パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

プラモの世界(14)名古屋城

2020-08-30 | life
名古屋城。ご存じ尾張徳川の居城。名古屋市中区にある平城。大阪の豊臣包囲網の一つだ。


「日本名城百選」では、ベスト4位に。空撮がみごと。



日本有数の巨大天守と小天守。先の大戦で焼失。昭和34年に外観復元された。「ハンドブック日本の城」から。


プラモは童友社のジョイジョイコレクション。童友社のホームページには、名城プラモデルの「初心者向け製作の基本」のサイトがあり、このキットで説明されている。現物にはない、大天守横のお堀の水面シールがご愛敬。

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布袋草 咲く

2020-08-26 | life
布袋草が、今年も咲いてくれた。
暑い。とにかく暑い。

今年は梅雨は長く、線状降水帯という名前も覚えた。
とにかく、いつ、急激な雨が降るかわかならい。
インド洋の温暖化による海水温の上昇と偏西風によるものだということ。

まさにワールドワイドな時代。

5月17日日曜日に近くのDIYで購入した布袋草。

咲きました。 3株同時は初めてです。
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モンテ・クリスト伯 2-2

2020-08-23 | music/classic
32歳のモレル氏も14年の間に50歳になろうとしていた。経営も行き詰まり、2人の店員がいるのみ。妻と娘、軍人の長男の家族。唯一の頼みの綱、ファラオン号もしけで沈み、いよいよ不当たりを出す窮地に。いよいよその日、9月5日が来た。自殺をしようとするモレル。そこに「船乗りシンドバッド」から娘に手紙が届く。大金が入った財布。そして、沈んだはずのファラオン号が現れる。拍手喝采の一場面。30話「9月5日」
イタリアの謝肉祭を見物しようと来た子爵アルベール・ド・モルセールと友人の男爵フランツ・デビネーの2人。フランツは、近くの島めぐりをしていたが、船長から勧められ、モンテ・クリスト島で、船乗りシンドバッドの歓待を受ける。
宿の亭主は、2人が観光に訪れる道筋に山賊が現れるというのだ。その頭の名はルイジ・ヴァンパ。23歳の若者という。33話「ローマの山賊」
遺跡コリゼーを見学していた2人。フランツは、そこで聞き覚えがある声と遭遇する。それは船乗りシンドバッドの声だった。明日、処刑されるヴァンパの関係者を救う相談をしていた。
オペラ鑑賞に出かけた2人。フランツは、そこで桟敷で、その男、船乗りシンドバッドを見かける。
謝肉祭を前に、馬車の相談を宿の亭主と相談していると、同じ宿にいるモンテ・クリスト伯から馬車の提供を受けることになる。お礼に部屋へ向かう2人。
2巻は、34話「出現」まで。
脱獄、宝を見つけ、濡れ衣を確認。そして、皆の今を知るダンテス。カドルッス、モレルを救い、モルセール伯爵となったフェルナンとメルセデスの子アルベールに近づく。
2巻は、1956年2月1刷。1984年11月第33刷。

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寂聴の「いま、釈迦のことば」

2020-08-16 | book
瀬戸内寂聴が、釈迦の言葉から、当時86歳の寂聴が、出家して34年。今の生き方を問う「いま。釈迦のことば」を読んだ。2008(平成20)年4月刊行。2007年から2008年にかけて週刊誌に連載されていた。法話を聞いているようで、背筋が伸びる。30の項目に60の釈迦の言葉がある。ダンマパダは修行僧に向かって説かれたものだ。

殺してはならぬ ダンマパダ129、 ダンマパダ130
怨みは永遠に尽きないのか ダンマパダ5
命は永遠でないからこそ尊い ダンマパダ182
この世ははかないもの スッタニパータ、ダンマパダ170
心がすべての根源にある サンユッタ・二カーヤ、ダンマパダ33・34・35・36・37
死の脅威を逃れるには ダンマパダ128
身をつつしみ心を整える ダンマパダ160
愚か者として生きる ダンマパダ60・62
愛は苦しみを生む ダンマパダ210・211
花のように清く生きる ダンマパダ46・47・377・53・54・58・59
老いと死を乗り越える ダンマパダ148・ 150・151
やがて訪れる死に向き合う ダンマパダ235
足ることを知る ダンマパダ49
人生の最後をどう過ごすか ダンマパダ157
切実な不戦の教え ダンマパダ201・197
私のものは何ひとつない ダンマパダ62
わが子に先立たれる悲痛 ダンマパダ・アッタカタ―
泣きごとをいわず耐える ダンマパダ184・252・253
本当の賢者とは誰か ダンマパダ258・ 260・264
ブッダの老いと死 アングッタラ・二カーヤ
愛欲の恐ろしさ ウダーナヴァルガ第2章1,2
女性の生きる道 テーリーガーター序
善行の報い、悪行の報い ダンマパダ121・ 122・119
賤しい人の条件 スッパニパータ
心のこもった食事の施し 大パリニッバーナ経
犀の角のように歩め スッタニパータ56・68・71・ 74
過去や現在にこだわらない スッタニパータ849・850・854・855
心の動揺よ、止まれ アングッタラ・二カーヤ
自分も他人も大切に ウダーナヴァルガ第5章18
この世は美しい 大パリニッバーナ経

人間は自分の命さえ思い通りにはならない。自分のものなどない。孤独なものだ。その矛盾と不条理の中で生きていかなければならない。死ぬまで愚者として。
人間の死への覚悟のなさ、日ごろのいい加減な生き方を戒めている。「生者必滅 会者定離」。仏教の根本思想「無常」。しかし、いつ来るかわからない死におびえているのではなく、生かされている今を精一杯生ききることが仏教の真の教えだ。万一の時には「南無阿弥陀仏」と唱えればよい。
毎日曜に流れるニュース。子殺し、親殺し、いじめ、自殺、老後の不安、若者の引きこもり、少子社会の現実。こんな世の中でも黙々と善を積んでいる人がいる。
疲れ切った時、物事がうまく運ばないとき、人に裏切られたと思うとき、愛する人と別れて淋しくてたまらないとき、口ずさむ言葉。スッタニパータの「犀の角のように、ただ独り歩め」。インドサイは角が1本。性質がおとなしくおだやかだという。誰とも群れず、一人静かに瞑想して、心を落ち着かせ、心の無明に燃えている煩悩の日を消していくには、孤独こそ最良の友達だ。独りで生まれ、独りで死んでいく。我々凡夫(ぼんぷ)の心は、いつも様々な妄念によって、揺れ続け、うろつきまわって止まることがない。
心が軽くなる。そんなひと時があってよい。愚者凡夫の私は、また、妄念の中で苦しみもがく時を過ごすのだから。
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寂聴 生きる智恵-法句経を読む

2020-08-09 | book
寂聴は大正11年1922年生まれだ。1973年に出家。天台宗の尼僧である。もうじき100歳になる瀬戸内寂聴が、「法句経」を読み解き、今の時代を生きる智恵を説く。「寂聴 生きる智恵-法句経を読む‐」を読んだ。平成5年(1993)11月刊行。平成3年から4年にかけて「寂庵だより」に連載されていたものをまとめた。

法句経(ほっくきょう)、「ダンマパダ」、「真理の言葉」は、紀元前5世紀前後の北インドで生まれ、前4世紀(西暦紀元前383)に亡くなった、仏教の開祖であるブッダの言葉だ。
ブッダは、姓名はサンスクリット語ではガウタマ・シッダールタ。パーリ語ではゴータマ・シッダッタ。お釈迦様、釈尊の言葉を集めたもの。シャーキヤは、釈迦の出身部族であるシャーキヤ族またはその領国であるシャーキヤ国を指す名称である。シャーキヤムニは、サンスクリットで「シャーキヤ族の聖者」という意味の尊称だそうだ。これを音写した釈迦牟尼(しゃかむに)を省略して「釈迦」と呼ばれるようになったという。
尊称のブッダは、「目覚める」を意味するブドゥに由来し、「目覚めた人」という意味である。もともとインドの宗教一般において、すぐれた修行者や聖者に対する呼称であったが、仏教で用いられ釈迦の尊称となった。このため、ゴータマ・ブッダともいう。漢訳の音写は仏陀、旧字体では佛陀であり、意訳は覚者である。仏陀の略称が仏であり、「仏教」や「仏像」などの用語はこの尊称に由来する。

ブッダは、29歳で王宮を出、老いた父や義理の母、妻、結婚して10年で生まれた赤ん坊の子を置いて6年間苦行を行う。そして80歳まで生きる。この当時の80歳だ。
中村元訳の「真理のことば」を横に置き、寂聴さんの講話の世界に浸る。未熟者故、ブッダの言葉が染み入る。

生者必滅、会者定離、生に執着するな、生を有意義に生きよという。人生の価値と自分の生命の輝かせ方を教えてくれる。
数字は、紹介されている法句経(ほっくきょう)、ダンマパダの番号

今生かされているこの時を 6、182
人は死すべき命であるから 110、 111、113、114
殺すなかれ 殺させるなかれ 129、130、131、132、
無常に目覚めよ 235、238、239、240
恐れずに老いの日の用意を 146、 148、149、151
時を悔いなく生きる 60
未熟な心に愛欲しみとおる 13、14
愛から悩みが生まれ 恐れが生じる 210、 211、212
怨みを捨てたその日から 5
貪りを捨てよ 欲望をふり捨てよ 377、264、307
誘惑の花の矢を抜きとって 46、47、53、54、58、 59
欲張るな 傷つけるな 49
自分こそ自分の主人 157、160
わたしのものは何一つない 62
捨ててこそ蘇生の喜び 91
けがれも清らかさも自分がもと 306、165
おろかさに気づかない人こそおろか者 63
善を行い ひたすらに耐え忍べよ 182、183、184
つもれつもれば小悪も大悪 121、 122、116、127、 128
悪は二度と繰り返すな 117、119
死んでも生き続ける命 生きていても死んでいる命 21、22、23
勝敗を捨てて平和を得る 201、197、405、406

以上59の言葉。
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モンテ・クリスト伯 2-1

2020-08-02 | book
2巻は、19話「第3の発作」から。

ファリア司祭の死。その死体の蓑に入れ替わり入り、夜、おもりをつけて海に投げ出される。脱獄を果たすダンテス。「ここから自由に出られるのは、死人をおいてほかはない」。」蓑からの脱出。暗い海での必死の泳ぎ。ダンテスの代わりにファリア司祭の遺体。シャトー・ディフの騒ぎ。通りかかる密輸船。1829年2月28日に救出される。14年の歳月が流れていた。ダンテス34歳。ダングラール、フェルナン、ヴィルフォールの3人への復讐の誓い。

なじみの床屋で、散髪するが、14年の牢獄生活は、馴染みの客の顔さえ分からなくしていた。
そして、ダンテスは宝探しを始める。ファラオ司祭から示されたメモ。一字一句を確かめるように。無人のモンテ・クリスト島に上陸する。宝を見つける。24話「眩耀」。
まず、父とメルセデスの行方を尋ねる。懐かしい我が家。父は亡くなり、メルセデスは行方不明になっていた。ダンテスは、2万5千フランでその家を買う。カドルッスは事業に失敗し、別の場所で旅籠屋を営んでいた。
27話「物語」。カドルッスを訪ねるダンテス。父は失意のあまり飢え死にし、メルセデスが最期を看取り、モレルが葬儀、借財を清算していた。そして、ダンテスを陥れたダングラールとフェルナンの話を聞き出す。ファリア司祭の言っていた通りだった。モレルは借金がかさみ、落ちぶれていた。ダングラールは金融でも儲け、王の侍従の娘と結婚し、百万長者となり、ダングラール男爵になっていた。フェルナンは、軍人となり、出世し、モルセール伯爵となっていた。メルセデスは、頼りにしていたフェルナンが帰って来ると6か月の猶予の後、結婚する。アルベールという子供がいた。ヴィルフォールの行方は知らなかった。ダンテスは5万フランのダイヤをカドルッスに渡す。

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