パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

徒然草 現代語訳

2019-05-26 | book
日本三大随筆といわれる「枕草子」平安時代中期(1001年)、「方丈記」鎌倉時代前期(1212年)、そして、「徒然草」鎌倉時代後期の3作品の現代語訳を掲載した「日本文学作品全集7巻」2016年10月刊行を図書館で借りた。

「徒然なるままに日ぐらし」で始まる徒然草は、中学時代の教科書に登場していた。
作者の兼好法師は、鎌倉時代から南北朝時代にかけて(1283?~1352?)、70歳という当時としては長寿であった。徒然は1330年頃に書かれたといわれ、人生50年と言われた時代に、その50歳の前に書かれたことになる。

この全集では、エッセイシストで思想家の1950年生まれの内田樹が担当した。
「そこはかとなく書きつく」ったので、思いのままに心に浮かんだことを書きつづったのであるから、説話あり、人生訓あり、当時の噂話の論評など、さまざまジャンルがある。たしかにお節介と言われるものもあるが、当時の老境に域に差し掛かり、死というものを前にして、残しておかなければならない使命感というものを感じる。300年前の作品である枕草子の引用も出てくる。

第1段 どんな人間がよいか。よい男の条件とは。
第6段 子どもはいない方がよい
第7段 無常こそ世の常。先が分らないからおもしろい。命長ければ恥多し。せいぜい40歳までに死ぬのが見苦しくなくて良い。
第8段 人の心を惑わす代表は色欲だ。
第9段 8段に続いて、愛欲の情を語る
第19段 季節の移り変わりを述べる。四季折々の味わいに触れる。
第21段 気持ちが慰められるもの。月、露、花、風、そして水。
第25段 世の無常を語る。時が移り、事が去る。楽しみの後には悲しみが来る。家もいつから朽ちる。
第29段 過ぎ去ったものへの哀惜の情
第30段 亡くなったものへの哀悼といつか忘れ去られ、跡形もなくなる無常
第38段 名利を求めるむなしさ
第39段 往生は一定と思えば一定、不定と思えば不定なり
第74段 生を貪り、利を求めるむなしさ
第92段 弓矢のくだり。今を大切にすること。
第93段 牛売りのたとえ。死はいつでも隣にいる。命あることの喜び。
第107段 男論、女論
第108段 今を大切に生きること
第109段 いわゆる木登りのたとえ。気のゆるみについて
第110段 名人の姿勢。勝とうではなく、負けないこと
第117段 友のすべきではないもの。よい友とは。
第130段 自慢や競争の愚。学問の大切さ
第134段 容貌だけではない。身の至らぬことを悟らぬ愚かさ
第137段 盛りだけではない始まりと終わりの美。男女もそう。
第140段 蓄えの罪
第142段 世の中が乱れない施政とは。
第143段 臨終のあり方は、本人が良いと思えばそれでよい
第151段 老境の過ごし方。あれこれ手を出すな。
第155段 死期は自分では選べない。いきなり来る。生老病死の交代も速い。余裕はない。
第157段 恰好も大切
第167段 慢心、驕りを諌める。自分の欠けたるを自覚し、目標を高く置け。
第175段 酒の功罪
第190段 妻帯論。妻は持つべきではない。
第192段  神仏詣では人が来ない夜が良い。
第211段 人も財産も当てにはならない。煩わされるな。
第224段 庭は狭い方がよい。遊ばせるのは無益だ。野菜や薬草を植えておくべき。
第232段 学をひけらさないこと
第234段 聞かれたら素直に答えればよい。
第242段 人間が順境と逆境に支配されているのは、不快を避け、快楽を求めるからだ。人は何を求めるか。名声(業績と才能)、色欲、美味。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本婦道記 2/2

2019-05-19 | 山本周五郎
山本周五郎の「日本婦道記」の後半。

9 糸車◎
信濃の松代藩の衣田啓七郎は寝たきりで、19歳のお高は、10歳になる弟の松之助と3人暮らしをしていた。母親は7年前に亡くなっていた。貧しい暮らしであったが、お高は木綿糸の糸繰の内職をして足しにしていた。そんなお高に、父は、松本の実の母が病気なので見舞い新田ほしいと頼む。お高は小さい頃、松本藩の貧乏武士の元に生まれ、衣田家にもらわれていた。

10 尾花川◎
幕末。尊王攘夷の機運が盛り上がる中、琵琶湖のほとりの尾花川に住まいする太宰は、勤王の志士をかくまい、2歳年上の妻の幸子は彼らをもてなしていた。ある時から幸子のもてなしが質素になり、太宰はそれが気に入らなかった。そんなある日、偽志士がかくまわれていると客が言う。

11 桃の井戸◎
見目好く生まれついていないことを悲しいと自覚していたわたしは、生まれてから江戸詰めの暮らしをし、和歌に暮らしの楽しみを見出していた。父の仕事の都合で18歳の折に国元に帰ることになる。その折、和歌の師匠が国許の長岡千鶴という人を紹介する。ついて間もなく、家に長岡が訪ねてくる。70歳を過ぎた老婆であった。やがて20歳になったわたしに、後添えの話が来る。その家には7歳4歳の男子がいた。人生の師ともいうべき長岡のおばあさまとの出来事。

12 おもかげ
弁之助が7歳時、2年の患いを経て母が身罷った。その後から父、勝山藩の大目付、籏野民部の妹の由利が母親代わりとなる、母の生前と比べ、きつくなった由利の態度に戸惑う弁之助。父は江戸へ出府し、戸惑いながらも叔母に反抗するように勉学に励む。由利は縁談を断り、弁之助の養育に精進する。そして、11歳の時に父の元、江戸へ向かうことに。そして16歳になり、弁之助は藩主の帰国とともに勝山へ帰ることになる。その時、父は弁之助を呼ぶ。

13 墨丸◎
身寄りのないお石が5歳の時に引き取られた岡崎の鈴木家には平之丞という6歳年上の男児がいた。遊びに来る少年たちは、器量がよくないお石を、色が黒いことから墨丸と呼んだ。家事全般に長けてきた13歳になったお石は、平之丞の文鎮をほしいと言ってきた。2人が成長し、23歳の平之丞は17歳のお石を意識するようになり、お石との縁談を母に申し出る。しかし、お石は琴が上達し、京で身を立てると出て行ってしまう。やがて父は死に、お石の出自はわからずじまい。平之丞は友人の妹をめとり、子もできたが、3人目の子を授かりながら、死んでしまう。50歳になった平之丞は30過ぎから重用され、5年前から国老となっていた。そんな平之丞は京へ行った帰りに八つ橋の古跡に寄り、一軒の侘びた住居に休憩を申し出る。少年の成長と少女の覚悟。二人の結ばれぬ定めを感情豊かに叙情ゆかしく描いた名作。

14 二十三年◎
新沼靱負は、会津藩蒲生家に仕えていたが、世子がないことから取り潰しにあう。城下に残り、松山藩蒲生家への士官を待つが、長子と妻に死に別れ、残された次子と2人で松山へ出向くことにする。その時、女手で新沼家の世話をしていた20歳のおかやを実家に帰すことにした。嫌がるおかやは途中で事故に遭い、言葉も出ず、脳に障害を追ってしまう。責任を感じた靱負は、おかやと松山へ立つ。しかし、またも蒲生家はお取り潰しに会う。希望を失った靱負は短刀を取り、自害しようとするが、そこにおかやがいた。次子の牧次郎の成長とおかやの献身。これもまた名作。

15 菅笠(すげがさ)
浜松城下、足軽の家の人々。時は長篠の合戦。19歳のあきつは両親に死なれ、縁遠い娘であった友達が結婚をしていく中で、つい、荒くれの27歳の吉村大三郎と結婚を約束していると出まかせを言う。その話が大三郎の母、よりに伝わり、よりがあきつに会いに来る。嘘だといえないあきつは、やがて吉村家との縁談が決まる。大三郎は合戦に出向いていた。よりは耕作するために大三郎が作った菅笠を見せる。質素ながらもつつましく、日々の生活を大切にする2人の暮らしが胸に迫る秀作。

16 風鈴◎
15歳で父を亡くした弥生は、女手一つで、妹の小松11歳、津留9歳を育て嫁に出した。爪に火を点す日々だった。勘定所に勤める三右衛門を養子に迎え、加内家を守っていた。妹たちの夫は出世をし、裕福な妹たちが訪ねてきて、姉の質素な生活を変えるように提案する。妹らの夫たちも地味な勘定所から奉行所への転身を進言するが、三右衛門は断る。一緒に温泉に行こうという妹たち。これまでの生活でいいのかと立ち止まる弥生。そんな時に勘定奉行の岡田が碁をしに訪れる。出世、栄華、富、遊山、贅沢、美食。人間の欲望にはきりがなく、それらは、誰にも訪れる死から救うことはできない。三右衛門のとつとつと語るラストが、それまでの弥生の逡巡と好対照の名作。

17 小指
川越藩の山瀬家の一人息子、平三郎は18歳から小姓組の書物番を勤めていた。放心癖があり、ぬけたところがあった。世話をしていたのは、母のなおが気に入っていた小間使いの八重だった。25歳の平三郎に縁談があり、話が進むが、平三郎は八重を欲しいといいだす。許嫁がいると断り実家に戻る八重。33歳になった平三郎は江戸の勤番になり、今だ結婚せず、父も亡くなり6年の月日が流れていた。7回忌の法要を済ませたなおは菩提寺に近くに八重の実家があることに気づく。

いずれもプロットが冴え、最後まで緊張感に包まれる。風景や季節描写も洒脱で、さすが周五郎だと思わせる。センテンスも短く、タイトな文章。女の道というタイトルだが、周五郎の人生観を投影した名作群だ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

星への旅 吉村 昭 54

2019-05-12 | 吉村 昭
吉村昭の初期の短編集「星への旅」

昭和30年代から40年初めの6篇を収録。

ボクシングフライ級チャンピオンがロードワーク中に列車に轢かれた。その原因は。サスペンスタッチで描く「鉄橋」昭和33年(1958)
病気で死んだわたしは16歳。2ヵ月半にわたり、解剖され、火葬場へ。死者が語る死後の世界「少女架刑」昭和34年(1959)
60歳を過ぎた光岡倹四郎は、死体にメスを入れ、骨の標本をつくるバラシ屋。その生活に母娘が入ってくる。「透明標本」昭和36年(1961)
北岡英一は大学生。姉の佐知子と2人で暮らしている。そんな彼が偶然、幼馴染の曽根と出会う。彼は石仏の収集家で、過去に女性との自殺未遂事件を起こしていた。そんな曽根が北岡の家へ転がり込む。「石の微笑」昭和37年(1962)
予備校生の圭一は、自殺願望の集団と出会い、意気投合する。死の瞬間を描いた「星への旅」昭和41年(1966)
空襲の体験。戦争が影を落とす人々の空虚さ。「白い道」昭和42年(1967)。
昭和33年(1958)に作家デビューした吉村が、発表した初期の作品群。この中で「鉄橋」「透明標本」「石の微笑」が芥川賞候補作となる。

全編に強烈な死へのメッセージを残す。ぎらぎらするような研ぎ澄まされた感性の中に、空虚さが常に寄り添う。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本婦道記 1/2

2019-05-06 | 山本周五郎
我が家には、山本周五郎全集全30巻がある。これは、就職した昭和56年、1981年に新潮社から刊行されたものだ。就職し、給料、サラリーをもらうことになった私がなぜ、周五郎全集だったのか、記憶にはない。しかし、単行本の全集という大きなものを手に入れる喜びを感じていたことは記憶にある。
周五郎が亡くなったのは昭和42年1967の2月。半世紀以上も前のことになる。

第1回の配本は第2巻昭和56年9月発行。1981年10月に購入した。その中から、初期の代表作、「小説 日本婦道記」の17編を読んだ。昭和18年の直木賞辞退の作品群だ。最初に18年に10作が発表され、22年6月に「続・」が10編、同年7月には8編が出版され、昭和33年にはこれらの作品群から11編(◎印)を選び、定本とされた。

戦中から戦後にかけて発表されたこれらの作品群は、題名から戦中の女性の生き方を押し付けるような内容だと思われるが、周五郎は「ぼくは戦争中、時局便乗の小説など一度も書いたことがない」と断言している。

1 松の花◎
紀州家の年寄役、千石の佐野藤右衛門。64歳の彼が妻のやすが亡くなった。30年も連れ添い、2人の子を授かった。その最期に立ち会った藤右衛門は、やすの荒れた手に触れる。毎夜、流れる読経は使用人や女たちの声であった。そして、裕福な家柄しては、形見分けの着物や品も大切に使われたつつましいものばかりであった。初めて気づく妻の生き様。

2 梅咲きぬ◎
加賀前田家の2千石の家臣、多賀家。その妻、加代は嫁いできて3年、子はない。鼓、茶と勉強し、和歌でその才覚を伸ばしていた。さらに高みを目指そうとした矢先、姑のかなに呼び出される。「きびしい生き方のなかで、さらに峻烈に身を持してきたかな女のこしかたこそ、人の目にも触れず、耳にも伝わらぬだけ、霜雪をしのいで咲く深山の梅のかぐわしさが思われる。」

3 箭竹(やだけ)◎
後の4代将軍の若き家綱が気に入った矢。そこには「大願」との彫りが入っていた。それは岡崎の水野監物から寄せられたものであった。監物の家来で自刃した茅野百記。その時、妻みよは結婚して3年目。子の安之助は2歳だった。領内追放の沙汰が下ったが、みよは領内に留まる。3回にわたる移封にもついて行き、草鞋づくりや竹細工で生計を立て、安之助を育てる。

4 笄掘(こうがいぼり)
秀吉の北条征伐。石田三成が水攻めで惨敗した忍城の話。小田原城に行った忍城主、成田氏長の留守を預かった妻の真名女。評定で籠城を決め、石田勢が押し寄せてくるが。一族郎党や領民を束ね、対抗する。城攻めに備え、領民に堀を整備させる。その堀に高価なかんざしが落ちていた。

5 忍緒(しのぶお)
忍緒とは、兜を固定する紐のこと。上野の国、上田城に夫、真田信之が江戸へ向かう留守を預かる妻、本田忠勝の娘、松子のもとに、江戸へ向かうはずの真田昌行・幸村親子が信濃の沼田城へ向かう途中に孫と嫁の顔を見たいので寄ると使者が来る。その行動に不信を抱いた松子は、夫が不在なので、城下に宿をとるので入場はできないと拒む。

6 春三たび
島原の変に出征した夫の留守を預かる伊緒は17歳。結婚して3か月。姑と体の弱い義理の弟の3人暮らしであった。その夫が戦場からいなくなったと帰国したものから聞く。それから、再婚や離縁の話を断り、黙々と家を守る。

7 不断草◎
上杉家の登野村三郎兵衛に嫁いだ菊枝は、150日余り経ち、夫や姑からつらく当たられ始め、やがて離縁が決まった。その直後、藩政改革に加担したとして夫は国を追われる。姑は、農家に隠棲するが目が不自由なため、菊枝は気づかれないように農家で姑のお世話をしたいと考えた。菊枝は、庭に姑が好きだった不断草の種を蒔く。それから5年の星霜が過ぎる。

8 藪の蔭◎
信濃の松本。由紀が、母と二人暮らしの安部休之助に嫁ぐ日に、休之助は帰宅途中に手傷を追い担ぎ込まれる。父は家に帰るというが、由紀は家に残り、看病をすると言い放つ。休之助は由紀に大金の調達を頼む。その後、休之助は役目を解かれ、禄を半減される。由紀は生計を得るために民家に琴を教えに出かける。姑はそのことをきつく咎める。その冬、瀬沼新十郎という客が安部家を訪れる。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夫・車谷長吉

2019-05-05 | book
直木賞作家、車谷長吉(くるまたにちょうきつ)の妻、詩人の高橋順子が、長吉との出会いと死までの思い出を語る。「夫・車谷長吉」を読んだ。2017年5月刊行。
高橋は、1944年生まれ。長吉は一つ下になる。
出会いの絵手紙をもらった平成直前の1988年から長吉の死となる2015年までを、克明な日記に基づき回顧する。2人の結婚は1993年、順子が49歳、長吉が48歳の時だった。

長吉の病との闘い、そして奇行ともいうべき性格が巻き起こすさまざまなトラブル。多くの編集者との交流、親戚づきあいや各地への旅行、そして四国お遍路など。ほんとうに盛りだくさんな夫婦生活。大人が故にぶつかり合うも、わかりあい、共に歩む日々。

カバー袖の「これから何年一緒に暮らせるかわからないが、私は長吉を見届けるつもりだった」が印象に残る。

長吉を知ったのは、全国紙の土曜日版の人生相談だった。2009年4月から2012年3月までの3年間,定期に掲載されていた。その型破りで破天荒なコメントが私を魅了した。

2016年9月に2回に分けてブログに乗せた。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

fostexの8㎝フルレンジ

2019-05-04 | audio
フォステクスは、日本の音響メーカー、フォスター電機のブランド名。そのFostexの8㎝フルレンジのスピーカーユニットのペアが、音楽の友社の「ontomo mook」についた。2017年8月発行の「これならできる 特選スピーカーユニット フォステクス編」だ。

omf800p




フォスター電機は、スピーカーやヘッドフォンのメーカー。特にスピーカーでは、1960年代にソニーのトランジスタラジオにスピーカーを供給したことで有名。カーステレオのスピーカーを提供している。

「Stereo」の「ontomo village」で8㎝対応のバックロードホーン型エンクロージュア・キットが売れていたので、購入した。


高さ291㎜、奥行き196㎜、幅101㎜のエンクロージュアだ。

早速、組み立てる。側板、天板、背板、前板ときちんと分けてあり、それぞれ切り込みがあり、そこにボンドで接着すれば出来上がりだ。




配線


エンクロージュアの出来上がり。


そこにスピーカーユニットを取り付けて出来上がり。

アキュフェーズのプリメインアンプE-408で鳴らす。

クラプトンのディスク1994年の「 from the cradle」だ。,
50歳を目前にした、ノリノリのブルース盤だ。うねるギターとクラプトンのしわがれ声にしびれる。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラックウォールナットケース 

2019-05-03 | audio
ラックスマンの真空管アンプ。この木製ケースが手に入った。
Stereo ontomo shopで購入した。








はめ込み式。完成品を木のケースに入れて完成。

後ろから


いい雰囲気です。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする