日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

お知らせ

2018-02-19 21:50:45 | Weblog
最近迷惑コメントとトラックバックが送られることが多くなりましたので、当面確認の上公開させていただくようにします。どうかよろしくお願いいたします。
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沖縄の人々と共に

2016-07-24 13:28:29 | 建築・風景
22日の夜、何気なくTVのチャンネルを回していたら、沖縄の`やんばる`と言われる東村(ひがしそん)の山原の様相が映し出された。
山原(やんばる)は、山や自然の樹林などが残っていることを言うこの地の言葉である。
ヘリパットと呼称される(軍用の)ヘリコプター着陸帯の早朝からの移設工事の開始に際して、地元住民が中心となって車を並べて座り込み、其れを機動隊が500人を投入し、地元の警官が車を移動させ、住民を引っ張り出す様相が映し出された。またか!と`ことば`もでなかった。

僕が気になったのは、その後TVでも、僕の愛読紙「朝日新聞」でも、NHKをはじめとするTVでも、何の報道もなされないことだ。ふと、報道管制がなされたのか?と思ったものだ。

ところで僕の中に同時に浮かび上がったのは、辺野古の基地化に反発している翁長知事のコメントがないこと、その知事が、那覇市長の時、これからの沖縄を率いていく若き世代の、少年・少女のために建てた建築「沖縄少年会館」(設計宮里栄一)を取り壊して駐車場にし、早世したとは言え戦後の沖縄の建築界を率いてきた建築家金城俊光と金城信吉が沖縄の人々のためにと設計した「那覇市民会館」の解体を表明していることだ。二律背反である。

そして改めて思う。沖縄の建築は、沖縄の人のためだけに建てるのではない。日本の、世界の、人々の生きていくことに共感し、生きることを支えるために建てられたのだと敢えて書き記しておきたい。

<追記を!>
2009年に訪れたときに記載した「ヘリパット」のある東村のことを記載した僕のこのブログの一部を記載しておきたい。院生時代この東村に滞在して民俗学の視点から調査を行った渡邊欣雄博士の率いた母校明大の院生達と共に、数年間に渡った沖縄文化検索の旅に同行したときのものだ。
さて、ゴルファー宮里藍の里「東村」の現在の様相を見てみたくなった。

『東村では「気」の道を見、ハーリーの保管庫を見、門中墓と村共同体墓の格好の事例を見た。そしてここでも基地の影とも言っていい防衛施設庁助成による様々な施設、例えば護岸と道路の整備や博物館の設置、そして渡邊教授が愕然とした巨大な村役場の新設。僕が驚いたのは名護から更に奥に入るこの地域をやはり観光地として位置づけしようとしていることだった。役場にも小さな博物館にも観光案内のリーフレットやチラシが置いてある』


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再録:トルコへの旅・垣間見たトルコの抱える問題(2007年)

2016-07-17 11:01:38 | 自然
一昨7月15日、イスタンブールのボスポラス大橋を封鎖していた反乱軍が鎮圧された、との報がテレビや新聞で伝えられた。
いまから9年前になる2007年、DOCOMOMOの世界大会が首都アンカラで開催され、次回の大会を日本に招聘したいと考えたDOCOMOMO Japanの主要メンバーと共に、当時幹事長を担っていた僕は、まずイスタンブールに向かってこの地を味わった後、アンカラに向かった。そのときのエピソードの一端を再録して皆様にお伝えしたい。
この時も、一時空港が閉鎖されるなど、不穏な空気が漂ったことが頭をよぎる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

トルコへ・・・

トルコへ行く直前、イスタンブールで爆破テロが起こった。一瞬出立をどうしたものかと戸惑った。そのほぼ一月前の8月27日にもイスタンブールと、エーゲ海に面した観光地マルマリスで計4件の爆発があり27人が負傷している。その翌日の28日トルコ南部のアンタルヤでも爆発が起こり、3名が死亡、数十人が負傷したという。アンタルヤは地中海に面したリゾート地で、観光客でにぎわう都市だ。

「クルディスタン開放のタカ」を名乗る組織がインターネット上で27日の事件について「トルコは安全な国ではない。観光客は来るべきではない」とする声明を出したと朝日新聞が伝えている。
観光はトルコのドル箱産業である。真偽は不明だが、反政府武装組織PKKがクルド人による独立を求めて武装闘争を続けており、トルコ軍が掃討作戦を行っているが、観光地の爆破は政府に打撃を与えるためだろうと報道された。

トルコは共和国建国以来80年以上にわたって国是としている政教分離の世俗主義と、国民の大半が信仰しているイスラム教との亀裂が起きている。EU(欧州連合)加盟を目指しているが政治の場でのイスラム化が難しい問題を引き起しているのだ。

EU加盟のもう一つの課題はキプロス問題だという。地中海にある島国キプロスは、ギリシャ系キプロス共和国と北キプロストルコ共和国に分裂して対立し、トルコは北キプロスを承認したが他国は拒否し、北キプロス共和国は2004年5月に単独でEUに加盟してしまった。それを受け入れたEUへの反発から過激な民族主義が台頭し始めている。
僕が国策だと感じたイスラムの都市風景にはこういう難しい問題が内在しているのだ。

イスタンブールにある日本領事館はテロを恐れて中心街から離れた高層ビルに移転した。
この領事館は大使館が首都アンカラに移った後もイスタンブールに残ってつかわれていた。オスマン朝末期の様式を伝える木造建築で文化財にも指定されている。
その建築が売りに出されたという。親日家として知られる研究者たちがその価値と保存を訴えるために、2006年末日本を訪れた。
「建築学的に重要なだけでなく、日本との友好、知的交流の証、それを売るなんて日本はそんなに貧しくなったの?」とは日本近代史の研究者ボアジチ大学のセルチュク・エセンベル教授の言葉だ。

こういうシビアな事態を垣間見た二つの事例を書いておきたい。
早朝に着いたイスタンブール、アタチュルク空港の出国の列がなかなか動かない。数人の検査官が現れ二人の男を連行した。「良くあるのよ・・偽のパスポートが露見して密入国者が捕まった」のだと、僕の後ろにいた日本人の団体客を案内しているガイドがいう。
僕は彼女のコトバを聞き、異国に来たことを実感し、さりげなくこのガイドが引き連れる観光客の後ろにくっついて薄暗く閑散としている両替所に向かった。

アンカラ空港で爆破があった。
イスタンブールの空港で篠田夫妻と待ち合わせ、アンカラで行われるDOCOMOMOの総会にむかう。そのアンカラ空港で篠田夫人がトイレに行った。なかなか戻らない。空港の出口が閉鎖された。篠田さんが心配して探し回ったがいない。十数人が取り残されたが突然出口の外で爆破音が起きた。

しばらくして正面のガラスの扉が開いた。篠田夫人が駆けてきた。ちょっと表を覗こうと思って裏口を出たら扉が開かなくなって戻れなくなり、離れて待機するように言われたという。不審物(もしかしたら不発弾)を爆破したようだ。
なぜか空港の係員も待機していた旅客も平然としている。

実はこうやって僕のイスタンブールとアンカラの旅が始まったのだ。

<<写真が鮮明でないことをお詫びします>


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沖縄(9)台風の余波の中で:宮古から本島へ

2016-07-09 23:24:47 | 自然

宮古と那覇で地の建築家に設計した建築を案内して戴き、軽く一杯やりながらヒヤリングをしてきた。
晴天続きだったこの7月、台風1号が、訪沖の前日3日午前9時頃にフィリピンに近いカロリン諸島に発生したとの報が入る。さてどうなるか!と思ったものの、宮古では降られず、ガジュマルやフクギの生い茂る山林の中に埋もれたウタキ(御獄)など案内してもらい、改めて琉球石灰岩の姿に心がざわついた。

嘗て、明大の文化人類学で一講座持っていた渡邊欣雄(現国学院大学)教授と、院生や学部生達数名でレンタカーを借り、その年の講義の終わった後、4年(4回)ほど本島を巡り歩いたが、その後一度だけ宮古を訪ね、本島との異なる歴史的文化を味わって好奇心が刺激されたことを想い起こしている。

それはさておき、宮古から本島に向かう飛行機の窓から見る、沈んでいく太陽が見え隠れしていく積乱雲の異様な姿に魅せられた。
台風は台湾の上空を通過して死者がでるなど大きな被害を与えることになるが、この積乱雲は、沖縄の人にとっては極く当たり前の光景のようで、やや興奮して魅せられたと述べても誰も反応してくれなかった。
まあ!飛行機の中からは見てないのだろうから仕方がないとは言え!
それにしても「凄い」。

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沖縄へ(8) 宮古から沖縄本島・今帰仁・米軍キャンプ旧海軍病院へ

2016-07-03 20:55:20 | 沖縄考

明日の早朝から、4泊5日で宮古・沖縄本島に行くことになった。
宮古で一泊し、女性の建築家に設計した建築を案内して戴いてヒヤリング、そして軽く!一杯やる。呑めるんでしょ!と念を押された。この時期どのホテル(安価な)も満室(さて高級ホテルだったらどうなのだろう!)。ふと思い立って宿屋でも好い?と問われ、願ってもないと、返事、ご自身が改修設計したという宿屋を紹介してくれた。なんとも楽しみである。
ところで、那覇でもよく泊まるホテルは全て満室、沖縄の季節になったのだ。

この度の訪沖では、DOCOMOMO Japanで選定した「今帰仁公民館」、キャンプ・レスターの中に建っている「旧海軍病院」の選定書と選定プレートを、今帰仁村の村長と、基地の司令官に差し上げる。根路銘さんと打ち合わせをしながらDOCOMOMOの幹事連の了解を得て、訪沖することになった。

DOCOMOMOで選定した沖縄の建築は、修道院を併設した「聖クララ教会」と、「那覇市民会館」の2軒だったが、昨年度の選定建築として二つの建築を新たに選定、2月の訪沖時にキャンプ内の海軍病院を内部も含めて見学させてもらっているのでその様相はよくわかっている。

米軍はキャンプ・フォスターに新しい病院を建て、選定した建築は空き家となっている。
いずれキャンプの返還がなされた後、この病院を沖縄の歴史の一齣として残しておきたいというのが選定した名目である。そして選定した建築を伝えるために記者会見を行う。
午後からは、JIA(日本建築家協会)沖縄の支部長を担った建築家に建てた建築を拝見してヒヤリング、その夜は「寓話」でJAZZだ。盟友ドラマーの津嘉山さんが登場する

さて、今朝、今年の台風第一号が発生したとの報が伝えられた。
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横浜「関外」吉田新田の一齣

2016-06-23 12:02:33 | 文化考
この18日(土)、桜木町南口に集合し、街を歩き写真を撮る建築ツアーに同行した。このツアーのタイトルは「写真家中川道夫氏とめぐる横浜の隠れた歴史―撮り歩き」。
「隠れた歴史」とは横浜「関外、旧吉田新田エリア」といういわば裏社会の様相を捉えたネーミングである。

「関内」は馴染み深く、JR根岸線に関内駅があり、南口には村野藤吾の設計した市庁舎があり、北口を出ると、棟方志功との縁もある勝烈庵が在って、小さかった娘にカツレツを食べさせたいと、妻君を自宅に置いて厚木から出かけたり、建築家同士でワイワイと立ち寄ったことがある。しかし、「関外」という言い方と「旧吉田新田」と言うネーミングをこの歳になって初めて聞いた。

このツアーの企画は、JIA(日本建築家協会)関東甲信越支部の「建築家写真倶楽部」。
僕はその創設に関わったが、横浜にオフィスを構える建築家藤本幸光が僕の後を引き継いでその活動の2回目。そして、横浜の裏社会の一側面を感じ取れる、づしりと心のどこかに妖しいこの地が留まった不思議なツアーとなった。

そして僕とも親しい、若き日に美術出版社から「上海紀聞」という写真と見事な文筆よるレポートによる魅力的な著作のある写真家中川氏の、この地にのめりこむ一側面を、藤本が生々しく引っ張りだしたと言ってもよく、歩きながら「人」とは何者だとつらつら考えてしまうことになり、興味が尽きなかった。

「関外:旧吉田新田」は、横浜駅を背にすると桜木町の右手に存在する一帯で、嘗ては海沼とも言いたくなる沼草の茂る浅瀬を埋め立てたとのことだ。タイ人や朝鮮人や中国人などが多く住まうことになり、どうやら番外地的な様相が醸し出されている。路地を巡りながらついつい42条2項道路はどうなっているの?と、家屋が密集する一帯を案内して貰いながら、野暮な質問をしてしまった。

夕やみ迫る前にこの地を引き上げて中華街へ突進してしまったが、こだわりの紹興酒を味わいながらふと、いずれ夕闇にネオンの瞬くこの地を再訪してみたくなった。中華街のギラギラを見ていたら、何故か、必死に生きている人間の底根が窺えるような気がしてきたので!

<写真・炎天下で見ると何故か物悲しくなる>
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秋田県雄勝で 建築家白井晟一を語ること

2016-06-10 11:48:51 | 建築・風景
今夕刻仙台に行って一泊し、明朝針生承一さんの車に乗って秋田県湯沢市に向い、建築家白井晟一の設計した「雄勝町役場」の保存に関するシンポジウムに参加する。
話をする僕のタイトルは「私の中の白井晟一建築」。

若き日、母校の恩師「堀口捨己」教授と共に、後年建築の設計に関わることになって、僕の中では次元の違う建築の存在に瞑目することになった白井晟一は、拝見した建築と共に、数々の論考によって、「人」の生きていくことへの原点を示唆させて頂いたと想っている。

僕の実家が長崎だからということでもないが、親和銀行本店や大波止支店のあの空間が、僕のどこかにいつまでも留まっている。銀座支店が無くなり、親和銀行は福岡銀行に吸収されるやもと伝え聞いたが、雄勝町役場と近くにある白井建築を拝見した後、5人のパネリスト共に、お互いの白井晟一論を語り合うのが楽しみです。

<写真 親和銀行大波止支店打ち合わせコーナー>
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羽田空港のTVで オバマ大統領のメッセージを聞いて

2016-06-02 14:45:22 | 文化考
5月27日午後の羽田空港、四国松山空港へのフライトを待ちながら放映されたTV、オバマ大統領の広島平和公園でのメッセージにくぎ付けになった。

翌28日9時半から行われる松山から車で走ってほぼ1時間半かかる鬼北町の、「鬼北町合併10周年記念」と、A・レーモンドの設計した町役場、「庁舎(町役場)再生記念の式典」に参加するために、フライトの1時間ちょっと前に羽田に着いた。
ところが滑走路での事故によりゲートが閉鎖されていて、掲示板でも出発できるかどうかは未定とされている。さてどうなることかと様子をうかがっていたら、すでに待合場は長蛇の列、これはいかんとともかく並ぶことにした。その長さ数百メートル、すぐの僕の後ろにも大勢の人の列が繋がっていく。

掲示板には次々と欠航の文字。僕の後ろに並んだ函館に行くというおばちゃんがスマホを見て、どうやら大韓航空機が滑走路で炎上したようだと僕に伝えてくれた。
友人と函館で待ち合わせていたが欠航なので千歳で会おうということになったようだ。でも掲示板に千歳の名が出てこないと困惑しているので、千歳空港は「札幌」ですよ!と教えると仰天。初の北海道の旅だそうな! なんとなく仲良しになった。

さて、掲示板の松山行きは欠航だが、その後の便は就航未定だが満席と表示、最終便の掲示がない。ダメもとでと思って2時間並んでやっとフロントにたどり着き、可愛い女性の担当者に相談したら、最終便は満席だが、その前便には3席ある、でも出立できるか欠航になるかは確定していないとのこと。ダメもとでとチケットを受け取り、取りあえず機械で入力してみて待機してほしいと言われて機械操作。そして15分ほど待っていたら就航の文字。出発はさらに1時間半ほど遅れるが、何よりも松山に行ける。
ゲートを通って待合の場へ。そこでTVにくぎ付けになった。  <やっと冒頭の一文に・・・戻る>

広島の平和公園で、オバマ大統領と阿倍首相が慰霊の献花をしメッセージを述べる。
欠航が多いせいか待合スペースの椅子は閑散とはしているものの、皆身を乗り出してTVに見入っている。ところが僕の座っている列の若者は、スマホでゲームに取り組んでいて見向きもしない。そしてついと立ってどこかへ行ってしまった。今時の若者は! と僕は憮然 (苦笑!)。

さて大統領として初めての広島訪問、記念公園での17分にもわたる演説(メッセージ)、同時通訳なので通訳の声もテッロップも断片的だが、オバマ氏の想いが伝わってきた。
翌日の新聞評、ことに若き気鋭とされる研究者の論考は`大統領の訪問歓迎一色に違和感`とされ、研究者としてはそう論考しないと立場が成り立たないのかもしれないとは思うものの、彼への違和感を覚えた。
むしろ被曝したが91歳まで生き延びた坪井氏が涙ぐみ、オバマ氏がそっと肩を抱き寄せる姿に溜息が出た。

気になっていたオバマ大統領の一言、最後に女学生時代の僕の叔母が爆心地近くの工場で被災した長崎の名が!
日本は第2次大戦を引き起こした加害者、長崎で生まれた父がフィリピンで戦死し僕たち家族は彼方此方転居したが、朝日新聞での坪井氏の一言、「憎しみが消えたわけではない、オバマさんが原爆を落としたわけではない、責めても仕方がない、人類のために手を取り合って、核廃絶に取り組む方がええけえ、そう思えるようになった」という一言が耳に残った。
それにしても安倍首相の、誰かに起稿させたとも言いたくなったメッセージの棒読み。
どうしたもんじゃろう!

<写真 羽田空港でのテレビ>
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写真家中川道夫と 横浜の隠れた歴史撮り歩き:6月18日(土)

2016-05-31 11:38:48 | 写真
JIA(日本建築家協会)関東甲信越支部の「建築家写真倶楽部」を、僕の後を引き継いでくれた建築家藤本幸充さんの初仕事を案内します。

中川道夫さんは、60年代末に生じた写真思潮[PROVOKE]に森山大道などと共に関わった中平卓馬のアシスタントとして卓馬を支え、「上海紀聞」や「アレキサンドリアの風」などを写文によって世に問い、独自のスタンスで写真に挑んでいる写真家です。
普段はちょっと歩き難い処をカメラを携えて巡りながら、写真談義を取り交わしたいものです。
是非ご参加ください!

―JIA建築家写真倶楽部主催―
申し込み・問い合わせ先― 鎌倉設計工房(担当:藤本)
FAX:045-316-1453 
集合:6月18日(土)13:00 JR桜木町南改札口
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沖縄へ(7) 白亜の緑ヶ丘公園前トイレ

2016-05-21 18:49:51 | 沖縄考
国際通りからふいと車が横道に入った。
左手に緑に満ちたこんもりと盛り上がった公園前の道路に沿って、白い彫刻とも建築ともいえない建造物が建っている。この通りはニューパラダイス通り、ロマンに満ちたネーミングだ。

ベンチを組み込んだ休憩スペースとトイレとのコラボ。日本トイレ協会の主催による昨2015年11月に開かれたトイレシンポジウムで紹介され、「那覇市緑ヶ丘公園エントランススペース意匠選定設計競技で」選ばれて構築されたとのことだ。

設計者は、国建に所属する若手建築家の二人、案内してくれた根路銘さんも若い建築家が育つことに笑みを浮かべる。
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