を見たのは初めてだった。
先人たちの先達に対しての想いが込められているような気がしていて、拝見してから2年を経たいまでも心に深く留まっている。

この墓は、県の指定文化財となっているが、木々に埋もれながらもおまいりする人の気配があって心打たれた。

<追記:記載してから一夜明け、眼をあけたらこの御墓を想い起こしていた。この御墓を再興しようとしたのは何故?誰なのだろうか?シマンチュウにとっては考えるまでもなく ごく当たり前のことなのだろうか!>
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沖縄、東北そして北海道巡りを考える:NHK「沖縄 学徒の遺書」をみて

2016-04-24 17:42:59 | 建築・風景
2月に沖縄、4月の東北、そして例年の10月或いは11月の北海道巡り。旅への意味合いが少しずつ違うとは言え、この「三つの旅」への想いを再考してみたくなった。ただみて歩く!そうであったほうがいいと。これが僕の旅、だった。さて?

この三つの旅達は、日本全国の建築家に設計した建築を案内してもらって写真を撮り、生い立ちも含めてヒヤリングして写真とエッセイによって建築ジャーナル誌に連載して4年目に入った「建築家模様」での取材とは、異なる旅である。

仕組みを考えてみたくなった!とは短絡的だが、昨3月23日、NHKのTV「目撃!日本列島・沖縄 学徒の遺書」見、瞑目しながら浮かび上がってきた思いである。「沖縄の学徒の遺書」、詳細については敢えて触れず最後に一言だけ付記しておきたいが、この僕のブログを文章化する時の僕の思いは、「人の生きることとは何か」という命題である。

さて三つの旅。つい先日の東北、2011年3月11日に被災した跡を写真家小岩勉さんに車で案内してもらって、その様を心に留め置く。出会いは小岩さんの著作、後に被災する女川、「女川海物語」(1992年3月カタツムリ社刊)だった。

北海道の旅、若き朋友moroさんに、と言うよりも、moroさんと共に十数年前から毎年異なる地域をやはり車で、時には一泊して廻ってきた。ある意味、建築検索ツアーでもある。風土と建築、僕の建築に関する問題意識の根底にある課題を探る旅でもある。世代の違うmoro建築観との対話の旅だとも言っておきたい。
そしてこの旅での一齣、札幌市立大学での羽深教授の院生への僕の建築へのトライを伝える講義、これもまた僕の旅でもある。

そして沖縄。
近年は2月11日(建国記念日)に聖クララ教会・修道院で行われる建築士会島尻支部の建築家根路銘さんの肝いりで行われてきたコンサートに参加(毎年会場に詰め掛けた方々に一言挨拶を述べさせてもらう)。
その根路銘さんとの出会い、その前には(何度も繰り返して述べてきたが)数年に渡って母校明大の大学院で一講座を担っていた渡邊欣雄教授(現・國學院大學)と院生を中心としたグループに同行、風水などを視野に入れた琉球・沖縄文化検索の学術的な旅、これが僕の沖縄感のベースになっている。
そして根路銘さんが車で案内してくれる建築を含めた多彩なツアー。ライブハウス「寓話」でのJAZZは僕の沖縄での拠点の一つであることをあえて付記しておきたい。

この三つの旅の一つのこの沖縄。「沖縄 学徒の遺書」は、中学生時代に学徒動員で徴兵され戦没した若者を捉えたドキュメントである。この亡くなった学徒の家族へ向けた遺書に出会った若き女性レポーターの涙に言葉が出ない。

ただ、歩いて視るだけでいいのか!

<写真 昨2015年2月13日の那覇空港にて>
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仙台から帰郷し 暴風雨の中で:熊本の大地震

2016-04-17 16:33:45 | 東北考
今朝のここ神奈川県海老名市は暴風雨。昨夜(4月16日)になって、やっと天草の友人と電話が繋がった。

熊本県での大地震、小学生時代を過ごした60数年前になる西海岸沿いの小さな下田村北小学校(廃校になったが・現在は熊本県天草市)の同級生。心配することはないよ!との事でホッとし、下田に住んでいる数人の同級生の様子など聞いた。被災ではなく病状、お互い、万全ではないのでまずそういうことになる。
とは言うものの、小学生時代に、阿蘇山の近くの菊池出身の先生に連れられて阿蘇山に登ったことなどが瞬時に浮かび上がってきた。

13日、先週の水曜日、朝の5時に起き、小田急線の電車に飛び乗って東京駅へ、東北新幹線`やまびこ`での仙台行き。駅の近くで写真家小岩勉さんに車で拾ってもらい、まず建築家針生承一さんが設計した`名取市斎場`に向かう。
4人の方々の葬儀が行われていた被災を受けた名取市閑上地区、この一帯は気になって訪ねた3年前とほとんど変わらない広大な野原のままだ。打ち放しのコンクリートで建てた建築家の力量を改めて受け留める。こうやって今年の東北の旅が始まった。

泉区明石南の「Artgallery杜」で15日から始まる小岩さんの写真展「日をかぞえる/河口へ」のテーマ、名取川の河口。その一角の倒壊した石碑が横たわっている五柱神社(仙台市泉区明石南)と日本一低い山と言われる「日和山(ひよりやま)」を訪ねた後河口へ。新設した堤防、言葉もなく見入る小岩さん。
川水と海水が交わる河口、この地から観る海を望む風景は、良きにつけ悪しきにつけ刻々と様相が変わっていくのだろうと思われる。

その後、例年のごとく北上、今年は高速道に乗って、女川へ向かう。想定していたとはいえ、造成工事が続く女川の1年後の様子を見てこれでいいのかと言葉も出ない。
この夜は東北大学教授森教授を交えて小岩さんと共に青葉区本町の「玄孫(やしゃご)」へ。この呑み食い処は、岡山の建築家大角雄三さんの設計による木造建築。「仙台で 人と人とが つながりて」がこの店のキャッチフレーズ。正しく、僕たちのことだ!

ところで翌日14日は、建てた建築を拝見しながらの仙台の建築家へのヒヤリング、夕刻針生さんと痛飲、JIAの会合での課題、デザインビルドなどの生々しいテーマをボソボソと取り交わす。
さて16日に小岩さんのモノクロによる写真展を拝見して得心、帰郷。新宿の事務所に立ち寄て盛り沢山のメールなどを確認する。

そして昨朝ベッドの中でぼんやりとしていたら、妻君から熊本被災の報が伝えられて動転、TVに見入った。

<写真 閑上(ゆりあげ)と女川の駅前通り(正面に女川駅を見る):2016年4月13日撮影>

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沖縄へ(4) 糸数城址、玉城城址、そして知念と「間切り」

2016-04-10 14:22:32 | 沖縄考
社会人類学、ことに風水研究の第一人者渡邊欣雄先生に率いられて、明大の院生たちと数年に渡る沖縄ツアーを共にし、沖縄本島の今帰仁、中城(なかぐすく)などなど、大方の城址は観て来たと思っていた。
ところが今年2月の沖縄紀行、根路銘さんに案内していただいた城址の存在には気がつかず、改めて沖縄の多彩な風土と歴史の変遷に思いを馳せることになった。

訪れたのは、南城市近辺の城址である。車での道中、急斜面の突端にも石垣が見えたりして、大よそ600年ほど前のこの地(琉球)の、群雄割拠の時代に想いを馳せる。
気になるのは「間切り」という一言である。例えば上記渡邊欣雄先生が中心となって編纂された「沖縄民俗辞典」で「間切り」`を検索すると、前近代の`地方行政区分`だとされており、一間切りは大体十数ヵ村から成っていて、当時の村と間切りは関連があると思われるものの、詳細は不明であるとされる。

ところで、案内してもらったのは、初日は`糸数城址`、`玉城城址`、翌日に`勝連城址´。この地の間切りは玉城間切り、知念間切り、さて糸数は!と思いながらも、そのどれにも琉球の歴史を秘めた様々な物語が内在していることに思わず瞑目したくなってくる。
間切りは時代によって変化していると想われるが、僕が参照している資料にはこの表記は明治時代の間切りとされている。汲めども尽きぬ好奇心が刺激される琉球・沖縄の歴史だ。

ふと思う。嘗てご一緒した渡邊先生による沖縄紀行、再開できないものだろうか。根路銘さんにも時折同行して戴きながら!   <写真:玉城城址の入り口>
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