パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

五辨の椿

2020-01-26 | 山本周五郎
山本周五郎が昭和34年1959年に書いた「五辨の椿」。雑誌に連載の連作読み切り小説であり、周五郎には珍しい殺人復讐小説である。しかし昭和38年に刊行の「周五郎全集」には入っていない。それは周五郎が、この作品を失敗作と評していたからだと言う。殺しの場面、エロチックな要素とミステリーの風合いをエンターテインメントに重点を置いた低俗小説と評されるのを恐れたと言われている。

全6話。江戸時代、江戸を舞台に繰り広げられる。
日本橋本石町の薬問屋、油屋としても老舗、資産家として知られていた。主人の嘉兵衛は、12歳で奉公に入り、25歳で跡取り娘のおそのと結婚し、婿養子に入る。その後20年もの間、家業に尽くす。しかし、喀血し、病魔に侵されていた。一人娘のおしのは18歳だった。

第1話
歳の暮れ、父の嘉兵衛の具合が悪く、おしのは、本所亀戸のむさし屋の寮に、母のおそのに店に来てほしいと約束するが、おそのはおしのと同い年の遊び人、菊次郎と出かけてしまった。
苦労ばかりの嘉兵衛が、おしのに赤い山椿の花を見たいというくだりが印象的だ。いよいよ最後を悟った嘉兵衛は、おしのと寮に向かう途中に死に絶える。
菊次郎と寮に帰ってきたおその。死体の嘉兵衛とおしのを前に、嘉兵衛との結婚が失敗だったこと、おしのは、嘉兵衛との子ではなく、日本橋の袋物問屋、丸梅の主人、源次郎の子だと伝える。おそのを「おっかさんは人間じゃない」と切って捨て、「このままそっと置かれてよいはずはない」と、おっかさんと組んで、おとっつぁんを苦しめた男たちへの復讐を誓う。正月の6日に、むさしや屋の寮が焼け、3人の死体が遺された。嘉兵衛と妻のおその、一人娘のおしのの3人として、葬式が出される。

第2話 浄瑠璃の三味線弾きの岸沢蝶太夫。
第3話 京橋水谷町の医師、海野得石。
第4話 奉蔵前の札差、香屋の倅、清一。
第5話 母親のおそのに男の手引きをしていた佐吉。
第6話 日本橋の袋物問屋の丸梅の主人の源次郎。

18歳のおしのは、大好きだった父を苦しめた母、そして母と関わりにある男たちの中で、特に許せない5人を殺していく。5人目の源次郎は、生かせて苦しませる道を選ぶ。

居所も素性もわからない若い女にのぼせあがる男たち。おそのとのかかわりと嘉兵衛のこと。そして、むさし屋の悲劇。父への想いと復讐に全てを賭ける娘。
「お父つぁん、私に力を貸して」と銀の平打ちの釵(かんざし)で命を奪う。厠での嘔吐と、死体の枕元に父の好きだった、一片の椿の花、梅花香というお香。
八丁堀与力、青木千之助は、2つの人殺しの事件を追う。

全編に緊張感をみなぎらせ、愛憎の中に埋もれていく男と女を描く。巧妙な構成と絶妙なストーリーは、読者に息つく暇を与えない。映像化にも耐えうる個性的な登場人物。半世紀以上経つが、色あせない魅力的な作品。
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むかしも今も

2020-01-19 | 山本周五郎
山本周五郎全集の第1回配本、1981年昭和56年9月刊行を同年10月に購入した。小説日本婦道記、柳橋物語、そして今回の「むかしも今も」。この作品は柳橋物語が発表された昭和24年にその次の作品として同年、発表された。江戸の下町を舞台に、ぐずでのろまな直吉が、負ぶって子守をしたまきとの物語である。山本周五郎も、横浜の小学校を出て、東京木挽町の質屋に住み込んだ。その店の名前が山本周五郎商店、きねやであった。その頃の情景が、まきの子守の時間が人生で一番幸せだった頃として出てくる。

9歳の頃、両親に死に別れ、叔父の家から、紀六という指物師の店に住み込む。その頃、生まれたのが親方の六兵衛と妻の幸との間に生まれた一人娘、まきだった。飲み込みも悪く、腕も上がらない直吉。17歳のときに15歳の清次が弟子入りして来る。顔もよく、手際のよい青次は頭角を現す。22歳の時にかわいがってくれた幸が亡くなる。そして、直吉が26歳、まきが18の時、まきは清次と恋仲になる。しかし、清次は15歳の頃から博打にはまっていた。そして、親方の六兵衛が卒中で亡くなる。清次の博打好きのため、店は傾き、借金を重ねた清次は江戸を離れることになる。しかし、まきは清次の子供を宿していた。続いて襲う地震で店はつぶれ、まきは目が不自由になる。直吉はまきと幼子の暮らしを支えていた。先輩の弟子たちは、30を超えた直吉の苦しい暮らしぶりを見かねて、まきと幼子を弟子たちで引き取り、直吉に嫁を世話しようとするが、直吉は断る。そして、清次が帰って来る。清次には相変わらずよくない噂が絶えなかった。
これでもかという不運を、ひたむきに、ただひたずら絶えていく直吉。まきが自分の生き方に目覚めるのに、これほどの時間がかかるとは。

まきが3.4歳の頃、直吉がまきに言う。「人間は金持ちでも貧乏人でもみんな悲しいことがあるんだ。昨日までの旦那が今日から駕籠かきになるし、飲みたいだけ酒を飲んでぴんぴんしていた者が、急にお粥も食べられない病人になっちゃうんだ・・・それが世間ていうもんだからね」。


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柳橋物語

2020-01-13 | 山本周五郎
幼なじみの3人をめぐる愛の形と、壮絶な災害悲話。「柳橋物語」は、山本周五郎が、戦後間もない昭和21年に発表した市井もの。昭和56年の周五郎全集第2巻所収。昭和30年代に評価を得た。周五郎の座右の銘に「心急ぐ旅ではない」があるという。晩年も「ぼくはポコ・ア・ポコでやって行く」と語っていた。

元禄の江戸下町を舞台に、研ぎ師の祖父、源六と暮らすおせん。彼女を慕う近所の大工杉田屋の幸太と庄吉。幸太が杉田屋の跡目を継ぐことになったことから、庄吉はおせんに必ず帰るから待っていてくれと云い、上方へ行ってしまう。幸太はおせんに好きだと伝えるが、おせんは首を縦にはふらない。
そんな中、寒風吹く江戸に大火が起こる。卒中に倒れた源六を連れ、幸太はおせんと逃げる。途中、源六は死に幸太は川で行方不明になる。混乱の中、放心状態のおせんは見知らぬ乳飲み子を助ける。壮絶な描写が続く。戦争を体験した周五郎の力だ。火事までを前編、火事後の混乱を中編、孤児の幸太郎の子育てとおせんの自立が後編。

江戸の火事を知り、庄吉が帰ってくる。幼なじみで商家の娘だったおもんは火事で店が潰れていた。

思うようにはならないのが人生。とはいえ、それでも生きるしかない。人間の強さと弱さと立ちはだかる無常。

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子規365日

2020-01-12 | book
「子規365日」は、俳人の夏井いつきが、朝日新聞の愛媛版で「子規おりおり」というコラムを2007年に掲載していたものをまとめたもの。題名のように、1日ごとに子規の俳句を1句掲載し、なっちゃん先生のコメントともに掲載している。計365句。巻頭には月ごと日ごとに選んだ句の季語を、巻末には上五を載せている。2008年8月に単行本。2019年8月に文庫本。子規の世界に触れる喜び。1年が楽しみだ。
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正岡子規 言葉と生きる

2020-01-05 | book
言葉と生きる
明治とともに生きて、明治35年、34歳、誕生日の目に亡くなった正岡子規。愛媛、松山に生まれ、16歳で上京、志半ばにして、病に倒れてもなお、その情熱を失うことなく生きた文筆家。その随筆の数々に惹かれ、作品を読みだした。
その一生を、時期ごとに、その作品とともに歩む「正岡子規 言葉と生きる」を読んだ。2010年12月発刊。2017年8月5刷だ。1944年、愛媛県に生まれ、俳人、大学教授の坪内稔典の作。

少年時代、学生時代、記者時代、病床時代、仰臥時代の5章に分け、生きざまを語る。
作者は20代終わりに子規全集と出会い、子規との付き合いが始まった。晩年の「仰臥漫録」に記された子規の食事をとるのがイベントという。

1 少年時代
明治12年の12歳の子規の文章や同人誌発刊。4歳で、数え40歳の父を亡くす。8歳からの筆写の趣味、漢詩に親しむ、16歳で演説に夢中。明治16年6月16歳で上京。明治17年2月から「筆まかせ」4編を出筆。明治25年まで書き記した。短歌、俳句も。そして日本語についての批評も。まさに、言葉の申し子だ。

2 学生時代
明治22年に喀血し、肺病と診断。子規はホトトギスの呼び名。明治22年「卯の花の散るまで鳴くか子規」。今から10年。生きる覚悟と死ぬ覚悟。
明治23年、23歳で東京大学に入学。国文学を専攻。草花や動物に関心を寄せ、友人たちと漱石。」欠くことで未来を拓こうとする子規。

3 記者時代
明治25年、6月「獺祭書屋俳話」を「日本」に連載開始。12月に日本新聞社に記者として就職する。11月に家族(母と妹)を東京へ呼び寄せる。26年3月に大学を中退し、明治27年家庭向き「小日本」の編集責任者となるも同年廃刊。明治28年4月日清戦争に従軍。5月に帰国し、神戸須磨で療養。同年秋に松山で静養。松山中学で英語を教える漱石と暮らす。10月に新聞「日本」で「俳諧大要」(明治32年出版)の連載始まる。

4 病床時代
明治29年、結核が腰を苦しませる。横になる日々が多くなる。2月から12月まで「松露玉液」を「日本」に連載。盛んにベースボールをとりあげる。1第10句にチャレンジ。大好きな柿。「我病める時2子傍らに在れば苦も苦しからず」と碧梧桐と虚子。明治30年蕪村の発見。31年「歌よみに与うる書」を「日本」で連載。短歌へも広がりを。墓碑銘を送る。布団から離れられなくなる。草花に興味を。「ホトトギス」発刊。文章と生活の結合。ごく普通の人が自分の暮らしを書く。それが読者が面白いと思う。32年、自宅で句会を開く。食を楽しむ。病気に面白さを求める

5 仰臥時代
34年、1月「日本」に「墨汁一滴」連載。1日1記事。週刊日記。不平10か条。痛い。うめき、叫ぶ、泣く。俳句や短歌も。
そして病床の手控え「仰臥漫録」。毎日の食べ物や病状の記録、そして妹、律への批判。書くことは憂さ晴らし。
35年5月に「病床六尺」を「日本」に掲載。9月17日まで掲載。そして9月19日、永眠。34歳。絶筆3句。

自然、社会、文学、文化、生活など常にいろんなことに関心を持ち、持論を考え、それを言葉にして生きた子規。随筆、手紙、日記、俳句、短歌。その表現方法は多岐にわたる。その世界に浸る喜び。ありがたい。
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好日日記

2020-01-01 | book
1956年生まれ。アラフィフのエッセイシスト、森下典子の「好日日記(こうじつにっき)」を読んだ。2018年10月刊行。副題は、「季節のように生きる」だ。

映画「日日是好日」の公開に合わせ、執筆したエッセイ集。20代からお茶を嗜み30年む著者が、50代の頃のメモがもとになり、季節を追い、出来事を描く。まえがきで、お茶の先生が80になり、指導がままならなくくだりが出てくる。

茶は総合芸術。お茶を掛け軸、花、道具、菓子で味わう。季節を目と耳と舌、触感、香りで楽しむ。四季、24節気をベースにお茶の魅力と日々の暮らしを写しだす。随所にある、香を入れる香合やお茶を入れる棗(なつめ)、お茶碗などのお道具、数々のお菓子のイラストがほほえましい。

週1回の稽古の日に会う生徒たち。知り合いや友人。皆、もやもやを抱え、ままならない日々を生きている。息苦しい生活の中で、ホット一息できる空間を持てる幸せ。
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