パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

俳人 安住 敦 1/5

2022-10-30 | book
明治40年(1907)生まれの俳人、安住 敦(あずみ あつし)の「安住 敦句集 柿の木坂だより」を買った。西島あさ子編。2007年7月刊行。セカンドハンドだ。

昭和63年(1988)7月、平成の世を迎える前に亡くなった。平成2年(1990)に亡くなったうちの祖母は、明治38年(1905)生まれだったので、同年代だったわけだ。

東京で暮らし、職を転々とする中、戦後、久保田万太郎に師事し、俳誌「春燈」の創刊に関わる。戦後設立された現代俳句協会を辞し、昭和37年(1962)に俳人協会の設立に参加する。第4代会長を務めた。

なぜ、安住を知ったのか。俳句雑誌で知ったこの句が出会いの始まりだった。
しぐるるや駅に西口東口
句集「古暦」昭和21年(1946)の作という。
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フォステクス スピーカーユニット

2022-10-23 | audio
フォステクスは1973年に誕生した音響機器メーカーだ。
特に、スピーカーユニット(エンクロージャー、いわゆる箱に入っていない、むき出しのスピーカーのこと)が有名。オーデオ雑誌に中古ビンテージ品のロングセラーとして紹介されていたのが、白いコーンのFE103という10センチフルレンジのユニットだ。フルレンジとは、このスピーカーだけで、全音域をカバーするというもの。スピーカーが二個ある2ウェイや3個ある3ウェイなど、高・中・低音域をそれぞれ受け持つものではない。
このFE103シリーズは現在でも製造されていて、10センチもので1個8,000円。スピーカーユニットを接続する箱(エンクロージャー)の設計書がついてる。筒形の空気穴を1個開けたバスレフ型と、段階的に外へに逃がすバックロードホーン型の2種類だ。

そのフォステクスが、「かんすぴ」という作成済みのスピーカーボックスを提供している。もちろん、この10センチのフルレンジユニットもある。この「かんすぴ」からバスレフの3,740円×2台を購入した。ユニットの大きさの穴も開けてあり、アンプからの配線接続ターミナルもスピーカーボックスに装着済みで、スピーカーの接続配線も接続済み。つまり、スピーカーユニットに配線をつなぎ、ユニットを穴に入れ、ドライバーで、ユニットについているネジをボックスにドライバーで固定すれば感性というお手軽ものだ。

抜けるようなトーン。クラシックの弦もそこそこ、マイルスの管も生きている。2本で3万円も満たないスピーカーのすごさ。おそるべし。
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漱石 15 漢詩

2022-10-16 | book
中国文学者の吉川幸次郎(明治37年1904年生まれ、昭和55年 1980年没)の「漱石詩注」を図書館で借りた。平成14年2002年9月刊行の岩波文庫。

漱石というと、大学時代からの正岡子規との交流から俳句が有名であり、イギリス留学や帰国後の熊本での旧制高校や東大での英語教師など、英語のイメージが強い。夏目漱石と漢詩。なにかミスマッチのようだが、その経緯については、この本の序に詳しい。

吉川の序では、江戸の漢学が色濃く残る明治の頃には、新聞の投稿欄には短歌、俳句と漢詩があったという。詩といえば漢詩であった。漱石も若いころから親しんでいたというのだ。この本には3つの年代別に漱石の漢詩が紹介され、140首にルビ付き読みと注が付されている。
漱石の詩形は、唐以前の古詩ではなく、唐以降の近体詩で、長さは8行が律詩、4行が絶句。1行が5言か7言の定型だ。

まず、1867生まれの漱石の明治22年1889年から英国留学の明治33年1900年までの約10年間の第1の22首。
その間、1893年(明治26年)、漱石は東大を卒業して東京高等等師範学校の英語教師。1895年(明治28年)、愛媛県松山の中学英語教師、1896年(明治29年)、熊本市の第五高等学校の英語教師に。

10年を経て、修善寺で吐血する明治43年1910年から大正5年1916年までが第2の47首。
掲載のない、この10年の間には、明治38年処女作「吾輩は猫である」、明治40年には新聞社入社し、職業作家に。同年「虞美人草」、明治43年には前期3部作の「三四郎」「それから」「門」を出す。

そして、大正5年「明暗」執筆中に午後毎日一首作ったという8月から、12月に亡くなる前月の11月までの漢詩群第3の71首だ。

まさに一生を通じての詩作。購入して、一日、1首とはいかないかもしれないが、読み進めていこう。
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漱石 14 それから

2022-10-09 | book
夏目漱石の新聞小説の前期三部作の一つ、「それから」を読んだ。「三四郎」に続いて、翌明治42年(1909)1月1日から3月12日まで新聞連載された25の短編の「永日小品」に続き、朝日新聞に明治42年1909年6月27日から10月14日まで110回にわたり掲載された。2015年平成27年4月1日から9月7日まで全110回にわたり新聞に掲載されたのを切り取り取っていた。

主人公は30歳の長井代助。裕福な実業家の家庭に生まれ、大学卒業後も職業につかず、実家からの支援を得て、気ままな生活を送る次男坊。書生の門野と使用人の婆さんと3人で暮らしている。

そこへ、大学の友人の平岡が妻の三千代と関西から3年ぶりに東京へ帰ってくる。仕事を辞めて金の無心を代助にする平岡。放蕩癖もある。三千代は、代助の大学の友人の妹で、代助が平岡との仲をとりもった。三千代は流産し、病気がちの体になっていた。

代助の実家はさかんに縁談を持ってくる。父の得、兄の誠吾。兄の嫁の梅子。兄夫婦には長男長女がいる。

作家の姜尚中は、当時の明治には、日露戦争後の不景気と貧富の格差の広がり、いわゆるニート青年の登場があるとする。また、「代助」という名からわかるように、明治民法時の家父長制の仕組みを問う。長男が全財産を引き継ぎ、ましてや長男が生まれれば、叔父である代助は、まさに代わりの助っ人の意味を失うと。

平岡や実家とのやり取りが繰り返されるが、代助は、父からの縁談を最終的に断り、三千代との関係を明らかにし、平岡に三千代との決別を迫る。そして、平岡から実家に一通の手紙が届き…。

明治民法では、妻は財産管理能力がないものとして位置づけ、まさに夫に隷属するというのが常識であった。

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定年格差

2022-10-02 | book
「定年格差」2021年9月刊行を読んだ。1935年生まれの郡山史郎著。副題が「70歳でも自分を活かせる人は何をやっているか」だ。

最初に労働を取り巻く環境に触れる。

定年が60歳と言われる時代は過ぎた。今や65歳定年。そして今後は70歳定年の時代へと変わっている。
企業は使える人材を欲しがるのはあたりまえ。複雑化、高度化、激化した企業経営において、無駄に給料が高く、新しい知識やスキルを身につけづらいシニア層は邪魔な存在だ。求人も60歳以上を希望する企業はゼロ。若手から中堅層を希望する。

シニアにはマインドセットを求める。同じような給料、同じようなポスト、同じような仕事内容、そんな考えは捨てろと。

欧米には定年がない。高度経済成長が生んだ終身雇用と年功序列。どこかでエンドを設ける必要があった。だからこその終身雇用と年功序列。

自然定年は45歳前後。体力知力は衰える、いい例が老眼。45歳を超えた人間の経験は使い物にならない

昨今の70歳定年の風潮と、45歳の自然定年。このギャップ。

65歳定年、70歳定年の後の人生設計。それまでに会社は追い出しを始める。

1971年の高齢者雇用安定法。
そして、2013年の改正 65歳までの継続雇用か65歳定年制。再雇用 役職定年、給料とモチベーションが下がる。
そして、2021年改正 70歳までの継続雇用と定年制の導入、そして、業務委託契約と社会貢献事業の導入。これらは雇用ではない。65歳までの雇用確保から70歳までの就業機会確保へ。

人生100年時代、企業には、元気で意欲ある高齢者の方を経験や知識を社会で生かしてもらおう
しかし、企業の本音と現実。企業はシニア社員に期待も投資もしない。自然定年の45歳は、いつの時代も変わらない。55歳定年の時代なら企業は、あと10年なら我慢するかとなるが、65歳、70歳となるとあと何年も企業は世話するのかということになる。

1998年の60歳定年義務化、そして、2013年の65歳定年義務化。最初はいずれも努力義務だった。国は年金医療介護の社会保障費の増大に対応するため、税金と社会保険料の確保が必要。そのために働く人を維持する必要性あり。昨今の老後2000万円問題は、年金だけではあてにならないというメッセージ。

50台、60代の転職需要はまずない。人材紹介業は企業のためにある。50代以上の転職成功者は1%。もう戦力にはされないと覚悟せよ。1%成功者の共通点。仕事を選り好みしない。給料の高さにこだわらない。ワクワクすることを軸とする。

年齢差別の国日本。70歳定年の国。少子高齢化で社会保障の制度設計が狂った。企業は厳しい競争の中で高給取りのシニア層を置いて置くはずがない。押しつけられた不本意な定年。国も企業もあてにはならない。定年格差を乗り越える10の条件を提示する。
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