「風に吹かれて」「ゴキブリの歌」それに「地図のない旅」が五木寛之のエッセイ三部作といわれる。「風に吹かれて」を一気に読んでしまって心が昂ぶったまま本棚から、文庫になった「ゴキブリの歌」を探し出した。
このエッセイは昭和45年(1970年)の4月からほぼ1年間、毎日新聞に連載されたものだ。「風に吹かれて」が過去の回想記と言う五木寛之は、このシリーズは生活の報告であり、内面を写す鏡のようなものであると書いている。
エッセイと書かずに雑文集といい、石岡瑛子さんの文庫本の表紙(カバーデザイン)がどんなものになるのか、と楽しみにしていると後書きに書いているのも興味深い。そのカバーはデザイナーの石岡さん自身が撮影した、黒いバックに浮かぶ無精ひげを伸ばした五木寛之の肖像写真だ。(前項の写真を参照下さい)
1970年は大阪万博の年、その写真は若き日の浅井慎平、十文字美信、沢渡朔、吉田大朋それに森山大道たちが競ってNOWという文化出版から発行されていた雑誌に記載した写真を髣髴とさせる。五木はその雑誌の顔として「魔女伝説」を書いたり、モハメド・アリと対談したりした。そういう時代に書かれたエッセイだ。
その3年前に書かれた「風に吹かれて」では、ジャーナリズムの世界に復帰してから1年と記されているが、この「ゴキブリの歌」では既に売れっ子の作家になっていて、編集者に原稿催促をされる有様が、面白おかしく、そしてどこかに哀歓をも感じさせるタッチであざやかに描き出される。そして心がふんわりとするのは「配偶者」とかかれた五木夫人の姿だ。
どうして毎回こうなってしまうのかと嘆く五木だが、締め切りのとっくに過ぎた原稿の言い訳に電話に出て謝っている彼女の様子を、一見に値するなんていっている。
「申し訳ございません。はいごもっともでございます。・・はあ、もうなんとお詫びを申し上げたらいいか・・」そのたんびに頭を下げ、テーブルの端にゴツンと額を打っては、アッとか、痛ッ、とか声を上げながら謝っているのだ。
この一節に笑みを浮かべない読者はいないだろう。
僕は妻を「愛妻」と書くが、ねじめ正一さんは「おくさん」と書き、連れ合いとか家内と書く人もいる。配偶者という言い方は初めてだが、書かれてみると何ともしっくり来る。
しかし笑ってはいられないのは、「秋の日はあやしくも」の一節だ。
相変わらず約束の原稿がかけなくて虚無的な心境になっているときに、配偶者が国勢調査の書類を持ってきた。学歴という欄があり、早稲田大学文学部抹籍と書こうかというと、「そんなのないわよ、調査票には大卒、高卒という欄があって該当するところに○をすることになっているもの」と配偶者が言う。学費が払えなかった彼はやむなく中退したが、結局○をしない。その複雑な心境を縷々述べていて、貧しくて昼間働いて夜学(二部)を出た僕に複雑な思いを抱かせるが、医師でもあって大学を二つも出た配偶者の学籍の欄も空欄のままにしてあるのを見ると、溜息をつき、何も書いていない原稿用紙の待っている仕事部屋へ、うなだれて歩いていった、とあるのだ。
五木寛之が何故当時の僕たちの心を捉えたのか、そして還暦をとっくに過ぎた僕が、書かれてから40年近くにもなるこのエッセイに共感を覚えるのはこの一節を述べるだけでも充分だ。
そういう心の襞(ひだ)を続けて読もうと「地図のない旅」を探したが、なぜか本棚にない。愛妻にお前の本棚にないかと問うと、五木寛之はみんなあんたのところに持っていったじゃない、といわれた。まあそうだ。
愛妻に言われて図書館に行ってみた。書棚には五木寛之の本は一冊しかない。お寺巡礼にのめりこんでいる最近の五木は、少々抹香臭くなってきて今の人たちに人気が無いのか?図書館に設置したあるコンピュータで検索をすると200冊も収蔵庫にあるようだが「地図のない旅」がない。
書棚にあった一冊は8年前に出版された「風の記憶」。「風」という文字に惹かれて借りてきた。
五木寛之も偉くなったものだと、読み始めてそのお説教っぽさにちょっと困った。ところが少々辟易しながら読み進むうちにだんだん面白くなってきた。昔の面影がどこかにあるのだ。70年の風が吹いている。
でも何故僕は1960年代、70年代に魅かれるのだろう。
この「風の記憶」は、様々な雑誌や出版社の月報、作家の著作の解説文などを集めたものだが、最後の一項は96年から97年にかけたほぼ1年間、朝日新聞の夕刊に連載した「時化の花を読む」という書評を収録したものだ。
最後の2編を除いて3作品を短い字数で紹介している。読み始めたらどの本も手にとって見たくなるような見事な筆致だ。作品の解説というより、五木の人生観を他の作家の作品を借りて論考していると言ってもいいかもしれない。若き日の五木の歯切れのいい文体を思い起こしたが、最後の一作品の紹介がほんの一行になってしまったというのもある。
例えば「最後に、『恋をする躰』。これも甘辛くて魅力的な物語だった。」功なった今の五木でしか書けない一行だ。
<写真 70年代の風が吹いている>