日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

お知らせ

2018-02-19 21:50:45 | Weblog
最近迷惑コメントとトラックバックが送られることが多くなりましたので、当面確認の上公開させていただくようにします。どうかよろしくお願いいたします。
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JAZZ・「ルー タバキン トリオ」と巡りあって!

2016-09-25 11:03:19 | 日々・音楽・BOOK

柏市のWUUでのLEW TABACKIN TRIO(ルー タバキン トリオ)のライブ。
今年も訪れた2月の那覇`寓話`でのライブ以来のJAZZ。テナーサックスとフルートのタバキンを支えるベースのボーリス・コズロブとマーク・テイラーのドラムスとの絶妙なコンビネーションに心が揺さぶられた。

更にタバキンの、JAZZというジャンルを遥かに越えたといいたくなったフルートのソロは、日本の風土の一側面を美学として捉えており、ふと、若き日、アメリカを舞台にビッグバンドを率いてきた秋吉敏子夫人の故郷への想いへの心根を、極く自然に汲み取っているかとつい瞑目する。

ルー タバキンは僕と同い年、敏子夫人は11歳年上とのこと、JAZZに酔いしれながら人の生きることを思いもかけず考えることにもなった。
僕は何はともあれ建築家。同時に同じ建築家にヒヤリングをして写真を撮り文章を書いて人を考えているが、タバキントリオのJAZZ MENはさてどうなのだろう!

WUUは高校時の同級生小柳の所有するビルの4階にあるライブハウス。此処でこの6月、母校東葛飾高校の同級生の「葛の会」の同窓会を行った。僕の住いからは電車を乗り継いで2時間半ほど掛かるが、何はともあれ人の縁とは不思議なものだ。
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「芸術は森からはじまる」:愛知県立芸大建築環境専門部会で!

2016-09-19 14:50:42 | 建築・風景

今年の2月に行われた「愛知県立芸術大学」の第5回の委員会(施設整備委員会建築環境評価専門部会)に続く、先週9月16日の午後2時からの、今年度第1回(通算第7回)の委員会に出席した。

校舎群のある長久手の森は、まだ紅葉の姿を見ることができなかったとは言え、秋の気配が深まってきて、耐震改修がなされた建築群が僕たち委員を待ち受けてくれたような気がしないでもない。言い方が悪いかもしれないが`喜びと照れ、ささやかな困惑`。

キャンパスでは「芸術は森からはじまる」と題した大学創設50周年記念展示が様々な`場所`でなされていて、このキャンパス建築群の設計者吉村順三と実務を担った奥村昭雄の名前が記されたキャンパスの大きな模型が「芸術資料館」に展示されていた。

そして帰宅したものの、何時までも僕の頭の何処かに残っているのは、誰しも眼を向けるこのキャンパスの要、「講義棟」の東側に設置されていて、異様な(失礼!)若者群(男女)が声を発している寺井尚行(1979年卒)の`50sVoices`である。そのコメント……開学以来、多くの若者が、人生でもっとも多感なとき、様々な悩む事が出来る時を、自然に包まれたキャンパスで送ってきた。そして、今も、これからも、脈々と……
そしてふと、この講義棟に刻まれている「直指天」を見遣る。上野直昭初代学長の想い、`己の心を見極める`という意とのことだ。

委員会では、状況報告と芸術学部新校舎(新デザイン棟)新設の検討をした後の小一時間、委員と共に改修された校舎群を見た後会議室に戻って、その成果などをやり取りした。予算が厳しい中でそれなりの成果を得たのではないか!というのが一致した僕たちの評価だったが、長期間に渡り、この委員会(部会)で関わった8棟、担当する設計者、施工業者も変わって、委員として関わった愛知芸大の先生方の現地での苦労も察しできる。

終会後、委員長を担った水津教授と共に、ここも手を入れたかったものだね!などとのやり取りをしながら改めてキャンパス巡りをした。

<写真・耐震補強をした鉄骨面の一部に「芸術は森からはじまる」と記した大きな布がさりげなく掛けられた。講義棟の左脇に設置された白い作品が`50sVoices`>  :文中敬称略
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朝ドラ「とと姉ちゃん」でのコトバ使いに!

2016-09-14 15:16:53 | 日々・音楽・BOOK
「そういえばお母さんはよく『暮らしの手帖』を見ていたね!」と我が妻君がのたまう。
妻の一言で、大正3年生まれだった亡き母が愛読していたことをふと想い起し、一冊くらいとっておけばよかったと悔やんだ。

僕は毎朝NHK 1チャンネルの朝ドラを見てからやおら立ち上がり、リュックサックの中を確認して背負い込み、小田急線に乗って新宿の事務所に向かう。
我が家の新聞は、僕の生まれる前から朝日、でも週刊誌「週刊朝日」を読むことはほぼ皆無。
処がふと何かの広告で,NHK朝ドラ「とと姉ちゃん」に異議あり!!という特集が組まれていることを知って駅の売店で買ってページをめくった。

僕が気になっていたのは特集されている「暮らしの手帖」編集長だった花守安治のことや、その多少の事実誤認問題ではない。伝記を伝えるドキュメンタリーではなくて、`朝ドラ`なんだから!そんなの目くじら立てるほどのものではない、と思っている。

ということで毎朝TVを楽しく拝見しているものの、例えば、主役とと姉ちゃん常子が、常に発するコトバ「・・・してもらってもいいですか?」という言葉使いが耳障り、気になっている。
「・・・して下さい」とか、「…してくださいませんでしょうか」というのが、このドラマの時代の当たり前の言葉使いだろう。まあ、昨今。何処へ行っても、著名百貨店でもレストランでも…その言葉使いに僕はなにがしかの違和感を覚えるものの、この朝ドラ、時代を考えればありえないコトバ使いではないだろうか。
さてさて、「どうしたもんじゃろう!」これは誰の言い回しでしたっけ!

<付記:とと姉ちゃんのTV画像や、上記した週刊朝日の写真などは使えませんので、何の関係もありませんが、我が家の近くにある賑やかな海老名中央公園の写真を添付しておきます>
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9・11 米同時テロから15年

2016-09-11 18:02:24 | 建築・風景

今日は9月11日、「9・11」である。

2001年の9月11日(日)の午後、何気なく自宅でテレビを見ていたら、ニューヨークの超高層二棟並列のWTCビル(世界貿易センター)の一棟に、飛行機が突っ込んだ映像が飛び込んできた。思わず身を乗り出して観ていたら、もう一機が隣り合わせのもう一棟に突っ込んだ。これは生放送だった。

年月を経ての9・11、感慨深いものがあるが、その映像を観たのは既に15年前にもなるものの、いつまでも忘れ難い。TVでは、その後他の政府施設にも突っ込んだ様子が放映され、「同時多発テロ」だと伝えられた。更に300人を超える死者がでて、二十数人の日本人が含まれていたとの報道があり、当時はアラブ系のグループによるハイジャックだとされた。

今朝、9・11の朝日新聞では、第2面全面を使い`「テロとの戦い」9.11から15年´と題し、マドリード、ロンドン、パリ、ニース、そしてつい最近(2ヶ月前)のダッカなど世界各地で行われてきたテロ、「見えない敵」「拡散する戦場」と題した特集を組んだ。
そして39面(社会)には、此処で父を亡くし、当時3歳だったテロ遺児とも言われる大学生が父を想いながら国際法、アラビア語を学び、NYでの追悼式典に今年も母と共に参列すると記載されている。

ところで沖縄に関する生々しい報道などで気になっていた「東京新聞」を駅の売店で購入。どう捉えているのだろうかと眼を通す。

2面にニューヨーク共同便の記事が記載されていた。副題に「傷痕今も生々しく」と記され、跡地は再開発が進んで賑わいを取り戻したが、犠牲者の4割の遺体がまだ見つからず…傷痕が今でも生々しく残っていると書かれている。更に5面の社説欄に、「不条理な死」をなくすと題し、このテロで当時34歳だった長男をなくした父親が、9・11になると毎年「息子に会うために」NYのグランド・ゼロを訪れてきたが、79歳になった今年も訪れ、息子の声は聞こえないものの「どこかでみていてくれると感じる」と述べたことが記載されている。

そして「世界はテロにおびえている」との巻頭言に即して、世界のワーキングプアは世界で一億5千万人にも及び、圧政や腐敗と並んで貧困は過激派主義の栄養源だと指摘した。

更に今日のTV、NHKプレミアムの午後4時からの`幻解!超常ファイル`でも、3・11が取り上げられている。サブタイトルは、私たちと`「9・11」陰謀論`である。何となく釈然としないながらも様々な憶測が紹介され、ちらちらと画面を見遣りながら僕はこの一文を書き進めている。

ところで建築家槇文彦さんは、崩壊したWTCビルの跡地に、世界の著名建築家によって建てられた数棟の建築の一つを担当された。
DOCOMOMOセミナーでの講演依頼と講演テーマの打ち合わせのためにオフィスをお訪ねしたときに、公表する前のNYの建築の映像を拝見し、感嘆したことを思い出し、この一文に付記したくなった。

<初秋9・11、うろこ雲(秋の雲)の写真(空の右上に微かに見える雲)を添付します>
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小田急沿線・ただ見て歩き(2) 槇文彦の町田市庁舎:追記0907

2016-09-04 16:25:11 | 建築・風景

毎朝厚木駅から各駅停車に乗り、町田駅でロマンスカーに乗り換えて事務所のある新宿に向かう。
その町田には、小田急百貨店、ヨドバシカメラ、版画などを額縁に収める作業をしてくれる世界堂、そしてJIAの同人・大宇根弘司の設計した版画美術館などがあり、時折出かける馴染みの街でもある。

その町田、毎朝駅に着く直前の左手奥に、一目見て槇文彦の設計した建築だとわかる瀟洒な「町田市庁舎」の姿が垣間見えていて長い間気になっていた。ことに、そのペントハウスの姿のどこかにル・コルビュジエ建築が想い起こされて好奇心が刺激されてもいた。

そして、何時の日だったか親しい建築家から「エ!まだ観てないの!」といわれた事も僕の中に留まっている。この夏休み、リオのオリンピックTV観戦で寝不足、少々ボーっとしていたがウイークデイでないと閉館しているだろうとも思い立って、出かけてみた。そして、オヤッ!と思ってしまう。

電車から見える光景が見て取れない。前面には市民ホールと、時を経た都営の高層共同住宅が建っていて全貌が見えず、屋根のある自転車置き場が設置されていて、下からは見上げるしかない。前面道路に面してはベンチのある屋根の付いたアーケイド(ともいえる)が併設されていて、そこから庁舎に入る主要な入り口が設置されている。そこを通り抜けるとこの庁舎の全貌が見て取れる。

庁舎は、上記アーケイドのある前面道路面は側壁、建築の正面には張り出した低層建築があって、この庁舎にはいわゆる`正面`がないのではないかとも思える。そして前面に縦リブを配したカーテンウォール的な形状とタイルを張った壁、正面のない建築?これも一つの回答ともいえるだろうが、さてどうしたものかと首を捻った。

追記―0907
「正面のない家」と表記された住宅がある。坂倉準三建築研究所大阪支所の西澤文隆によって1962年に建てられた先駆的な!と言ってもいいコートハウスで、DOCOMOMO150選にも選定された西澤の代表作の一つでもある。塀が外壁で建築の様を見せない構成・意匠である。

では前記した`正面のない建築`という言い方を改めて考えてみると、趣きがちょっと変わって、正面がない=「全てが正面」と言った方がいいのでないかとも思えてきた。
ことに裏道であっても道路に面した、或いは他の建築越しに現れる外観のすべてが、その趣は違えどファサード「正面」なのだと言いたくなる。とすると大通りの反対側の川添いの狭い道路面を歩いて高層面を仰ぎ見て、その先の低層部分を見ながら右手に回ると、何となく裏面だと言いたくなる意匠なのだがさて如何なものか?

<写真:左手に町田駅につながるメイン道路がある> ―文中敬称略―
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白井晟一の雄勝町役場シンポの帰り・通り抜けた小野小町の郷で!

2016-08-28 12:28:59 | 建築・風景
撮った写真を検索していたら、単に露出不足だとも言い切れない気になる一枚が目に留まった。何処で撮ったのだろうと眼を凝らすと、微かに`道の駅おがち`という看板の文字が読み取れる。

データを検索すると6月12日の撮影。秋田県湯沢市で行われた「白井晟一」の設計した`旧雄勝町役場`を何とか保存したいというシンポジウムに、パネリストの一人として招聘されたその帰り道で立ち寄った秋田県最南端の`道の駅`だった。

シンポを聴講しもらい、車で送ってくれた仙台の建築家西村明男さんが、この地で採れる珍しい野菜を選んでお土産にとプレゼントしてくれたときの一枚。行き道は仙台の建築界の一翼を担う針生承一さんに、帰りは西村さんの車でという贅沢な旅、その道中、やり取りした建築談義は、僕が言うのも変だがこれもまた得も言われぬ面白さ、録音して於けばよかったと思ったことが心に留まっている。

更にこの「おがち」という街は、なにやら懐かしい平安時代の歌人「小野小町」の生誕地。パネル化された小町の案内板などに見入りながら、ホー!と溜息をつく旅になったものだ。
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竹とんぼと東葛高校同窓会

2016-08-21 12:22:59 | 小、中、高、大という時
母校、千葉県柏市に在る「県立東葛飾高校」は、2年前に`医歯薬コース`が設置され、今年度から2クラスの中学校を併設し、千葉県で二校目になるという`中高一環教育重点校`になった。 

58年前に卒業した僕達同級生は、卒業と同時に「葛の会」と称する組織をつくり、有志が集って読書会を行ったり、エッセイや近況報告を取りまとめながら、ガリ版刷りの会報を発行したりした。
そして、ある時(おそらく32年前)から5年毎に賑やかな同窓会を開催してきた。そしてこの6月、喜寿を迎えることに思いを寄せ、地元の柏や松戸、取手、野田近辺の同級生を中心としたメンバーから、柏から四十数年前に転居した神奈川県海老名市に居る僕にも相談があり、本来なら3年後に行う予定だった第7回の同窓会を開催する事になった。

葛の会は、その昔はともかく、柏市内の要所にビルを所有して柏市の様々な活動を担っている仲のいい小柳が、事務局長的な役割を果たしてくれている。
考えると不思議な感じがしないでもないが、この僕たちの`葛の会`には代表が居ない。同窓会をやる毎に誰かが言い出しっぺになってその同窓会の代表が決まる。さて!今回の`葛の会`僕は2度目の発起人(世話人)代表を担うことになった。そして会合の前に小柳を誘って母校を訪ね、教頭先生に母校の現状をお聞きした。

2年前に行った前回に続いて僕は、同窓生名簿の表紙のデザインをし、今回は代表として巻頭文を起稿した。その一部の抜書きを下記に転載する。

・・・『ところで母校のある柏のまちは、常磐線沿線の主要都市として変貌、とは言え遠くに住む私にとっては‘懐かしい故郷`とは到底言えないほど様代わりをしました。折りしも熊本で大震災が起って沢山の方々が亡くなられ、私事ですが小学生時代を過ごした熊本県の天草市下田(当時は天草郡下田村)の様相が気になって同級生に電話をして無事を確認、手術を繰り返している彼の体調を聞いたりしました。その下田は市になったものの過疎化が進んで同級生たちも離散し、母校も廃校になってしまったことをふと思い出しました。』・・・

実はこの日の前日、当日出席と回答していた取手駅の近くに住んでいた盟友が急逝した。
今回の代表として冒頭の挨拶をする僕は、彼の死去を伝えるかどうか心が定まらないまま壇上に上がり、しばらく瞑目して口から出た言葉は、盟友死去の報告だった。

<写真の`竹とんぼ`は同級生の小熊からのプレゼント。竹とんぼ名人の彼から何時ものようにホイと渡されたが、飛ばしてみると正しく名人、得も言われぬ見事な飛び方、今回は先端に赤印のあるのも一つ、左利き用の竹トンボだった>
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小田急沿線・ただ見て歩き(1) 民家 鶴川文化センター

2016-08-16 20:46:50 | 建築・風景
何時の頃からか、おそらく朝のみとは言え、ロマンスカー通勤をするようになった3年ほど前から気になっていた家屋がある。鶴川駅を通過するときに右手に垣間見える古ぼけた民家、大屋根と下見板張りの外壁とのバランスがとてもいいように見え、「建築家はこの家屋を超えることができるか!」とアジ的なタイトルが思い浮んだ。

しかも屋根が茅葺でも瓦でもないトタン(亜鉛引き鉄板)の様相。でも錆びだらけ。建てられたのはおそらく数十年前、この様相を見ると、このあたりは戦災を免れたのだろうとも思われるが、もしかしたらこの地の大地主の母屋だったのではないかと夢想する。

この夏、10日間ほど夏休みをとることにした。
そして予てから目論んでいた小田急沿線の、気になる幾つかの建築を見て歩こうと思い立った。そのスタートが鶴川のこの民家。

鶴川の駅を降りてのブラ歩き。歩き始めてオヤッ!と思ったのは、この道歩いたことがある、という既視感。そして現れた家屋、広い空地を前にして車が3台駐車しており、1階前面のかなりの改装がなされた様相を観、嘗て思い立って訪ねてみたものの、車窓から見るイメージとの落差があって、文章化できなかったのだと想い起こした。
一階の中央には出入り口があったと思われるが壁になっているし、その仕上げ材に違和感を覚える。とは言え もごもごと我一人つぶやく。この空地は嘗てはお屋敷の庭だったのだろう。そう思うと好奇心が湧いてきた。

道に面して妻入りの入り口がある。「鶴川文化センター」の大きな看板が掛けられている。職員に会えれば様相が解るのだろうが、この日は夏休みとかで入り口のガラスドアには鍵が掛かっている。
でもまあこうも思った。この地の田園風景の中に、或いは嘗て此処に在った集落の中に建っていた大きな庄屋、ふと僕はこの3月に訪れてヒヤリングした岡山の建築家大角雄三さんの田畑に囲まれた実家、改修した嘗ての大きな庄屋屋敷の姿を想い起こしていた。



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この夏日、オリンピックを観ながら、キャメロン展を想う

2016-08-07 16:32:44 | 文化考

光を受けた積乱雲の漂う夏日、アスリートと彼らを支える人達の、時折浮き浮きし、そして時折涙ぐみたくもなるリオでのオリンピックで戦う選手の様を味わいながら、2週間前に拝観したジュリア・マーガレット・キャメロンの、「視線」とサブタイトルをつけた写真展を想い起こしている。

久し振りに訪れた東京丸の内の三菱一号館美術館。
広くはない展示室を巡り歩くこの美術館は、作品群やその展示構成によって味わい方が異なるので是非交々。でもこの写真創世記の写真展構成とクラシカルな展示室の有様、更にこの時代の女性がトライした写真が醸し出す空気観が折り重なって、得も謂れぬ味わいを醸し出している。
こういう世界があるのだと、会場を改めて見渡しながら感じるものもある。

1815年(江戸時代)にインドで生まれたキャメロンは、英国の上層中流階級の社交界を楽しんでいたが、写真という記録媒体に惹かれ、独自の感性で写真技術にトライしながら上流階級の人々の撮影にトライする。

撮影の対象はキャメロンだからトライできた上流階級の人々であるとは言え、単なる記念写真ではなく作品である。大人と子供のやり取りが聴こえてくるような芝居のささやかな一齣を感じさせるような画面構成、遠くを見つめる女性のプロフィールにしても、その微細な女心の一齣を感じ取れる。
そして乾板作成という技術にトライしてプリントアウトした、ほぼ150年程前になるオリジナルプリントも展示されていている。久し振り写真とは何かということを考えさせられた。

<この写真展は9月19日まで開催されている>
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