パンダ イン・マイ・ライフ

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音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

旅の力「自分を探さない旅」

2012-10-28 | book
「自分を探さない旅」

8月5日の新聞書評から。2012年6月に出版された旅行作家の吉田友和の作品「自分を探さない旅」。

吉田は1976年生まれで、出版社を、えいや!で退職し、独立。今回は、2011年の2月末に出国し、タイ、インド、ブータンを訪れる。そして、3.11の大事件に遭遇し、帰国。その間の出来事を綴る。旅行記は初めて読んだ。

旅行は、その出来事を追えば、一つの作品になる。成功例はもちろん、トラブルも危険も、その地を訪れる人には参考になり、スムーズで楽しい一時をもたらすアドバイスになる。また、そのときだけ、行った気にもなれる。言語という情報伝達ツールが使えない海外旅行に、人はしり込みし、団体旅行にシフトしがちな気持ちも理解ができる。ただ、この作品は、単なる旅行記ではない。

氏が観光の3要素という「観る」「食べる」「買う」の記述はもちろん、搭乗手続きや移動手段、宿泊手続き、治安や経済など、東南アジアの国々を訪れた多感な感受性に基づく記述もある。しかし、旅行案内、テキストとして、そのことだけを楽しく、苦い思い出として綴るだけの本ではない。

今回、吉田は、旅行とはなにか。なぜ、旅に出るのかという根源的な問いの答えを模索する。一般に自分探しの旅というが、彼はそのことに反問する。

彼は知る第1歩は知ることだという。旅の恩恵は異文化と向き合うことで成長すること。テレビで見て疑似体験はできるが、それでよいのか。現地で体験することで得られるものがある。そして、旅することで、人の役に立つことはない。あくまでも自己満足だが、それでいけないのだろうか。そこまで旅に求めるのかとも。

旅を始めて、10年という吉田が語る。その10年を現場を知ることに費やした。人生をかけているものがあり、それが名実ともに生きる糧となる生き方をうらやましく思った。


また、人から見れば行き当たりばったりの生き方にも思える生活だが、変化を恐れてはいけないという。一度きりの人生だとも。

ビブリア古書堂の事件簿(3) 栞子さんと消えない絆

2012-10-21 | book
ビブリア古書堂の事件簿の3弾目は、「栞子さんと消えない絆」。

その副題のとおり、1作目、2作目を通し、10年前に失踪した、篠川栞子の母智恵子の存在がクローズアップされる。しっかり栞子の相方と定着した五浦大輔くんとの進展は、飲み会ぐらいで終わっている。今回の作品は一言で言えば、古書の香りと栞子さんの謎めいた雰囲気が堪能できる作品か。

ロバート・F・キング『たんぽぽ娘』
年末で起きた、古書店が参加する古書交換会で盗まれた海外ロマンチックSFの文庫本。その疑いが栞子に。お客に秘められた母智恵子との思い出とは・・・。智恵子とやりとりをしている古書店主も現れる。

『タヌキとワニと犬が出てくる絵本みたいなの』
「1作目ー栞子さんと奇妙な客人たちー」に出てきた坂口夫婦が登場。その坂口しのぶさんのお母さんとの関係を描く。小さい頃の思い出の本を突き止める。

宮澤賢治『春と修羅』
母の同級生、玉岡聡子から相談を受ける栞子。玉岡家の蔵書から盗まれた1冊の本をめぐる家族の確執。

いずれも全編、母の面影が栞子を巻き込んでいく。

あとがきにも著者が書いているが、この3作目は今年2012年の6月に発刊された。描かれた時間は、2010年の年末から2011年の3月頃だ。1巻は2010年の夏を2011年の3月に発刊された。かなりのリアルタイムで進行する。本のネタには事欠かず、登場人物も現代の我々と等身大の作品。

栞子と母はどうなるのか、大輔と栞子は。登場人物の魅力とともに、さまざまな古書のストーリーを解き明かし、提供する本書の魅力。図書館で借りる時に、27人待ちの状態だった。司書の期限までに返してくださいと念押しされた。

古書と我々を結ぶ時空に、著者の三上延は、題材を投入する。過去はだれでも持っている。この作品の魅力は、その読者の共通項を刺激する郷愁にあるのだ。

秋の玉すだれ

2012-10-20 | food


親戚から柿をいただき、さっそく家人が干し柿を作った。まるで玉簾(すだれ)のようだ。
心地よい秋の快晴に、思わずシャッターを切った。青空と黄色のコントラストがなんともいえない。

日を追って、柿は小さくなり、色も深まりを増す。


甘い香りに秋の深まり

2012-10-20 | life


チャリ通勤の楽しみは、空気の香りだろう。
10月に入り、朝夕がめっきり寒くなり、特に朝はもう一枚着ないと寒く、手もかじかむようになった。そんな道すがら、甘い香りが漂ってきた。金木犀の香りだ。金色の小さい花は、通勤途中の道路からは見えないが、我が家の畑に植えた花も咲き出した。

昔は消臭剤として、トイレ近くに植えられていたという。確かに昔の家にはあった。金木犀の香りでトイレを創造するのも仕方ないか。最近は水洗トイレも増え、臭いを気にしなくなり、市販の芳香剤もバラエティ豊かになった。

ビートルズのすべて 11 解散への足踏み(7)

2012-10-14 | ビートルズ
それぞれが、持ち寄った曲、あるいはその断片を元にセッションが始められ、その作者の意向のままにレコーディングが進められる。ほかのメンバーには協力や参加を求めるよりも、自分の意向に即した演奏を要求する。
ポールとジョージの対立もそうしたことに起因したものでした。もっともジョージはメンバーの説得によりグループに復帰します。同時にレイ・チャールズの公演で見かけた、オルガン奏者のビリー・プレストンに声をかけ、セッションへの参加を誘います。ビリー・プレストンは、かつてハンブルグ時代、リトル・リチャードのバックを務めていたことから、ビートルズのメンバーには懐かしい人物でした。ビリー・プレストンの参加を得て、セッションははかどり、新曲が次々に生まれていきます。
そして、ライブを実現するという当初の目標は、彼らの本拠、アップレコードの屋上にステージを設置し、それを実現させます。そしてレコーディングされた作品の中から、「ゲット・バック」がニューシングルとして発表されました。

「ゲット・バック(Get Back)」

ゲットバックはイギリスアメリカそして日本でもヒットし、その内実と裏腹にビートルズの健在を示す作品となります。しかし、その後が続きませんでした。

南木佳士の「陽子の一日」

2012-10-08 | book
8月の新聞の書評で、南木佳士(なぎ けいし)の小説「陽子の一日」が取り上げられた。月刊の文芸誌「文學界」9月号に掲載されているという。大学時代の一時期、私小説が好きで、文藝春秋の「文學界」、講談社の「群像」などの雑誌をいきがって講読していた。今回、なかなか立ち読みというわけにもいかず、図書館に問い合わせると、次の号が出ると貸し出しにまわすらしい。さっそく、リクエストして手に入れた。久々に手にした感触は、少し紙が上質になったような気がしたが、文芸誌特有のざらったした感触が懐かしかった。

巻頭からの72ページ。信州の総合病院に勤める還暦を過ぎた女医、江原陽子の一日を描いたもの。午前7時から午後11時までの、時間を区切り、それぞれのシーンで語る。

以前の同僚医師、同年輩の黒田の「病歴」が、研修医だった桑原から送られてくる。7つの病気を通した黒田の人生の断片が語られ、それに付した桑原の「考察」という形で進む。陽子は、出産、子育てを終え、遠く母親をケア付きマンションに住まわせ、一人で生きている。すでに65歳の定年を目前に、日々老いと向き合う。黒田の人生も、また、ひとつの人生の形である。医師となったが、今は別の人生を歩む若き、桑原芳明と佐野寛子の存在も、2人の人生を際立たせる。いずれはだれも終わりを迎えるのだと。
陽子の母、佐野寛子と陽子の電話の会話描写もあり、構成の新たな挑戦が、心地よい。幾たびか段落に挿入される、陽子の「ふう」というため息が、文章の中に、人のぬくもりを感じさせる。そういえば、最近ため息ばかりか・・・。

1995年発表の「阿弥陀堂たより」が気に入り、氏の真摯な死との向き合い方が、時に私を「生」を考えさせてくれる作家である。南木は1951年(昭和26年)生まれ、1981年(昭和56年)に同じく「文學界」でデビュー。また、生を感じさせたもらった。

ビートルズのすべて 11 解散への足踏み(6)

2012-10-07 | ビートルズ
一昨日、10月5日は、ビートルズのデビューの日。「プリーズ・プリーズ・ミー(Please Please Me)」のレコードが発売されました。実は映画「007-ダブルオーセブン」シリーズも封切りの日。そして、同時に50年を迎えました。

ビートルズのメンバーの中では、ジョージがボブディランやザ・バンドの音楽に心酔し、実際に深い交流を持つことになります。ゲット・バック・セッションが行われるしばらくの合間、ジョージはアメリカで、ボブディラン、ザ・バンドと交流を深め、セッションを行っていました。そうしたことからイギリスに戻っゲットセッションに参加したところ、そのセッションのあり方に疑問を持ち、特にポールとの対立からしばしグループを離れることになります。

当初、セッションに参加していたジョージマーティンも、「衝突が多くて。方向が定まらず、このときはほんとうに舵取りもいなかった。彼らはお互いが気に入らず、喧嘩ばかりしていた」というのがセッションの実情だったわけです。

ジョンが当時を振り返って語るには、「ビートルズが頂点に達したときには、もう互いにほかのやつらの鼻をへし折ろうとしていた。ある種のフォーマットに押し込めなきゃって無理することで、僕たちの曲作りの能力にも演奏力にも歯止めをかける結果になった」と語って言います。さらに続けて、「ずっとずっと昔から4人はいっしょだった。その結果どうなったかといえば、退屈もあり、いろんなことがあって、プレッシャーがのしかかり、それに押しつぶされちゃった。そうなるとみんなお互いのあら捜しを始める。自分たちしかいないから、互いにぶつけ合うしかないんだ」と語っています。